第3話 お姉ちゃんの名前〈前編〉

 私の妹は、読書がとても似合う。


 天使の輪ができるくらいキューティクルが完璧な、腰まで伸びたさらさらの黒髪に、静かに世界を見守る凪いだ海を宿したつり目がちな瞳と、それを護るスクエア型の紫フレームの眼鏡。それから日焼けという言葉を神様が登録し忘れたであろう白い肌。

 今私の目の前でページを捲るのと同じように、誰も来ない図書室のカウンターに座って、放課後時間が来るまで、その瞳と指と想像力を以って、本の世界に浸る。


 そんな姿が容易に想像できる。まさに、図書室の妖精――。


「はい、よくできました! サイン書くね」

「ありがとうございます!」


 なのはやっぱり見た目だけ。


 今は音読を家族に聞いてもらうという宿題のため、国語の教科書を捲っていたのである。

 実際は本が苦手な子あるある第一位、読むと眠くなるに、漏れなく該当してしまうので、本は滅多に読まない。


「風花の宿題に付き合ってくれて、ありがとうございます」

「いやいや。頑張ってる風ちゃんの姿を見れて、お姉ちゃんは嬉しいよ」


 風ちゃんの高いけど丸みがあるかわいい声で、ハキハキ読もうとするけど漢字に詰まって結果たどたどしくなってしまう音読は、癒し以外の何ものでもなかった。


 たぶんASMR並みの、いやもしかしたらそれ以上の癒し効果を得られる。風ちゃん療法。本当は録音したかったけど、さすがに嫌われそうなのでやめた。


「風花もお姉ちゃんに聞いてもらえてうれしいです!」


 えへー、と苺のショートケーキみたいに甘く笑う風ちゃん。


 どうしようやっぱりこれ頼んだら録音させてくれるのではなかろうかてれてれしながら「いいですよ……」と了承してくれるのではなかろうか。


「風ちゃんもう自分の名前の漢字間違えてないね」


 そんな誘惑を修行僧の忍耐力で断ち切り別の話題を提示する。姉特権濫用よくない。


「練習しましたから。自信ありです!」

「そっか。頑張ったんだね」

「はい! がんばりました!」


 目を閉じてえへんと胸を張る風ちゃん。頑張り屋さん堪らんかわいい。


「でも、一番自信があるのはお姉ちゃんのお名前です!」


 今度は目を開けてふんすと息巻く風ちゃん。ドヤってるのも堪らんかわいい。あと内容も堪らなく嬉しい。

 でもね、


「嬉しいんだけどね風ちゃん」

「なんです?」

「お姉ちゃんの字、結構難しくない?」


 私の名前、緋衣花ひいか、なんだけど、常用漢字外もあって、『風花』より難易度上がってると思うんだけども。


「大丈夫です! 『花』の字を習ったときに、他の字も一緒に練習したのです!」

「風ちゃんの名前よりも先に?」


「はい!」


 とてもいいお返事をくれた風ちゃんはすごく素敵な笑顔で続ける。


「聞いてください、お姉ちゃん! お姉ちゃんの漢字と風花の漢字、なんと同じ字が三つもあるんです!」


「う、うん……?」


 キラキラお目目の風ちゃんに、私は素直に疑問を口に出せず曖昧に頷く。


 三文字も共通の字、あったっけ? 私の名前が漢字三文字だし、そもそも風ちゃん二文字なんだけど……。


「……もしかして風ちゃん、苗字の『宿利』も数えてる?」

「はいっ!」


 そっかー。苗字もカウントしちゃったかー。まあ、間違いではないんだけど、苗字はなんだか、ちょっと、釈然としない……。


「風花にとっては『風』以外全部同じ字です! とてもうれしいです!」


 ……嬉しいなら、いっか。


「そうだね。お姉ちゃんも嬉しいや。じゃあせっかくだし風ちゃん、お姉ちゃんの字書いてみてよ」


「わかりました! お徳用です!」

「…………お安い御用じゃないかな、それ?」


 訂正は私の名前を書くことに集中した風ちゃんには届かなかった。



     〈後編に続く……〉

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