第二章 苛めと社会
表題の文字も、”いじめ”と読む漢字。あと、虐め、も同様。意地め、と書くのも見たこともある。英語だと「school bullying 」、単にいじめること、の動詞は、tease 。ストリップ・ショーの strip は、「剥ぐ」という意味の動詞で、 striptease が、正式な?名称。「いじめ」というニュアンスが入っていて、正しい感じもする。
第一章で述べたように、私のスタンスは、「いじめは親切」というもので、それは人間と社会は不可分で、その社会と、いじめ、もまた不可分だと思うからです。
社会的な動物、という言い方は当たり前すぎるからか、誰も「ホモ・ソシアルス」とかはあえて言わない。のだと思う。社会的な本能、群居本能とか原始共産制の?そういう起源とかを語っている場合にも、社会を大ぴらに肯定はしないのが通例のような気がする。社会があるがゆえに、あるいはつきもののいろいろな義務やら山ほど嫌な、意地の悪いやつっがいることに日々苦しんでいるのが通常の人間一般で、とても能天気に社会を肯定できるわけがない。
鉄を鍛えるときには、火にくべて、ものすごい灼熱で、一種の通過儀礼のように、「鍛鉄」、「錬成」というのか、真っ赤に燃やしてガンガン叩く。
なぜそういうプロセスが必要なのかの意味はよく知らないが、「火の鳥」が、炎の中から蘇るように、単なる鉄が「鋼鉄」となる、錬金術のような奇跡のような?そういうマジックを人間は発見した。ある存在が真に強くなる、使用に耐えるようになる、ということはそれほどに情け容赦なく厳しいものだ、という事物の根本にある冷徹な原理を、あの鍛冶屋さんの鉄を鍛えている光景が物語っているのだ…私にはそう思えるのです。
ですが、強くない存在には、
パロディ・「いじめの倫理」(仲畑 癒) 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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