第29話 エピソード2 シウマイ弁当と卵焼き(5)

 これはどう言う状況なんだろう?

 ホスピスの所長室に通された看取り人を待っていたのは当然、所長と紫の着物を着た女性・・・先輩の叔母さんだった。

 所長は、自前で購入したというサイフォンにコーヒーを落として、赤い幾何学模様の描かれたカップを3つ用意して注ぎ、小さなお皿に何かを載せて、トレイに持って運んでくる。

 どこか飲食店で働いた経験でもあるのではないかと思えるくらいに丁寧にコーヒーのカップを叔母さんから順に置き、そして小皿を同じ順番に置く。

 小皿に乗っていたのはおかめの形をした綺麗な肌色の最中であった。

「これって谷中の和菓子屋さんのものですか?」

 叔母さんが訊くと所長は大きな目を輝かせる。

「ご存知ですか?谷中にある老舗の和菓子屋さんから取り寄せたんです。見た目もお洒落なんですけど中の栗餡が最高で」

 好きな物を理解してくれる人が現れたからか、いつも以上に饒舌だ。

「仕事柄、和菓子屋さんとは繋がりがあるので。まあ、流石にこの最中の店は高級なのでおめでたい時にしか手は出せませんが」

 叔母さんは、恐縮がちに言う。

 初めて出会った時のヤンキーのような態度と口調はナリを完全に潜めている。

「この子が和菓子好きだからいつも奮発して買っちゃうんですよ」

 所長は、そう言って看取り人に向かって微笑む。

 いつから自分は和菓子好きというキャラで推し進められるようになったのか?看取り人は思い出そうとするも結局どんなに悩んでも答えは出ないし、嫌いでもないし止めた。

 それよりも・・・。

「僕は、何で呼ばれたんでしょうか?」

 所長からの電話なんて看取り人の依頼以外では考えられはしないのだが、予想しなかった先輩の叔母さんがいたことで小さな疑問が湧いてしまった。

 看取り人の依頼で所長以外の誰かがいたことなんて今までなかったから。

 しかし、看取り人の読みは決して間違ってなかった。

「看取り人の依頼よ」

 所長は、看取り人の隣に座るとコーヒーを一口飲んでから居住いを正す。

「依頼者はこの方」

 そう言って向かい側に座る先輩の叔母さんを紹介する。

 先輩の叔母さんは左側に置いた水色や黄色の花柄の布で編まれた巾着袋を開き、中からウサギの絵が刺繍された朱色の名刺入れを取り出すと、中から一枚名刺を抜いて看取り人の前に置く。

 名刺には彼女の名前と職業が書かれている。

「着物デザイナー?」

 看取り人は、名刺に書かれた職業を読み、眉を顰めて顔を上げる。

 その顔を見て先輩の叔母さんも顔を顰める。

「ひょっとしてスナックのママとでも思ってた?」

 叔母さんは、先輩に似た切長の目をきつく細める。

「いえ、あまり聞き慣れない職業だったので驚いただけです」

 看取り人は、表情一つ変えずに告げる。

「着物はてっきり京都とか浅草の呉服屋さんで作られてるとばかり思ってました」

「私は、フリーランスなの。依頼を受ければそう言った老舗の着物もデザインするし、量販店だろうと、リメイクものだろうとやるわよ」

「そうなんですね」

 看取り人は、もっと話しを聞いて得た情報をパソコンに打ちたい衝動に駆られながらも依頼なのでぐっと堪える。

「いつもは貴方と看取る本人以外の依頼者を顔合わせることはしないのだけど・・・」

 所長の表情が少し翳る。

 看取り人と依頼人を合わせないのはルールというよりは所長の配慮だ。死を目前にした人の家族は平静に見えていたとしても実はそうではない。カッターナイフの先で捻りこむような鈍い痛むと不安に常に襲われ、何かの拍子に爆発しないとも限らない。

 所長は、看取り人の安全の為にも依頼者と合わせることは決してしなかった。

「この方が貴方とは面識があるし、どうしても直接伝えたいと言われたので・・」

「ご配慮感謝致します」

 叔母さんは、丁寧に頭を下げる。

 そして顔を上げるとじっと看取り人を見る。

「この間はごめんなさい」

 叔母さんは、小さな声で看取り人に謝る。

 看取り人は、首を傾げる。

 何のことで謝られているのかまるで見当がつかない。

 叔母さんは、拍子抜けしたように目を大きく開ける。

「こういう子なんです」

 所長は、苦笑する。

「他意に無頓着というか気にしないというか、きっと何で謝られているかも分かってないと思います」

 つまり鈍感と言いたいのだろうか?

 流石の看取り人もむっとしたがやはり何で謝られているのか分からないのですぐに解いた。

 叔母さんは、少し驚いた顔をしながらも切長の目を正して看取り人を見る。

「姪のことだ」

 先輩のこと?

「君が姪と仲良くしてるのを見てつい嫉妬して絡んでしまった。大人なく。本当に申し訳ない」

 仲良く?嫉妬?

 どこに嫉妬するような要素があったのだろうか?

「もう小さな子どもでないことは分かっているのだが、どうしても可愛くてね。子離れ出来ない自分に呆れる」

 そう言って苦笑する。

「そんなものですよ。私も経験あります」

 そう言って淑女2人は共感しあう。

 看取り人は、1人ぽつんっと残させる。

 叔母さんの目が看取り人に向く。

 切長の目が幾らか柔らかくなる。

「あの子と付き合うのは大変かな?」

「お付き合いはしてませんが、まあそれなりに」

 あのテンションと距離感の近さは決して居心地が悪いわけではないが辟易することはある。

 叔母さんは、苦笑を浮かべる。

「あの子ね。普段は本当に喋らないの」

 その言葉に看取り人は眉を顰める。

 アイも言っていたが、彼女が喋らないなんて本当に想像がつかない。なんだったら自分の声帯まで奪って喋ってるのではないかと錯覚するくらいだ。

「私の前でさえ必要なこと以外は喋らないことの方が多いのよ。それなのにあんなケバい髪の色にしてピアスなんかも強がって開けて、しかも、こんな目をしてるから誤解を招くことも多い」

 そういって自分の切長の目を指差す。

 彼女の右目と同じ形の目。

 きっと遺伝なのだろう。

「でも、君の前だとたくさん喋ってるみたいだね?」

 叔母さんは、嬉しそうに、しかし少し寂しそうに笑みを浮かべる。

「あの時、あの子があんなにしつこく君に話しかけてるのを見て本当に驚いたよ」

 看取り人の脳裏に一緒に食べる食べないで一喜一憂していた先輩の姿が浮かぶ。

 叔母さんの目つきが変わる。

 看取り人は、この目の光を知っていた。

 何かを伝える時、願う時の切実な目だ。

「君にお願いがあるの」

 看取り人は目を細める。

「もう分かってると思うけど、ここに私の家族だった人が入居してるの」

「家族だった?」

 叔母さんは、頷く。

「血縁上で行くなら私の姉・・・つまりあの子の母親ということになるわ」

 看取り人は、小さく拳を握る。

「その方を看取る・・・と言うことですね」

 しかし、叔母さんは小さく首を横に振る。

「少し違うわ」

 叔母さんは、小さく息を吐く。その目には僅かな戸惑いが浮かんでいる。

 言葉には出したのに決断しきれていない。そんな迷いがありありと出ていた。

 看取り人は、相手の言葉が出てくるのを待つ。

「姉は看取りを求めていないわ」

 看取り人の顔に疑問符が浮かぶ。

「誰の立ち会いを求めることなく1人で逝くことを望んでいる」

「では・・・何故?」

「・・・君にお願いしたいのは付き添いよ」

 叔母さんの言葉の意味が分からず、看取り人は眉を顰める。

 叔母さんは、ようやく意を決して言葉を紡ぐ。

「母親の看取りを求めているのはあの子・・そして」

 叔母さんは、切長の目でじっと看取り人を見る。

「君にはあの子が母親を看取るまで付き添って欲しいの」

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