第28話 エピソード2 シウマイ弁当と卵焼き(4)

 視界を埋め尽くす艶やかな黄色に看取り人は目を何度も瞬かせる。

 それを喜んでいると勘違いしたのか、先輩は満面の笑みを輝かせて大きなタッパを、タッパの中身を看取り人に見せつける。

「君のリクエストにお応えして作ってきたよ!ビッグバン卵焼き!」

 それはケーキか四角いホットケーキと見間違えるような大きなタッパの中をぎっしりと埋め尽くす巨大な卵焼きであった。しかも一回で焼き上げたのか綺麗な焼き目には包丁を入れたような跡すらない。

 アイと話した翌日、看取り人と先輩は授業を終え、昼休みになると申し合わせた訳でもないのにプールの裏の死角に集合する。いや、集合するというよりは看取り人のいる場所に先輩がやってくると言った方が正しい。

 2人は、いつものように1人用のレジャーシートに身を寄せ合って座る。

 何度か先輩に自分用のレジャーシートを持ってくるようにお願いしたがいつも忘れてくるのでもう諦めてしまった。

 看取り人は、先輩がしっかりとレジャーシートに座れるよう何も言わずに尻を半分地べたにずらす。

 先輩は、そんなことに気づかずに持参した弁当箱を得意満々に開いていく。

 先輩の弁当は豪華だ。

 恐らく100均で買ったと思われる見た目だけは豪奢な3段の重箱に薄肉のロール巻き、タコさんウインナー、魚の切り身、蓮根の甘辛煮、野菜の煮物、黒豆、そしてウサギの形にカットしたリンゴ、それらが全て手作りというだけでも凄いのに重箱にぎっしりと埋まってる。

 そして極め付けがビッグバン卵焼きだ。

 看取り人は、ビッグバン卵焼きから漂う蜂蜜かと勘違いしてしまうような甘い香りに顔中を埋め尽くされながらも表情一つ変えず、自慢げに笑う先輩に目を向ける。

「これは卵何個使ったんですか?」

「1パックですんだよ」

 何故か右目の横でピースをして先輩は答える。

「物価高だから小遣い制には痛かったわー」

 看取り人は、三白眼を細める。

「僕、リクエストしましたっけ?」

「昨日、言ってたじゃん。先輩の甘過ぎる卵焼きが食べれなくなると寂しいって・・…」

 形の良い唇をアヒルのように尖らせて抗議してくる。

 確かに言った。

 社交辞令でなく割と本心も込めて言ったが・・。

 ビッグバンにしろとは絶対に言ってない。

「卵料理をたくさん作ろうという発想はなかったんですか?」

 看取り人の言葉に先輩は切長の右目をぱちくりさせる。

 そのぽかんっとした表情を見る限り本当にその発想はなかったらしい。途端に先輩は頬を真っ赤に染めて顔がこぼれ落ちそうな程に俯く。恥ずかしさなのか何なのか身体を小刻みに震わせる。

「事実は小説より奇なり」

 看取り人は、ぼそっと呟き、先輩からビッグバン卵焼きの入ったタッパをもらう。

「あっ」

 先輩は、驚いたように短く声を上げる。

 看取り人は、持参したエコ箸を組み立てると「いただきます」と手を合わせ、箸を卵焼きに沈める。

 切れ目のない卵焼きの質量はシフォンケーキのように重く、箸で取り分けるのが少し厳しかったがなんとか四角く切って抜き取る。

 中身は外側の固さ打って変わってトロリと半熟だ。ステーキなら完璧なミディアムだろう。

 看取り人は、そっと卵焼きを口に運ぶ。

 先輩は、右目で固唾を飲んで見守る。

「ど・・・どお?」

 看取り人は、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。

「砂糖菓子のようですね」

 看取り人は、ぼそりっと言う。

「恐らく全部食べたら明日には糖尿病です」

 先輩の表情がみるみる青ざめる。

 右目が今にも涙が溢れそうな程に潤む。

「でも美味しいです」

 そう言って看取り人は、もう一口食べる。

 先輩の右目が大きな開く。

「これ持って帰っていいですか?何日かに分けて食べます」

「いいけど腐らない?」

「この時期なら冷蔵庫に入れておけば大丈夫です」

 看取り人は、小さく卵焼きを切り分けながら口に運ぶ。

 先輩は、驚いた顔をしながらもら嬉しそうに頬を緩める。

 そして重箱を持って彼の前に差し出す。

「他のも食べて。美味しいよきっと」

「シウマイ弁当もありますよ」

「食べるー!シウマイ大好き!」

 2人のお昼はさわがしく、和やかに進んでいく。


 卵焼き以外のお弁当を粗方食べ終え、先輩が最後のシウマイを箸で摘んでじっと見ながら口を開く。

「ねえ、看取り人って何?」

 食事を終えてパソコンに集中していた看取り人が顔を上げる。文章の波に乗りかけていたので邪魔をされて少し不機嫌そうだ。

「このシウマイ弁当もあのホスピスでもらったんでしょう?」

「そうです。お礼として」

 看取り人は、先輩とパソコンを交互に見ながら言う。

「あんな所で何をしてるの?看取りってまさか死んだ人と一緒にいる訳じゃないよね?」

「それは葬儀社です」

 看取り人は、淡々ときっぱり答える。

「僕の仕事はこれから旅立つ人が1人にならないよう付き添い、見送ることです」

 看取り人の言葉に先輩の目が大きく震える。

「それは・・死ぬのをずっと見てるってこと?」

「そういうこともありますが、大概はお話しをします」

「話し?」

 先輩は、眉を顰める。

「どんな?」

 看取り人は、少し困ったような顔をして顎を触る。

 喋るのを躊躇うのではなく、純粋にどう伝えたらいいかを悩んでいる言った感じだ。

「ピーマンを生齧りしたい」

「?」

「サムライジャパンの優勝を見れてよかった」

「??」

「会いたい」

「???」

 先輩は、訳の分からないと言った顔をする。

「全て亡くなる前の言葉です」

 先輩の目が大きく見開く。

「旅立ちを目前になると皆さんの頭を過ぎるのは最後に何かをしたいと言う希望、叶えたい欲望、そして未練です」

 死ぬ前に青空が見たい。

 大好きな物が食べたい。

 誰かに会いたい。

 そう言った穢れのない希望と欲望と渇望、そして後悔。

 そう言ったものが動けない身体の変わりに言葉として現れる。

「それを全部聞いてるの?」

「全部ではありません。話してくれない人もいます。途中で喋れなくなる人もいます。でも、話せる限りは話します。一緒にいます」

 先輩は、看取り人から顔を背ける。

 膝を抱えて座り直し、じっと自分の膝を見る。

「話しを聞いて上げた人たちって最後はどうなるの?」

 看取り人は、彼女の質問の意味が分からず眉を顰める。

「すっきりするの?安らいだ顔になるの?」

 先輩の声が少し弱々しくなる。

 何かを思い詰めるように、呻くように。

「人それぞれですね。話したから解決する訳ではありませんから・・・でも・・」

「でも?」

 先輩は、右目を向ける。

「多少は楽になってるって思いたいですね」

 それは単なる看取り人の願望だ。

 最後に少しでも現世の重みを減らすことが出来れば・・看取り人が側にいたことにも意味を持つかもしれない。

「もう確認しようはないですけど・・ナニナニに口なしとはよく言ったものです」

 そう言って看取り人は、再びパソコンに向き合おうする。

 しかし、その視線は直ぐに上を向くことになる。

「あ・・あのさ・・」

 先輩は、声が上ずるのを抑えなえながら言葉を出す。

「そうすれば恨みも和らぐのかな?」

「恨み?」

 看取り人は、顔を顰める。

「先輩は誰かを恨んでいるのですか?」

 看取り人の言葉に先輩は、「ひっ」と小さな悲鳴を上げてから首を横に振る。

 看取り人の脳裏に先輩の見ていたホスピスのドアが思い浮かぶ。

「ホスピスに入居されている人・・」

 看取り人が言葉にした瞬間、先輩の顔が青ざめる。

「その人が誰かを恨んでいる・・と言うことですか?」

 先輩は、答えない。

 しかし、青ざれた表情と震える右目がそれを肯定であることを物語っていた。

 先輩の震えが看取り人の身体に伝わってくる。

 先輩は、眼帯に包まれた自分の左目を触る。

 まるで汚れた物をこそぎ落とすように掻き始める。

 何度も何度も繰り返す。

 その異様な行動を見て看取り人は、三白眼を細める。

 看取り人の左手が伸びて左目の眼帯を掻く先輩の手に触れる。

 先輩は、驚く。

 切長の右目が大きく見開いて看取り人を見る。

「大丈夫です」

 看取り人は、優しく先輩の手を握る。

「怖いことなんてここにはありませんから」

 自分でもなんでそんなことを言ったのか分からなかった。しかし、その言葉は先輩の心を落ち着かせるには十分なものだった。

 震えが止まる。

 切長の右目が看取り人を映す。

「あっ・・あの・・あのさ・・」

 先輩は、何かを言おうとする。

 しかし、言葉がうまく紡げない。

 予鈴が鳴る。

 昼休みが終わりを告げる。

 2人は無意識に校舎のある方を見る。

「戻らなきゃ・・」

 先輩は、白くなった顔でお弁当を片付け始める。

 看取り人もパソコンとシウマイ弁当の空容器を片付ける。

「・・・また明日ね」

 先輩は、すっと立ち上がると看取り人に向かって言う。

「はいっ」

 看取り人は、座ったまま頷く。

「また、明日」

 先輩は、小さく力のない笑みを浮かべると手を振って去っていった。

 看取り人は、先輩の作ってくれた食べかけのビッグバン卵焼きの入ったタッパーを見る。

 今日はそれ以降、先輩の姿を見ることはなかった。

 看取り人は、真面目に授業を受け、休み時間の少しの間に思いついた小説のプロットを手書きし、そして下校する。

 今日は看取り人の仕事もないのでそのまま家に帰るか、いつものファーストフード店に寄って小説を書くかしようと思った。

 そう思っていたら矢先に携帯が鳴る。

 着信はホスピスの所長からだった。

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