第27話 エピソード2 シウマイ弁当と卵焼き(3)

「昼友とは仲良くしてるの?」

 向かい側の椅子に座る女性の低い声に看取り人はハンバーガーを食べる手を止める。

 その様子に女性・・看取り人の通う高校のクラス担任であるアイは飴を転がすように笑う。

 2人は、とある件をきっかけに月に数回、学校から少し離れたファーストフード店で落ち合い、会話を交わしていた。

 その集まるきっかけになるのが看取り人がホスピスの仕事を終え、交通費とシウマイ弁当をもらった直後である。

「先生がなんでその言葉を?」

「先生じゃなくてアイさん」

 アイは、形の良い眉を顰めて看取り人を嗜める。

 二重の大きな綺麗な目、年輪の重ねた丸みのある輪郭、肩まである長い髪に、肩幅はあるが細い身体つき。

 もうすぐ50になるはずだがその姿に衰えはなく、むしろ樹齢を重ねた森の中の大木のような力強い美しさを感じさせる。

「学校中で噂よ。我が校始まって以来の昼友カップルの誕生だって」

 アイは、くすりっと笑って砂糖もミルクも入れないコーヒーを左手で持って口に付ける。

 左手の薬指には林檎の形に削られた赤い宝石の付いた指輪が嵌められていた。

「"昼"がつくのに健全だって大騒ぎよ」

 確かに不倫でもなければドロドロもしてはいない。

 しかしそれ以前に・・・。

「別に付き合ってないです」

 看取り人は、きっぱりと答えて食べ損ねたハンバーガーに再度、口を付ける。

「あらっもったいない。あんなに可愛いのに」

「可愛いから付き合わないといけない決まりはないはずです。そんなことしたら人類は絶滅です」

 誰も求めないような色気も面白みもない返答にアイは苦笑を浮かべる。

「でも、噂を聞いた時にはびっくりしたわ。まさかあの子と貴方が一緒にご飯食べてるなんて」

「僕から誘った訳ではありません。先輩が勝手にやってきたんです」

 看取り人が誘った訳ではない、というところは特に驚くに値しない。むしろ僕から誘いましたと言われる方が驚きを通り越す。

 驚くのはむしろその反対。

 彼女が自分から看取り人の所にやってきたことだ。

「きっかけはなんだったのかしら?」

 アイは、胸中の考えをおくびも出さずに自然な流れで質問する。

 看取り人は、アップルジュースのストローから口を離し、足元に置いた鞄に手を伸ばしてある物を取り出す。

「これです」

 看取り人が差し出したものを見てアイは眉を顰める。

「シウマイ弁当?」

 それは看取り人がホスピスからのお礼としてもらったシウマイ弁当であった。

 シウマイ弁当の黄色の封を見る。

「正確にはシウマイ弁当と卵焼きです」

 それは今から3ヶ月ほど前、夏休みが終わり、少しずつ秋の冷たさを感じるようになった頃だ。


「シウマイ弁当好きなの?」

 頭の上から可愛らしい声が降ってきた。

 その日、看取り人はいつものように高校のプールの裏、日差しと日陰が折り重なったような死角でれ1人用のレジャーシートを広げてシウマイ弁当を食べながらパソコンを打っていた。

 その場所を選んだのには特に理由はない。

 強いて言うなら人がやってこないからだ。

 だから、急に声が聞こえた時は流石の看取り人も面食らった。

 顔を上げるとそこにいたのは白い大きな眼帯と切長の右目を携えた金髪の少女。

 少女は、じっと右目で看取り人を、と、いうよりも看取り人の食べているシウマイ弁当を物欲しそうに見ていた。

 看取り人は、少女の視線とシウマイ弁当を交互に見る。

 そして彼女の顔の近くまでシウマイ弁当を持ち上げる。

「食べますか?」

 普通は、なんですか貴方は⁉︎と不審がるところのはずなのに看取り人はそれを何段も飛び越えてそう告げた。

 少女は、びっくりしながらも右目を輝かせる。

「ありがとう!」

 少女は、重い黄色の辛子の付いたシウマイを指先でヒョイっと摘むと一口で食べた。

 辛子の量が多かったのか、一瞬、切長の目が大きく広がり、小さな鼻の穴が膨らむも、すぐに満面の笑みを浮かべる。

「お〜いしい〜!」

 少女は、全身を震わせて喜びと美味しさを表現する。

 看取り人は、少女のあまりのリアクションの大きさに三白眼を大きく広げる。

 確かに美味いが飛び跳ねるほどではないはずだ。

 彼女は、切長の右目を輝かせるとあろうことか飛び込むように看取り人の隣に腰を下ろした。

 1人用のレジャーシートなので身体が嫌でも密着する。

 しかし、看取り人は身体が密着したことよりも少女の突拍子もない行動に呆気に取られていた。

「ねえねえ、もう一個食べていい?」

 少女は、切長の右目を上目にして言う。

 看取り人は、シウマイが幾つか残っただけの弁当を見る。

「全部どうぞ」

 看取り人の言葉に少女は、目を瞬かせる。

「いいの?」

「もうお腹いっぱいなので」

 看取り人は、彼女の両手にお弁当を乗せると自分は胡座を掻いてその上にノートパソコンを置いて作業しだす。

「何してるの?」

 少女は、小首を傾げる。

「小説を書いてます。あまり進んでので焦ってます」

 つまり、声をかけるな、邪魔をするなという意思表示なのだが・・・。

「ねえ?どんな小説を書いてるの?」

 少女は、右目を輝かせて聞いてくる。

"小説"と言う言葉が少女の心を大いにくすぐったのだ。

 頬と頬が密着するくらい寄せてパソコンの画面を覗き込もうとしてくる。

「どんな小説を書こうかを考えながら書いてます」

 看取り人の言葉に少女は眉根を寄せて首を傾げる。

 看取り人は、少女から少しでも離れようと身体を反らす。

 それから少女は、急に喋らなくなる。

 少しだけ視線を向けるとお弁当に残ったシウマイを摘みながらゆっくりと口の中に指の先で押し込む。

 その姿は看取り人が見ても官能的なように思えた。

 看取り人は、少女から目を逸らして小説に集中する。

「ねえ」

 少女の声に看取り人は少しだけ顔を向ける。

 目の前に鮮やかな黄色が飛び込んでくる。

 卵焼きだ。

 少女は、いつのまにか割り箸で卵焼きを摘み、看取り人のカオの前に近づけていた。

「・・・これは?」

「シウマイのお礼」

 少女は、にっと笑う。

 看取り人は、視線を動かすと彼女の膝の前に可愛らしい小さなお弁当箱が置かれていた。

 恐らく彼女のお弁当箱だ。

「私の手作りだよー。甘いよー。脳の疲れが取れて小説が進むよー」

 看取り人は、目の前の卵焼きに視線を合わせる。

 あまりにも近すぎて少しピントがズレるものの表面はとろりと柔らかそうで、甘い匂いが鼻腔に入り込む。

「さあ、召し上がれ」

 これは食べなければ治らないなと思った看取り人は促されるままに卵焼きを食べた。

 少女は、目を大きく開けて驚き、嬉しそうに微笑んだ。

「これで私達、昼友だね!」

 昼友?

 聞いたこともない言葉に看取り人は、首を傾げた。

 これが看取り人と先輩の出会いであった。


 話しを聞き終えたアイは、大きな目を何度も瞬かせる。

「これは・・・甘いのかしら?」

「卵焼きはかなり甘かったです」

 その時の味を思い出したように看取り人は眉を顰め、ポテトで蘇った味覚を中和する。

「いや、その甘いじゃなくてね」

 アイは、思わず突っ込む。

「なんかもっとロマンティックな出会いなのかと期待しちゃったわ」

 そう言って少し冷めたコーヒーを啜る。

「パンを咥えて走ってるところを曲がり角でぶつかる方がまだときめくわね」

「それはアイさんの世代だけかと思います」

 看取り人が平静に言葉を返すとアイは、ムッと頬を膨らます。

 普段の理知的で冷静な授業態度からは想像も出来ない可愛らしい仕草だが、これが本来のアイなのだろうと最近になって看取り人は思っていた。

「それにしてもあの子・・貴方には随分と甘えるのね」

 看取り人は、眉を顰める。

「どう言う意味ですか?」

 その質問に今度はアイが驚く。

 そしてじっと看取り人を見る。

「貴方・・・あの子のことをどこまで知ってるの?」

「?ただの学校の先輩ですけど?やたらとしつこくて、うるさくて、ベタベタしてくる・・」

「最悪の印象じゃない」

 アイは、小さく息を吐く。

 これはまったく脈なさそうだ。

「でも・・・見てる分には飽きないです」

 そう言った看取り人の表情が僅かに変化したのをアイは見逃さなかった。

「・・・そう」

 アイは、口元に小さな笑みを浮かべる。

「あの子ね・・・話さない女サイレント・ガールって呼ばれてるの」

「はいっ?」

 看取り人は、思わず聞き返す。

騒がしい女ノット・サイレント・ガールの間違いでは?」

 アイは、小さく息を吐いて看取り人を見る。

「貴方も知ってると思うけどうちの学校には学力だけでなく、特別な事情で通ってる子も多いわ」

 看取り人は、三白眼を細める。

 それは彼女も何かしら特別な事情があって通っていると暗に示している。

「もし、あの子のことで何かあったら遠慮なく私に相談してね」

 看取り人は、イマイチ釈然としなかったが、「分かりました」と小さく呟く。

「さあ、次は貴方の番よ」

 アイは、一口コーヒーを飲む。

「昨日はどうだった?」

 看取り人は、三白眼を細める。

 アイの言う昨日が授業や学校での過ごし方でなく、放課後のことであることは聞き返さなくても分かる。

「無事に旅立たれました」

 看取り人は、躊躇うことなく口にする。

「とてもいい顔をしてました」

「そう。それは良かったわね」

 アイは、左手の薬指につけた林檎の形の指輪に触る。

「それで貴方は大丈夫?」

 アイの目に浮かぶのは純粋な看取り人への労りだった。

 看取り人は、小さく頷く。

「はいっ。僕は大丈夫です」

 そう言ってアップルジュースに口を付ける。

「無理してない?」

 所長にも同じことを聞かれたなと思った看取り人はあの時言った言葉でそのまたアイに返す。

「僕が話しを聞くことで、一緒にいることで安心して旅立てるならそんな嬉しいことはありませんから」

 同じ口調での同じ言葉。

 しかし、やはり所長と同様に心から納得していないことが分かる。

 アイは、小さく息を吐き、コーヒーを飲む。

 そして穏やかな目で看取り人を見る。

「看取り人君」

 彼女は、名前でなく仕事での呼び名で彼を呼ぶ。

「君はまだ若い。心は柔軟でしなやか。そして鉄のように強かしたたか。本当に羨ましいわ」

 アイの目が小さな火が灯る。

「でも、変わらないものなんて存在しない。折れない鉄なんて存在しない」

 林檎の指輪を嵌めたアイの手がテーブルに置いた看取り人の手に伸びてきゅっと握る。

 その感触はかっちりしてるのに柔らかい。

「人の旅立ちを看取るのは貴方が思っている以上に貴方の心を削ってるはず。いつか・・本当にいつかその心が大きく泣き叫ぶ時があるかもしれない・・」

 看取り人は、自分の手を握るアイの手を見る。

「もし、そうなったら遠慮なく私のところにいらっしゃい。幾らでも貸してあげるから」

 アイは、自分の胸を右手でぽんっと叩く。

「豊満とは程遠いけどね」

 そう言って苦笑する。

 看取り人は、三白眼を細める。

 正直、あまり釈然とはしてなかった。

 してなかったけど、看取り人は小さく頭を下げる。

「分かりました」

 その様子にアイは小さく微笑んだ。

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