第26話 エピソード2 シウマイ弁当と卵焼き(2)

 熱い湯気と共に少し酸味のある甘いコーヒーの香りが鼻腔を擽る。

「これも良かったらどうぞ」

 そう言って看取り人の前に差し出されたのは丁寧に正方形に切られたずっしりとした濃い黄色の芋羊羹だった。

「この前、友達と鎌倉に遊びに行った時に買ってきたの。君好きかな?と思って」

 そう言って向かい側のソファに座った女性、ホスピスの所長は微笑む。

「ありがとうございます」

 看取り人は、丁寧に頭を下げる。

 看取り人がいるのはホスピスの奥にある所長室だ。

 所長室と言ってもよくテレビで流れるような豪奢な作りではない。簡素なビジネスデスクと椅子、書類を収めるためのキャビネット、小さな冷蔵庫、そして来客用のテーブルのソファがRPGの初期装備のように設置されているだけだ。

 看取り人が所長室に訪れる要件は2つだけ。

 依頼を受ける時と、終了報告をする時だ。

「ご遺族様。とても喜んでおられたわ。とても良いお顔だったって」

 所長は、口元に柔らかい笑みを浮かべてコーヒーに口を付ける。

「そうですか」

 看取り人も所長がコーヒーを口に付けたのを見て、自分の分を飲む。

 そんな看取り人の様子を見て所長は柔らかく微笑む。

 昨今、美魔女と謳われる女性は数多く存在するが目の前に座る女性はまさにそれを体現していた。

 英国人と日本人のハーフらしい所長は髪こそ白髪の少し混じった黒髪だが、その顔立ちは古い海外の映画の女優のように彫りの深い美しい顔立ちをしている。体型ももうすぐ還暦を迎えるそうだが、モデルのようで衰えを忘れたかのようだ。

 元々は都内にある総合病院の緩和ケア病棟の婦長だったらしいが、縁あってホスピスの所長となった。

 そして看取り人の制度をホスピスに取り入れ、彼を面接し、採用したのも彼女だった。

「本当に貴方に来てもらえて良かったわ。ご遺族様だけでなく故人様もきっと喜ばれている」

「僕は、ただ座って話しを聞いてるだけです。何も特別なことはしてません」

 看取り人は、淡々と答える。

 良くも悪くも彼は歯に物を着せない。

 思った事を思った通りに口にする。

 謙遜もしなければ遠慮もしない。

 それが良いのだ。

 これから旅立つ人にとっては薄っぺらい布切れを被せたような言葉よりも飾りのない真の言葉が1番欲しい物なのだから。

 そしてそれは彼だからこそできる事なのだと所長は思っている。

 しかし・・・。

「辛くない?」

 所長の言葉に看取り人は綺麗な三白眼を向ける。

「人の死と向き合うのは辛くない?」

 自分で雇っておいて何を言ってるのだと自分でも思ってしまう。だけど彼が誰かを見送る度にいつもこの質問をしてしまう。

 そして彼から返ってくる答えを所長はもう知っていた。

「辛くはありません」

 彼は、きっぱりと迷いなく答える。

 あまりにもはっきりと答えるので所長は思わず苦笑いをする。

「本当に?」

「はいっ」

 看取り人は、頷く。

「無理してない?」

「はいっ。僕が話しを聞くことで、一緒にいることで安心して旅立てるならそんな嬉しいことはありませんから」

 そう言うと看取り人は何事もなかったように所長の用意した芋羊羹を丁寧に食べる。

 その姿は年齢よりも大人びて見えるが少し幼くも見えた。

「そう・・・」

 所長はコーヒーを飲む。

「無理はしないでね」

 その顔はどこか翳りを帯びていた。

 それから所長は、彼に渡すための交通費とシウマイ弁当を事務に用意させ、お土産に芋羊羹を丸々一本持たせる。

「今、入居している方々は皆さんご家族様が看取られる予定だから当分ないと思うわ。ゆっくり休んで小説と勉強に励んでちょうだい」

「分かりました」

 看取り人は、丁寧に頭を下げて所長室を後にする。

 所長は優しく微笑んで手を振って見送った。

 所長室を出た途端、静寂が看取り人の耳を打つ。

 人生の最後を迎えるこの場所には音楽による雑味すら存在しない。

 ただただ空気を叩くような静謐が支配し、足音を立てることすら罪と感じてしまう。

 当然、一つ一つの居室の中まではその限りではない。

 入居者の家族であったり、好きな音楽やテレビの音が固く閉じられた扉の奥から微かに聞こえるし、看護師やヘルパーの活動する声や吐息も感じる。

 しかし、それすらもこの静謐で静寂な空間を作り出すための歯車となっている事を感じ、看取り人はこの静かな空間を壊さないようにゆっくりと通路を歩いて所長室の反対側にあるエレベーターへと向かった。

 エレベーターに向かう通路の真ん中辺りには小さなラウンジが設けられている。お見舞いに来た家族が食事を摂ったり、まだ、自分の足で動ける入居者が建物内を散歩したり家族と話したり、関係者が打ち合わせに使ったりもするが基本、人がいることは滅多にない。

 しかし、今日は違った。

 ラウンジに人がいた。

 しかも、あまりにも見覚えのある同じ高校の制服に身を包んだ少女が。

 少女は、窓際にある木製の椅子に座り、お汁粉の缶を手に持って外を見ていた。

 看取り人は、少女の存在を目で確認しながらもその場を通り過ぎようとする。

 しかし・・・。

「なに無視してんのよ」

 その高く、可愛らしい声は静謐な空間を破るには十分過ぎるものだった。

 看取り人は、見つかった泥棒のように足を止め、小さく嘆息する。

 少女は、椅子に座り、お汁粉缶を握ったままじっと看取り人を見ている。

 看取り人は、諦めて少女の方に顔を向ける。

 着せ替え人形。

 その表現が似合うほどに彼女の容姿は整っており、そして派手だった。

 金を主体にうっすらと赤色を差した胸元まで伸びた真っ直ぐな髪、卵形の輪郭に白い肌、真っ直ぐ伸びた形の良い鼻梁、赤い口紅を差した少し厚めの唇、小降りな耳には上から下まで様々な種類のピアスがクリスマスツリーのように飾られていた。看取り人と同じデザインのブレザーにズボンと同じ柄のスカートを身につけた肢体は一見、華奢なようにも見えるが女性としての魅力が見え隠れしていた。

 そして彼女を1番印象付けるのは目だろう。

 鋭利な刀で切り裂いたような切長の目。

 手の込んだ意匠のように美しい形の目は一度見たら忘れない、惹きつけるような魅力を持っている。

 しかし、それは右目だけだった。

 切長の右目の隣、本来は同じような作りの左目が存在するはずなのに、そこにあったのは固く閉ざされた門のような大きな白い眼帯だった。

 少女は、椅子からふわりっと立ち上がるとローファーの靴で音を立てずに跳ぶように看取り人の所まで歩いてくる。

 看取り人の前に立った少女の身長は彼の胸あたりまでしかなく、切長の右目を釣り上げるようにして看取り人を見る。

「君さ。私に気が付いてたでしょう?」

 看取り人は、三白眼を細めて少女を見る。

「はいっ」

 看取りは、小さく頷く。

「気が付いてました」

 その声には誤魔化そうとか、言い訳しようという濁りがまったくなかった。

 少女は、リスのように頬を膨らます。

「なら、声掛けなさいよ」

「・・・すいません。先輩」

 看取り人は、表情を変えないままに謝りの言葉を言う。

 少女は、看取り人の通う高校の先輩であった。

 先輩は、悪びれた様子もなく謝る看取り人にむっとする。

「まったく・・・」

 先輩は、頬を膨らませたまま細い腰に両手を当てる。

「もう昼友してやらないぞ」

 そう言うと彼女は何故か勝ち誇ったように顎を上げて鼻の頭を上に向ける。

 昼友。

 それは"お昼ご飯を一緒に食べる友達"という彼女が勝手に作った略語。

 その言葉の通り、彼女と看取り人はお昼ご飯になると一緒に食べる間柄だった。

 そしてもう2度と一緒に食べないぞ、と言えば看取り人が顔色を変えて必死に謝ってくる、そう思っていた。

「分かりました」

 看取り人は、一欠片も悩んだ様子なく言葉に出す。

 先輩の顔から分かりやすいくらい血の気が引く。

「今までありがとうございました」

 そう言って頭を下げてその場を去ろうとする。

「いや、まてまてまてーい!」

 先輩は、大慌てで立ち去ろうとする看取り人のブレザーの裾を握る。

「本気で食べないの?」

「?先輩がそう言われたんですが?」

「いや・・・そうだけど・・」

 先輩は、お汁粉缶を握ったまま両手をおヘソの辺りで組んでモジモジしだす。

「寂しくないの?」

 上目遣いで看取り人を見る。

 同じ年の思春期の男子なら間違いなく心揺さぶられる視線。

 しかし、看取り人はどこまでいっても看取り人だった。

「はいっ別段変わりありません」

 先輩の顔に悲壮が彫刻のように浮き出る。

 今にも泣きそうなくらい右目が潤む。

 自分で言った癖に・・と看取り人は、顎を摩りながら胸中で嘆息する。

「・・・でも・・・先輩の甘過ぎる卵焼きが食べられなくなるのは嫌かもですね」

 看取り人がそう呟いた瞬間、先輩の顔が開花したように華やいだ。

「うんっだよね。だよね!そうだよー。私の卵焼き食べれなくなっちゃうもんねー。それは嫌だもんねー」

 子どものようにはしゃぎ飛び跳ねる。

 看取り人は、三白眼を細めてそんな先輩の四面楚歌な様子を見ながら、自分たちはここでホスピスで何で漫談のようなことをしているんだろうと言う疑問に辿り着いた。と、いうよりもなんで先輩がここにいるのだろう?

 その質問を先輩にぶつけようとすると、その前に別の声が飛んでくる。

「なにイチャイチャしてんのよ。こんなところで?」

 冷めたと言うか呆れた声が看取り人と先輩に降り注ぐ。

 看取り人が振り返ると浅葱色の着物を着た女性が立っていた。

 歳の頃は40代半ばと言ったところだろう。艶のある黒髪を三つ編みにして渦を巻くように結い上げ、薄く年輪を刻んだ肌は陶器のように白い。身長は頭頂部が看取り人の目の辺りにくるくらいなので女性としては高い方だ。

 美しいと表現するには十分過ぎる顔立ちは先輩によく似ている。

 しかし、最も特徴的なのは目だ。

 先輩と同じ形の刀で切ったような切長の目。

 その目がじっと看取り人と先輩を見据えていた。

「叔母さん・・」

 先輩の顔が先程とは違う意味で青ざめる。

 叔母さんと呼ばれた女性は先輩と同じ切長の目で彼女を見据える。

「あんた何でここにいるのよ?」

 叔母さんの低い声に先輩は頬を引き攣る。

「いや・・偶然・・通りかかったぁ・・みたいな・・」

 先輩は、しどろもどろしながら言葉を紡ぐ。

 叔母さんは、切長の目をキッと細める。

「後をつけてきたわね」

「うっ」

 先輩は、小さく呻く。

 どうやら図星らしい。

 看取り人は、白眼を細めて先輩を見る。

 叔母さんの目が今度は看取り人を射抜く。

「貴方・・・この子のなんなの?」

「後輩です」

 看取り人は、きっぱりと答える。

「後輩?」

 叔母さんは、切長の目をきつく細める。

 明らかに看取り人を怪しんでた。

「後輩が何でこんなところにいるの?」

 叔母さんは、看取り人の顔を舐めるように睨みつける。

 まるでひと昔前のヤンキーのメンチだ。

 いや、美しい顔立ちを埋め尽くすような目力を見ると"まるで"ではないのかもしれない。

 叔母さんが看取り人に食らいつくように睨みつけるのを先輩が子犬のように狼狽して止めようと着物の裾を掴むが叔母さんのメンチは止まらない。

 しかし、当の看取り人はまるで怯えた様子を見せずに叔母さんの切長の目を見返していた。

「身内がここに入居でもしてんの?それともうちの可愛い姪のお尻でも追いかけてきたの?」

 叔母さんの言葉に先輩は何故か頬を赤らめてスカートに包まれた自分のお尻を触って隠す。

 看取り人は、表情一つ変えず首を振って否定する。

「僕は、ここで働いてるんです。今はその帰りです」

 看取り人の言葉に先輩と叔母さんは同じように切長の目を大きく開いて驚く。

「バイトか?」

「いえ、ボランティアです」

 叔母さんの質問に看取り人は切るように言葉を返す。

 叔母さんは、何かを察したように目を細める。

「あんた・・・看取り人だね?」

 看取り人の三白眼が微かに揺れる。

 先輩は、叔母さんの発した言葉の意味が分からず首を傾げる。

「ここに申し込んだ時に所長さんに言われたよ。身内がいなかったり、家族が付き添えない入居者の代わりに看取りを行うオプションサービスがあるって。しかもボランティアだからお金がかからないって」

 叔母さんが切長の目を見据えて看取り人の顔を覗き込む。

「まさか高校生とはね」

 叔母さんは、小さく息を吐いて看取り人から顔を離す。

「なんでそんなことをしてんだい?宗教?それとも博愛?」

「大きな大義はありません。強いて言うなら小説のネタ探しです」

 看取り人の発した言葉に叔母さんの切長の目が大きく開き、そして怒りをこもった目で睨みつける。

「あんたふざけてんの?」

 看取り人の表情は変わらない。

 それだけでそれが目的の一つであることが分かる。

「彼、小説家志望なの。いつも学校でもノーパソ弄ってる」

 先輩が看取り人を庇うように叔母さんの着物の裾を握る。

 しかし、叔母さんの目は怒りを蓄えたままだ。

「人の死を食い物にしてる。最低だね」

 叔母さんは、吐き捨てるように言って踵を返し、先輩の細い肩に手を掛ける。

「帰るよ。用は終わった。もうここに来ることはない」

 叔母さんの言葉に先輩の切長の右目に動揺が走る。

「あいつは見送られるのを拒否した。後はここの人達にお任せしよう」

「でも・・・」

「お前が気にすることじゃない。もう2度とここに来るんじゃないよ」

 そう言うと叔母さんは、強引に先輩の肩を掴んで前に進む。先輩は逆らうことなく弱々しく歩きだす。

 先輩の右目が飾り気のない居室のドアに目が行く。

 しかし、見るだけでそれ以上のことは出来なかった。

 エレベーターに乗る間際、先輩が看取り人に向かって小さく手を振る。

 看取り人は、小さく会釈だけした。

 看取り人は、三白眼を先輩の見ていたドアに向ける。

 どれだけ睨んだところでドアは答えもしなければ開きもしない。

 看取り人は、鞄を持ち直すと足音を立てずにゆっくりとエレベーターに向かった。

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