第30話 エピソード2 シウマイ弁当と卵焼き(6)

 雨が降る。

 季節外れの暴風が雨を煽り、校舎を殴りつける。

 昼休みを告げる予鈴が鳴ると看取り人は鞄からビニール袋に入ったお弁当を持って教室を出る。

 当然だが雨の日はプールの死角でご飯は食べない。

 青春の定番と言える屋上に続く階段で食べるか、無駄な足掻きをせずに学生用に設けられた小さな食堂で食べることにしている。

 その為、先輩と2人だけで食べるのも今日は無しとなる。

 いつもなら。

 しかし、看取り人は迷わずに先輩のいる教室に足を向ける。

 自ら先輩のいる教室に足を運ぶのは初めてかもしれない、と言うか間違いなく初めてだ。

 上級生というとそれだけで大人な印象を与えるが実際は1歳上なだけで身長にも体重にも大きな差はなく、当然昼休みの過ごし方もそう変わるものではない。

 仲良し同士でテーブルを並べ、各々の持ち寄ったお弁当を食べ、時にシェアし、そして話題のSNSや好きな漫画やアニメ、時に受験と言った高い将来について和やかに話す。

 看取り人のクラスも同じようなものだ。

 それだから看取り人は、誰かと一緒に食べることが出来なかった。

 自分にとってそれはあまりにも敷居の高過ぎる世界だから。

 そしてこのクラスにもその限られた世界に溶け込めずにいるものがいた。

 先輩は、教室の真ん中の席であらゆる海流と気候によって閉ざされた孤島のように、1人ぽつんっとお弁当を不味そうに食べていた。大きさも重箱ではなく小学生が使うような小さなお弁当だ。

 正確に言うと先輩は決して孤立してる訳ではない。

 海流と気候を読み取って先輩と言う孤島に近寄り、「一緒に食べよう」と恐る恐る声を掛けるクラスメイトが何人かいた。

 しかし、それを弾くのは当の孤島自身だ。

 先輩は、切長の右目で声を掛けてきた相手を睨み、首を小さく横に振る。

 険悪な雰囲気。

 重く冷たい空気。

 声を掛けた相手は顔を引き攣らせて「ごめんなさい」と何も悪くないのに謝って撃沈する。

 はたから見ると不良少女に勇気を出して声かけたのに逆に拒否され、因縁をつけられたように見える。

 しかし、実際にはまったく逆であることを看取り人は知っていた。

 先輩の態度は拒否ではなく恐怖から来るものだから。

 睨んでいるように見えたのはウサギが怯えているのと同じ。

 首を横に振ったのはどう話したらいいか分からなかっただけ。

"話さない女サイレント・ガール"

 アイの発した彼女のあだ名が頭を過ぎる。

 看取り人は、三白眼を細めて先輩の様子を確認し、さてどう声を掛けたらいいかと悩んでいる、と。

 先輩がガタンっと立ち上がる。

 切長の右目が大きく開いて看取り人を捉えて・・大きな笑みを浮かべる。

 その笑顔を見て看取り人はらしくもなく驚く。

 先輩は、弾むように看取り人に駆け寄る。

 その姿を見た同級生達の視線が一斉に集まる。

「どうしたの?」

 先輩が声を発したことにクラス全体に響めきが走る。

「ねえ、あの子って?」

「噂の彼氏?」

「えっ?マジでいたの?」

「超イケメンじゃん!」

「てか、あの子が喋るの初めて見た!」

 クラスメイト達から動揺と好奇心の声が上がる。

 しかし、看取り人はなんら狼狽える様子もなく三白眼で

先輩を見る。

 先輩も周りの声なんて聞こえていないように身体中の喜びを集めたような笑みで看取り人を見る。

「先輩と少しお話ししたくて・・大丈夫ですか?」

 看取り人が言うと先輩は切長の右目を大きく見開いて輝かせて大きく頷く。

「うんっ大丈夫!待ってて!」

 先輩は、慌てて席に戻ってお弁当を持つと走って看取り人の元に戻る。

「行こう!」

 先輩は声を弾ませて言う。

 看取り人は、頷き、教室の中の生徒達にも小さく頭を下げて教室を後にした。

 背後から桃色と黄色の叫び声が聞こえたが特に気にしなかった。


 どこで食べようか悩んだ末、結局、屋上に続く階段で食べることにした。

 既に先着の男女が何組かいたが皆、自分達の世界に溶け込んでいて2人が来たことに気付いていない。

 看取り人は唯一空いている屋上に続くドアの前に座る。

先輩もそれに続いて座るが何故かその表情は固まっていた。

「どうしたんですか?」

 看取り人が声を掛けると先輩はびっくりして肩を飛び上がらせる。

「あっいや・・・その・・・」

 先輩は、頬を赤らめて自分たちの下にいる男女を見る。

「これじゃあ私達もカップルみたいに見えちゃうのかな・・って・・思って・・・」

 先輩は、恥ずかしそうに口ごもり、両手を組んでモジモジ動かす。

 看取り人は、思い切り眉根を寄せる。

 今更?今更それを言う?

 あんなにベタベタと身体を寄せてきて、周りが驚くくらい好意的に話して笑いかけてくるのに?

 先輩は、恥ずかしそうにチラチラとこちらを見てくる。

 看取り人は、小さく息を吐く。

「そう見たい奴らには見せておけばいいんじゃないですか?」

 看取り人は、持参した弁当をビニール袋から取り出す。

 今日はシウマイ弁当ではなく、近くのコンビニで買った海苔弁当だ。

「先輩が迷惑なら止めておきますが・・」

 そういうと先輩は思い切り首を横に振り、そんなこと言わないでと右目を潤ませて訴える。

「それじゃあ気にせず食べましょう。時間は有限ですから」

 先輩は、少しほっとしたように頷くと自分のお弁当を膝に乗せる。

「今日は1人分なんだ。ごめん」

「大丈夫です。僕もシウマイ弁当でないですし。次の楽しみにしておきます」

 そういうと先輩は嬉しそうに微笑んだ。

 それから2人は黙々とお弁当を食べる。

 自分たちの下に座る男女はそれこそ寒い季節を着せ飛ばすような熱気を放って楽しそうに話しながら食べている中、2人の空気は熱を帯びず、その代わりになんとも言えない穏やかで居心地の良い雰囲気を作っていた。

 お弁当を食べ終え、看取り人はペットボトルのお茶を、先輩はピンクの水筒を飲む。

「・・・昨日、叔母さんから依頼を受けました」

 看取り人が唐突に言うと先輩の表情が固まる。

「ホスピスに入居しているお母さんを先輩が看取るのを付き添って欲しいと言われました」

 先輩は、ピンクの水筒をきゅっと握る。

「そう・・」

 先輩の声のトーンが下がる。

「理由は・・・聞いたんだよね?」

 聞いていないはずがない、そう思いながらも先輩は言葉に出した。

「概要は」

 看取り人は、呟き、ペットボトルに口を付ける。

「概要?」

 先輩は、眉を顰めて看取り人を見る。

 看取り人は、頷く。

「先輩がそのお母さんから虐待を受けていたこと」

 先輩の右目が震える。

「8歳の頃に保護されて叔母さんに引き取られたこと。それから一度も会っていないこと」

 看取り人は、空間に文章でも浮かんでいるのではないかと思う程に淡々と言葉を紡ぐ。

「病気で病院に救急搬送されたこと、警察と区役所から報告を受け、対応を求められたこと、それを叔母さんが突っぱねる変わりにホスピスに入居させたこと、そして本人は看取り拒否してるのに先輩がどうしても看取りたいと言っていること、そして僕に一緒に立ち合いを求めている。そこまでは叔母さんから聞きました」

 そこまで一息で話してから先輩を見る。

 先輩の身体が周りの人が不安がるほどに震えている。

 眼帯に包まれた左目に手を当ててぎゅっと押さえる。

 看取り人は三白眼を細めて先輩を見る。

「そっか・・」

 先輩は、青ざめた表情で看取り人を見て小さく笑う。

「それじゃあよろしくね」

 しかし、看取り人は頷きも「分かりました」とも言わない。ただ、じっと先輩を見る。

 先輩は、怪訝な表情を浮かべる。

「僕は依頼を受けました」

「うんっありがとう・・」

「概要も聞きました」

「うんっ・・今聞いたよ」

「でも、引き受けるとは言ってません」

 先輩の顔に動揺が走る。

 身体と唇が大きく震え出す。

 周りが心配そうに声をかけてくるが、看取り人が「大丈夫です」も冷徹に返すので誰も何も言えなくなる。

 看取り人は、先輩を見る。

「怖いんですか?」

 先輩は、何も言わない。

 ただただ身体を震わせる。

「何故、怖いのにお母さんに会おうとするんですか?」

 先輩の右目が大きく見開き、涙が溜まる。

「僕は、看取り人です。それはただ死ぬのを看てる訳じゃない。綺麗事かもしれませんが少しでも安らかに旅立つ事を願ってます。でも、本人が看取りを拒否しているのなら引き受けることは出来ません。だから・・・」

 看取り人は、震える先輩の肩にそっと触れる。

 恐怖に歪んだ先輩の表情が一瞬和らぐ。

「教えて下さい。なんでお母さんを看取りたいのかを。看取りを拒否している人を看取るだけの理由を」

 先輩の右目から涙が溢れる。

 顔が病的に青ざめ、唇が震える。

「話したら・・・楽になるんだよね?」

 看取り人は、眉根を寄せる。

「未練が薄まるかも知らないんだよね?恨みが弱まるかもしれないんだよね・・」

 先輩の歯がカチカチと小さく鳴る。

「私ね・・・怖いの」

 先輩の告白に看取り人は何も言わずにじっと見る。

「でもね・・聞きたいの。話さないといけないの。ママの未練と、恨みを弱めるために・・そしてお願いしたいの」

「お願い?」

 先輩は、頷く。

 そして振り絞るように言う。

「死んでも私の前には現れないで下さいって」

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