第14話 エピソード1 宗介(14)

 宗介がアイに連れられて来たのは駅の裏手の雑居ビルの中に入っているカラオケボックスであった。1階に大手チェーン店の牛丼屋、2階に整形外科医院、3階にビリヤード場と多岐に渡るビルの最上階にそのカラオケボックスはあり、4畳半くらいの2人しか入れないカラオケボックスと同じ料金なのに広さは3倍はあり、しかもワンドリンクと言う良心的な店であったが、人生で初めてカラオケボックスに来た宗介はよく分かっていなかった。歌が嫌いだからではない。単純に一緒に行く友達がいなかったからだ。

「ストレスが溜まった時によく来るのよ」

 アイは、そう言って手際よく手続きをし、2時間の予約と飲み物を頼んで所定された部屋へと向かった。

 宗介は、初めて入るカラオケボックスを物珍しげにキョロキョロと見回した。

 店員が飲み物を持ってやってくる。

「オレンジジュースとカシスソーダです」

 そう言って宗介とアイの前に置いて部屋を出ていく。

 あの店員には自分たちのことがどう見えているのだろうか?

 カップル?それとも姉弟?

 アイは、店員が持って来たカシスソーダに口を付ける。

「アイさん、お酒飲めるんですか?」

「そりゃ飲めるわよ。20歳はたち超えてるもの」

 そう言ってアイは、小さく笑みを浮かべる。

 20歳はたち・・・。

 アイは、さらりと言ったが宗介にはその単語が身が千切れるほどに重く感じた。

 彼女からして見れば自分は恐ろしいほどに子どもなのだろう。相手にしないどころか鼻にもかけない、弟にも満たない存在なのだ。

 宗介は、気持ちが落ちるのを抑えるようにオレンジジュースを飲んだ。

「何か歌う?」

 アイがマイクとリモコンを宗介に差し出す。

「いや・・・こう言った所に来るのは初めてで・・」

「そうなんだ」

 アイは、あっさりとマイクとリモコンを引っ込め、変わりに黄色いタンバリンを渡す。

 宗介は、マジマジとタンバリンを見る。

「見本見せるから学習してね」

 そう言うとアイは、慣れた手つきでリモコンを操作し、宗介でも聞いたことのあるような流行りの女性アイドルの曲を入力し、マイクを持って歌い出す。

 お世辞にも上手いとは言えなかった。音程やリズムと言うよりもアイの低い声に曲が合っていなかった。しかし、気持ちよく声を張り上げて歌うアイにそんなことは口がチーズのように裂けたとしても言える訳がない。宗介は、不器用な手つきでタンバリンを叩きながらアイを盛り上げた。宗介もアイに促されて2曲ほど歌った。1曲は小学生の頃に唯一好きだったアニメのオープニング、もう1つは親が好きな洋楽だ。アイは「うまーい!」とタンバリンを叩きながら盛り上げ、カシスソーダを飲み干し、お代わりを注文した。宗介は、飲み過ぎなのではと心配するが「お金の心配しなくて平気よ」と斜め横の返答をして胸を叩いた。

 それから1時間ほど歌った。

 宗介は、すぐにレパートリーは尽きてしまったが、アイは次へ次へと曲を入れては歌っていく。しかし、楽しそうではなかった。何か無理をして歌っているような、歌うことで、飲むことで、何かしなければいけない事を先延ばしにしている、そんな印象が宗介には感じられた。

 歌い終え、次の曲を入れようとしているアイに宗介は話しかける。

「アイさん」

 宗介に名前を呼ばれてアイの身体が一瞬震える。

「どうしたの?」

 アイは、笑顔で答える。しかし、その笑みは宗介の覚えている優しく、柔らかなものではなく、酷く強張ったものだった。

 アイは、何かを隠している。いや、何かを押し殺している。それが宗介にはひしひしと感じられた。何故なら宗介もまた思いを押し殺していたから。

「俺に・・・何か言いたいことがあるんじゃないですか?」

 宗介は、喉を固く鳴らしながら言う。

 アイの目が小さく震える。

「あの時も言いましたが・・・俺が貴方を好きな気持ちは本物です。あれから1ヶ月経っても気持ちは薄れない。むしろ濃くなって溺れそうになります。アイさんにとって俺は、ただの学生の1人だし、実習先で告白されるなんてあっちゃいけない事だって分かってます。でも、止められないんです。今、この瞬間だって愛おしさが止まらない。許されるなら貴方をこの手で抱きしめたい」

 宗介は、アイに伸ばしそうになった右手を逆の手で押さえる。理性と感情が火と水となってせめぎ合い、心がどうにかなるそうになる。それでも宗介は、堪えないといけない。吐き出したい感情を抑えないといけない。何故ならアイは・・・自分のことが好きではないのだから。

「お願いです・・・俺を振ってください」

 宗介の切実な願いにアイは、大きく目を見開く。

 そうだ。

 袖を振りほどいて欲しい。

 あの光源氏が恋文をしたためた義母のように。

 所詮、叶わぬ恋ならばいっそ冷酷に、残虐に、再起不能なまでに振って欲しい。

 アイが俺に言いたいことはきっとそのことなのだから。

 アイは、きっとあの時の返答を、俺を振るために今日、この場所に呼び出したに違いないのだから。

 アイは、視線を膝に落とし、小さな拳を強く握る。

「ごめんなさい・・・」

 アイは、震える声で言う。

 宗介は、目を閉じる。

 表情から緊張が消える。死を覚悟した死罪人のように安らいだ顔になる。

 ようやく楽になれる。

 この煉獄のように燃え盛る感情と離別することが出来る。

 ただの教育実習生と生徒に戻ってもアイとは会うことが出来るだろうか?そんな女々しい事を蕩けた頭で考えていた宗介の耳に入ってきたのはまさに耳を疑う言葉だった。

「私は・・・貴方とは釣り合わないの。相応しくないの。だから・・ごめんなさい」

 アイは、涙に溺れるように嗚咽しながら言う。

 宗介は、閉じた目を開く。

 アイは、両手で顔を覆い、小さな子どものように泣いていた。

「ごめんなさい・・本当にごめんなさい」

 宗介は、動揺した、狼狽した、混乱した。

 一体、何が起きてるのだ?

 俺は、振られたのではないのか?

 いや、振られたのだろう。

 アイから告げられたのは間違いなく俺の告白に対する回答だ。しかし、その回答は宗介が思っていた模範回答とはまるで違う。二次関数の引っかけ問題よりも遥かに理解出来ない回答に宗介は、戸惑う。

「アイ・・・さん」

 宗介は、乾いた声を出す。

 許されるならアイの飲んでいたカシスソーダが飲みたい。我を忘れて叫びたい。

「それは・・・どう言う事ですか・・」

 宗介は、震える声で問う。

 しかし、アイは、泣いたまま答えない。

「アイさんに相応しくないのは俺でしょう?俺が嫌だから、ガキだから、人の気持ちを考えられない性悪だから嫌なんでしょう?」

 しかし、その宗介の言葉に対するアイの答え・・それは左右に何度も振られた頭であった。

「じゃあ・・・なんで・・・?」

 意味が分からなかった。

 一体、何が起きているのだ?

 これは、現実なのか?夢の中なのか?

 宗介は、三文小説の中に飛び込んだような現実感のない沼に入り込んでしまった感覚に襲われる。

 そんな宗介の心情を無視して唐突にアイは、立ち上がる。

 宗介は、目を大きく開いてアイを見る。

 アイは、服を脱ぎ始める。

 シャツのボタンを外し、ゆっくりと脱いで、ソファーの上に置く。スラックスのベルトを外して落とすように脱ぎ捨てる。

 宗介は、アイの突然の行動に呆然とする。

 アイは、無言でタイツを脱ぎ、ショールを脱ぎ、ブラジャーを外し、そしてパンティを脱いだ。

「見て・・・」

 アイは、両手を左右に広げて、一糸纏わぬ姿を宗介に見せる。

 宗介は、目を震わせ、身体を震わせ、動揺する。

 アイの身体は、とても綺麗だった。

 白い肌、なめらかな曲線、引き締まった肢体。

 しかし、そんな美しいアイの身体には女性を象徴するものが欠如していた。そしてその変わりに付いていたのは宗介が見違えるはずのない、男性を象徴するものであった。

「これが・・・私」

 アイは、自虐的な笑みを浮かべて言う。

 宗介は、アイの身体から、アイの身体に付いたものから目を離す事ができなかった。

「これでも・・・貴方は私を愛せる?」

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