第15話 エピソード1 宗介(15)

「トランスジェンダー」

 看取り人の顔に驚きが浮かぶ。

 彼と出会ってから2時間程度しか経っていないと思うがこんなに感情を表情に出したのは初めてではないだろうか?

「今は、その言い方が主流だな」

 LGBTQが知られるようになってから大分、認知されるようになったものの今だにゲイやレズビアンとの違いがわかっていない人間が多い。

 看取り人は、何故、2人の仮名をアイとシーにしたのかが分かった。

 シーは、文字通り"彼女"の意味。真性の女性であり、女性同性愛好者レズビアンを示したもの。

 そしてアイが意味するのは"私"。英語でその人称は、文字通りの"私"とも取れるし、男性なら"僕"とも"俺"とも取れる。つまりはトランスジェンダーを暗に示していたのだ。

 もうほとんど寿命なんて残っていない中で良くもまあこんな謎かけを考えるものだ、と看取り人は感心する。

「アイは、生まれた時から自分の性に違和感を感じていた。兄が2人いたので男の子のおもちゃには不自由しなかったが、どんなおもちゃにも反応しなかった。テレビだって戦隊モノよりも魔女が変身するような番組を好んだ。服だって男ものを着させられるのが苦痛だった。男らしくしたいと親に野球チームに入らされた。運動神経が良かったので直ぐにレギュラーに選ばれたが楽しかったことなんて1度もなかったらしい」

 宗介の顔が涙をこられるように歪む。

 恐らくその当時のアイの吐露を思い出しているのだ。

 一体、どれだけの苦痛を伴いながらアイは話したのだろう?そして自分と年の変わらない宗介はそれを聞いてどう思っていたのだろう?

「中学生に上がるとその思いはさらに増したらしい。男子生徒と着替えるのがとてつもなく恥ずかしかった。女子生徒がお洒落の話しをしているのがとても羨ましかった。制服が辛かった。汗臭くなるのが嫌だった。声が変わるのが嫌だった。身体付きが変わっていくのが嫌だった」

 そしてアイは、部屋から出てこなくなった。兄達は弟を何とか救いたいと思い部屋から出そうとした、母は、自分の育て方が悪かったのではないかと泣いた。そして父親は、そんなアイに愛想が尽きた。

 そんな時に父の弟が腕の良い精神科医の情報を掴んできて、家族に話した。父は、そんなものに意味はないと言ったが、母と1番上の兄は藁にも縋る思いで精神科医を尋ね、話しをし、そして引きこもっていたアイを説き伏せて精神科医の元に連れていった。

 アイは、絶望した。

 精神科医に連れていく。

 それはつまるところ父も母も兄達も自分を精神疾患と疑い、自分達の手にはおえないから他人に任せようとしているのだ。

 アイの話しを聞かず、アイの意見を無視し、自分たちが納得できる形に嵌めようとしているのだ。

(もう、どうでもいいや)

 その時のアイは、全てのことを諦めたと言う。

 精神病院に入れたきゃ入れればいい。

 捨てたいのなら捨てればいい。

 殺したいのなら殺せばいい。

 こんな窮屈な世界で生きてなんていたくない。

 アイは、母と兄に逆らうことなく精神科医の元に行き、死刑宣告を受けるつもりであった。

 精神科医は、若い男性だった。

 それもうっとりするくらいの美男子だったと言う。

 アイは、一瞬だが全ての思いを忘れて見惚れてしまったらしい。

 精神科医は、にっこりと微笑んでアイを見る。

 アイは、自分が死刑宣告を受けにきた事を思い出し、途端に緊張する。

 しかし、精神科医は、緊張に汗ばむアイの手をぎゅっと握って優しくこう告げた。

「よく頑張ったね」

 その瞬間、アイの目から人生の一生分の涙が溢れ出たと言う。

 精神科医は、母と兄の話しを聞いて見抜いていたのだ。

 アイは、精神を病んでいるのではない。自分の性のあり方に思い、悩み、絶望した普通の女の子だと言う事を。

 アイは、泣きながら今までの思いと悔しさを話した。

 精神科医は、優しく相槌を打ち、優しく背中を撫でた。

 そしてひとしきり泣き、ひとしきり話してアイが落ち着きたのを確認すると、アイに断ってから母と兄を呼んだ。

 そして2人に向かってこう言った。

「この子は、どこにでもいる普通の女の子です」

 その時の母と兄の衝撃を受けた顔は今を思うと笑ってしまうものだったと言う。

 精神科医は、母と兄にトランスジェンダーと言う当時の日本では聞いたことすらない言葉を告げ、淡々と説明した。そう淡々と。これは不思議なことでも何でもない。アイの生まれ持った個性なのだと解いた。

 2人とも驚きながらもその話しを受け入れた。

 精神科医の話しは、それだけ説得力があり、今までのアイの行動を裏付けるには十分なものだったのだ。

 2人は、アイに謝った。

 今まで辛い思いをさせてごめん。分かってあげられなくてごめん、と。

 アイは、それだけで心に絡まった紐が少しずつ解けていくのを感じた。

 それから精神科医は、今後のアイの生き方に付いて話した。

 正直言って今の日本でトランスジェンダーの事を叫んでも受け入れられるのは難しい。しかし、それでも生きていかなけれはならないのも事実だ。その為にも引きこもっている現状は良くない。

「ここを受験してみないかい?」

 精神科医が示したのは都外にある全寮制の私立の高校であった。

 この高校は、精神科医が生徒のメンタル面をサポートする嘱託医として雇われており、校長とも懇意にしている。そしてアイのように様々な理由を抱えた生徒達が通っている。そしてエスカレート式に大学にも行けるから絶対ではないがアイが強い心と世間を渡っていけるスキルを身につけるまで守ってくれるはずだ。

「だからと言って推薦が出来るわけではないよ。君の頑張り次第だけど・・・どうする?」

 アイは、母と兄を見た。

 2人は、優しく微笑み、アイの肩を叩いた。

 それだけで少しだけど戦う力が沸いたと言う。

 次の日、母から父に、兄が2番目の兄に精神科医から言われた事を告げた。

 父は、好きにするといいと感心を示す様子も見せずにいい、2番目の兄は「妹が出来たあ!」と喜び、アイの進む道を応援してくれた。

 そしてアイは、再び学校に通い、塾に通って猛勉強し、無事に精神科医の教えてくれた高校に合格した。

 家族は、父を除いて喜んでくれた。

 そして3人からプレゼントされたのはその高校の女子の制服であった。

 その日からアイは、ようやく女の子になる事ができたのだ。

「高校に入ったアイは、小学校でも中学校でも出来なかった友達に恵まれた。アイのようなトランスジェンダーは、さすがにいなかったらしいがそれでも皆がアイを受け入れてくれた。アイは嬉しかったそうだ。そして自分のように様々な事で悩み、苦しんでいる生徒を助けられたらと教師の道を選んだんだそうだ」

 とてと良い話しだ、と看取り人は思った。世の性の問題を扱ったドラマや映画なんて誇張されすぎた安いものだと思っていたが、しっかりと事実リアルに寄せているのだと感じた。

 しかし・・・こんな良い話しを語っているのに宗介の表情は、暗かった。それは身体から命が失われているからだけではないことは容易に想像がついた。

 恐らく・・・ここからがこの話しの核になのだ。

 この話しを聞かなければ今まで聞いた話しも何の意味もない死に間際の譫言うわごとになってしまう。

 看取り人は、唾を飲み込んだ。

 果たして自分のような若造にこの先を聞く資格はあるのだろうか?彼の側で聞くのはやはり自分ではなく・・。

 看取り人の視線がドアの方を向いた。

「・・どうかしたか?」

 宗介がこちらを向いて掠れた声で聞いてくる。

 看取り人は、慌てて宗介の方に目を戻す。

「すいません。何か物音がしたので」

 看取り人は、務めて平静な声で返す。

「死神の足音でも聞こえたか?」

 宗介は、自虐的に笑う。喉を震わせるだけで苦しそうだ。それだけで彼の時間がもう残り少ない、コップの底に残った水滴くらいしか残っていない事が分かる。

(迷う時間なんてない)

 看取り人は、姿勢を正し、宗介に目を向ける。

「すいませんでした。どうぞ続きを」

 看取り人の態度が少し変わったことに宗介は気づいた。元々、真摯な姿勢で話しを聞いてくれていたが、あくまで興味の領域だったように感じる。しかし、今は違う。本当に、心の底から自分の話しを聞きたいと思ってくれているのが感じる。

 宗介は、笑みを浮かべる。

「アイは、人生で初めて学校が楽しいと感じたと言っていた。自分を偽る事なく授業に参加し、部活をし、友達と遊びに出かけ、そして恋をした」

"恋"と言う言葉を口にした時、宗介の声に一瞬だが棘が出たのを感じた。

「高校に入ってから何人もの男子生徒達がアイに告白してきたそうだ。アイは魅力的な女性だ。そんな男達が現れても何の不思議もない。しかし、アイはそれを全て断ったと言う。自分を隠す必要は無くなった。だからと言って恋愛になると話しは別だ。自分は女の子だ、そう分かっていてもその身体は男のそれだ。女として生活を送ることは出来ても女としての恋愛は出来ない。そう思ってどんなに告白されても、どんなに素敵だな、と思う男が現れてもその心に蓋をしてきた。もう・・傷つきたくないから。そう思いながら勉学に励み、青春を楽しんでいた。しかし、そうは思っても恋をしてしまうのが人間という生き物なんだ」

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