第3話

ホストクラブでは、上の人間から下の人間への暴力やいじめは日常茶飯事だった。

それも彼等が暴力を振るう理由というのは顔が気に入らないだの、邪魔な所に突っ立っていたからだの、ムシャクシャしているから殴らせろ、などとかくも理不尽なものばかりで、店に入ったばかりのホストは何故自分が殴られているのか理解出来ていない有り様だった。

尤もこの日、1部の営業が始まる5分前に小田から強烈な右アッパーを喰らわされてしまったのは、理不尽でも何でもなく龍二の失態が原因である事は本人が一番よく分かっていた。

「何であいつを家に帰したんだ!?」

「スーツを買った後、店に戻ろうとしたら忘れ物をしたと言われて」

じりじりと痛みと熱を帯びる左頬に手を当てながら龍二は答えた。

店内では龍二を除く1部のホストと内勤のスタッフ達が慌ただしく開店準備をしていたが、暴力沙汰など見慣れているせいか龍二と小田のトラブルを気に留めている人間は一人も居なかった。

「忘れ物だと!?」

「ポ、ポマードらしいです。俺のを貸してやるって言ったんですけど、いつも使っている自分のじゃないと上手く決まらない、とか言われて・・・」

龍二が言葉を発する度、口の中には血の味が広がっていった。

「でもあいつは開店5分前になっても店に戻ってこない。分かるだろ?ばっくれたんだよ!」

「まだ・・・分からないです。もう少しだけ待ってみましょうよ」

「もういい!お前に託したのが間違いだったんだ。あんな奴の見え透いた嘘に騙されやがって。ちょっと頭を使って考えりゃおかしいと分かるだろ?どうしてあんな身なりの奴がポマードなんて持っているんだ?散髪に行ってるかどうかも怪しいのにヘアセットなんてやると思うか?」

面倒を見ろと押し付けてきたかと思えば、お前に託したのは間違いだったと全否定される。

小田に言い返したい事は山ほどあるが、立場的にも状況的にも龍二にはそれが出来ない。

これじゃリチャードと大差ないな、と龍二は再び自嘲した。

「荷物をまとめて出ていけ。お前みたいな役立たずはクビだ!」

「そんな・・・待ってください。もう一度チャンスを下さい」

龍二は、小田の足にすがりつき命乞いをした。

小田はそんな龍二の胸ぐらを掴むと、

「まだ殴られたいようだなぁ!」

と、拳を振り上げた。

だがその時、龍二たちに無関心を決め込んでいた従業員一同が、一方的にむかって頭を下げ始めた。

空気が一瞬にして変わり、店内には緊張感が満ちていく。

支配人の小田とベテランホストの龍二にはそれが何を意味しているのかすぐに理解した。

「何をしているんだ、小田。やめなさい」

背後から聞こえた鶴の一声で、たった今まで威張り散らしていた小田が借りてきた猫のように萎縮した。

「親父・・・」

パンチパーマに派手なスーツ、ダイヤが散りばめられた腕時計に夜でも室内でも決して外さない高級ブランドのサングラス。

どう見ても堅気の人間には見えないこの男こそカペラの主、夏目健一だった。

彼は龍二の側へ近寄ると赤く腫れた頬を痛ましそうに、慈しむように優しく撫で、

「おい、小田・・・」

と、ドスの効いた野太い声で言った。

「は、はい!」

小田は背筋を伸ばし手のひらを上太股に沿ってぴったりと付け、気を付けの姿勢をした。

親父はこんな役立たずな俺の為に小田を、ホスト時代から特に目をかけて可愛がり、引退後は本店の支配人に抜擢した小田に恥をかかせてまで俺を庇ってくれるのか・・・と、龍二が感激に浸ったのも束の間だった。

「顔はやめろとあれほど言っただろう!殴るなら顔から下にしろ!」

何かの聞き間違いだろうかと龍二は思った。

小田から受けた強烈な右アッパーのせいで鼓膜に傷がつき、親父の言葉を性格に聞き取れなかったのかも知れない。

というか、そうであって欲しい。

だが、そんな龍二の切実な願いは、次の瞬間小田の口から飛び出した言葉によって打ち砕かれた。

「すみませんでした、親父。今度からホストを殴るときは腹を中心に攻めます!」

事の成り行きを見守っていた周囲の従業員達からはドっと笑いが起こった。

「そ、そりゃないっすよ、親父」

肩を落としてそう嘆く龍二を尻目に夏目は、

「早くこっちに来なさい」

と、店内入り口に向かって手招きした。

同じ方向に龍二が視線を向けると、そこには一部始終を目撃していた傍観者が呆気に取られた様子で立っていた。

黒いスーツに身を包みオールバックをばっちり決めたその青年は、日本人離れしたスタイルと目鼻立ちのはっきりした美しい顔に、他を圧倒するような独特な存在感を放っていた。

夏目には仲の良い芸能プロダクションの社長がいたことから、きっとその事務所の所属タレントが店に遊びに来たのだと龍二は思った。

夏目に手招きされた青年は初めてのホストクラブに緊張しているのか、それとも小田と龍二のトラブルに怖じ気づいてしまったのか、覚束ない足取りでおずおずと龍二達の元へと近付いてきた。

「親父のお知り合いですか?見苦しいものをお見せしてしまい誠に申し訳ありません」

小田はよそ行きのかしこまった口調でそう述べると、夏目が連れてきた大切なお客様に深々と頭を下げた。

だが青年からは小田に対するフォローも苦情も返って来なかった。

龍二は不思議に思い、青年の表情を盗み見してみた。

そこで彼はある既視感に襲われた。

これは・・・この慌てぶりは・・・

「こら、小田。お前が頭を下げるからどう対応をすればいいか困っているじゃないか。パニックを起こしたらどうするつもりだ?」

「は、はい?」

ずっと頭を下げっぱなしだった小田は、夏目に向かって少しだけ頭を上げ上目遣いで様子を伺った。

「支配人にそんな風に頭を下げられたら新人ホストは困るだろう」

小田な夏目にそう言われて、訳も分からないまま青年の方へ顔を向けた。

そして龍二同様、既視感に襲われた。

「・・・も、もしかしてコイツは!」

「駅前でばったり会ったんだ。走って行くから大丈夫と言い張っていたんだが、時計を見ると間に合いそうになかったんで私の車に乗せてやったんだ」

夏目はそう言うと、左隣の青年の肩をポンと叩き『お前からも何か言うことがあるだろ?』と促した。

青年は生まれたての子馬の様にガクガクと震える足で一歩前に出ると、強い緊張のせいでぴくぴくと痙攣してある頬を自分でビンタしてから口を開いた。

「おおおおお、おそ、遅くなって、すすす、すみません・・・きょ、きょ、今日からよろしくお願い、しま、ふ」

その声は・・・

そのどもり口調は・・・

紛れもないリチャードだった。


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