第41話 気がかりなこと

 辛酉園球場では、ポストシーズンカード最終戦が、始まろうとしていた。一塁側ダグアウトの後ろ、スタンドの中程の席には、飛鳥と彼女の母裕子、そして祖母三好和子が、丸山と一緒に、グラウンドの日向の様子を見守っていた。大伴だけは、日向のマネージャーで、元選手ということもあり、グラウンドに出て、練習を手伝っていた。

 居酒屋「ゴンドウ」では、権藤夫妻が、必勝ハチマキを締め、詰めかけた客たちと一緒にテレビの前で、試合が始まるのを待っていた。


 球場では、打撃練習のため、日向が、ベンチ前に出てきた。彼がスタンドを見上げると、すぐに飛鳥の姿見つけ、彼女の横に白髪の老婦人と中年の女性がいるのに気がついた。

「あれが娘の和子と孫の裕子か。たしかに、どことなくキヨに似ていて、懐かしい気がするな。しかし、親より子の方が老けて見えるのは、変な感じだな。」


 キヨは、日向が戦争に行く前に、結婚を約束していた女性だった。彼は、彼女が妊娠しているのを知らずに戦死していたので、和子が娘であることを知ったのは、昨晩のことで、もちろん、顔を見るのも初めてであった。

 和子たちの様子を眺めていると、和子と目が合った。その瞬間、飛鳥とキスをしたときのような衝撃が走った。ハッとした日向は、昨日飛鳥が言ったことを思い出し、すぐに目をそらした。


「まずい。これでまた歳をとったかもしれん。」

そう思っていると、打撃練習の順番が回ってきたので、バッティングケージに入った。打撃投手の球を打つと、いつもどおり、鋭い当たりを飛ばすことができたので、彼は、少しホッとしていた。少し離れた所で見ていた大伴は、日向の打撃を見て、昨日とどこかが違っているような、不思議な違和感を感じていた。しかし、それが何かがわからなかったので、日向には伝えなかった。


 スタンドでは、飛鳥の母裕子が、初めて見る実の祖父の顔に、

「やっぱり、お母ちゃんの顔は、日向さんと、よう似とるわ。でも、かっこええね。ユニフォーム姿がきまっとるわ。早よ、会いたいわ。」

 と、興奮しながらも暢気に言った。


「あの人が、本当のお父さんなんて、今でも信じられないわ。娘より若い父親なんて、おかしいでしょ。でも。」

 一方、和子は、そう言うと、少し不安げな面持ちで飛鳥に、先ほど日向と目が合った時のことを伝えた。

「今、お父さんと目が合ったの。そしたら、あなたが言ってたような、変な感じがしたのよ。なにかしら。」

 飛鳥は、和子を心配させないよう、

「なんでもないわ。」

 と言ったが、内心では、

「おばあちゃんは、娘だから、直接触れあうことがなくても、何らかのインパクトがあったのかもしれない。そうしたら、老化が進んでしまう。やっぱり、連れてこなければよかった。」

と、和子達を連れてきたことを後悔していた。しかし、彼の練習する姿を見る限り、変わったところがないように見えたので、少し安心していた。


 すべての練習が終わるころ、夜の帳も降り、照明塔も一段と明るさを増し、忙しく働くグランドキーパーの姿を照らしていた。スタンドは超満員となり、試合開始を、今か今かと待っていた。


 両チームとも2勝2敗で迎えたこの一戦は、どちらにとっても負けられない戦いであった。試合数の上では4戦目に当たるので、投手力に勝るギガンテスは、ローテーションどおり、4番手ピッチャーの品川が先発したが、パンサーズは、第1戦で早い回にノックアウトされたエース榎田をマウンドに送った。


 日向は、この日も先発から外れ、ベンチスタートとなった。スタンドでは、裕子と和子が、彼が先発しないのを不思議がっていた。

「なんや、おじいちゃん、先発に入っとらんやないの。」

「そうねえ。どうしたのかしら。」

 そう話す二人に丸山が、したり顔で説明した。

「ここぞという時に出るんですよ。所謂、切り札ってやつですよ。それより裕子さん、おじいちゃんとか言うのは、やめてもらえませんか。まだ、このことは秘密なんですから。」

 丸山は、彼女たちが、日向の親族であることがわかるような言動を控えるようお願いした。

「そういえば、そんなこと言ってたっけ。」

裕子は、あまり意に返さないようであった。丸山の心配をよそに、いよいよ世紀の一戦が始まった。


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