第35話 ついにマジック点灯
飛鳥は、ゴントウの近くの駐車場に車を置くと、すぐにゴンドウに向かった。パンサーズが勝っているので、大騒ぎしているだろうなと思って店の前まで来ると、意外にも静まりかえっていた。
「こんばんは。パンサーズ勝ってますね。」
飛鳥が元気よく挨拶しながら暖簾をくぐって入っていくと、店内は静まりかえり、テレビから流れるアナウンサーの声だけが響いていた。
「日向、倒れたまま動きません。大丈夫でしょうか。」
「えっ? どうしたの。」
飛鳥のその声に、テレビを見ていた権藤夫妻や丸山、そして多くの客たちが、一斉に振り返って飛鳥の方を見た。
「いや、それが、日向が…」
丸山が飛鳥の問いに答えると、テレビの前にいた客たちが脇によけた。そこにあるテレビには、倒れていた日向が立ち上がる姿が映っていた。
「なに? デッドボール? どこに当たったの。」
「頭に当たったんだよ。ヘルメットを被ってるから、多分大丈夫だと思うけどな。」
「本当に大丈夫なの。」
「ほら、一塁に向かって歩き出したから。大丈夫だって。」
心配する飛鳥を、丸山が一生懸命になだめた。
新東京ドームでは、倒れた日向のところに、次打者のカーネルやトレーナーが駆け寄っていた。頭に当たったので、観客も含め、みんな心配したが、日向が、しばらくして起き上がると、歓声と拍手が起こった。日向が、スタンドに向かって手を挙げると、拍手は一層大きくなった。
日向が当たった時、打つ構えを解いていたが、まだタイムのコールがかかっていなかったので、そのままデッドボールとなり、サントスは、危険球を投げたということで退場になった。これに不服そうなサントスは、スペイン語と英語で何かまくしたてた。これを聞いたカーネルが、マウンドに向かって走り出そうとしたのを、コーチや日向を心配して集まってきていた選手たちが、止めに入った。すると今度はサントスが、カーネルに向かって何か言いながらマウンドを降りようとした。このため、守っていた選手やキャッチャーが止めに入り、ギガンテスベンチからも応援の選手がやってきたのでなんとか収まり、サントスはベンチに連れていかれた。
場内が騒然とする中、日向が一塁にたどり着くと、日向の交代が場内にアナウンスされ、代走の青嶋がやってきた。頭に当たったので、一応大事をとって、精密検査を受けさせるための交代だった。日向は、渋々ベンチに戻ってきた。
「ヘルメットなんかなかった昔と違って、全然痛くなかったから、代わる必要ないんじゃないですか。」
日向が監督に尋ねたが、大事を取ってのことだから、病院に行って、検査を受けてくれと頼まれた。大伴がベンチ裏に呼ばれ、日向を病院に連れていくことになった。
大阪では、飛鳥が心配そうにテレビを見ていた。その横で丸山は、大伴に電話をかけ、日向の様子を聞こうとしていたが、なかなかつながらなかった。
「私、心配だから、東京に行くわ。」
「まてまて、大伴からの連絡があってからでも遅くない。それに、立ち上がって自分の足で1塁まで歩いたから、大丈夫だよ。」
「でも、彼は、普通の20代の男性と違うのよ。」
「わかったから。落ち着け。とりあえず、大伴からの連絡を待とう。」
珍しく取り乱す飛鳥を、丸山が一生懸命なだめた。すると大伴から連絡が入った。球場の医務室で見てもらったところ、外傷はなく、日向本人も大丈夫と言っているが、念のため病院に行って検査を受けることになったとのことだった。
「なっ。言ったとおりだろ。病院での結果が出たら連絡してくれるって言ってたから、それを待とう。それに、飛鳥ちゃんが行ったら、マスコミに囲まれて、この前以上に大騒ぎになっちゃうぜ。」
「そやで。80年の時を超えてきた人や、心配することないて。」
大伴からの連絡を聞いて落ち着いた飛鳥は、丸山や権藤の言葉に従って、さらなる連絡を待つことにした。その後、大伴から異常なしとの診断結果が出たとの連絡があり、皆、胸をなでおろした。
翌日からのパンサーズとギガンテスの2戦は、日向がデッドボールを受けたことに奮起したパンサーズが、一方的な試合運びで連勝した。その結果、ついにパンサーズが単独首位となり、マジックが点灯した。ゴンドウでは、優勝が決まったような感じで、連日店を挙げての祝勝会が繰り広げられていた。
飛鳥は、丸山から、日向が大阪に戻ってきても、彼のマンションに行くのは控えるように言われていた。彼女が会いに行けば、またマスコミに追いかけられることになり、優勝に向かって集中したい日向に迷惑が掛かると考えたからである。そう言われると、彼女も納得せざるを得ず、テレビで、彼の活躍を見る日々が続き、彼への思いが募っていった。
一方日向も、丸山から同じことを言われ、飛鳥に会えない寂しさを感じていた。しかし、見た目は若くても、そこは仕事を第一に考える、昔の人間である。チームメイトとの食事や練習で、その寂しさは紛れていた。そんなある夜、日向は、また昔の夢を見ていた。
ここは、キヨとよく行った神戸のレストランか? 窓からは、灰色の軍艦や貨物船が、何隻も沖に浮かんでいるのが見える。テーブルの向かいに座っているのは、キヨか。笑顔を見せているが、目には涙が溜まっている。そうだ。俺が2回目の招集があったことを告げた時の場面だ。
そこで日向は目を覚ました。カーテンを開けると、朝日が差し込んでいた。彼は、夢のことを思い起こし、一人呟いた。
「キヨ。すまん。約束を守れなくて。」
キヨというのは、日向が丸山達に頼んで、探してもらっている赤松キヨのことで、日向の婚約者だった。戦争から還ったら籍を入れる約束だったが、彼は、戦死したことになったので、約束を守れなかったことを悔やんでいた。
彼は、東京のホテルで見た戦争中の試合など、最近、昔のことがよく夢に出てくることを不思議に思った。
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