第33話 駿河台球場での最後の試合
法要が終わると、丸山は大阪に帰り、日向と大伴は、パンサーズの遠征先の東京に向かい、ギガンテスの本拠地、新東京ドームスタジアムのすぐ傍にあるホテルに宿泊していた。ホテルの部屋は、エアコンが効いていたが、日向は、寝苦しそうに、汗をかきながら夢を見ていた。
太陽がまぶしい。ここはどこだ。野球場のようだ。二階席に機関砲が並んでいる。俺も、他の選手も、みんなユニフォームなのに戦闘帽をかぶって、脚にゲートルを巻いている。そうか。ここは、戦時中の駿河台球場だ。マウンドにいるのは、ギガンテスのイワノフだ。1点差で負けているようだが、ランナーは二塁三塁だ。俺が打てば同点、長打なら逆転だ。イワノフが投げた。いい球がきた。
ボコッ
あっ、しまった。サードゴロだ。くそっ。足が動かん。足が・・・。
アウト。ゲームセットだ。
すまん。俺のせいで負けてしまった。みんなすまん。
うなされている日向に、同じ部屋に泊まっていた大伴は、驚いて飛び起きた。
「日向さん。日向さん。どうしたんですか。大丈夫ですか。」
大伴が声を掛けると、日向は、バッと跳ね起きた。汗をびっしょりかいていた。
大伴は、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと、心配そうに日向に手渡した。
「どうしたんですか。すごい汗ですよ。」
日向は、渡された水を一口飲むと、
「昔の夢を見ていたんだ。悔しい思いをした時のな。大丈夫だ。起こしてしまってすまなかったな。シャワーを浴びてくるから、寝ててくれ。」
と言って、バスルームに入っていった。それを見送った大伴だったが、こんなことは初めてだったので、心配でベッドの縁に座って、日向が出てくるのを待っていた。
日向がバスルームから出てくると、大伴が着替えを持って出迎えた。
「なんだ、待ってたのか。大丈夫だと言ったのに。」
「そうはいきませんよ。いつも一緒にいますが、うなされている日向さんを見たのは初めてです。しきりに、誰かに謝っていましたが、どんな夢を見たんですか。」
日向は、窓を開け、外を眺めながら、夢で見たことを話し始めた。窓からは少し生暖かい空気が入ってきた。窓からは、夜が明け始めた薄暗がりの中に、新東京ドームスタジアムの屋根が青白く浮かんで見えていた。
「あれは昭和18年の秋、駿河台球場で行われたギガンテスとの優勝をかけた一戦だった。当時、戦況が悪化し、選手たちは次々に戦地に送られ、残った選手と戦地から戻った疲れ果てた選手たちでリーグ戦が行われていたんだ。チーム名も審判コールも日本式にさせられて、パンサーズは
「面白いですね。で、試合はどうなったんですか。」
「俺は、6番ファーストで出ていたんだ。俺も、それまでに一回出征していたんだが、その時、重い手りゅう弾を投げ続けたため肩を壊していたんだ。それに栄養不足で、脚力も腕力も衰えたんで、もうサードやピッチャーはできなくなっていたんだ。その頃、再び召集される者も出てきて、俺も、いつまた召集されるかわからんから、これが最後の試合になるかもしれないと思って、意気込んで臨んだんだ。実際、次の年に俺は招集され、本当に最後の試合になってしまった。」
「優勝がかかった一戦なら、盛り上がったでしょうね。」
「なに、戦時下ということもあり、観客はまばらで、2階スタンドに据えられた機関砲の兵隊たちをいれても千人に満たなかったんじゃないかな。試合は貧打戦というか、ボールの質が悪くて飛ばないから、長打が出ないんだ。そして0対1で迎えた9回表、ギガンテスのピッチャーは、イワノフという青い目をしたピッチャーだった。」
「イワノフさん。聞いたことがあります。日本で初めて300勝した人でしょ。」
「そうか、彼は、戦争に行かないで済んだから、300勝もしたのか。戦争が無ければ、佐和山もそれくらい勝てたかもしれんな。」
と言って、日向は声を詰まらせた。
イワノフは、ロシア革命で国を追われ、日本で育ったロシア人だった。190センチの長身から投げ下ろす速球に、各球団とも手を焼いた。
ギガンテスのエース佐和山が出征した後、一人でギガンテス投手陣を支えてきたが、戦争が始まった頃から、外国人ということで周囲から厳しい目で見られ、様々なストレスを受けたことや病気などで、一時の勢いはなく、この日も球に切れがなかった。
「8回まで投げ、疲れが見えるイワノフを攻めて、2アウトながら、二、三塁の一打同点のチャンス。そこで、俺に打順が回ってきたんだ。今なら敬遠して塁を埋めるところだが、当時は、敬遠なんかしたら、卑怯者とか臆病者と言われるので、当然勝負となったんだ。ツーツーからの5球目、内角寄りの甘いストレートだった。しめたと思って、おもいきりボールをたたきに行ったんだ。しかし、ボールが手元で少し落ちて、真芯で捉えることができず、ボテボテのサードゴロ。でも、ボールの勢いが死んでたから、セーフになる可能性もあったんだ。だが、肩だけでなく足も衰えていた俺は、間に合わずにアウトになり、ゲームセット。ギガンテスが優勝したんだ。」
「そうだったんですか。残念だったですね。でも、どうしてボールが少し落ちたんで方ね。イワノフさんは、スプリットを投げれたのかな。それとも、疲れで単にお辞儀したのかな。」
「それは分からんが、当時のボールは、質は悪いし、一試合に使えるボールの数が決められていたから、試合が進むにつれボールが少しずつ変形することもあったから、ストレートが微妙に変化したのかもしれん、俺の方も、戦争に行く前なら、あんな打ち損じはしないし、あんなボテボテのゴロなら、楽々セーフで、同点にはなっていたはずだ。負けたのは俺のせいだ。みんなにすまなく思っていたし、悔しくてたまらなかったんだ。」
「それで、『すまん、すまん』って寝言を言っていたんですね。でも、どうして急にそんな夢を見たんでしょうね。」
「ああ、今まで思い出すことがなかった。なぜだろう。ギガンテスとは何度も対戦しているのに。」
「そうだ。もしかすると、この場所のせいかもしれません。このホテルは、駿河台球場の跡地に建っているんです。いつもの遠征では、チームと一緒に別のホテルに泊まってますが、今回は、チームと別行動だったので、このホテルをとりました。それに、この近くには、戦争で亡くなった野球選手をたたえる鎮魂碑もあります。きっとそうです。そうに違いありません。それと、お彼岸っていうのも、影響してるかも。」
大伴の自信あふれる話しっぷりと、若いのにお彼岸が出てきたのが、少しおかしくて、日向は、微笑みながら言った。
「そうかもしれん。おかげで忘れていたあの時の悔しい記憶が蘇った。もうあんな思いはしたくない。今度こそギガンテスを破って優勝してやる。」
「明日からは、ギガンテスとの首位攻防戦です。がんばりましょう。」
がっちりと握手を交わした二人に、窓から朝日が差しこんでいた。そして、新東京ドームスタジアムの屋根が、朝日に眩しく輝いていた。
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