第29話 ある遺伝子の発現
日向は、大阪に帰ってくると、若手選手を連れて、毎日のように「ゴンドウ」に顔を出していた。ゴンドウでは、飛鳥が石坂教授や球団の管理栄養士と相談して考えた内容を、店主の権藤が、日向が食べやすいようアレンジして出していた。
権藤は、毎晩のようにパンサーズの選手がやって来ることに感激し、店の中を、ますます写真やグッズであふれかえさせていた。彼らの来店は、夜遅くになることが多いので、飛鳥と店で会うことはなかったが、若手選手は、昼間にジムで指導を受けることもあったので、彼らの憧れの的であった。
日向が、長期ロードを終えて大阪に戻ってくると、飛鳥は早速、石坂教授の研究室に彼を連れて行き、入団前から定期的に行っている、いろいろな器具を用いた検査を行うとともに、これまでの検査結果について説明を受けた。
器具を用いた検査では、ほとんどの項目で入団直前の検査の値と変わらなかったが、スイングスピードが、若干遅くなっていた。彼は、最近、気のせいか、多少バットが重く感じてきていたので、その性かと思った。一方で、彼のバットは、1キロ近くあり、他の選手より重かったので、少し軽めのものにしてみようかとも思った。
石坂の説明によると、これまで日向の遺伝子の変化を調べてきたところ、ある特定の遺伝子の発現量が、ほんのわずかであるが変化し、同年代の人に比べ高まっているのが分かった。
この遺伝子が、何に関係しているかは、今の段階では分からないが、彼の仮説では、この遺伝子は、老化を制御する遺伝子の一つで、戦時中の世界から転生する際に、一旦停止したのが、再び発現し始めたのかも知れない、というものだった。
今は、ほとんど変わっていないが、何かのきっかけで、発現量が高まれば、一気に老化が進み、今のようには野球ができなくなってしまう可能性があると言うことも伝えられた。
これを聞いた日向は、不安な気持ちに駆られたが、すぐに気を取り直し、
「どうせ気まぐれな神様に救ってもらった命、今年限りで野球ができなくなっても悔いはない。まずは、当面の目標である優勝を目指して、毎日毎日精一杯頑張るだけだ。」
と、誓った。そばで一緒に聞いた飛鳥は、心配そうに日向を見ていた。彼のことだから、何があっても受け入れるだろうと思い、これからも支えていこうと思っていた。
大学に行った帰り、日向と飛鳥は、石坂の行きつけの小料理屋に三人で食事に出かけた。遅くなったが、石坂による入団祝いだった。食事の途中、石坂が妙なことを言った。
「ところで、君たちは、親戚か何かかい。」
「いや、俺の親や親類縁者は、みんな戦争で亡くなった。俺は、結婚する前に戦死したから子供もいなかった。だから血のつながっている人はいないと思う。」
「どうしたんですか。」
と、二人が聞き返したので石坂は、
「いや、なんでもない。二人が話をしている様子を見ていると、兄妹で話している様な感じだったから、そう思っただけだよ。じゃあ、二人は恋人同士と言うことか。」
と、笑いながら答えた。飛鳥は、少し顔を赤らめながら、
「違いますよ。私は日向さんのトレーナーです。トレーニングの成果を上げるには、コミュニケーションが大事です。そう教えてくれたのは、先生じゃないですか。親しそうに話しているからと言って、付き合ってるわけじゃないですよ。」
と、言った。日向も、
「彼女に厳しく鍛えてもらったおかげで球界に復帰できたんで、感謝しています。今も時々ジムに行っていますが、それ以上の付き合いはありませんよ。」
と言って、否定したので、この話はそれまでとなり、話は、石坂の研究の話に移っていった。
食事が終わり、支払いをしている石坂を残して日向と飛鳥が先に店の外に出て談笑している姿を、物陰から撮影する者がいた。数日後、写真週刊誌に、この時の写真が載り、二人が交際しているとする記事が書かれていた。同時に、歳の差80歳などとも書かれ話題になってしまった。
二人とも未婚なので、付き合っていても特に問題はなかったが、日向は、球場の外では記者に追われ、球場の中では、選手たちから冷やかされていた。
彼は、スマホでも簡単に写真が撮れることを知らなかったので、いつ写真を撮られたのか不思議に思った。彼が知っていたカメラは、重箱のような大きなもので、夜間に写真を撮るには、銀色のお椀のような形をしたフラッシュが必要だったが、そんなものを持っている人は見かけなかったからである。それと同時に、こんな一プロ野球選手のことで、世間が大騒ぎすることに驚いていた。
飛鳥も、ジムから、記者たちがジムに押し寄せているとの連絡を受け、当分の間ジムに行くのを控えることにした。
結局、日向と飛鳥、両方とマネジメント契約などを結んでいる丸山の事務所が対応することになった。丸山は、日向をサポートしたいという軽い気持ちでマネジメント会社を立ち上げたが、こんなことになるとは、思ってもいなかった。
丸山は、二人から事情を聞いていたので、日向が飛鳥の指導を受けていること、この日は、飛鳥の恩師の石坂も一緒だったことなどを話し、なんとか二人の周りは落ち着きを取り戻した。丸山は、大伴を呼んで、こんなことが起こらないよう、いつも日向と一緒に行動するよう伝えた。
日向と飛鳥のツーショット写真が週刊誌に載ると、どこから嗅ぎつけてきたのか、彼女のマンションにもマスコミが殺到して外に出られなくなっていた。そんな時、奈良に住む彼女の母から電話が来た。
「飛鳥、週刊誌見たで。あんた、お付きあいしてる人がおったんやね。今話題の日向選手やないの。どうやって知り会うたん。」
と、根掘り葉掘り聞いてきた。飛鳥は、日向のことを親に話していなかったので、これまでのことを詳しく説明し、写真を撮られた時は、大学の恩師も一緒だったことを告げた。
「でも、気にはなっとるんとちゃうの。付きあっちゃいなさいよ。あんたもいい歳なんやから。」
「確かに魅かれるところはあるけど、なんだか話してると、兄貴とかと話してる感じがして、変な感じなのよ。」
「まあ、私も日向選手を始めてテレビで見た時、なんや懐かしいなあって感じたけど、日向なんて知り合いおらへんし。そやけど、そんなのええやないの。」
と、煽ってきたので、飛鳥は、
「週刊誌にも書かれてたけど、彼はああ見えて百歳を超えているのよ。いつおじいさんの姿になるかもわからないんだから。」
と答えたが、
「なんや。あんたそんなこと気にしてんの。愛があれば歳の差なんて関係ないんとちゃうの。それともあんた、歳をとりすぎてるからって付き合えへんって言うの。薄情な子やね。」
「そんなんじゃないわよ。もう。」
と言って、電話を切った。
飛鳥の母は、望月裕子といい、自由奔放な性格で、婿を取って家の仕事を継いでもらいたい祖父母たちの反対を押し切って、後輩で考古学者の父、誠一と駆け落ち同然で結婚しているので、飛鳥が自分の気持ちに素直になれないでいることに歯がゆかった。
飛鳥の方は、気持ちの整理がつかない中、母から日向への気持ちを聞かれたので、思わず兄妹の様な感情しかないように言ってしまったが、石坂に言われたときに気がついていた、日向に対する男性としての思いが、母の言葉によって、どんどん込み上げてくるのを感じ、思い悩む日々が続いていた。
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