第28話 日向と現代のプロ野球

 戦争中の世界から転生した日向にとって、様々な点で変わって(あるいは進歩)していた。選手の数が増え、球団も多くなっていた。彼が昔入団したころは、職業野球と呼ばれており、映画や芝居などのような興行の一つとみなされていた。そのため、大学野球や高校野球に比べ人気は低く、積極的に入団しようと考える人は少なかった。このため彼は、今は毎年たくさんの若者が入団することを聞き、野球の人気が高まったことに喜びを覚えた。


 一方で彼は、各チームに昔対戦したギガンテスのエース佐和山と同じくらい速い球を投げるピッチャーがいることに驚いた。彼らは、球が速いだけなく、様々な変化球も投げてくるのでやっかいだった。しかし、彼らのようなエースを打ち砕けば、相手チームの戦意を喪失できると考えていたので、一層燃えて打席に立っていた。


 大伴の話では、各球団には、それぞれにエースと呼ばれるピッチャーはいるが、近年は、継投していくのが主流で、先発して完投するピッチャーは少ないとのことだった。日向は、完投するピッチャーが少なくなってしまったことを寂しく思っていた。しかし、丸山から、昭和の終わり頃までは、チームの中心となって連投を重ね、毎年のように20勝以上するすごいピッチャーが何人もいたが、肩や肘を痛めて数年で引退することも多かったこと、今は、先発、中継ぎ、抑えと分業が進み、十分な投球間隔や球数への配慮、投球後のケアも充実していることを聞き、時代の進歩を感じるとともに、現在の選手は恵まれているなと思った。


 日向にとって令和のプロ野球は、プレー以外にも驚くことばかりであった。彼がプレーしていた時代にはなかったナイトゲーム、人工芝やドーム球場には、最初違和感を覚えたが、昼間のように明るい照明、イレギュラーがない人工芝、夏でも快適なドーム球場に慣れていくと好感を持つようになっていった。


 東京の神宮の森球場は、日向が大学時代にプレーしたこともある思い出深い球場で、辛酉園球場と同様、昔のままの外観が多く残され、懐かしさを感じさせていたが、グラウンドは人工芝になり、当時より両翼が少し狭くなってホームランが出やすくなっていた。このこともあり、お気に入りの球場の一つであった。


 戦前、戦中に、ギガンテスと戦った東京の駿河台球場はすでになく、その跡地にある新東京ドームスタジアムが、ギガンテスのホームグラウンドになっていた。ドーム球場では、この他、名古屋の名城ドームや、夏の高校野球期間中に使用することがある、大阪の浪花ドームで試合を行ったが、日向にとって屋根の下で野球をするというのは初めての感覚で、当初は不思議な感覚だった。しかし、暑い夏でも快適に野球ができることが気に入っていた。


 広島の平和球場は、辛酉園と同じ天然芝のきれいなグラウンドで、足腰への負担が少なかったが、夏のデーゲームの暑さは厳しかった。

 昔は、フランチャイズというものがなく、ほとんど東京か大阪でしか試合が行われなかったので、広島を始め、各地に立派な球場があり、たくさんの人が見に来ることに、戦後の日本の発展を見る思いであった。


 どの球場も、昔に比べ広く、外野フェンスも高い所が多かった。スタンドには、色とりどりの椅子が設置されており、スコアボードや観客席を取り巻く大型ビジョンとともに、様々な広告が並び、球場全体がきらびやかだった。

 そんな華やかな球場を眺めている日向に記者たちが感想を聞くと、

「昔の球場は、全体的に色がなくて、こんなに華やかじゃなかった気がする。スタンドも、ほとんどが、むき出しのコンクリートに木のベンチを据え付けたくらいで、ちゃんと椅子があった所は少なかった。それに戦争が始まると、あちこちに国民を鼓舞するスローガンが掲げられ殺伐としていたな。最初の応召を終えて戦地から帰ってみると、辛酉園球場の大鉄傘だいてっさんは、金属供出で無くなっているし、駿河台球場なんて、二階席に機関砲が並んでいて、野球を楽しむ雰囲気じゃなかった。」

 と、しみじみと語った。さらに記者が、戦争で亡くなった選手たちへの想いを尋ねると、

「俺は、どういうわけかこの世界に生まれ変わることができたが、こんな素晴らしい球場でプレーできて幸せだ。戦地で亡くなった選手たちの分も頑張りたい。」

と、色鮮やかなスタンドを見つめながら語った。


 早速このことは記事となり、多くの人の共感を呼んだ。この話を聞いていた大伴は、前々から日向の戦死した選手たちへの熱い想いを感じていた。彼が、遠征時にはいつも、ポケットの中に念珠を忍ばせていることや、時間があれば、戦死した選手の墓や、各地の戦没者慰霊碑にお参りしていることを知っていたからである。


 野球用具も格段に進歩していて、日向にとってありがたかった。特にグローブは、昔のように堅くて自分で型を付ける必要がなく、メーカーの職人が、希望どおりの形で作ってくれ、ボールが吸い付くように収まった。


 ボールも、使われている皮と糸が上質で、飛ぶようになったと感じていた。そんなボールを、ちょっとワンバンドしただけで取り替えてもらうピッチャーの姿を見ると、戦争中、質が悪いうえに使用できる数が限られているのを経験していた日向からすると、もったいないという思うとともに、豊かになったものだとも感じた。


 同様に、ユニフォームも、色鮮やかで、何種類もあることに驚いた。たまに、レジェンドユニフォームと称して、日向が昔着ていたユニフォームに似せた物を着ることがあった。当時の物と見た目はそっくりだったが、生地が違って、軽くて動きやすかった。他の選手は、本当のユニフォームを着たことがある日向をまね、ストッキングを長く見せる、いわゆるオールドタイプの着こなし方をして楽しんでいた。


 球場や用具は進歩を遂げて、プレーし易くなっていたが、ピッチャーが投げる球種や攻守ともサインの数が増え、覚えることが多くなっていた。

 日向は、めんどうくさい野球になったものだと思う反面、権藤や店の客たちが、テレビで野球を観戦しながら、自分が監督になったつもりで、テレビに向かって、「ここは送りバントや」「スクイズや」などと口走っているのを見て、ファンの方も、いろいろ作戦を考えて楽しんでいるから、これも有りなのだろうと思った。もちろん彼も、サインは一生懸命覚えたが、攻撃時は、首脳陣が気を遣ってか、サインをあまり出さなかったので、少し気が楽であった。


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