第26話 飛鳥の憂い
日向が入団するための体作りを、飛鳥が勤めるジムで行っていたことが報道されると、ジムには、入会を希望する人が詰めかけ、連日賑わっていた。彼女目当ての人もいたが、日向ファンの希望者も多く、彼と同じトレーニングがしたいとか、彼と一緒にトレーニングがしたいと言って、彼がいつ来るのか尋ねられることも多かった。しかし、今はシーズン中なので、日向がいつジムに来るかは分からないと告げると、減っていき、落ち着きを取り戻した。
飛鳥は、丸山とアドバイザリー契約を結んだことで、これまで通り日向の体調管理を行うことになっていた。しかし、長期ロードで、彼のことを随時見れず、慣れないホテル暮らしや長距離移動による疲労の蓄積、あるいは、行く先々で変わる食事などが心配だった。
試合の方は、テレビやネット配信で見ることができたが、日向がどんな体調なのかは、うかがい知ることはできなかった。彼に直接連絡して様子を聞きたいところだったが、彼は、スマホを持っていないので、大伴に聞くか、彼を通じて、時々連絡を取るしかなかった。それでも、石坂教授から借りた計測器を日向に付けてもらい、データの収集には努めていた。
彼女は、一般の受講者より日向のことを気に掛けてきたが、彼のことを、受講者と言うより親兄弟のように心配してしまうことを不思議に思った。一方で、心配事があれば、すぐにでも駆けつけるのに、改まって会いに行くのが、気恥ずかしく感じて行けない自分にもどかしかった。
一方の日向は、初めての長期ロードを楽しんでいた。特に、新幹線での移動が楽しく、好きだった。彼の記憶では、戦前の移動は、蒸気機関車だったので、東京大阪間は、特急でも8時間くらい掛かった。座席も、1等車以外はシートが硬く、背もたれも垂直で、対面式のボックスシートだった。1等車に乗れることはなかったので、このシートに座り続けるのは苦痛だった。そのため、新聞紙を通路に敷いて座ったり、横になったりして対策していた。あるいは、食堂車に行って、トランプや酒盛りに興じるなど、それなりに楽しく過ごした。
それに比べて現代の移動は、新幹線に置き換わり、スピードは格段に速く、昔で言う1等車のグリーン車に乗っているので、座席も広く、座り心地もよくて快適だった。
遠征での楽しみは、行く先々での食事だった。試合が終わった後は、榎田たち若い選手たちと街に繰り出すことが多かった。特に、ホームラン賞や監督賞などをもらうと、おこぼれに預かろうと、人数が増えたが、気にすることなく、おごっていた。
広島のお好み焼きや名古屋のみそカツなど、日向が初めて食べるものもあったが、肉好きの彼は、榎田たちと一緒に、よく焼肉を食べに行った。戦前は、今の様な韓国・朝鮮風の焼肉屋は、一部の朝鮮人街にしかなかったので、日向は、こういう焼肉を食べたことがなかった。初めて焼肉を食べた時は、その旨さと食べ易さに驚き、俄然焼肉が好きになった。
焼肉以外でも、初めて食べるものが多い日向に対し、パンサーズの選手やスタッフは、彼の反応を見るのが楽しみで、イタリアンやフレンチなどの西洋料理から、タイやベトナムなどの東南アジア料理まで、様々なジャンルの店に連れて行った。彼は、現代に戻って来てから、遠征に出て初めて、ゴンドウ以外で食事をしたので、驚きの連続だった。
日向が、どんな食事をしたかは、大伴が飛鳥に伝えていた。彼女は、転生する前の日向が食べてきた食材を急激に変化させずに、体力の回復と増強が図れるよう食事を考えてきた。それが、急に現代の食事に切り替わることにより、彼の体調が変化する可能性があった。今のところ、28歳の体のままなので、多少無理をしても大丈夫だろうが、今後のことが心配だった。このため、時々大伴を通じて、肉の食べ過ぎを控えて、バランスのいい食事を取るよう注意してもらった。
「少し食べるのを控えようかな。」
飛鳥からの話を聞いた日向は、そう呟いたが、それを傍で聞いていた榎田が、チャチャを入れてきた。
「なんや、コーチの言うことは、よう聞かんのに、やっぱ、彼女さんは怖いんやな。」
「何言ってんだ。そんなんじゃないよ。でも、彼女に言われると、お袋に言われてるような気になってくるんだ。でも、やっぱり焼肉は旨いな。おい、みんなもっと食べろよ。」
笑いながらそう言うと、ロースターの上の焼肉に箸を延ばした。
日向は、ロード終盤、ノーヒットに終わった日もあったが、無事に大阪に戻ってきた。荷物をマンションに置いてゴンドウに行くと、店の前で、飛鳥と丸山が待っていた。日向が、飛鳥の所に駆け寄っていくと、店から権藤が飛び出し、日向に抱きついてきた。
「日向はん。長旅ご苦労さんでした。大活躍やったな。おかげでパンサーズの順位も上ってきた。このまま行けば、優勝も夢やない。これからも・・・」
「どあほっ。何じゃましとんねん。あんたは、厨房に戻って仕込みしときっ。ゴメンな。飛鳥ちゃん。ほら、サッサと行かんかい。」
権藤の妻良枝は、日向に抱きついている権藤を引き離すと、店に連れ戻した。
改めて対峙した二人は、久しぶりのこともあり、なかなか話し始められなかった。
「何やってんだよ、二人とも。中学生かよ。飛鳥ちゃんは、毎日お前のこと心配してたんだぜ。なんか言うことあるだろ。」
「おう。そうか。ありがとう。おかげで・・」
丸山のきっかけに、やっと話し始めた日向だったが、話の途中で、事情が分からないファンに囲まれてしまい、話どころではなくなってしまった。戸惑いながらサインに応じる日向を、呆然と見ている丸山や権藤夫妻の横で、飛鳥は、彼からのお礼の言葉に嬉しさを感じながら、その様子を見ていた。
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