第23話 エースたちとの戦い(3)
試合前の横浜ベイスタジアムの空は、夕陽が沈んだレフトスタンドの後ろから、バックネット側スタンド上空にかけて、オレンジ色から紫色へのグラデーションが美しく、1塁側の2階席が夕日に映えていた。しかし、グランドからは見えなかったが、遠くの空は、黒い雲が低くたれこめ、雨が降っている所もありそうだった。天気予報でも、大気の状態が不安定で、ゲリラ豪雨が起こる可能性があると報じていた。そのため、観客の多くは、雨具を持っていた。そんな観客たちを日向は、不思議そうに眺めていた。
「こんないい天気なのに、お客さんたちは、傘なんか持っているんですか。」
バッティングケージの後ろで、順番を待っていた日向が、隣にいたベテラン選手の今井に尋ねた。
「今日の天気予報で、ゲリラ豪雨があるかもしれないと言ってたからかもしれないですよ。ここは、すり鉢の底だから見えませんが、来る時に、北の方の空が真っ暗だったから、それが流れてきたら、ここも大雨になるかも。」
「ゲリラ豪雨って何ですか。ずいぶん物騒な名前ですね。」
「ゲリラ豪雨は、日向さんの時代の言葉なら、にわか雨か夕立かな。急に降ってきて、すぐに止んじゃうんですよ。でも、雨の降り方はすごくて、あっという間に道路が川のようになってしまうんですよ。いつ、どこで降るか予想が付かないからゲリラって言う名前が付いてるらしいですよ。」
「ゲリラって、昔俺が戦った
「八路軍って、なんですか。」
日向は、見た目は明らかに年上の今井が、彼に向かって敬語で話しているのが少し気になったが、彼の順番になったので、ケージの中に入っていった。
試合が始まり、1時間もした頃、急に冷たい風が吹いたかと思うと、大粒の雨が落ちてきた。すると、審判はすぐに選手をベンチに引き上げさせた。選手がベンチに戻ると、内野部分に大きなシートがかぶせられた。雨はどんどんひどくなり、稲光が見え、雷が落ちる音も鳴り響いた。観客の多くは、雨宿りのため、スタンドの裏側のスペースに逃げ込んだが、雨合羽を着たり、傘を差したりして、残っている観客も少なくなかった。
この日のゲリラ豪雨は、15分くらいで止んだ。雨が止むとすぐに、グランドキーパーたちにが姿を現し、被せてあったシードを手際よく片付け、人工芝の上に残った雨水を、専用の器具を使って排水溝に流し、試合を再開する準備を進めていった。グランドに出てキャッチボールを始めると、雨上がりのため、人工芝から上がってくる湿気で、蒸し暑さが増していた。審判団が出てきて、選手が守備位置に着くと、試合再開となった。
日向は、この日も先発出場し、打順、守備位置とも変わらなかった。試合は、パンサーズが宣誓したが、逆転され、中断前にとられた点を返すことができず、1点差で最終回を迎えた。ロイヤルズは、守護神、大八木をマウンドに送った。パンサーズも、彼と相性がいい、万代を代打に送り、見事ヒットで出塁した。次打者が送って、ワンナウト2塁、一打同点のチャンスで、日向に打順が回ってきた。この日も2打数1安打1四球と好調な日向を迎えても、ロイヤルズベンチは、歩かせる気配はなかった。
初対決の日向に対して大八木は、まずは渾身のストレートを、真ん中高めに投げてきた。これを日向は打ちに行ったが、伸びのあるこの球を捉えることができず、ボールは、真後ろに飛び、バックネットに当たって落ちた。日向は、思ったより早くて重い球に、気持ちが高ぶっていった。
その頃、大阪のゴンドウでは、テレビの前でゴンドウと客たちが騒いでいた。横浜で行われているパンサーズの試合は、通常のテレビで見れなかったので、ネット配信のテレビで見ていたのだが、試合を中断させてゲリラ豪雨の時に、関東地域で落雷があり、一時配信できなくなっていたのである。見れなくなったのが中断中の時だったので、権藤たちは、あまり騒ぎ立てていなかったが、しばらくして、客の一人が持っていたラジオで、試合が再開されたことを知ると、騒ぎ出し、いらいらしていった。すると、突然画面が明るくなり、バッターボックスの日向が映し出された。
「映った、映った。おっ、なんや、いいところやないか。」
「ワンナウト2塁で日向はんか。相手は大八木やけど、日向はんなら大丈夫や。」
「一打同点。逆転ホームランでもええで。たのんまっせ。」
権藤を中心に、みんなテレビに向かって声援を送った。
雨上がりの横浜ベイスタジアムでは、日向が、相模ロイヤルズの守護神、大八木と対戦していた。初球をファウルした日向に対し大八木は、2球目も、高めのストレートを投げ込んだ。日向は、果敢に打っていったが、1球目と同じように、真後ろに飛び、あっという間に追い込まれてしまった。
追い込まれた日向は、一旦打席を外し、足下の土をすくうと、両手を揉むようにしてこすりつけた。そして打席に入ると、大八木をにらみつけながら構えた。大八木は、キャッチャーからのサインにうなずくと、セットポジションから3球目を投げ込んだ。ど真ん中に来たボールに日向は、力負けしないようバットを振り出した。しかし、ボールを捉えたと思った瞬間、彼の目の前からボールが消え、バットは空を切っていた。大八木の伝家の宝刀、フォークボールだった。勢い余った日向は、そのまま尻餅をついた。討ち取った大八木は、帽子を取って、袖で額の汗を拭うと、安堵の息を一つついた。
日向は、自分のチームのエース榎田のフォークもよく落ちると思っていたが、大八木は、それ以上に落差があった。日向は、この球も、彼にとって経験したことがない球種で、研究する必要がると感じていた。
ゴンドウでは、権藤や客たちが、日向の三振に、がっかりしていた。
「さすがの日向はんも、大八木のフォークには、かなわんかったか。」
「日向が打てなんだら、次のカーネルなんか打てるわけがない。今日はもうこれで終いや。おっちゃん、テレビ回してくれ。それから酒や。」
客たちは、これまでのカーネルの実績から、彼では大八木が打てず、このままゲームセットと思っていた。すると、なんと、カーネルが大八木のストレートを打ち返し、右中間スタンドにたたき込んだのである。日向の三振で沈んでいた店内は、一気に盛り返した。
「やった。逆転や。カーネル様々やで。」
「誰やカーネルじゃ大八木を打てんゆうたやつは、わしか。」
テレビには、日向たちパンサーズの選手たちに迎えられるカーネルの姿が映し出されていた。
逆転したパンサーズは、その裏、こちらも抑えの有井を送り、そのまま逃げ切った。
翌日も、不安定な天気で、試合が始まった頃から小雨が降り始めていた。スタンドは、雨の予報だったせいか、昨日より少なかったが、それでも多くの観客が合羽を着ながら観戦していた。試合は、2対1でパンサーズリードのまま、6回の裏のロイヤルズの攻撃中に、雨脚が激しくなり、とうとう中止になってしまった。
日向がベンチに引き上げて、帰り支度をしていると、一塁側スタンドから歓声が上がった。彼が、何のことかと思い、グランドを見ると、ロイヤルズの外国人選手と若手選手が、ベンチから飛び出してきた。彼らは、大雨が降る中、シートに覆われたダイヤモンドを、各ベースごとにヘッドスライディングして一周すると、最後も、水しぶきを上げて、ホームベース辺りに向かってヘッドスライディングをしてみせた。彼らが立ち上がり、スタンドの観客に向かって、笑顔で手を振ると、スタンドから、大きな声援と拍手が起こった。
日向は、この光景を、あっけにとられながら見ていたが、雨の中、試合を見に来てくれたファンを楽しませるためのパフォーマンスに感心した。そして、ゲリラという物騒な言葉を平気で使うことができる現世に、平和を感じていた。一方で、自分もいつかやってみたいと思っていた。
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