第16話 プロ野球OBとの練習試合
練習風景だけでは、インパクトが足りないと感じた丸山は、なんとか試合ができないかと考え、自分たちのチームの試合を動画配信したりしている野球評論家や芸能人に頼み、試合をしてもらうことにした。
日向たちが、野球評論家チームと試合をする日、高橋がある人物を連れてグラウンドにやって来た。彼が連れてきたのは、背筋が伸びた、
彼は、柏木正といい、昭和2年(1927年)生まれの96歳で、高齢なため、現場に出ることは少なくなったが、最年長の野球評論家だった。彼は戦後、日向が大学時代プレーをしていた帝都大学リーグで、元治大学の投手として活躍し、その後、中京グリフィンズに入団し、エースとして日本一に貢献した。引退後はいくつかの球団で監督やコーチを歴任したプロ野球界の長老であった。
柏木は、例のスポーツ雑誌の編集長、高橋が捜していた、日向に会ったことがある野球評論家で、日向が本人であるかを確かめてもらうため、この試合を見に来てもらう約束をしていたのである。
この数日前、丸山は、高橋と二人で、日向のことを柏木に話した。最初は高橋と同様、信じられないといった様子だったが、自分しか、日向を見たことがある野球関係者がいそうにないと告げられると、そのことに寂しさを感じつつ、もし本当に日向本人だったらぜひ会ってみたいと思い、承諾してくれた。
柏木は、東京出身で、旧制の中学校に通っていた頃、パンサーズとギガンテスとの試合をギガンテスの本拠地だった駿河台球場に見に行き、その時見た、日向の鋭い打球が忘れられないと語っていた。さらに彼は、日向がパンサーズへの復帰を目指していることを聞くと、親しくしているパンサーズのスカウトに伝え、スカウト部長の八嶋を連れてきくれた。
この日は、元プロ野球選手たちと試合をするということで、ある会社の野球場を借りていた。ここは、バックネット裏から両側ベンチの上まで小さなスタンドを備えており、そこには、多くの見物人が見に来ていた。
高橋たち三人がスタンドに上がってみると、そこに多くの人がいることに驚いた。一方の見物人も、長身の老紳士が柏木だと気がつくと、ザワつき始めた。
グランドにいた日向は、スタンドがザワつきだし、相手チームの選手たちが、スタンドに向かって挨拶しているのを不思議に思い、スタンドを見上げると、ワイシャツ姿の男性が3人立っていた。すると、「かしわぎ」という名前が聞こえてきたので、大伴に、彼が誰かと尋ねた。
大伴は若いので、名前を知っている程度で、どんな人なのかは、よく知らなかったが、柏木の横いるのが、パンサーズのスカウト部長であることはすぐに分かったので、このことを伝えると、日向の気合いは、一層高まった。
ベンチには、飛鳥も入っていたが、居酒屋ゴンドウの権藤夫妻は、仕込みがあるため来れなかったので、飛鳥が時々、ビデオ通話で日向の様子を伝えることにしていた。
梅雨が明けたグランドは、蒸し暑くなっていた。飛鳥は、戦前に比べ、格段に気温が高くなった夏を初めて迎える日向のことが心配であった。
彼は、運動の時は水を取るなと教えられてきたので、練習の時も、水を飲むのを躊躇していた。しかし、飛鳥や大伴たちから、今の大阪は、体温並みの気温にもなることや水分摂取の重要性を説かれ、水分を採るようになっていた。気温が高いことの危険性がピンとこなかったが、実際に、練習中に熱中症で倒れた仲間の姿を見て、彼女たちが言っていることの大切さが理解できた。
日向のチームは、大伴の仲間たちだけでは人数が足りなかったが、SNSを見て、大伴と近しい元プロ野球選手が参加を申し出てくれたので、なんとかチームを作れ、20代後半から30代前半の若いチームができあがった。
対する評論家チームは、プロで主力として活躍した選手が多いとは言え、30代から50代前半の人たちで、大伴のチームが、若い選手が多いと聞いた監督篠山は、急遽引退したばかりの選手も呼び寄せていた。
大伴の仲間たちは、スター選手が相手と言うこともあり、緊張したが、相手選手たちが気さくに声を掛けてくれたので、試合が始まる頃には緊張がほぐれていた。
先発のマウンドに上がった大伴を見て、評論家チームの先頭バッターの篠山は、
「なんだよ。去年やめたばかりの大伴が先発なんて、きたないぞ。こっちは、おじさんばかりなんだからな。わかってるだろうな。」
と、煽ってきた。
「わかってますよ。今日は、勝つことが目的じゃないんで。打てる球を投げるんで、ちゃんと打って下さいよ。」
大伴は、投球練習をしながら、笑って答えた。日向はサードに入り、試合が始まった。大伴は、サードゴロを打たれるよう、低めにコントロールして投げるが、さすがは元主力選手、そう簡単には打ち損なってくれなかった。しかし、何人目かの左打者が、外角に入ったボールを打つと、鋭い打球がサードベースの手前でワンバウンドし、三塁線を切れるように飛んでいった。
日向は、そのボール飛びつき、サードベースの後ろのラインの外側で、逆シングルでキャッチした。判定はファウルだったが、日向はそのまま素早く立ち上がり、ファーストに、糸を引くような球を送った。打ったバッターも、ボールが飛んだコースが微妙だったので、全力で走っていたが、ファーストがキャッチしたのは、悠々アウトのタイミングだった。打ったのは、引退したとは言え、まだ30代後半で、足でならした選手だったので、相手側ベンチとスタンドからどよめきが起こった。このプレーを見て、丸山も大伴も、練習の成果を喜んだ。
その他にも、三遊間に飛んだ鋭い当たりを、ショートの前でカットしたり、ボテボテのゴロを、ダッシュして右手で捕って送球したりするなど、軽快なプレーを見せ、スタンドの見物人を沸かせた。
評論家チームは、先発マウンドに、数年前引退した、通算100ホールドの右腕、神崎を送ってきた。現役時代は、切れのある速球とスライダーが持ち味だった。
日向は、数多く打席に立てるよう打順は1番にしてもらっていた。最初の打席では、日向のことを甘く見たのか、神崎は、不用意に高めの速球を投げ込んだ。しかし、日向はこの球を見逃さず、左足を踏み出すと、そこを軸に腰を鋭く回して豪快に振り抜くバッティングフォームで、左中間を深々と破る二塁打を放った。次の打席は、警戒した神崎が、スライダー織り交ぜてきた。
日向は、大伴からスライダーを投げてもらったりして研究していたので、なんとかついていき、ヒットを放った。その後、ピッチャーが代わってからも長打を連発した。
8回からは、日向もマウンドに立ち、二回を三者凡退に打ち取った。速球で三振を取る姿に見物人たちは拍手を送った。躍動する日向の姿を見て柏木は、昔の記憶がよみがえったのか、自然と涙が出てきていた。彼は、高橋と八嶋に向かって、
「まちがいない。あの打撃、あの投球、昔見た時と同じだ。彼は、まさしく日向大だ。ああ、懐かしい。」
と、涙に濡れた眼鏡を拭きながら言った。それを高橋は、うれしそうに聞いていたが、八嶋は、驚いた表情を見せていた。
柏木の話が聞こえてきた見物人たちは、
「おい、本物の日向選手らしいで。」
「ほんまかいな。」
と、さらにザワつきが大きくなっていった。
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