第10話 日向と飛鳥

 飛鳥は、時々石坂の研究室に日向を連れて行き、体の各部の動きなどを計測して、プロ野球選手のレベルと比較してもらい、どの程度体の状態が戻っているのか、現役選手に比べどのくらい劣っているのかを見ていた。その結果を見た日向は、思ったより現役選手との身体能力の開きが大きく、なかなかそれが縮まらないことへの焦りを感じていた。特に、彼の持ち味であったスイングスピードが遅くなっているのは、自分でもよく分かっていたので、なかなか良くなっていかないことに苛立ちを覚えていた。実際には、飛鳥が考えているとおりのペースで回復していたが、彼の不安はなかなか解消されなかった。飛鳥は、彼が焦ってオーバーワークになり、故障することを心配していた。


 ある日、日向は、飛鳥と丸山の3人で、大阪北港近くにあるテーマパーク、ユナイテッド・ピクチャー・ジャパン(UPJ)に来ていた。毎日、地道なトレーニングを続ける日向の気分転換を図るために、飛鳥が考えたのである。


 UPJのゲートを潜ると、日向にとって、新たな夢の世界が広がっていた。そもそも彼にとっての現世は、すでに夢の国か天国のように感じていたので、映画やアニメの世界を再現したこの場所は、まさしく夢の国そのものであった。もっとも、ここに再現されている映画やアニメは、彼がいなかった時代のものばかりなので、何もかも初めて見るものであった。中には、彼が生きてきた1930年代のアメリカの街を模したものもあったが、アメリカに行ったことがない彼にとっては、懐かしさも何もなかった。それよりも、日本の国内にあって、異国情緒あふれるこの地は、驚きと戸惑いの連続であった。パーク内を歩く多くの若者の姿は華やかで、その中に混じってはしゃいでいる飛鳥と丸山の姿に、日向は少し気後れしていた。しかし、元来賑やかなことが大好きな性格なため、すぐに仲間に加わり、一緒に遊具に乗ったり、イベントなどを楽しんだ。


「今日は、ありがとう。楽しかった。開幕も近づいてきて、権藤さんたちからの期待も高まってきて、焦りを感じていたから、いい気分転換になったよ。」

帰りの車の中で、日向が飛鳥に礼を言った。

「気にすることないわ。これもトレーニングメニューの一環よ。私も楽しかったし。」

飛鳥は、後ろの席でいびきをかいて寝ている丸山を、ルームミラー越しで、チラッと見ながら小声で、

「丸山さんのおかげで、意識しないで済んだし。」

と言った後、再び、

「こんな風に、時々体を休めたり、気分転換したりするのも大切よ。でも、毎日やってもらっているストレッチは、今日帰ってからも、しっかりやってね。明日から、またしごくわよ。」

「お手柔らかに、と言いたいところだが、体も休めたことだし、どんどん厳しくしてくれ。」

仲良く会話を続ける二人の後ろの座席で丸山は、UPJではしゃぎすぎたせいで、いびきを掻いていた。


 飛鳥は、一生懸命に努力する日向に惹かれていったが、不思議なことに、兄か弟に接している様な親しみも感じていた。一方の日向は、彼女に厳しいことを言われると、母親に言われているような感じで素直に従ってしまうのを不思議に思っていたが、まだ、自分が彼女に惹かれ始めていることに気がついていなかった。


 丸山は、その後も時々ジムを訪れては、仲良くトレーニングに取り組んでいる二人を見ていた。ある晩遅く、丸山がゴンドウの暖簾をくぐると、日向は、皿洗いを終えたところで、店主の権藤の相手をしていた。


「ぇいらっしゃい。って、なんや丸山はんか。遅いで。まあ、かけぇや。」

権藤は、そう言うと、席を譲って厨房に入っていった。丸山は、日向の向かいに座ると、ビールを頼んだ。彼は、ビールを一口飲むと、

「お前、飛鳥ちゃんに、ほれてるんだろ。」

と、言った。日向は、思わず飲んでいたお茶を吹き出すと、

「突然、何を言い出すんだ。彼女のことは、なんとも思ってないよ。」

と、少し顔を赤らめて言った。つまみを持ってきた権藤がすかさず、

「飛鳥ちゃんって、ジムの先生やってる娘やろ。時々、日向はんの食事のメニューを伝えに来てくれるけど、スタイルも顔も良くて、あんな娘は、そうそうおらん。惚れるんは、あたりまえや。わしも、もう20歳若かったら・・・。」

と、話していると、妻の良枝がお盆で権藤の頭をたたき、

「いい歳こいて、何言ってんねん。エロじじいが。そんな目ぇであの娘のこと見とるんやったら、彼女が来ても会わせへんで。」

と、つっこんできて、また、夫婦漫才なようなやりとりが始まった。それを横目で気にしながら丸山が言った。

「あの娘は、堅いぞ。ほんと堅い。これまでジムに通っていた何人ものイケメンがトライしたが、全滅だ。かく言う俺もその一人だけどな。でも、彼女のお前への接し方は、今までの奴らと違う。上手くいくかも知れないな。」

「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。確かにあの娘は、いい娘だよ。俺も、気になっているさ。」

「やっぱり、彼女もまんざらではなさそうだから、早く気持ちを伝えた方がいいぜ。。」

「でもな。あの娘と話していると、なんだか妹と話しているような感じになるんだ。だから、付き合うとか、そんな気持ちはないよ。それに、今は、球界復帰が最優先だ。女にうつつを抜かしている暇はない。それより、お前こそ、まだ彼女のこと諦めてないんだろ。だから何人も彼女に指導してもらう選手を連れてくるんだろ。ふられたから練習に来ないなんて、女々しいぞ。そうだ。明日から一緒に練習しよう。」

と言った。丸山は、日向から反撃を受けるとは思っていなかったので、あわてて、

「今、お前のことであちこち飛び回ってて忙しいんだ。それに、今更、そんなことできるか。」

と拒んだが、時々、様子見がてらトレーニングに参加することを、渋々約束した。そこへ、

「ほなわしも、一緒に行こかな。」

と、権藤が口をはさんできたので、良枝がすかさず権藤の頭をたたき、

「どあほっ。まだ言うてんのか。このスケベじじい。」

と、突っ込みを入れ、再び口げんかが始まった。

 喜劇のような二人のやり取り、それをはやし立てる常連客、にぎやかな雰囲気に包まれたひと時は、トレーニングで疲れた日向の心を癒してくれた。


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