第2話 帝国陸軍軍曹 日向大
丸山の泊っているホテルは、パンサーズが宿泊しているホテルから少し離れた所にあったので、借りているレンタカーで移動した。車中で丸山は、沖縄戦のこと、戦後から今も続くアメリカ軍の駐留のことを話した。日向は、その話に驚いたり、悔しがったりした。
一方、自分の生まれ故郷のことや軍隊にいた時のことなどを話したが、船が沈んだ昭和19年(1944年)以降の話は一切出てこず、こちらから尋ねても、何のことか分からず、逆に聞き返してきた。海を見つめながら仲間の話をしている時や、丸山が、日向の故郷も大きな空襲があったことを聞いている時は、目にうっすらと涙が浮かべていた。
途中、アメリカ軍のヘリコプターが近づいてくると、日向は、初めて見るヘリコプターを不思議そうに見ていたが、アメリカ軍のマークがついているのに気が付くと、素早く身をかがめ、時々顔を上げては様子を窺ていた。丸山は、最初は笑いながら、その姿を見ていたが、真剣な表情でヘリコプターを見つめる日向を見ると、本当に戦争のさなかからやって来たのかもしれないという思いが増していった。
ホテルに着くと、すぐに日向を風呂に入れることにした。日向は、初めて見るホテルの風呂に、
「狭い風呂場だな。洗い場がないじゃないか。風呂釜もないが、どうやって沸かすんだ。それに、ここにある椅子みたいなのはなんだ。」
と言って、不思議がって聞いてきた。丸山は、取材費を節約するため安いビジネスホテルに泊まっていたので、部屋に備え付けのユニットバスは狭かった。
日向にとっては、トイレと風呂が一緒になっているスタイルは初めてであり、洋式の便器を見るのも初めてだった。丸山は、一通り風呂とトイレの使い方を教えると、お湯を入れ始めた。服を脱いで、ふんどし一つになった日向は、身長が180cmくらいで、だいぶやせてあばら骨が見えていたが、胸板は厚く、骨格はしっかりとしていた。顔は坊主頭で浅黒く、痩せて、ほおが少しこけているせいか、目が少し大きく見えた。
彼が風呂に入っている間に丸山は、彼が持っていた軍隊手帳を見せてもらった。これは、彼の身分を証明するもので、そこには、生年月日や本籍地が書かれていた。それによれば、日向は、大正5年(1916年)生まれになっており、それが本当なら、この年107歳になる。丸山は、そのことに驚いたが、彼の名前「ひなたまさる」が、昔の野球選手の中にいたような気がした。そこで、戦前のプロ野球選手のことを、スマホで検索してみた。すると、
『日向 大(ひなた まさる)右投右打 元大阪パンサーズ投手兼内野手 大正5年7月28日生まれ
帝都大学リーグ教立大学の4番打者として活躍した後、昭和12年に大阪パンサーズ(現、
と出た。
丸山が軍隊手帳を見直すと、生年月日も出身地も同じであった。また、戦死の時期も、日向の話と一致していた。さらに調べていくと、日向は、パンサーズ創設期のメンバーで、強肩、強打のバッターだった。首位打者1回、投手としても最優秀防御率を獲得、当時の東京ギガンテスのエース佐和山から場外ホームランを放ち、伝説のミスターパンサーズと呼ばれていることを知った。
ちなみに佐和山というのは、日向と同時期に活躍したピッチャーで、左足を高く上げる独特の投球フォームから160キロ近くの速球と、鋭く曲がるドロップ(カーブ)を投げたと言われ、来日したアメリカ大リーグの強打者を次々に三振に打ち取るなど、数々の記録を打ち立てたが、日向同様、惜しくも戦死した伝説のピッチャーである。
驚いた丸山は、バスルームのドア越しに、このことを確かめると、本人も笑いながら認めた。だが丸山は、風呂の中にいる日向と称する男の顔は、スマホの検索画面に映る日向の写真に比べ、目が少し大きく、似てはいるが、別人かもしれないと思い、当時のパンサーズや他の球団の監督や選手の名前を、かなり細かく聞いてみたが、当時の人しか知らないような超マイナーな選手も知っていて、全てスマホのものと合っていた。このため、日向が本当に過去から来た人間の可能性が高いと思えてきて、興味がわいてきた。同時に、同じ戦前に大活躍した選手でも、佐和山についてはいろいろ語り継がれて記憶に残っているのに、日向のことをほとんど記憶していなかったことに、スポーツライターとして恥ずかしさを覚え、彼のことを記事にしたいという気持ちがわき上がってきた。
しかし、これだけでは、誰も信じてくれないので、もっと証拠となるものが必要と考え、キャンプの取材を切り上げて、自宅がある大阪に日向を連れて帰ることにした。
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