外の世界

@misaki21

第1話 外の世界

 巨大な苔生した門扉。分厚い鉄板で出来たそれは、町を囲いそびえ立つ石垣に埋もれ、長らくその役割を忘れられていた。

 晴れた午後、石垣の装飾と化したその門扉が叩かれる音を、少女は不思議そうに眺めていた。少女の数倍もある門扉がかすかにゆれ、声が聞こえる……外から。

「数日の宿を願いたいのだが」

 低い、男のものらしい声が門扉越しに届く。町の長(おさ)とそれに従う民が一斉に門扉に集い、少女はその片隅で門扉と外とのやり取りに釘付けになる。

「長です。どうぞ、お入り下さい」

 白髭を揺らし、長は笑みと共に門扉を開くように指示する。苔と錆が零れ落ち、耳障りな音を立て、門扉が開いた。動く門扉、覗いた外、そして外に住まう人、どれも少女には生まれて初めてのものばかりだった。外の空は町の空と同じく青く、砂だらけの大地は町とは違い、埃まみれの男もまた町の男達とは違っていた。甲羅のような服装と刃物のような目。腰には鍬(くわ)ではなく、見たこともない武具が携えられている。

 長に並び、男は民に囲まれて町の宿に入った。少女は足りない背丈ながらその様子を輝く目で見詰めた。

「お疲れでしょう、存分に休養して下さい」

 数十年ぶりの来訪者、だが町は騒ぐでもなく、これまで通りゆっくりと日没を迎えた。

 寝台で天井を眺める少女は想像を巡らせていた。外はどんな世界なのだろうか。石垣よりも高い建物があるという、揺れる巨大な湖があるという、端が見えないくらい広い平野があるという……外の世界。人と人が殺しあうという、石垣よりも高い炎が建物を焼き尽くすという、黒い雨が降るという……外の世界。


 数日後の正午、機(はた)織りの合間の散歩で少女は、石垣にぽつんと腰掛ける、甲羅と武具に包まれた男を見止めた。町は何一つ変わっていなかった。男を歓迎するでもなく、かといって疎ましがる訳でもなく、これまで通りだった。違うのは少女だけであった。溢れる好奇心と僅かな恐怖と共に少女は男に声をかける。

「……どこから、来たの?」

 小さな雲を見詰めていた男はゆっくりと少女を振り返り、くすんだ瞳を笑みに変える。

「向こうだ」

 そびえ立つ門扉を指差す男の声はかすれていた。

「どこへ行くの?」

「向こうだ」

 少女の問いに男は門扉の向かいに位置する石垣を指差し、いった。昼食の入った籠を置き、少女は男の横に腰掛け、その傷だらけの顔を見上げる。

「外には何があるの?」

 男は少女の輝く瞳をちらりと見て、再び空に浮かぶ雲を追った。

「ここにはないものがある」

「外には――」

 午後の始まりを告げる鐘が鳴り、少女は言葉を止める。籠を手に立ち上がり、それでも続けようとする少女を男が無言で制した。


 男が町に入って七日後、再び門扉が震えた。門扉越しに届く怒声は町中に響き渡った。

「門を開けろ!」

 どよめく民を沈め、長が静かに返す。

「何事でしょうか?」

「男を出せ! 残党の一人がこの町に入ったことは知っておる! かくまうというのなら、容赦はせんぞ!」

 民の目が人垣を一歩離れた男に一斉に注がれる。男は武具を確かめるように撫で、その手で傍らに立つ少女の髪を撫でた。

「君は幸せかい?」

「うん」

 柔和な男の顔を見上げ、少女はこくりとうなずく。

「だったら外のことなど考えるな」

 射抜くような視線が向けられ、長は少女と同じくこくりとうなずき、門扉を振り返る。

「この町は争いを一切受け入れません。あなた達がお探しの方が今から門を出ます。宜しいですか?」

 一拍置き、怒声が響く。

「良かろう。皆、引け! ……ふん、話の分かる町だな」

 少女を残し、男は人垣をかき分け門扉と長に歩み寄る。刃物の如き顔の男に、白髭の長は満面の笑みを込め、いった。

「それでは、良い旅を」

「……平穏を」

 再び重い門扉が開く。遠巻きの黒い影に向け、男は門をくぐり、すぐさま門扉は閉じられた……。


 ――おわり

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