第32話 変わり始める日々

「⋯⋯ん」


 目が開いた。真っ白な光が入ってくる。

 独特の匂いがする。ここは病室だ。

 彼女は起き上がろうとしたが、全身が酷く痛む。しかし、その痛みのおかげできちんと覚めた。


「⋯⋯私⋯⋯なんとか、生きてたのね⋯⋯」


 意識を失う前、彼女は⋯⋯リエサは、死を目前にしていた。少しばかり記憶が飛んでいるものの、その事実だけは覚えている。


「幸運、ね⋯⋯。はあ、全く⋯⋯」


 不思議と安心が込み上げて来る。死闘はあれが初めてではなかったが、あのルイズという女は、しばらく見たくない。


「それにしても⋯⋯」


 リエサは、目を横にやる。そこにはミナが居た。ベットの上で、両腕を枕代わりに眠っていた。

 窓から見える外の景色は、ビルの光が良く目立つ暗闇だった。時計の長針は二時を指している。少なくとも一日は経過していそうだ。


「⋯⋯ふふ。ミナにあれだけ言っておきながら、私の方が重傷とは。これは怒られるかもしれない」


 リエサはミナの寝顔を見て頬を緩ませつつ、彼女を起こさないようにベッドから今度こそ起き上がろうとする。

 かなり痛むが、上半身が起きて、近くにあった水の入ったペットボトルを手に取った。

 キャップを開け、口に付ける。存外喉が乾いていたらしく、一気に水を飲み干した。


「思ったけど、これ多分ミナのだ。少し飲まれてたし、キャップも開けられてた⋯⋯まあ、いいか」


 間接キスを恥ずかしがるような間柄でも年齢でもない。


「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯あ」


 ミナが少し体を揺すったかと思えば、彼女はその時目を開けた。起き上がっているリエサを見た彼女は、今にも泣きそうな顔を浮かべて、両手を広げ、リエサに抱きついた


「リエサ! ⋯⋯よかった。心配したんだから⋯⋯生きてて、本当に⋯⋯うえぇ⋯⋯」


 リエサはミナに抱きつかれ、少し痛みを感じたが、何も言わなかった。むしろ抱き返したほどだ。


「ごめん。⋯⋯って泣いてるの?」


 ミナは大泣きしていた。リエサが無事目覚めたという安心から、彼女の感情が決壊したのだろう。


「当たり前じゃん! リエサ、ここに運ばれた時、死んでるかと思うくらい体温低いし、傷も酷いし、全く意識無いし⋯⋯お医者さんは生きてるって言ってたけど⋯⋯」


 ミナがここまで泣き喚くことは今までになかった。それくらい彼女を心配させたということで、リエサは多少なりとも罪悪感を覚えた。


「ああ⋯⋯うん。ごめん。本当に⋯⋯」


 リエサはミナにされるがままだ。


「入るぜー。リエサ起きた⋯⋯か⋯⋯?」


 扉を開けて入室してきたのはレオンだ。

 今回の作戦の後始末が一段落したことで、彼はリエサの御見舞に来たのである。


「お、おう⋯⋯元気そうでなにより。ちょっと間が悪いみたいだな⋯⋯」


 そして目の前で、ミナとリエサが抱き合って、ミナに至っては大泣きと、レオンからすれば気まずい雰囲気だった。


「⋯⋯⋯⋯」


 ミナは恥ずかしいところを見られたと、すぐさまリエサから離れ、近くにあった椅子に座る。

 そそくさとレオンは出ていこうとするが、


「大丈夫。ごめんね。心配かけさせた。⋯⋯私が気を失ってから、そのあとどうなったの?」


 リエサが引き留め、状況を聞いた。

 レオンは改め、リエサに現状の説明を行った。

 まず、エリヤ・アンデルセン、ロイ・ウィルソン、そして竜崎アキラは死亡が確認された。ルイズ・レーニー・ヴァンネルは逃亡。行方は掴めていない。ジョン・ドウ及びVellの若頭であるトーマス・ジェームズは病院で療養中。会話可能であり、今回の事件についての情報を聞き取った。

 Vellの組長は彼の自室にて眠っていた。それはジョン・ドウの能力によるものであり、能力解除と共に目覚めた。組長、若頭、若頭補佐の全員の話をまとめた資料は、現在イーライ、ユウカの二人が確認している。

 ジョン・ドウとの戦闘で昏睡したエドワードは問題なく目覚め、怪我も命に関わるものではない。

 しかし──アレンとライナーは重傷を負って、現在も目覚めていない。


「アレンさんとミュラーに何が?」


「一言で言えば、竜崎アキラの自爆に巻き込まれたんだ。まさか自殺をするとは⋯⋯予め体内に爆弾を仕掛けていたらしい。幸い、命に別状はないが」


「自死⋯⋯」


 そういえば、とミナはとあることを思い出す。

 エリヤ、ロイの二人も、死に際に自殺した。しかもそれは本人の意志によるものではなく、何者かに意図して殺されたようだった。

 イーライの超能力の影響下にあったにも関わらず、自死行為が成立したことから、それは能力由来のもの⋯⋯例えば精神操作系能力などではないと分かる。

 ミナはそのことを二人に伝えた。


「⋯⋯それは⋯⋯酷い話だな。敵とはいえ、同情もしたくなる」


 ミナたちは人を殺すために超能力を使っているわけではない。人を助けるために超能力を使うのだ。何も心を痛めずに、ましてや好き好んで殺しをしたいわけではない。


「その自死に何かトリガーがあるとすれば、おそらくは絶体絶命の状況に陥った時。情報の漏洩を防ぐ為に、死ぬ」


 リエサの言うとおり、状況的な証拠からその結論が導き出せる。確率は高い。

 ただ、財団関係者が全員そうなのかは、分からない。


「⋯⋯ねえ、それってなんとかして助けられないかな」


 ミナはふと、そう発言した。

 リエサは思わず笑ってしまった。無理難題をやろうとする愚かさを笑ったのではない。自分たちを殺そうとしてくる相手さえ、救おうとするその気概に。その、ヒーロー性に。


「さあ。私にも分からない。けれど⋯⋯あると信じよう」


「なにそれ。よく分からない言い方するね。リエサらしくないよ」


 二人は笑う。

 そしてレオンは蚊帳の外である気がして、乾いた笑いが出てきた。


 ◆◆◆


 RDC財団、機動部隊ベータ-2、『ババイの袋』のリーダー、ルイズ・レーニー・ヴァンネルは、先の一件で財団に呼び出された。

 そこに着くまでに、ルイズはあらゆる五感を封じられた。だからここがどこなのかもわからない。

 視界がなく、座っているのか、立っているのか、はたまた横になっているのかもわからない。

 ただ、聴覚だけがはっきりしている。


「ヴァンネル。先の任務、失敗に終わったな」


 男の老人の声がする。そこには感情が含まれていないように感じた。失敗を責めたいわけでも、失望したわけでも、そして勿論、慰めたいわけでもなさそうだ。


「はい。誠に申し訳ありませんでした。私の力不足です」


「ふむ。まあ良い。完成品でないものの、我々の計画が頓挫するわけではない。あとはこちらで調整できる」


「はっ。ご寛容なお心遣い、感謝申し上げます」


 少し沈黙する。

 ヴァンネルは、おおよそ現在の状況を把握している。おそらく、彼女の目の前にいるのは財団のトップ。総支配者。創設者だ。でなければ、五感が封じられることはない。

 彼らは、それだけ秘匿された存在であるのだから。


「まあでも、何の償いもなく赦すってわけにもいかないんだなー、これが」


 また別の声がした。女の子の声だった。

 財団のトップは、創設者たちだ。何十年も前から、財団を運営している。だから、全員老人であるはずだが、その声は若かった。

 理由は単純明快。彼らはただの人ではないからだ。


「ルイズ。君には一つ、任務を与える。そして君だけでそれをやるんだ。なぜなら、あの部隊は君を除き、解体したからね」


「⋯⋯⋯⋯」


「君以外は、その、ちょっと言い方悪いけど他より出来がいいだけだからね。それなら、消耗したほうが良いと、私が判断した。でも君は特別だよー? そう易易と手放せないからね、君」


 口調は軽いし、そこには本当に感情が、解体という名の処分をしたことへの謝罪の気持ちや、ルイズを特別に思う気持ちがあった。

 しかし、それと同時に、どこまでも冷酷で合理的な判断を下せるという精神性があった。感情がまるで二つ、独立してあるようだ。ルイズとは全く逆だ。


「話がずれている、ONE」


 女性の声がした。これで三人目だ。ルイズも、彼らがどれだけいるのかはわからない。


「数字で私を呼ばないでよー。私たちの仲じゃんか」


「自分たちだけであれば、だ。ここには彼女がいる」


「仕方ないなぁ、全くもう。じゃあ話を戻そっか」


 ONEと呼ばれた女の子は、ルイズに任務について話し始めた。

 それは想像を絶する内容だった。何せそれは、ルイズにとって、おそらくこれまで史上、最も難しい任務であったからだ。


「彼らは財団を裏切る。でも特に彼は、また別の意味で、なんだ。私たちがわかっていないと思っている今がチャンスってわけ」


「⋯⋯それは⋯⋯」


「できない? ならいいよ。他の人に頼むから」


 トーンも何も変わらない。しかし、ルイズはとてつもない威圧感を覚えた。絶対に、目の前にいるはずの少女は自分よりも弱い。この五感の封印を解けば、殺せると確信できるのに、なぜか、動けない。能力を封じれば、できると思えるのに、本能がそれを否定する。


「⋯⋯いえ、やります。やらせてください」


「そう? 嫌なら断ればいいのに」


 本心からそう思っているのだろう。そして、ルイズが仮に断ったとして、何も処罰は受けないだろう。少し、始末書を書くだけで済む。

 けれど、こればかりは他人に任せられない。


「じゃ、頼んだよ。君の魔術の師匠、空井リクの殺害を、ね」


 財団暗部組織、『革命家』に所属する空井リクの殺害。それがルイズに与えられた新たな任務である。

 その後、ルイズは開放された。彼女は自分の部屋に戻る最中、どのような方法で彼を殺すのかを考えた。


「はっきり言って、魔術の腕だと私よりも上。魔力による肉体強化も含めたら私と互角ってところね⋯⋯何より、私と彼じゃ相性が悪い」


 リクの魔力操作の精度は非常に高い。ルイズの『能力封殺』でも、彼から魔術を完全に奪うことはできないし、肉体強化に至っては軽度の弱体化が限度だろう。


「〈黄金の剣〉、〈黄金の都〉、〈黄金変換〉、〈重石障壁〉、〈鎂翼〉⋯⋯そして何より、〈黄金の影〉。警戒すべき魔術はこれくらいね」


 〈黄金の剣〉はその名の通り、黄金で作られた剣だ。射出したり、普通に剣として使うことができる。そして、これにより斬った対象を黄金化させることができる。魔力消費は少なく、同時にいくつも生成できる。

 〈黄金の都〉は術者を中心に周囲を黄金化させる魔術だ。抵抗自体は容易であるが、本領は無機物全ての黄金化と、それを操ることによる物量だ。欠点としては消費する魔力が著しく多いこと。

 〈黄金変換〉は都の接触発動型のようなものだ。接触した対象のみを黄金化させる。魔力消費も都とあまり変わらないものの、抵抗が難しく、接触した合計時間によっては格上さえも黄金化させる。対人特化の魔術だ。

 〈重石障壁〉は防御型の魔術だ。汎用魔術である〈一般防御魔術〉と比べて対物理に特化している。魔力消費も展開範囲も高水準だ。

 〈鎂翼〉は背中に翼を生やす魔術だ。当然、飛べる。機動力も高い。

 〈黄金の影〉は彼の切り札だ。術者と全く同じ能力を持つ分身体を作り出す。使える魔術は限られるものの、出力自体は同じであるため、厄介極まりない。ただ、分身体の魔術行使、その維持に必要な魔力は術者が消費しないといけない欠点がある。


「改めて思い出すと、私より遥かに強いわね、魔術師としては」


 少なくともルイズが知っているリクの魔術はこれくらいだ。おそらくもっとあるだろうが、考えてもわからない。

 だが、ひとつだけ言えることがある。

 〈能力封殺〉を持っているルイズが、リクとは相性が悪いというのは、それでは封じられない魔術が何より警戒すべきものであるからだ。

 〈黄金の剣〉、〈黄金の都〉、〈黄金変換〉、そして二種の汎用魔術、及び魔力による肉体強化。

 確かに他の魔術も厄介だが、これらほどではない。


「魔術において、単純な術式は単純な効果だけれど、それだけ出力が高く、そして術者本人の実力が反映されるもの。高レベルな魔術より低レベルな魔術の方が強いなんてこともザラにある⋯⋯」


 勿論例外も居るにはいる。例えば最強の魔術師なる人物の魔術は、ルイズの完全上位互換ともいえるものであり、そしてルイズのそれより遥かに複雑な術式で行使している。

 ただ、リクはそういう例外ではない。むしろ誰でも使えるようなレベルの術式がメインウエポンで、難度の高い術式はサポート、自己強化よりになっている。


「だから能力封じてそのまま近接はしたくない。それするくらいなら、私も超能力、魔術を使ったほうがいいわね」


 ある程度の方針は固まった。

 ルイズの超能力者としての肉体能力を、魔力強化すれば、リクを上回ることができる。

 時間を加速させられるルイズの魔術であれば、十分勝機はある。


「魔術に切り替えしないと魔力強化できないってのがネックよね⋯⋯」


 ルイズが魔術を使えるのは、彼女本来の超能力によるものだ。切り替えれば、当然コピーした魔術は使えない。

 ──否、使


「⋯⋯そうか。私がコピーしたのは、あくまでも『時間加速』という魔力」


 魔力というものは、あらゆる生き物に備えられたエネルギーだ。ルイズにも、その辺の一般人にさえ、量に差はあれど魔力自体はある。

 そして、魔力強化とは魔術の一種ではない。魔力操作の類である。

 魔力をコピーしたことで魔力操作の技術も得た。そしてそれは切り替えなくても扱えるはずの感覚だ。

 これならば、魔力強化を、超能力使用中に使えるし、何より汎用魔術だけならば扱える。


「どうしてもっと早くから気がつけなかったのかしら。⋯⋯いや、気にすべき点は違うわね。⋯⋯どうして、空井は私にこれを教えなかったのか⋯⋯。ふふ⋯⋯」


 空井リクが裏切り者である理由。その裏付けになるかもしれない。尤も、財団のトップたちが既にそう判断しているのだから、この裏付けには意味がないが。


「彼はこのことを知っていた。けれど、私に教えなかったのは、ただ単にこうなることを恐れたから。そりゃそうよね。リスクは減らすべき。自分を殺すことになるかもしれない相手に、全部教えるわけがない。魔力が使える超能力者なんて、私だって相手にしたくないもの」


 更に強くなれるかもしれない。

 ルイズは、頬が緩んだ。魔術の師匠を殺すことができるかもしれないと思って。

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