第33話 発見

 学園都市、某図書館の自習室。八時から二十二時まで開かれているこの自習室は、日々、多くの学生たちが利用する。

 特に定期テストが近くなった現在、利用者数は多くなっていた。けれど、自習室が閉まる間際まで残っている学生は少なかった。

 席はそれぞれバインダーで隔てられている。机は十分なくらい広く、ノートと教科書、文房具を置いてもまだ余りある。

 時刻二十二時前、そこで定期テストに向けて勉強をしていたバルバラ・コーエンは、勉強用具をバックに片付け、寮に戻ろうとしていた。


「⋯⋯ふう。疲れた」


 テストは休み明けから始まる。つまりは二日後からだ。

 バルバラは全く勉強せずにテストで点が取れる人間ではない。しっかりと勉強する必要がある。


「明日で復習は終わらせて⋯⋯今日より早く帰ろう。じゃないと、テストに差し支えるし」


 などと明日の予定を考えつつ、バルバラは図書館から出ていく。

 当然、寮での晩御飯はない。外出届は出しているが、御飯を置いてくれているわけではない。そのため、バルバラはコンビニに立ち寄り、弁当を買うため、少し寄り道をした。


「お腹空いたし、ちょーっとくらいいいよねー」


 購入したのは唐揚げ弁当だ。マヨネーズ付きである。見ただけで分かるほどの高カロリー食品である。

 近頃はダイエットであまり食べられていなかった。いつもより長く勉強した今日くらいは良いだろうと思い、それを買ったのである。

 バルバラは上機嫌気味に寮に帰る。

 辺りは真っ暗というほどではない。ビルの明かりや街頭がいくつもあり、さして昼間と変わりない。

 しかしそれは表通りや主要道路のみ。そこから離れれば、途端に暗闇に包まれる。


「⋯⋯ん?」


 人通りも車通りも少なくなったため、辺りは静寂に満ちていた。だからこそ、微かな音もよく聞こえた。

 声、ではなかった。何かが衝突するような音。

 不審がって、バルバラは音の鳴る方へ歩いて向かった。

 そこは路地裏だった。そして近づくにつれて、音は大きく、はっきりとしていく。既にバルバラは嫌な気配を確信していた。

 なぜなら、血の匂いがしたからだ。


「⋯⋯⋯⋯」


 目前の壁の先に、居る。バルバラは一般人で、殺意だとか覇気だとか、そんなものは感じられないが、これは別だ。明らかだ。

 息を殺し、バルバラはゆっくりと壁の向こうを見た。

 ──そこには、死体があった。


「────」


 頭が破裂し、膝から崩れ落ちたのだろう。どう見ても即死だ。生きているかもしれないという希望は、微塵もない。

 体の血が全て抜けたのかと思うくらいの血溜まりが出来上がっており、胃酸が逆流してくるほどの悪臭がした。


「⋯⋯⋯⋯」


 その死体の隣には、一人の黒髪の少年が立っていた。平然と立っていた。おそらく彼がやったものなのに、彼には一滴たりとも返り血が飛びついていない。それどころか、血溜まりの中心に彼はいるというのに、血を弾いている様子が伺える。

 逃げなくては。

 バルバラはそう思った。全力で走って逃げる愚かな選択はしなかった。恐怖を必死に抑えつつも、ゆっくり、ゆっくり、音を立てずにその場を離れようとした。


「おい。そこに誰かいるだろ」


 少年は声を上げた。低音というわけでも、高音というわけでもない。しかし、どういうわけか、威圧感がある。まるで獣に威嚇でもされたかのような恐怖を感じた。

 思わず、バルバラは止まってしまった。動けなくなった。足がビクビクしている。


「答えずともわかってるがァ⋯⋯なッ!」


 瞬間、バルバラが隠れていた壁が砕かれる。衝撃に彼女は尻餅をついた。腰が抜けた。立ち上がれない。動けない。殺される。


「どうしてここに立ち入られたのかはわからねェが⋯⋯何であれ、見られたことには変わらねェ。消してやるから逃げるなよ」


 少年は歩いて、バルバラに向かってくる。そして右手で彼女の頭を掴んだ。

 あの死体と同じように、頭を破裂させられるのだろうか。

 死にたくない。死への恐怖が限界を突破し、涙が流れる。目を閉じて、これが夢であることを願う。

 そして──


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 気がつけば、大通りにいた。


「⋯⋯え」


「よかった。大丈夫みたいかな?」


 バルバラはいつの間にか、あの場から移動していたようだ。目の前にいるのも、あの少年ではなかった。灰色の長い髪を持ち、白や黄色を基調としたゴシック調の制服を着ている。まるで人形のような風貌の美少女だ。


「あなた⋯⋯は⋯⋯。私、何が起こって⋯⋯」


 心臓の鼓動が収まらない。脳裏に焼き付けられたあの光景は、本物であった証拠だ。

 しかし、今は人通りが比較的ある主要道路に居る。


「話しながら話すね。ついてきて」


「は、はい」


 バルバラは少女のあとをついて行きつつ、彼女から事情を聞いた。その間、バルバラは頻繁に後ろを確認していた。


「奴も人通りのあるところでは襲ってこない。というか、多分もう大丈夫だと思う。ところでどこまで話したっけ?」


「えーっと⋯⋯あなた⋯⋯ルナさんは、あの男の人が、ルナさんの仲間を殺すのを止めるために走り回っている、というところまでです」


「わかった。⋯⋯まあ、そういうわけなの。奴の狙いはあくまで私と、私の仲間。お姉ちゃんみたいな一般人は積極的に殺そうとはしない。ただ、見られた場合は違う」


「⋯⋯⋯⋯」


「とにかく今のあなたは一人になったらいけない。これから私の仲間のところに連れて行くから、そこで保護するわ」


 ルナたちはいつの間にか、また異なる路地裏に入っていた。しかし長い間、そこを歩くということはなく、すぐに目的地に到着したようだ。

 目の前にあった扉。隠れた喫茶店を思わせる雰囲気だ。ルナは扉を開いた。

 中は本当に喫茶店であった。が、ただしくは喫茶店を模したアジトと言うべきだ。何人かの人たちが椅子に座ったりしていた。


「無事か?」


 中でも老齢な、金髪の男は、ルナに話しかけた。


「ごめん。駄目だった。この子は巻き込まれた人。しばらく保護していてほしい」


 たった一言だったが、彼らは何度も繰り返した質疑応答で、その多くにおいて、同じ返答をしている。


「わかった。お嬢ちゃん、大丈夫か? 怪我とかはしていないか?」


「はい⋯⋯大丈夫です。⋯⋯その、話を聞いてもいいですか? あの男の人はなんだったのか、何を目的に⋯⋯殺しなんてしているのか」


 バルバラの質問があまりにも予想外だったようで、老人は少し驚いた様子を見せた。そして少し笑みを零した。


「お嬢ちゃんは、その、優しいな。こんな状況で、まず聞くことがそれとは。普通、自分の身の安全とかだろうに。強いな」


「そう、ですか?」


「ああ。⋯⋯しかし、それは答えられない質問だ。これを話せば、お嬢ちゃんは後戻りできない」


「⋯⋯⋯⋯」


 おそらくだが、この老人は本当にそう思って言っている。はぐらかそうだとかはしていない。心配の気持ちは本物だ。


「⋯⋯そうだとしても」


 バルバラは一般人だ。彼女は所詮、レベル1だ。非能力者とほとんど変わらない人間で、無力かもしれない。

 それでも、見過ごせない。誰でもない、自分自身が許容できない。


「人が殺されているのを、知らなかったことになんてできません。私には何もできないかもしれない。足手まといかもしれないけど⋯⋯」


 バルバラは思っていることを、何とか言葉にした。邪魔でしかないかもしれない。そんなことは頭で分かっている。

 でも思わず、言ってしまった。


「⋯⋯⋯⋯参ったな」


 老人はそう呟くと、彼は自分の名前を話した。


「私は⋯⋯RDC財団、人工生命⋯⋯いや、人造人間プロジェクトの研究員、ジェイク・バトラーだ」


「財団職員⋯⋯」


「ああ。『元』とつくがね。⋯⋯今はただの老人だ」


 それから、ジェイクは自分たちの現状、そして財団で何があったのかを話し始めた。

 ジェイク・バトラーは、財団で秘匿されている研究、『人造人間製造計画プロジェクト・ホムンクルス』に関わる研究者の一人だった。彼は生命学に優れていたから、抜擢された。

 生命の創造という、あらゆる生き物への冒涜的とも取れる研究であったが、その必要性はあった。何より、彼らが作るのは精子と卵子から成る生き物ではない。人工知能AIの延長線──ロボットに近いもののはずだった。

 そしてその目的も、対犯罪能力者のため。絶対の反能力者レベル0の製造。もしくは超能力を抑制する能力者の製作だ。


「しかし⋯⋯それは全て偽りだった」


 レベル0の定義とは、『能力因子を持たない、高度の現実強度を持つ者』。現実強度だけであれば、レベル5や6に匹敵、あるいは超えかねない者。あくまで、超能力⋯⋯現実改変が能動的に行えないだけで、自らの現実の歪みを修正する者だ。

 逆に言えば、能力因子を付与すれば、それは最高クラスの超能力者となり得る。


「プロジェクト・ホムンクルスの真の目的は、レベル6の増産だ。能力因子を持たない人間であれば、現実強度が高くなる特性を利用した実験」


 最初からレベル0として製造した人造人間。現実強度はレベル6を凌駕していた。もしそこに、能力因子を加えたらどうなるだろうか。


「⋯⋯レベル0の現実強度が高くなるのは、本来あるべき機能が喪失したための特性。異種感覚間可塑性と同じだ。目が見えなくなったら、耳が良くなるように、能力因子が無いから、現実強度が高まっていた。能力因子を加えれば、それらは不必要なものとして排斥される。いや、された」


 実験の結果としては、失敗に終わった。

 能力因子を加えられたら、現実強度が低下する者。あるいは、能力因子を拒絶する者。それが人工的な能力因子であったためか、そういうものなのか。


「ただ、研究成果はあったようだ。因子を受容したホムンクルスは、推定レベル5.5。レベル6ではないものの、それに近しいものだ。⋯⋯そしてこれが、財団が抱えていたもう一つの実験に利用されることになった」


「もう一つの、実験⋯⋯?」


 ただでさえ騙されて──否、この時点では、それは知らされていなかった。レベル0だけでなく、レベル5、6を作るだった。

 裏切られたのは、それからだ。


「ああ。⋯⋯ホムンクルスは、人造人間だ。肉を持たず、AIを脳代わりにモノ。だが、財団が指定したのは既存の人の脳そのもの。言ってしまえば、文字通りの人工知能を作ることになった」


「それってつまり」


「確かにそれは生まれたものではない。造られたものだ。けれど、それはまごうことなき人間そのもの。正しく人造人間⋯⋯」


 ジェイクは、財団の言いなりになるしかなかった。財団は残酷ではないが冷酷だ。そして、また、悪でもない。行うことを正義とも思っていないが、正しいと思っている。

 だから、必要なら、ジェイクは処分対象となる。記憶が消去されるだけなら、まだ良かっただろう。最早研究に関わった時点で、口外禁止だ。例え消された記憶だろうと、復元されないとは限らない。


「ホムンクルスは人間で、レベル5.5の超能力者」


「⋯⋯⋯⋯それが、あの⋯⋯」


 ジェイクは、息をのむ。今でさえ、それを疑っている、といった風だ。ただ、分かっている。


「──超位能力者オーバーレベル。レベル7.0。現実ではなく、世界そのものを改変する超能力者を生み出す計画」


 その計画名は──超位能力者化オーバーレベルシフト計画。


「通称、O.L.S.計画。人にして人ならざる域に手を掛けようとする計画だ。その概要は、レベル5以上の人間の超能力者を二万人以上殺害すること。重要なのは、レベル5以上であること、そして、殺害対象が人間であること。ホムンクルスは、その二つの条件に当てはまっていた」


 財団はホムンクルスを生贄として選び、量産体制を整え、殺し続けることを計画した。それこそがO.L.S.計画の全容であり、ジェイクたちが阻止しようとしているもの。

 彼らは、殺されるために造ったものではないのだ。


「⋯⋯あの男の人は、じゃあ、何なんですか」


「アンノウン。⋯⋯君には、学園都市の第一位、と言ったほうがわかりやすいかな。財団が知る限り、最もオーバーレベルに近い超能力者で、そこに至る可能性を秘めた男だ」


「第一位能力者⋯⋯!?」


 学園都市、八人のレベル6の頂点。序列第一位の超能力者、その名は、アンノウン。

 本名、素性、そして容姿が不明だった。しかし、彼がアンノウンと呼ばれているのは、彼の名前が分からないから、ではない。

 彼は、彼の超能力名、『不解概念アンノウン』で呼ばれているのだ。


「奴は、文字通りの最強だ。我々が総力を上げても、傷一つ付けられなかった。奴の能力は、無敵だ」


「どんな能力なんですか?」


「⋯⋯簡単に言えば、あらゆるものを消し去る超能力。だが、白石ユウカの『破壊』とは違う。厳密には消えていない。何ものからも干渉できない状態とする超能力だ」


 触れることも、視認することも、どんな方法であれ、消し去られたそれに干渉、観測することはできない。だから、消滅。けれど、完全に消えたわけではない。


「唯一、アンノウンだけがそれに干渉できる。ただ、それは一度消滅した時点で何物でもなくなっている。アンノウンはそれを再出現させる時に、自由な解釈を与えることができる」


「自由な解釈を与える?」


「言い換えれば、作り変える。そこらの石を消滅させて、再出現させる時に、それは人間であるという解釈を与えれば、人一人を作り出すことも可能だ。質も量も、何もかもが自由自在。何でもありの超能力だ」


 能力因子の性能。それを最大限発揮する最高強度の現実。何をとっても、最強の超能力者だろう。

 能力の発動条件が触れることであり、遠隔発動できないことが欠点ではあるが、些細な差だ。


「奴は、その超能力を防御にも使っている。どうやら自分自身に解釈を与えることはできないようだが、常にバリアのように、能力を影響させる膜のようなものを彼は纏っている。自然に組み立てられたフィルター⋯⋯有害か無害かを判別し、有害であれば消滅させる防御機構だ」


「⋯⋯⋯⋯」


 触れられたら抵抗できずに消滅する。

 消滅したものに自由な解釈を与え、ありえない現象でも引き起こせる。

 そして、どんな攻撃も通さないバリアを常時起動している。

 最強の超能力者ということは、身体能力も並の超能力者を凌駕する。おそらく、それだけでも大抵の能力者が敵わない。

 付け入る隙がない、無敵の超能力者だろう。


「⋯⋯私たちは、殺されるかもしれないホムンクルスを助け続けるしかない。しかし、一度も助けられたことはなく、財団は時間さえあれば何人でも生み出すことができる。⋯⋯私たちには、抗うことしかできない。妨げることしか。⋯⋯阻止することは、できない」


 ジェイクは俯く。己の無力さに失望しているのだ。ただの先回しにもなっていない現状に。


「⋯⋯いや、ありますよ。アンノウンをどうにかする必要はありません。それなら、ホムンクルスを生み出すのを止めればいい」


「⋯⋯だがそうするには財団に忍び込む必要が⋯⋯私たちには、それをする力が⋯⋯」


 バルバラが考えることなんて、ジェイクはとっくの前に思いついていた。でもできない。財団の防犯システムの強固さは、元財団職員であった彼だからこそ、突破は不可能だと理解できてしまった。


「なら、助けてもらえばいいんです。財団にも学園都市にも関係なくて、人を助ける人たちに」


「それは⋯⋯? そんな、人たちが居るのか?」


「はい。⋯⋯私の、友だちです」

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