第59話 意外と献身的?
「とにかく、その席を俺に渡せ! 元々その席は俺のものだ!」
依然、伯爵子息の男性はぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける。徐々に周りから冷ややかな視線をもらっていることに気付いていないのだろうか? 護衛の男性もおろおろと困惑していた。
対するノルン姉さんは、どこまでも涼しい表情で料理を食べる。その手が止まらないため、とうとう伯爵子息は怒りの頂点を超えた。
わなわなと震える手を持ち上げ、——ガシャンッ!
右手でテーブルに並べられた料理を吹き飛ばした。多少はオーラが使えるのか、あっさりと皿が散らばる。
「…………」
サァァァァッ。
俺の中で血の気が引く。
さすがにそこまで乱暴な真似はしないだろうと思っていたが、目の前の伯爵子息は想像以上にこらえ性のないガキだった。
いくらノルン姉さんのことを知らなくても、他の貴族が集まるこの店の中で暴力に訴えかけてくるとは。
周りのひそひそ声が止む。完全に店内を沈黙が満たしていた。ノルン姉さんも無言で手にしたフォークやナイフをテーブルの上に置く。
内心、俺はドキドキしていた。
下手するとノルン姉さんが目の前の伯爵子息を殺す。彼女からしたら、まともにオーラも使えない雑魚などオーラを使わずとも殺せる。
だがさすがにそれはまずい。
相手は曲がりなりにも伯爵家の嫡男。俺たちが公爵家筆頭だろうと問題になる。
問題になったところでサルバトーレ公爵家が負けるはずもないが、俺としては面倒事は避けたかった。
相手がレアなアイテムをくれるというなら喜んで潰すが、倒したところでメリットがないのでは意味がない。むしろ時間を取られるだけ無意味だ。
仕方ないので俺のほうから姉さんを止めようと口を開く。その直前。
「————」
ジッと、ノルン姉さんが伯爵子息を見つめた。
金髪の男がノルン姉さんの美しさに見惚れる間もなく、
「が、ぐっ⁉」
突然、口から泡を吹いて倒れた。
誰もが衝撃を受ける。俺以外の全員が目を見開いていた。
なんてことはない。今のはノルン姉さんが伯爵子息に殺気をぶつけただけだ。本気で殺そうかと思ったのかもしれないが、その殺意だけで伯爵子息は意識を刈り取られてしまった。
ある意味運がいい。姉さんはその様子を見送って近くにいた店員に声をかける。
「あなた、新しい料理を持ってきてくださらない?」
「え? あ、はい……」
ノルン姉さんが殺気を向けた相手は伯爵子息だけだったが、その余波は周りにも広がっていた。
ピンポイントゆえに、素人ゆえに周りの人間まで被害は受けなかったが、それでも迫力はあった。店員の女性は足を震わせながらもどうにかキッチンのほうへと向かっていく。
対する伯爵子息の護衛の騎士は、顔から滝のように汗を流して、それでも伯爵子息の体を担いでその場から退散していった。
その行動力に敬意を表する。あえて俺は何も言わなかった。
「まったく……これだから王都は嫌いなんです。有象無象が我々に声をかけるだけでも不敬だと、なぜ分からないのか……」
「みんなサルバトーレ公爵家の名前は知っていても、大半が領地に引き篭もっていたり、他の土地で仕事をしてるからね。しょうがないさ」
「いっそ、邪魔な貴族を血祭にでもあげてしまいましょうか? そうすれば面倒な輩は消えますよ。物理的にも」
「当主に怒られるよ」
「……やはり先にあの男を殺すほうが先決ですね」
「今の姉さんに勝てるの?」
「五分五分かと。全力を出せばチャンスはあります。いくらあの男が強いと言っても、所詮は老骨。わたくしが勝てない道理はありません」
自信満々にノルン姉さんはそう断言した。
事実、彼女の才能はルキウスを超えている。俺よりやや低いくらいで、本当に正面からぶつかったら当主にすら剣が届くかもしれない。
だが、確実に勝てる見込みがないのでまだ戦っていない。原作だと二人がぶつかる前にいろいろ問題が起きてうやむやになっていたが、この世界だとどうなるんだろうな。
せめて俺がルキウスに挑むまでは仲良くしてほしいな。せっかくの手練れを一人失うのは惜しい。
「じゃあ戦わないほうがいいね。俺はまだまだ姉さんに教わりたいことがあるんだ」
「ルカ……ふふ、そこまでわたくしのことが好きなら仕方ありませんね。あの老いぼれの首はルカに差し上げましょう」
「いいの?」
「もちろんです。わたくしは二番手でいい。ただルカに逆らう愚か者を殺せればそれでいいんです。ええ、それで」
スッとノルン姉さんの目付きが鋭くなった。
俺は少しだけ冷や汗をかく。
さすがノルン姉さん。ただ笑うだけでも美しく、恐ろしい人だ。
この人が早くに俺の下に姿を現したということは……きっと、コロシアムに参加する俺の面倒を見てくれるのだろう。
久しぶりに、彼女と訓練ができる。そのことに喜びを見出しながら、再び運ばれてきた料理を食べる。
……ああ、うん。ちゃんとノルン姉さんに『はいあーん』されたよ。そして俺もした。
ノルン姉さんがやたら幸せそうな顔で喜ぶものだから断れなかった。
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