第53話 姉からの挑戦状

「の、ノルン姉さん? なんで学院に……」


 いきなり訓練場に現れた彼女を見て、俺は驚愕する。


 本来、ノルン姉さんは北方の領地を守護する騎士だ。去年はドラゴンを始めとする最果ての地より現れた凶悪な魔物たちを殲滅し、皆殺しのノルンと呼ばれるほどの活躍を見せた。


 普通に考えてサルバトーレ公爵——ルキウスが彼女を遊ばせるとは思えない。どうやってここに来たんだ……。


 脳裏を駆け巡る様々な疑問をよそに、彼女は俺のすぐ目の前まで歩みを進めた。


「ああ、久しぶりに見るルカの顔。すっかり逞しくなりましたね」


「むぐっ」


 問答無用で抱き締められる。


 彼女は外見こそ恐ろしいほどの美人にしか見えないが、今も俺の体をホールドする腕力は、俺が全力を出してもぴくりともしないほどだった。


 凄いな。まるで巨大なドラゴンにでも押さえつけられているようだ。


「姉さん……苦しい」


「おっと。申し訳ありません。わたくしとしたことが、ルカに会えて舞い上がってしまいました」


 俺がぽんぽんと彼女の腕を数回タップすると、思いの外あっさりと姉さんは手を離してくれた。


 骨が折られるかと思った。相変わらず馬鹿みたいな身体能力をしている。


「これはこれは、サルバトーレ公爵家のノルン様じゃないですかー」


「あなたは……確かゼーハバルトの皇女様」


「コルネリアです。こうして顔を合わせるのは久しぶりですね」


 俺の背後に立ったコルネリアが、魔王然としたノルン姉さんに挨拶する。


 不思議とノルン姉さんのまとう覇気が増した気がする。おまけに、コルネリアはノルン姉さんのことを敬称を付けて呼んだ。片やノルン姉さんはぞんざいな口調で答える。


 これはサルバトーレ公爵家が大昔から皇族を、帝国を支えてきた功績によるもの。父ルキウスは、名高き皇帝に意見する権利を有しているほどだ。


 その娘にして、ルキウスを除く現公爵家最強の剣士であるノルン姉さんは、父に等しい権力と畏敬の念を集める。


 それだけノルン姉さんは結果を出してきた。皇族が無礼な態度を取れないくらいには。


 もちろん権力はコルネリアのほうが上だ。ノルン姉さんが敬称を付けていることからもそれが分かる。


 しかし、天才ともてはやされたコルネリアですら一目置く、敬うほどの人物なのだと今更ながら再確認した。


「皇女様方はここでルカと何を?」


「訓練です。日々、切磋琢磨しているんですよ」


「ルカとあなた方が?」


 じろりとノルン姉さんの視線がコルネリア以外のメンバーに向けられる。


 その瞬間、コルネリア以外の二人がびくりと肩を震わせた。額から大量の汗を流している。


 やれやれと俺は彼女に声をかけた。


「俺の友人たちを威圧するのはやめてほしいね。緊張してるじゃないか、ノルン姉さん」


「むっ。わたくしはただちょっと見ていただけです。心外です!」


「えぇ……」


 先ほどの剣呑な眼差しは決して見つめていただけじゃない。どちらかと言うと睨んでいた、だ。


 反省の色を見せない彼女に、サルバトーレ公爵家の血筋を感じる。


「それより、ルカに選ばれた才能をわたくしも見ておきたいですわ」


「ん? どういう意味?」




「ルカ以外の三人とわたくし一人。戦いましょうか」




「は?」


 嘘だろ、と内心で呟く。だが、ノルン姉さんの顔は本気だった。


「待って待って。さすがにノルン姉さんに勝てるわけないだろ」


「分かりませんよ。あのルカが選んだ才能なんでしょう? 少しはわたくしを楽しませてくれますよね?」


「あはは! おもしろーい。私はやるよ。ノルン様と戦える機会なんてそうそうないもん!」


「落ち着けコルネリア。俺に勝てないお前がノルン姉さんに勝てるわけないだろ」


「ルカこそ落ち着きなよ。強くなるためには強者との戦闘は欠かせない。いつも言ってるじゃん、ルカが」


「それはそうだが……」


 俺だってノルン姉さんと戦うのは好きだった。けど、それとこれとは話が違う。


 彼女の目を見ろ。マジの目だ。例えノルン姉さんが手加減したとしても、彼女たちが即死する可能性もある。それだけ彼女は強い。


 俺相手なら死なないよう手加減してくれるが、コルネリアたちまでそうである保証はない。


 あの人は、やるときは皇族が相手だろうと関係ない。時に自らの感情を優先する。




「わ、私もやるわ! ここで退くのはプライドが許さない!」


「ルシア」


「私も。二人がやるなら逃げられない」


「シェイラまで……」


 どうやら三人に俺の言葉は届かないらしい。


 個人的にはやめてほしいが、彼女たちの成長に繋がるのは事実だ。あくまで、ノルン姉さんが相当手加減した場合にかぎるが。


 俺は強者と戦うのは大好きだが、勝てないレベルの相手と戦うのは嫌いだ。


 なぜなら、死んだら何も得られないから。これまで培ってきた全てが無意味になるから。


 ゆえに、死だけは避けねばならない。


 笑みを浮かべたノルン姉さんに視線を向け、一応、釘を刺しておく。


「姉さん……くれぐれもみんなを殺さないでくれよ」


「ええ、分かっていますわ。いくらわたくしでも堂々と皇族に喧嘩は売りません。やるなら、皇族全員を皆殺しにします」


 おい。


 やっぱり不安になった。

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