第28話 隷属の契約

 兄イラリオが召喚した最高位悪魔アスタロトが小さく笑う。

 腕を斬られ、祈祷による攻撃を受けても尚、彼女には余裕があった。


 否。


 それを余裕と表現するのかは知らない。ただ、やけに不気味な雰囲気を感じる。


 剣を肩で担いだまま、油断なく俺は彼女を見つめた。

 すると、ややあってアスタロトが顔を上げる。薄紫色の瞳が、怪しく暗闇で輝いていた。


「例え本調子でなくとも、私には解ります。アナタには恐ろしいほどの才能がある。私を呼び出したボンクラとは違いますね」

「高評価をありがとう。まだ元気そうだし、もう少しだけ殴っておくか」


 再び剣身に祈祷をまとわせる。

 それを見たアスタロトが、口端を持ち上げて言った。


「お待ちください。刃を振るう前に私から提案があります」

「提案?」


「はい。アナタのほうがそちらの凡愚より遥かに優れている。せっかくの機会ですし、私と——契約しませんか?」


 スッと差し出されたのは、アスタロトの白く滑らかな右手。

 微笑みを携え、彼女は悪魔らしい逃げの選択肢を取った。

 それに対して俺は、にやりと笑って答える。


「お断りだ」


「……え?」


 あっけに取られる悪魔。

 まさか断られるとは思ってもいなかったのだろう。

 目を見開くアスタロトに、俺は床を蹴って肉薄する。

 祈祷をまとったままの剣でアスタロトのもう片方の腕も斬り裂いた。


「きゃああああ! ど、どうして⁉ 私と契約すればアナタにもメリットが……」

「どうせ自分に有利な契約でも仕掛けてくる気だろ? 交渉なんざめんどくせぇ。お前をボコって隷属させたほうが楽だ」

「れ、隷属⁉」


 悪魔との契約方法は大まかに二つある。


 一つはリリスと交わした対等な条件。双方が認めた場合にのみ成立する一般的な契約だ。

 そしてもう一つは、力で相手を捻じ伏せ、無理やりこちらの条件を呑ませる隷属契約。


 隷属の場合、ほぼ一方的に悪魔は使役される。主人である俺には逆らえない。


 悪魔なんて生き物、隷属くらいでしか信用できないからな。ずっと前から俺はそれを狙っていた。

 今回、イラリオという枷をはめられた最高位悪魔が目の前にいる。このチャンスを逃す手はなかった。


「私がアナタの条件を呑むとでも? 殺されれば勝手に元の世界へ戻れますよ」

「そうだな。それくらいは知ってるさ。けど、あくまでお前が死んだ場合だろ?」

「な、何を……」

「殺さないままじわりじわりと甚振ってやる。ついでに、悪魔はどうやったら効率的に傷付けられるのか、その検証も兼ねてな」


 ククク。一石何鳥の話だよ。ウマすぎて笑いが止まらん。


 徐々に距離を詰める俺を見て、アスタロトの肩がびくりと大きく震える。

 気のせいかちょっと顔が青いな。悪魔も恐怖を抱くのか。


「す、少しだけ条件を妥協しますから……」

「はい、まず一撃」


 薄皮を切り裂くように彼女の顔を剣で撫でる。

 剣身には相変わらず祈祷——神力が混ざっていた。彼女には猛毒に等しい。


「いッッ⁉」


 かすり傷程度のダメージでも、彼女は表情を歪めた。

 どんどん恐怖の色合いが強くなる。


「さあさあ、隷属しろよ。祈祷に触れると苦しいぞ?」


 剣を持っていないほうの手、左手にも祈祷をまとう。

 その手で彼女に触れると、肉が焼けるような音が聞こえた。

 同時に、アスタロトは叫ぶ。


「いやああああ⁉ あ、脚が……焼ける……ッ!」

「下からじっくりと。時間はあるから安心してくれ。心が折れても俺は続けてあげる」


 じりじりと迫る。アスタロトはもう限界だった。

 これから待ち受けている痛みと苦しみに耐えきれない。


 元から悪魔は本能に忠実だ。欲望だけじゃない。痛みや苦しみにも敏感で弱い。

 だから過剰に恐怖心を刺激すれば簡単に落ちると思っていた。


 俺の左手が伸びて、彼女の腹部に触れる直前——。




「わ、解りました! 隷属の契約を結びます!」




 アスタロトの叫びが部屋中に響いた。

 俺の動きが止まる。

 背後ではイラリオが、


「ぼ、僕の呼び出した悪魔……じゃないのか?」


 と悲痛な声を漏らしている。


 残念ながら彼女は俺のものだ。最初から身の丈にあっていない召喚なんてするからこうなる。


「じゃあ早速契約だ。お前は俺の全てに従え」

「畏まりました」


 ボロボロの状態でアスタロトは傅いた。


 俺は彼女に触れ、契約を結ぶ。


 制約はなし。一方的に俺の命令に従うこと。これが定めたルールだ。

 一時的にイラリオと繋がっていたアスタロトの呪力が、今度は俺と繋がる。

 これで完全に彼女は俺のものとなった。


 契約をし直したことで自らの体を再構築。無傷の状態に戻る。


「これがアナタ様の呪力……素晴らしい」


 アスタロトは自らの体を確かめる。俺の目から見ても、アスタロトの呪力総量が跳ね上がっていた。


 イラリオと俺じゃ完全に規格が違いすぎる。

 おそらくもう一度戦えば俺は彼女に勝てないかもしれない。そう思えるくらいには変わった。


「これからよろしくな、アスタロト」

「はい。よろしくお願いします。えっと……お名前は?」

「ルカだ」

「ルカ様ですね。ふふ。誰かに支配される喜びというものに目覚めてしまいそうです」


 隷属契約を交わしてしまった後だからか、意外にもアスタロトは開き直っていた。

 妖艶な笑みを浮かべ、自分の体を抱き締める。




「あぁ……願わくば、ルカ様には今後も私の躾をお願いしたいですね」




「は?」


 コイツ、急になに言ってんだ?


「実は先ほどの拷問、痛くて痛くて苦しくて……でも、それが終わると思うと……なぜか悲しいのです。きっと契約を果たした影響でしょうね。隷属による縛りが、アナタ様を求めてしょうがない」

「マジかよ」


 隷属契約にそんな欠点があったとは思わなかった。

 たぶん、元から素質があったんだろうな。俺という強者と出会い、普段はありえない一方的な痛みを味わい、隷属したことで覚醒した。




 ドン引きするレベルのマゾヒズムに。




「契約したのは間違いだったか?」


 とんだ変態が生まれたものだ。


「あぁん! そんなつれないことを言わないでください。興奮します」

「無敵かよ」


 まさか隷属契約すると契約主に好意を抱くように設定されていたとは……。

 彼女の場合はさらに半周回っておかしくなった。主に頭が。


 腕から血を流しながら項垂れるイラリオ。

 興奮しながら体をくねくねするアスタロト。

 真上で呆れたため息を漏らすリリス。


 そんな意味不明な連中に挟まれて、俺は早くもげっそりしてしまった。


 しかし、アスタロトと契約したことで俺の呪力総量はさらに跳ねた。

 今の状態で呪詛を使えば、格下なら問題無用で殺せそうな気がする。


 いっそイラリオで試すか?

 なんてな。


———————————

悪魔をボコって奪う展開が、悪魔が登場する前から予想されてて戦慄しました!

読者様のエスパーっぷりには脱帽!

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