第9話 ルカの狂気

 熊の魔物と戦闘を始める。

 俺が近づくと、耳聡く魔物はこちらを向いた。

 ギラギラ輝く赤い瞳が、細く鋭く俺を睨む。


「グルルルッ……グルアッ!」


 口元にべったりと付いた血を拭うこともせず、熊の魔物は地面を蹴った。

 まっすぐこちらに突っ込んでくる。


「獣だな、外見どおり」


 口を開け、凶悪な牙で俺の体を噛み砕こうとする。

 スピードにものを言わせた攻撃だ。サッと横に避ける。


 ガラ空きの胴体に剣を叩き込んだ。


「むっ」


 俺の剣は熊の体を断ち斬ることができなかった。

 わずかに皮膚を斬り裂いて血が流れる。


「グアアア!」


 魔物が痛みに叫ぶ。

 次いで、右前脚を振り回した。鋭い爪が空気を引き裂いて俺に迫る。


 剣を盾にガードした。


「ッ!」


 凄まじい衝撃を受ける。体が後ろへ飛ばされた。


「さすがに身体能力はそっちのほうが上か」


 ガードした右手がビリビリと痺れている。

 何度も防御するのは利口じゃないな。


『どうするの~。このままじゃ勝てないよ~』


 離れた所ではリリスがのんびりくつろいでいた。空中で寝転がるとは器用な奴だ。


「問題ないよ。傷を付けられるならいずれ殺せる」

「グルアアアア!」


 再び突っ込んでくる熊の魔物。

 最初と同じように横へ躱すと、今度は魔物の後ろ脚を斬り裂いた。


 狙いを変える。

 一番分厚い胴体は無視して、まずは魔物の機動力を下げる。

 正確に腱の部分を狙い、熊の魔物は地面に倒れた。


 どうせすぐに立ち上がる。倒れた隙を突いて剣の切っ先を魔物の首元に放った。


「グアッ!」

「おっと」


 攻撃を途中キャンセル。

 反撃で繰り出された魔物の爪攻撃を後ろに引いて躱した。


 しかし、回避は完璧じゃなかった。


 右手がダメージを受ける。

 肉が抉れ、盛大に血が飛び出す。


『ちょ、ちょっとちょっと! ピンチじゃない、ルカ!』


 大きく飛び退いた俺の姿を見て、リリスの余裕が崩れる。

 もの凄い速さで俺の傍に近づいた。


 ズタボロにされた右腕を凝視している。


「うるさいぞ、リリス。利き手がやられただけだ。まだ生きてる」

『出血多量で死ぬでしょおおおお⁉ どうするの⁉ 私の復讐はここで終わり⁉』

「終わらないから安心しろ。何のためにこの聖遺物を拾ったと思ってる」

『……聖遺物?』

「ああ。このネックレスは着用者に神力を与えるアイテムだ。神力は治癒の力。再生レベルの回復は使えないが、応急処置くらいはできるだろ」


 言って、後ろに跳びながら逃げる。

 懐から包帯を取り出し、勢いよく右手に巻き付けた。


 痛みはある。激痛だ。しかし我慢できないほどじゃない。


 乱暴に右手を包帯で縛り上げてから、赤く滲む包帯越しに神力を発動させた。

 温かな光が右腕を包む。

 失った血肉を戻すことはできない。精々が包帯と合わせて血を止めるくらいだ。


 痛みは消えないし、動かすこともできない。

 あくまで延命しただけ。状況は何一つ好転していなかった。


『あわわわ! 早く逃げなきゃ!』

「は? なに言ってんだ、リリス」

『え?』

「俺は逃げるとは一言も言ってないぞ。止血が終わったら、あのクソ野郎と再戦だ。次で確実に殺してやる」

『はああああ⁉』


 キーン、とリリスの叫び声が俺の聴覚を刺激した。うるせぇ。


『そんな状態で勝てるわけないでしょ⁉ 馬鹿なの⁉ 死ぬの⁉ 死なないで!』

「だから死なないって。まあ見てろ。このネックレスを拾いに行ったのは、何もこのためだけじゃない」


 足を止める。

 熊の魔物が正面から突っ込んできた。

 それを左手で剣を抜いて構える。


 オーラをまとった。より出力を増幅させて。


『ん、んん? ルカ、あなた何を……』


 リリスの問いに俺は答えない。代わりに、どんどんオーラの放出量を底上げする。


 もはや俺の制御できる量を超えた。ぶちぶちと全身の筋繊維が千切れ悲鳴を上げる。

 痛い。痛いが、それを無視してさらに放出量を上げた。


 続けて、ネックレスから神力を引き出し全身を癒す。

 これこそが俺の考えた最高の奥の手。


 オーラは制御できない量の放出を行うと、肉体に多大な負荷がかかって壊れる。

 その壊れた体を、神力の癒しで次から次へと治していけばいい。


 もちろん俺の神力は聖遺物頼りで心もとない。だが、最低限治せれば充分だ。動けりゃ——相手を殺せる!




「グルアアアアッ!」


 自分の二倍以上はある筋肉の塊が、殺意を振り撒いて突進を繰り出す。


 今度は避けてからの反撃じゃない。斜め横に避けながら攻撃を放つ。


 お互いに交差し、俺の限界を超えた最高の腕力が熊の魔物の胴体を——一撃で斬り裂いた。


『う、そぉ!』


 リリスが口を開いて唖然としていた。

 背後では魔物が倒れ、足元に血溜まりを作る。


 せっかく勝ったっていうのに、リリスの奴、反応が薄いな。

 そう思って剣を鞘に納めると、唐突にリリスが叫んだ。


『ば、馬鹿————!』


 二度目のキーン。


 耳が痛くなるからあんまり大きな声を出さないでほしい。結構な重症だ。傷にも響く。


『制御できない量のオーラを放出するなんて頭おかしいよ! 一歩間違えたら死んでたし!』

「ふっ。そのための神力だ。しっかり計算してる」

『なにドヤ顔してるの? 殴るよ?』

「ま、待て。今の俺はマジで重症だ。オーラの負荷で立ってるのもキツイ」


 ぶっちゃけ剣を振った左腕までズタボロ状態だ。動かすだけでも痛む。


『だろうね! もう! ここまでネジが飛んでるとは思ってもいなかったよ。ルカが死んだら私は全て終わりなのに!』

「ごめんって。でも面白いだろ? オーラと神力をあんな風に組み合わせるのは俺くらいだぞ」

『自滅って言葉知ってる?』

「終わりよければ全てよし、だ」

『狂ってる』


 尚も笑みを浮かべた俺を見て、リリスががくりと肩を落とした。


 彼女からしたら、契約者の俺が死ぬのはまずい。心配する気持ちも解るが、危険な橋を渡らなきゃ最強になんてなれやしない。

 この先も俺は、何度だろうと命を懸ける。


「それより、休憩したら熊の魔物を俺の寝床まで運ばないとな」

『もしかして……食べるの?』

「当然だろ。こんな貴重な食糧そうそうないぞ。ラッキーだったな」

『……私、ルカがよく解らないや』

「? そうか」


 何を言ってるのかよく解らんが、俺も俺のことはよく解らん。

 自分を理解するのって難しいな。他人ですらなかなか理解できないっていうのに。


 どさっと雪の上に腰を落とし、失った体力の回復に努める。




 サバイバル生活初日。初日からめちゃくちゃ大荒れだな。


 できるならもっとド派手に問題が起きてくれ。俺はまだまだ、戦い足りないぞ。


———————————

ルカ「もっと戦いたい!(割と瀕死)」

今回の話で出てきた神力しんりきとは、いわゆる治癒魔法ですね。極めると時間を巻き戻す強力な回復まで扱えるように……?

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