4話 月暈は皓と、六踏を迎え2
晶たちが
ぱちり。
きい。微かと軋みを残した窓から、寒い外気と共に爪先が床へ。
意外と響く音に、待機していた
「……大丈夫? 晶くん」
「ああ。だけど、幽嶄魔教に宿の位置が知られた」
「――取り敢えず、今夜の襲撃は心配ないでしょう」
晶の苦い表情に、続いて窓から部屋へと戻った戴天玲瑛が応じた。
寒い空から暖かい室内へ。急激な寒暖の差に、肌が総毛立つ。
「根拠は?」
「李
時間稼ぎに過ぎませんが。そう呟くように補足して、玲瑛は旗袍の上から羽織る肩掛けを脱いだ。
狭い室内に、次いで李鋒俊が床を鳴らす。
「最悪は、
「――
「嘘で俺たちを泳がせている可能性は?」
夜気の残滓が熱に紛れるを眺め、鋒俊は部屋の壁に背を預けた。
現物がない以上、逆説的に論じなければならなくなる『無いの証明』は難しい。
正直、疑い出したら最後、際限が無くなる問いかけだ。
落とし処を決めなければならないが、会ったばかりの他国の者同士にそこまでの信頼関係は育っていない。
「先ず無い。
必ず手下を集めて、情報を漏らさないように包囲してから襲撃するだろうな」
「――魔教に限らず、
特に洞主補佐である
慎重に言葉を並べる鋒俊の代わりに、玲瑛が言葉を継いだ。
今後の行動で揺らぐよりかはまだ良いと、内心で情報の開示を決めた。
「幽嶄魔教について、夜劔殿はどれほどご存じですか?」
「余り、だな。敵対しなければならなくなる
同盟を結んで直ぐの移動であれば、調査に費やせる時間もそれほど無い。晶の返答に嘘はないだろうと判断し、玲瑛は一つ肯いを返した。
「信顕天教、瑞光地教、慈徳人教、源林武教、継灯生教、幽嶄魔教。
これら六教の内で幽嶄魔教は、
「一寸待って。都に龍穴が在るのって、
……当然の事じゃないの?」
意外な説明に、咲からの疑問が返った。
理由は明白。氏子籤祇によって与えられる加護の有効範囲は、土地神の支配圏に限られるからである。
加護とは即ち、その土地に
風穴を中心に生活圏を築くのは、氏子籤祇に縛られる咲にとっては至極、道理の結論でもあった。
「――
「他国では違うと?」
「余程の例外を除けば、私の知る限り。
「要は認識の違いだな。」
そう説明を締め括る玲瑛に、晶は納得を返した。
「神柱と近ければ加護も篤くなるが、神域は象に寄り添う方が自然という訳だ」
「例外となる神域には、多くに共通したものがあることも周知されています。
つまり、人に
その状況に当て嵌る神柱として最も有名なのが、
彼の神柱の象は人の容。アリアドネが人の世と常に寄り添うのは、当然でもあった。
「
玲瑛の説明にも、咲は首を傾げた。
「地勢、防衛の観点からすれば、貴国の方が理想でしょう。
神域と都。二点を防衛するのは至難ですから、通常は龍穴の位置を隠すのです」
逸れた話題に咳払いを一つ。玲瑛は本題へと注意を戻した。
「幽嶄魔教の教えは、
「――簡単に云えば、隠形と呪術に優れているんだ。
捕捉されれば逃げられないし、直接会えば何をされるか不明だな」
その反面、物量による直接破壊には弱いという欠点も存在する。
「つまり、俺たちは現在、李
「その通りです。ですが逆を云うならば、李
宿を経由した情報収集は行うでしょうが、私たちの情報だけに集中するはずです」
つまり、戴天玲瑛と李鋒俊を除けば、居合わせた晶だけが調査の対象である。
玲瑛の断言に、晶と咲は視線だけを交わし合った。
「一応、信顕天教の武侠だと誤魔化しは入れたが、通じてくれたかな」
「
「そう云えば、李
「ああ。実家は既に出ている。……正直、
懐かしく、寂しそうに。晶の問いかけに鋒俊は応えた。
体裁は取り繕っていたが、明確に晶へと向けた言葉では無かったのだろう。
疑問への回答と云う以上に、懐かしさの伺えるそれは独白に近かった。
「鋒俊は天教の門を叩いていますが、扱いとしては武客の立場です。
――本来は戻れぬ身ですが、
「魔教と云うか、李家の
裏切るかどうかって心配しているなら――」
「そっちは心配していない。李
俺の疑問は、魔教と
「……どういう事だ?」
「
序でに云うなら、港湾を抜けてからこっち、殆ど西巴大陸の奴らも見ていない」
「……それの何が変だと?」
晶の証言に、玲瑛が首を傾げた。
資本によって駆動する
政治制度を等しくする租界であってもそれは同様に、晶たちが東巴大陸鉄道を当てにできた理由でもあった。
「
だが、
「確かに。俺が離れた頃は未だ、論国人はそこら中を
「代わりに、
「先ず無い。租界の領有権を主張するんだ。
俺が
支配地の反抗を抑える名目でも、
「情報は欲しいが、魔教と会うのは明日だよな。
……魔教から譲歩は得られる?」
「難しいですが、その為の対価は用意しています。
向こうからすれば喉から手が欲しいもの、余程でなければ断らないでしょう」
晶の問いかけに、玲瑛が薄く肯いを返す。
その手に覗かせた小さい箱に、晶が眉を顰めた。
同盟の証として譲られた丸薬の箱と、同じ造りのそれ。
「神錬丹か」
「はい。持ち出せたものは、夜劔殿に
「知識がなくて済まないが、そいつに関してどのような効果があるんだ?
今の内に聞いておきたい」
説明が未だでしたね。薄く微笑みだけを返し、玲瑛は慎重に箱を仕舞った。
宗家でも末席の玲瑛にとって、錬丹の詳細は多くを知らない。
「……仙の道に六踏あり。即ちそれ、天地人武薬魔の教え為り。
仙とは云わば、その六踏を己が身に修めた超人を指します」
「仙って、仙人って奴か? あの、
「流石に、それは伝説よりも眉唾でしょう。
六踏総てを修めたら神仙に至ると聞いていますが、問題となってくるのが武仙です」
「武を高めるなら、鍛錬あるのみじゃないのか」
「如何に修練しようと、本来、
その理由は、精霊力の器である魄の限界が厳然と決まっているからです」
晶の返事は想定したもの、玲瑛は穏やかに言葉を紡いだ。
その現実を覆す一手こそ、神錬丹である。
「神錬丹の効能は、魄に
効果を充全に発揮するためには、五気調和が前提条件ですが」
「五気調和。何回か聞いたな、それ」
「――本当に何も知らないんだな」首を傾げる晶に対して、鋒俊が鼻を鳴らした。
「魂とは精霊であり、魄はその器を意味している。本来、己には余る精霊を宿すために、魄とはそもそも五気を均等に有しているんだ。
五気調和ってのは、五気を高めて
――宿せる精霊力の上昇。
鋒俊の返答に、晶たちは唖然とした。
その常識を打ち壊す技術の存在は、晶たちをして脅威とも云うべき技術であった。
そんなものがあれば、間違いなく誰であろうと飛びつく。
天教と断絶している魔教であれば、尚更に垂涎の錬丹であった。
♢
会社とは、日がな一日開いているものではない。
電気も
それは
ちりり。小さく焦れる灯明の熱に掌を翳し、僅かなそれで凝る指先を揉む。
「……畜生め、終わりが見えねぇ。何処ぞの陳情なんざ、
はらり。一枚、又一枚と、別けられては積み上がる決済の山。
誰も聞いていないと、云いたい放題に文句だけが口を衝いた。
残りの山が半分まで目減りした頃、遠慮がちに社長室の扉が叩かれた。
相手の気配は、互いに掴んでいる。
漸くの到着に、
「開いてんぜぇ。――遠慮はするな、坊主共」
「……失礼します」
返答と共に小さく扉が開き、隙間から人影が滑り込む。
床の軋む足の音が、微かに2人分。
「何でぇ。
初めての
「別に俺は名乗っている訳じゃないんで。
……物見ついでなら面白いかと」
苦笑頻りの
以前に聞いた情報とは真逆の調子に、拍子抜けたままその隣へと視線を遣る。
「随分としおらしいなぁ、おい。
そっちの嬢ちゃんは
「恥ずかしながら、言葉一つ違うだけで
……道を歩くだけで掏摸に置き引き。犯罪がここでは日常茶飯事らしく」
感情を読ませない微笑みを返し、諒太の隣に立つ
晶たちとは時間差で降り立った2人の到着に、
「その程度なら、寧ろ
「特には無いっすね。
「ほう? ま、その程度なら珍しくねぇか。
――こちらの準備は終えている。出立は明日、精々今日は英気を養いな」
肯いを返す2人へと
風に残った仕事が揺れる。だが、状況も常に動いているのだと、努めて後回しにした書類を見ないようにした。
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