4話 月暈は皓と、六踏を迎え1
『
『信顕天教だと? 群れで
眼前の男に油断は無く、ゆるりと鋭い眼光が晶へと向かった。
その所作に隙は一切も窺えず、指から覗く寸鉄の先が鈍く光を返す。
――くそ。
止むを得なかったとは云え、大陸へと
呆然とする鋒俊の問いを背に、晶は奥歯を噛み締めた。
古今東西の交渉に
特に相手が言語を知らないと思い込んでいれば、それが優位に傾く局面は多いのだ。
背に立つ少年の声にも、侮りの響きは既に無い。
これで、以降は
神柱の象を別けられた神器は、畢竟、神柱の代理と同義である。
地を支配する大神柱は、他の神柱が己の膝元に在るを善しとしないからだ。
慎重に精霊力を練り上げ、丹田で加速。
黒曜の煌めきを吐息に乗せるが侭、晶は貫手を構えてみせた。
『
『…………』
敵対の意図は
『応えぬか。
――善いだろう、青二才の功夫を測ってやる!!』
凍てつく微風に
「消え、!?」『
唐突な相手の消失に晶の初動が遅れ、鋒俊の警告が鋭く奔る。
迷う足を踏み締めて、少年たちは同時に跳躍。
入れ替わりに青年の蹴脚が、晶の立っていた屋根へと着弾した。
轟音。屋根が拉げ、その足元に大穴が穿たれる。
『
『――
晶が知る限り、
だが、眼前の
夜闇を縫って晶を狙う寸鉄を見止め、舌打ちを一つ。寒空を背に鋒俊の手元が
旋回する体躯ごと投擲された瓦が射線を遮り、飛来する寸鉄に砕かれた。
陶器の砕ける儚い音を、晶の手から放たれた撃符が裂く。
閃く晶の剣指が霊糸を斬り断ち、紅炎が大気を焦がした。
「精霊力抜きの威力じゃないぞ、あいつっ」
「
刹那だけの朱を背に、脱兎の如く屋根を疾走する2人。互いに怒気を吐き捨てる。
追い打つ気配もなく、建物の壁を背に晶たちは
「で? 何で
「散歩」
鋒俊の問いを有耶無耶に切り返し、晶と鋒俊は壁から来た方向を窺う。
火の粉は散り尽くしたか、騒然とする眼下の通り以外はそれまでと変わらない夜空が広がるだけであった。
「――先刻の男が
「
昔からお高く澄ましているから、
考え込む少年を、鋒俊は横目に睨む。
「シジェ。 、使者って事か。
「……李家は魔教でも有数の一族だ。特に直系継嗣の奴は、相応に立場もある」
間違いない。
晶が口走るその台詞の真意を理解して、鋒俊の背に慄然とした感情が奔った。
学んでいるのだ。今この瞬間、戦いながら晶は
加えて、戦闘の挙措にも遜色はなかったはずだ。
――つまり、晶は。
「別に不思議はないだろ。真言と文法の構成は似ているし、
後は、単語を応用すればいい」
鋒俊の伺う視線の意図に気が付いたのか、晶は肩を竦めた。
事も無げなその返事だが、その程度の問題では無い。
――その事実を、
「おい、鋒俊」「――何だ」
対応に考え込んでいた鋒俊は、その声に僅かだけ反応が遅れた。
取り繕う返事は巧く感情を隠せたか、それすら判然としないままに尖った口調を返す。
「
「……知るかよ」
「知り合いだろうが。顔立ちがよく似ている」
肩を怒らせる少年に構うことなく、晶は周囲の警戒を続けた。
地の利は
どうにかして突破口を見つけなければ、玲瑛も警告した
もしその事態に陥ってしまうならば、強行で
そうなれば、
「兄貴だったってだけだ。――俺が李家を放逐われた頃は魔教で頭角を現していたが、今じゃどうなっているのか」
「……そうか」
吐き捨てるような鋒俊の本音に、晶の返答が一拍遅れる。
その意味を問い返す間もなく、夜闇に
『――昔から、貴様は隠れ鬼が好きであったな。鋒俊。
精霊力の隠匿も巧くなった。 、と云ってやりたいが、詰めの甘さは変っていないようだ』
『逃げろ!』
頭上から落ちる気配に、本能より早く晶たちは回避する。
刹那。轟音と共に、晶たちが背にしていた漆喰の壁が崩れ落ちた。
茫漠と上る土煙を貫き、金属の細鳴る音が耳障りに響く。
特徴的な
―――じゃらり、じゃ、ら、ら。
金属でできたそれはまるで蛇のように、短刀でできた鎌首を
「鎖!?」
『縄鏢は奴の得手だ。防御なんて考えるなよ、逃げろっ』
鋒俊の警告と同時。如何なる手法か、縄鏢が闇を縫って晶へと牙を剥いた。
――逃げる?
『無理に決まっているだろうが!』
背を向けて逃げに徹っしても、間違いなくその前に貫かれる。
回避すら選択肢から振り落とし、晶は右手を虚空へと差し伸べた。
そう希う声も無く。
一合、二合。火花を散らして剣戟を重ねる、
――晶を中心に蜷局を巻いた縄鏢は、少年へと凶猛な切っ先を墜とした。
神器を隠し使うだけで迎撃は不可能。その事実に覚悟を決め、晶は腰に提げた精霊器の柄を掴んだ。
瞬時に加速された精霊力が、強固な水気の帯へ――。
しゅるりと音を残して蜷局を巻くそれを、晶は躊躇うことなく解き放った。
「月辿り」
精霊力の帯を編み上げる月辿りは、主に足場として利用する
本来、攻防には頼りない強度しかないが、晶が全力で
金属の破片が細かく飛び散る中、晶は油断なく建物に穿たれた孔の向こうを
街灯に人の営み。都市の灯りを背に、鎖を投げ捨てる
暫くの沈黙。
ややあって、再び寸鉄を手にした男が油断なく口を開いた。
『貴様。何処の教えのものか』
『信顕天教。そう云ったはずだ』
馬鹿正直に答えはしない。晶が言外に滲ませた意図を理解したか、嘆息を一つ。
――挙措すら見せない速度で、寸鉄を投擲した。
だがそれは、晶も視た勁技だ。迷いなく閃く晶の太刀が、火花を残して鋭いだけのそれを叩き墜とした。
『……成る程ね』
――やはり。もう、学ばれた。
晶の剣閃から迷いが消えた事実を認め、鋒俊は薄く息を吐いた。
晶は、戦闘中に
つまり、思考と同時に行動を起こす事ができるのだ。
思考と挙動の速度を一致させるなど、才能の領域を外れて異能に近い。
晶の才能は特に、勁技であればこそ絶大な効果を発揮する。
なぜならば、勁技とは畢竟、術式を思考する武術だからだ。
それらが指摘する事実。つまり、晶に一度でも勁技を理解されれば、直後から模倣して己のものとして行使されてしまう。
――今まさに、晶が精霊力を研ぎ澄ましているように。
『精霊力を練り上げるのではなく、純粋に研ぎ澄ましているのか。
似た手法を編み出していたが、
『五気精錬と云う。教える
晶の独白に、渋りながら鋒俊は応えた。
精霊力は必然、行使するもの自身が持つ生命力も混じっている。
勁技を行使するものからすれば余雑なそれらを棄て、純粋な精霊力だけを行使する技術こそ五気精錬。
生命力を除いた精霊力は一見するなら僅かだけだが、その質は元のそれと遜色ない。
長じれば同じ精霊力であっても、神気と同等の威力を宿すようになるのだ。
武侠が羽化登仙を経て武仙の頂へと昇る、それは最初の関門で知られていた。
会話を交わす晶と鋒俊を見据え、
その足元で瓦が鳴り、秘めた精霊力が昂る侭に大気を鳴らす。
『ふ。五気調和も疎かにしている輩が、五気精錬に手を伸ばすとはな。
――才能だけで増長している輩と馴れ合うとは、天教の
『間違った踏路を歩む輩を導くのも、六教の理念の一つ。
それを忘れたってんなら、魔教の迷走も相当だろうが』
『吠ざけ! 魔教の苦境を知らぬ貴様に、何が判るものか。
好と頭を撫でてやる気分であったが、動けぬ程度に切り刻んでやる』
傲然と宣言する
勢いに揺れる屋根から瓦が浮き、青年の爪先が蹴り飛ばす。
瓦が砕けるだけの勢いに、然し砕けることなく晶へと飛来。
太刀が閃く度に月辿りの帯が舞い、砕けた瓦が眼下へと落ちていった。
護りに堅き。そう謳われるほど、
速度や遠距離よりも近接での迎撃を重視したその
生半可な威力では、
――にも拘らず、月辿りの帯で瓦が砕ける度、水気に匹敵する重圧が晶を揺るがした。
神気に匹敵する精霊力に、晶の防御が食い破られかけている。
今なら反撃する事も可能。逡巡は短く、晶は刹那に覚悟を決めた。
『――鋒俊、仕掛けるぞ』
『駄目だ。完全に魔教と、敵対する訳にはいかない』
『どうせこのままだと、敗けて交渉もできなくなるだろうが!』
吐き捨てるように鋒俊へと告げ、晶は精霊力を練り上げる。
やがて、掌に宿る黒曜の輝きが、星の瞬きを塗り潰す月の灯りを宿した。
「月明星稀!」『
澄み渡る冬の夜空を塗り潰す勢いで、晶の太刀が月明を束ねたような一撃を放つ。
研ぎ澄まされた精霊力が障壁と変わり、月明星稀と拮抗して互いを喰い潰した。
やがて、晶が放つ月明星稀に衰えが生まれ、同時に呪符を維持する寸鉄が音を立てて弾ける。
互いの勁に終わりが見えたその瞬間、晶は己の太刀を脇構えに構え直した。
――
晶の最大の切り札である
その事実が意味する一つに、精霊は晶へと無条件の助力を与えると云うものがある。
――考えてみれば、何時だって精霊は、神柱の意向よりも晶の願いを優先してくれた。
神気には及ばないものの、それはこの瞬間にとって最大の効果を発揮する。
水平に振り薙ぐ晶の太刀から、飛翔する斬撃が削り出された。
放たれるその一撃は、大きく弧を描くままに夜闇を刻む。
その先に狙うは、動けない
『――そこまでです』
――玲瓏と。降りしきる雨のような宣言と共に、視界総てが凍てついた。
こつり。屋根へと落ちる少女の爪先。
静かに歩む先で、晶の放った
白く夜天に掛かる月暈を背に、戴天玲瑛が微笑みを浮かべる
『…………成る程。愚弟が尻尾を振って、腰巾着に納まる訳だ。
信を喪って江湖のものを頼るとは、どこまでも
『別に信を忘れた訳ではありません。そこの者たちは、六踏の主たる戴天宗家の預かり。
魔教の洞主補佐たる李
『断る。そも無断で我らの地を乱したのは、信顕天教の方であるぞ』
『理解しています。――その謝罪も含めて、魔教洞主にお取次ぎいただきたい』
『……良いだろう』
膠着したこの局面に、己の不利を悟ったのだろう。
戴天家の少女と己の弟だった少年を前に、然して拘泥を見せずに
無防備な背を見せて去る姿は、最後に残った矜持ゆえか。
『だが、』
闇へと紛れるその際で、数
『――これは貴様らの怯懦が招いた結末。魔教の怒りは決して拭えぬと、努々に忘れるな』
滲む怒りのまま、
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