3話 貿都にて、ひとが腹蔵するものは2

 がさり。晶から咲の掌へと、包み紙が手わたされた。

 包みが解けた途端、食欲をそそる芳香と共に湯気が溢れ出す。


 厚手の紙越しからも判る熱量が、悴む少女の指先を伝った。


煎餅ジェンピンだと。取り敢えず、空腹と寒さを慰めよう」

「……ありがと」


 その手の同じものへ迷いなく齧り付く晶に倣い、咲も一口だけ。

 はふ、ふ。途端に口中へと広がる、小振りの蝦と大量の葱。


 胃腑へ伝い落ちるその熱を、互いに口から吐き出して笑い合う。

 口一杯に広がる魚醤の風味は、晶と咲に高天原たかまがはらではない地へ立つ実感を改めて与えてくれた。




 値段の交渉も終え、戴天玲瑛と李鋒俊も煎餅の紙包みを受け取った。

 安価な河蝦は兎も角、具材を彩るものが少し乏しい。


 少女の素振りに店主は興味も無く、対価を仕舞いつつ紙煙草を咥えた。


『炒めるなら、河蝦よりも玻璃蝦でしょう。五香粉は無いの?』

『ありゃあ、今じゃあ胡椒よりも高値だよ』

『何処の原料が?』

『何処も彼処も。 、としか云えないが、敢えて云うなら桂皮と茴香かね。

 役人共が内地の流通路に貼り付いとると、専らの噂だ』


 舌を灼く熱に構わず煎餅を頬張りながら、鋒俊が玲瑛の脇から口を挟む。


『2日後には、路線が再開するかもしれんぞ』

『……話半分に期待しておくよ』


 素気無く返事もそこそこに、店主は新聞を広げて見せる。

 ――話題情報は終わり、と云う事ね。


 青道チンタオ論国ロンダリアの歴史的和解。その指の狭間から覗く一面の見出しに、少女は眉を薄く顰めた。

 玲瑛たちが遅れて合流すると、食事を終えた晶たちが表情を引き締める。


同行どうぎょう当主も堂々としていたけど、高天原たかまがはらの人間が日中に大手を振って問題ないのか?」

「国交断絶から数百年。高天原たかまがはらなんざ、近いだけの辺境でしかないからな。

 論国ロンダリア人と比べりゃ顔立ちの違いも違和感程度なら、後は服装に注意すればいい」


 玲瑛の傍らで、鋒俊が食べ終えた紙包みを焚火へと放り込んだ。

 紙の焼ける匂いが寒空に消え、指に残る脂を舐めつつ鼻を鳴らす。


「晶っつったか」「――鋒俊」

 師姐シージェからの鋭い注意にも肩を竦めるだけ、少年は粗雑な口調を改める事は無かった。


「失礼、夜劔当主殿。洋装を基本とした貴方あんたらの外見なら、青道チンタオでは目立ちゃしないよ」


 晶や咲の隊服は確かに、西巴大陸の風潮を取り入れたものである。

 遠く、朝市を外れた通りを歩くものたちを見ても、鋒俊の指摘は的外れではないと理解できた。


「鋒俊の言は兎も角として、その服装で問題となるのは、青道チンタオを脱出して以降になるかと。

 ――それよりも注意していただきたい点ですが、以降、わざの行使は原則不可だと肝に銘じてください」

「勁?」

高天原たかまがはらで云う処の、精霊技せいれいぎでしたか? それの行使を余人に見止められたら最期、青道チンタオは疎か、最悪は東嶺ドンリョン省一帯で身を休める場所は無くなります」

「確かに高天原たかまがはらでも街中の精霊技せいれいぎ行使は厳罰ものだが、理由はそれだけじゃないのか?」


 高天原たかまがはらいても、街中での精霊技せいれいぎ行使は原則不可と定められている。

 だがそれ以上に不穏を秘めたその響きに、晶と咲は身構えた。


「確かにそれもありますが、幇から辿られれば幽嶄魔教に動向を把握されるからです。

 管轄外の武侠に東嶺ドンリョン省で勁を撃たれるなど、間違いなく魔教の矜持に触れますから」


 幇とは云わば、単一の職で纏められた集団である。

 単純な手に職から果ては乞丐乞食まで。互助を目的としたその繋がりは強固で知られていた。


 小集団の幇はよりおおきな幇と繋がり、最終的にその土地の六教が掌握しているのだ。


 東嶺ドンリョン省の幇であれば、間違いなく幽嶄魔教の支配下。

 情報だけに限っても、空を飛べない躯でこの網から逃れる術はないと断言できた。


「今日は動けないとしても、早急に行動しなければなりません。

 方針は定まっているのでしょうか、夜劔当主?」

「切符の入手に幽嶄魔教の協力が不可欠なら、基本方針は先刻に云った通りで変更はない。

 1つ訊きたいが、幽嶄魔教にける戴天玲瑛の知名度はどれくらいだ」


「お前、 、 」


 晶の何気ない質問に鋒俊の柳眉が逆立つが、続く台詞を玲瑛の掌が遮る。

 渋りながら下がる少年を追及する言葉は無く、玲瑛は言葉を取り繕った。


「私は宗家でも末席ですので、発言力も含めてそこまで在りません。

 ですが幽嶄魔教の上層部であれば、各教の宗家の構成まで把握済みでしょうね」

「現在の動向までは把握されていない?」

「幽嶄魔教が暗手の遣い手と云えど、私程度の動向に労力を割くほどではないかと。

 ……とは云え、戴天玲瑛が青道チンタオに在りと知られてしまえば、その情報はあまねくから集まってしまいますが」

「なら、切れる機会は一回きりだな。

 ――咲」


「判った。宿は三杉さんから訊いているわ。

 ――玲瑛さまも最初の取り決め通りで良いかしら?」

「……構いません」


 晶たちと玲瑛は言葉も少なく、周囲の騒めきが一際に覆い隠す。

 湯気と人の行き交う足が過ぎた後、通りには誰も残る姿は無かった。


 ♢


 明日に備えて早々に休息を得るべく、晶と咲が宿の別室へと下がった後。

 案内された一室の薄く汚れた壁を見て、鋒俊はさいな立ちを吐き捨てた。


『良いのかよ、師姐シージェ

 推測程度で此処ここまでの内情を暴かれたら、魔教の対応も判らなくなるぞ』

同行家の拠点海恒公司を私たちに曝したなら、ある程度の信頼関係を築けていると考えた方が得だわ。

 ……それよりも、魔教と論国ロンダリアが急速に関係を深めているわね』


 鋒俊の不満に玲瑛は冷静に応え、床板に視線を落とした。

 安物買いの木材なのか、港の潮風を含んだ樹皮が所々で逆剥れている。


 思い出すのは、昼食を購入した屋台の店主からの情報。

 それは、五香粉の原料を隠語にした、各教との緊張を報せる内容であった。


桂皮慈徳人教茴香源林武教の筋が滞っていると。

 ――何方どちらも、幽嶄魔教と論国ロンダリアの煽りを受けているから、このまま黙っている訳は無いと思っていたけど』

碗幇ワンバンの囀りなんて宛てになるのかよ』

『何処にでもいる小鼎幇・・・だからこそ、信頼が出来るのよ。

 あそこまで末端ならやんちゃも犯すし、金子次第で安めの情報を売ってくれるわ』


 晶たちへ教えた情報には、少しだけ嘘が混じっている。

 末端の隅々まで行きわたる幇の監視網だが、その拘束力は絶対ではない。


 高天原たかまがはらへの渡航に利用した港舟幇もそうだが、高天原たかまがはらとの密輸など公にできない行為に手を染めているならば、沈黙を選ぶものもそれなりに存在するからだ。


『幽嶄魔教と接触はできそう?』

師姐シージェの願いだけど、少し難しい。

 切符の融通をたのんでも、出来て芳雨省で途中下車する羽目になるだろうな』


 そう。予想通りの師弟シーディの答えに然して落胆を覚えることなく、玲瑛は思案を巡らせた。

 予定を脳裏で組み立てて、現状と照らし合わせる。


『夜劔当主殿が何を目的に潘国バラトゥシュへと向かいたいのか。それが判れば、私たちの対応も変わるのだけれど』

『聞いた話だと八家でも新参なんだろ? 多少の武功欲しさに無茶をしただけとか』

『その割には、他の八家から信頼を集めているのがね。

 若さゆえの暴走と見るのではなく、そうなるから承諾したみたいな。

 想像だけど私たちとの同盟も、元々は潘国バラトゥシュに向かうための利害の一致に利用したんじゃないかしら』


 玲瑛とて、何も考えずに晶の要請に応じた訳ではない。


 真国ツォンマが通過点に過ぎない事は、探りを入れた会話の返答からも確か。

 利点こそ肯うに充分な理由であるが、それでも晶の目的が別にあることは気付いていた。


 結果論だとしても論国ロンダリアと信顕天教の衝突が避けられれば御の字ではあるのだが、長期的な視点でどう転ぶか見えて来ないために不安が残っているのだ。


『保険はかけておくべきでしょうね。……と手を組みましょう』

師姐シージェの言葉だから従うけど、向こうに伝手は無いぞ』

『ないなら、持っている処から引き込むだけよ。

 港舟幇と接触して。――随分と隐藏インツァンを貯め込んでいたみたいだし、絶対に余所と繋がりを持っているわ』


 少女の決断に、端正な少年が野生に満ちた笑みを浮かべる。

 しなやかにその背を壁から離し、窓から外へと姿を消した。


 ♢


 港湾の凍てつく寒さが少年を包む。


 縛りつく頬を歪めながら、柱を蹴って壁から壁へ。

 音も無く虚空を踊り、鋒俊の脚は静かに屋根の瓦を踏みしめた。


 吐く息は白く。睥睨する大通りの人の流れは、眠らない街の評判通りに、昼間以上の活気を以て行き交っていた。

 興味も薄く、鼻を鳴らして踵を返す。


 と、閃く銀光に、寸の処で回避。

 鋒俊が鋭く見上げた視線の先で、侮蔑に満ちた眼光が交差した。


『――你打算去哪儿何処に行く心算だ?』

昊然ハオラン……』


 袍の裾を棚引かせ、端正な顔立ちの男が対面の屋根で瓦を踏みしめる姿。

 最も見つかりたくなかった相手を前に、鋒俊は苦く呼吸いきを漏らす。


 ――その面影は、鋒俊とひどく似通っていた。


 宿からの出入りは慎重に隠形を仕込んだから、誤魔化せているはずである。

 鋒俊の足跡が捉えられたのは、幇の視線を避ける為に身体強化を行使つかしたからだろう。


『今日の蚤の市で貴様を見たと、情報が出回ってな。

 不肖の弟が天教から逃げ帰ったかと思えば、……鼠の真似事とはわらわせてくれる』

『ふん。遠の昔に、俺のことなど忘れていると思っていたぜ』

『忘れていたさ。天教に遣った阿呆あほうが、魔教の膝元を徘徊していると聞くまではな。

 ――魔教の苦境も知らず、縁を切った愚弟が今更に何の用だ』

『その割に羽振りが良いじゃないか。魔教の裏切りで真国ツォンマがどうなっているか、知らん訳でもあるまい』

『善い事じゃないか。

 蒸気機関に潤沢な資源。論国ロンダリアの貪欲さも、遠くから付き合う分には面白い』

『そりゃああやかりたいね。庭先を乱した事は謝るが、腐っても兄弟の縁。

 観光でぶらつきに来た可愛い弟、見逃しちゃくれないか? ――兄さん』


 駄目元で投げた鋒俊の口振りに、昊然ハオランと呼ばれた男の柳眉が引き攣った。

 次第にその肩が震え、を切った様にわらい声が溢れ出す


『……安心しろ。小者に過ぎん貴様が単独で這いずり回るなど、微塵も楽観しておらん。

 誰の腰巾着なのか洗い浚い吐き出せば、手足を落とすだけで勘弁してやる』

『どうせ親父は連れてこいって云っただけだろうが、物騒は止せよ。

 ――それともあれか? 好きな女性が俺に靡いたからって、未だ根に持っているとか』


 軽口の何処に本音があったのか、それは判らない。

 ――ただ間違いなく、鋒俊が投げた最後の軽口が、昊然ハオランの怒りを爆発させた。


 呼気も鋭く、昊然ハオランの背が僅かと沈む。

 ――瞬後。練られた精霊力が音も無く弾け、瓦を砕いて加速した。

 真国ツォンマ六教、身体強化の勁技、――破風迅行ポゥフォンシュンシン


 大気すらも切り裂く音を残し、昊然ハオランが鋒俊の立っていた屋根に着地。

 止まらぬ勢いに瓦が砕け落ち、間を置くことなく夜気を裂く悲鳴が響いた。


 舌打ちを残す実兄の背で、別の屋根に鋒俊の爪先が落ちる。


『静かなだけが魔教の取柄だろ。暗手の元締めが騒がしいなんざ、親父が見ればどう思うかね』

『最近では、魔教も方針転換をせざるを得なくてな。

 沖合に大砲が並べられた光景を見れば、勁技など児戯とも思えてしまう』


 指の狭間から新たな寸鉄を覗かせ、悠然と兄の背が立ちあがった。

 意気軒高と、昊然ハオランの背にも退く気配はない。


 どうやってこの場を切り抜けるか隙を窺うも、鋒俊は内心で嘆息を残した。


 嘗て実兄として慕っていた幼い頃から、幽嶄魔教でも屈指の才覚を誇っていた兄である。

 軽口を叩いても、鋒俊は昊然ハオランの実力を認めていた。


『拳を構えろ。貴様の功夫を測ってやる』

『ちぃ!! ――リャアァァッ』


 昊然ハオランが再び仕掛け、互いの呼気が交差。

 星の広がる夜天の下で泳ぐ鋒俊へと、鋭く昊然ハオランから寸鉄が放たれる。


 ――回避は不可能。刹那に覚悟を決め、鋒俊は精霊力を練り上げた。

 真国ツォンマ六教が金剛大勁、――天鋼ティエンガン不壊ブーホワイ


 薙ぎ払う拳が寸鉄を2つ、跳ね上げた爪先で1つ。

 闇の中に火花が跡を刻む侭、致命的に鋒俊の姿勢が崩れた。


 見逃してくれるような甘い相手ではない。鋒俊の視線の先で、寸鉄が虚空を貫いて鈍く光を残した。


『――结束了終わりだっ!』

他妈的くそがっ!』


 完全に致命を狙った一撃が、鋒俊の眼前まで迫る。


 せめてもの抵抗で、少年はそれを最期まで睨もうと、

 ――頭上から落ちる一撃に寸鉄が砕けるさまを確かに見た。




 刹那だけ抜刀した寂炎じゃくえん雅燿がようが、宙を踊る掌から儚く熔ける。

 透徹と澄みわたるその剣身を心奧へと納刀し、晶は短く息を吐いた。


 あの刹那、柄だけしか見えない神器を認識できるものがどれだけいるのだろうか。

 神器を抜刀するのは、晶としても賭けであった。


 鋒俊と晶。別々の屋根へと降り立って、三者三葉に睨み合う。


誰だ?』

信顕天教的武侠信顕天教の武侠对你来说貴方には这就足够了吧それで充分なはずだが


『――你,会说真国的语言お前、真国の言葉を?』


 誰何すいかと驚愕が交差。未だ佳境の鬩ぎ合いを、夜の闇だけが見届けた。


 ♢


 遅くなりました。


 1週間の休みをいただきまして、再開いたします。

 

 現在ですが、渋谷スクランブル交差点にありますTSUTAYAにて、

 「ライトノベル展2024」が開催されています。


 此方に、12月9日より様々な作家やイラストレーターさまのサインが展示されています。

 光栄な事に、僕も隅っこにサインを書かせていただきました。


 展示の日時は12月16日まで。

 

 是非ともご覧になってください。

 サインなんて初めてなんで、指が無茶苦茶に震えました。


 恥ずかしい限りです。


 安田のら

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る