1話 武は競う、外海の囁く裏で2

 ――轟ゥ。

 茫漠と視界を舐める黒の精霊光に、晶は己の失策を悟った。

 後退を叫ぶ本能に従い、爪先が舞台に敷き詰められた玉砂利を蹴る。


「く、そっ」「――遅ぇ」


 少年から漏れる悪罵を刺す、冷静な奈切迅の呼吸いき

 唸る風切り音。水幕を刻む飛斬が、晶を左右から挟み込んだ。


 逃げ場はない。玉砂利に踏み止まる跡を残し、晶の木刀が真円を描いた。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝――。


「連ねみかづき!」


 黒の精霊光が飛斬を絡め取ると同時、晶の懐へと迅が鋭く踏み込んだ。


 放たれる逆袈裟に晶の木刀が追い付き、鍔迫り合いへ。

 ――撃音と共に爆ぜる精霊光が、舞台へ波と散った。


「火行と水行を切り替える、か。

 自在に行使できれば、五行の隙はほぼ無くなるな」

陣楼院じんろういん流が接近なんざ、定石じゃないだろうが」

「定石を守れば勝利出来ます。

 ――なんて、今日び三流でも口にしない捨て台詞だぜ」


 試合の白熱にも拘わらず、迅の眼差しに余裕を見止め。圧されている苛立ち紛れに、晶の丹田で黒の精霊力が渦巻いた。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝、――現神降あらがみおろし。


 刹那の強化を得た剛力が、3年の年齢差を持つ少年の体躯を衝き放つ。


 捲き上がる精霊力が一層に加速し、木刀へ収束した。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ連技つらねわざ――、


「鉢被せっ」「――凪の南風」


 臨界で統御された水気が衝撃に猛り、同時に生まれた金気の衝撃を呑み込む。

 瞬後。水気の統御が晶の手を離れ、再び黒の爆発が両者の視界を塗り潰した。


 間合いを仕切り直すか、詰めるべきか。僅かに迷う、晶の爪先。

 ――その隙を見透かしたかのように、呪符が2枚。爆発を貫いて晶へと飛来した。


「疾――」「させるかぁっ」


 二度は同じ轍を赦す訳もないと、晶は己の心奥から朱金の精霊力を奮い立たせる。

 黒の残滓を振り解き、朱金の軌道が虚空を斬り上げた。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝、――鳩衝きゅうしょう


 術式が発現するよりも早く、呪符を燃やし尽くす炎の波濤。

 うねる熱量は止まる事なく、渦巻いていた水気の精霊力を圧し流した。


 膨れ上がる衝撃が周囲の天幕を捲き上げ、観衆の興奮が高潮に達する。


 晴れる視界の向こう。悠然と立つ迅の影を見止め、晶は精霊力を脚へと集中させた。

 間合いは2間3.6メートル。迅が精霊技せいれいぎを撃つよりも早く、晶が胴を抜けば勝利できる。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――隼駆け。


 残炎が玉砂利へと散る瞬後。迅の懐深くで、晶は相手を見上げた。

 その眼前へ振り落とされる、節くれ立った剣指に挟まれた呪符。


「しまっ――」「疾」


 誘い込まれた。そう理解した晶が身体をねじると同時、衝撃が脇腹をかすめる。


 試合用に調整された模擬の呪符とは云えど、身体を伝う無視できない衝撃。

 一本っ。審判の白い旗が上がるのを視界の端で認め、仕切り直すべく晶は間合いを取った。


 天覧試合は、急所に当たらない限り三本先取制である。

 晶の命は残り二本。一本を棄てても迅の至近に踏み込めば、晶の火力で競り勝てる。


 そう目算をつける視線の先で、迅の剣指が虚空を斬る仕草。

 音もなく。何時の間にか、晶の胸元で水撃符が赤い霊糸を散らした。


 轟音。

 励起された水気が冷たく衝撃を残し、晶の側に審判の白い旗がもう一つ追加される。


 追い詰められた。その自覚に、晶はその場で踏み止まった。


 下段に構え、腰を低く落とす。

 ひりつく緊張に、晶は大きく呼気を吐いた。


「――火行と水行を自在に扱うってのは、間違いなく厄介だ。

 攻防の隙が無くなるのもそうだが、単純に手数が増えるからな」

「ち。余裕だよなぁ! ――先輩っ」


 慎重に彼我の間合いを測る晶を追い打つ、冷静な迅の声。


 視界を遮る精霊光は無く、舞台は一辺12間22メートルに限られている。

 精霊遣いにはやや広いだけの空間で相手を見失い、晶の出足が鈍った。


「そう。厄介だが、――それだけだ」

「ちぃ、 、えりゃあっ」


 視線の外から回り込み、晶の脇から畳み掛ける迅。

 纏わりつく戦風を振り切り、寸前で晶は剣戟を凌いだ。


「手数が増えるって事は、都度に選択肢が増えるって事だ。

 つまり、増えた選択肢の分だけ。時間を喰うって事でもある」

「――つまり・・・、ここまで接近すれば、関係ないって事でもあるよなぁっ」

「その通り。」


 ぎりぎりと互いの木刀が刃鳴る最中を、迅と晶の応酬が飛び交った。

 互いの脚が一歩も退かぬと踏ん張り、踊る精霊力が玉砂利に波を刻む。


 噴き上がる朱金の精霊光に互いの道着が踊り、晶の切っ先が下から上へ弧を描いた。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――十字野擦じゅうじのすり


 奔り貫ける十字の焔が迅の肩を浚い、審判が晶の一本を宣言する。


 踊る焔を抜け、戦風に圧されるようにして迅が後退した。

 遠距離を得意とする陣楼院じんろういん流を相手に、余計な間合いは不利でしかない。判断を一瞬にくだし、晶は間合いを詰めた。


 彼我の間合いは、残り3間5.5メートル

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、


「百舌鳥貫きぃっ」「――だからここぞの際に後輩が頼るのも、慣れている手段だろうな」


 渦巻く火閃の刺突が伸び、回避の遅れた迅の肩をかすめた。


「一本っ!」


 軍配がもう一つ晶の方へと上がる。

 ――その事実を確認する事も無く、視線を上げて晶は唇を噛み締めた。


 青く晴れた天に踊る、3枚の呪符。

 逃れられない。その確信を得るよりも早く、呪符が青白く燃え尽きる。


 呪符の波が生み出す飽和攻撃に曝され、最後の軍配が片方へ。

 ――統紀4000年。晶の初めての天覧試合は、準位にも上らぬ3位で終わりを告げた。


 ♢


 あ。そう何方どちらともなく、残念そうに呼吸いきが漏れた。

 互いに同じ感想を抱いたのだろう。肩を並べた少女が2人、視線を交わして苦笑する。


「……正直、もっと容易く優勝するのかと思っていました」

「恥ずかしながら。晶さんと云えど、天覧試合は容易いものでも無かったようですね」


 高台に設えられた御簾越しに、静美と嗣穂つぐほが囁き合った。

 何事もなかったかのように、眼下の舞台で始まる決勝戦。


 軍配が振り下ろされると同時、相対する久我くが諒太と奈切迅が互いに間合いを詰める。

 互いに負けじと威勢が飛び交い、精霊力に煽られたか御簾が幽かと揺れた。


何方どちらが勝ちますか?」

「さて? 珠門洲しゅもんしゅうの身贔屓を入れてもと仰るなら、久我くがを推しますが」


「――奈切って云ったか。弓削ゆげ孤城の直弟子が勝つだろうさ」


 静美の問いかけに、嗣穂つぐほは思案を巡らせる。

 くすりと笑い騒めく高台の一つ下から、嗣穂つぐほの結論よりも早く茶々が挟まれた。


 にぃと嗤う、野趣に溢れた隻眼の女傑が、八家の席から2人を睨め上げる。

 そのまま高台へと上がり、迷惑そうな玻璃院はりいん誉の傍らに腰を下ろした。


 見れば誰もが忘れられない。女性でありながら、桁違いに錬磨された肉体に畳が軋む。

 八家第四位、方条ほうじょう家の当主。方条ほうじょう誘が、誉の傍らに置かれた徳利から中身を注いだ。


「――甘いね。もう少し、澄んだ辛い奴は無いのかい」

「そいつは果実水だよ、方条ほうじょう当主。

 僕らは未成年なんだから、そいつが欲しいなら八家の席に戻ってくれ」


 そいつは残念。然程に残念そうも窺えない呟きを残し、盃の残りを一気に干す。


「今日は無礼講さ。見逃しておくれよ、誉さま。

 ――ああ。奇鳳院くほういんの身贔屓は当然だろうが、今回ばかりは分が悪い。久我くがの御曹司には3年後を頑張ってもらうしか無いねぇ」

「とは云え、晶さんとの戦闘で、奈切は大方の呪符を使い切っています。

 対する久我くが諒太は、」


「――残り5枚ですなぁ。直情的な甘さが心配でしたが、息子は随分と巧く立ち回ってくれるようになりました。方条ほうじょう殿の武名は兎も角、八家第二位を軽んじられるのは頂けない」

「軽んじるなど、滅相も無いさ。見た侭を応えただけ、

 まぁ、結果が下るのを俟とうよ」


 反論を思案する嗣穂つぐほの言葉尻を捕まえ、久我くが法理ほうりの苦笑が繋いだ。

 方条ほうじょう誘の武は認めても、八家二位の矜持は譲らぬ。

 ――そう云わんばかりに、穏やかな上っ面から鋭い眼光を覗かせた。


 眼下で繰り広げられる決勝の趨勢は拮抗。――だが僅か、久我くが諒太の攻勢に押されているようにも見える。

 それでも誘の余裕は崩れない。肩を竦めるだけ、酒肴に供された目刺し鰯の丸干しを齧ってみせた。


 天覧試合にいて、精霊の位階差は殆ど無い。


 精霊力の収束を制限する、模擬戦の木刀丁種精霊器。位階が高くなるほどに、寧ろ邪魔となる防刃の道着。

 そして何よりも最大の特徴が、天覧試合を通して赦される呪符の枚数制限であった。


 通戦の総枚数で10枚。威力が木刀に因って均された試合下では、行使速度の速い呪符をどれだけ注ぎ込むかで勝敗に差が生まれる。

 更に撃符だけでは止まらない。各種撃符は勿論、回符回復系統による回復も含めての枚数となれば、いつどこで励起させるかの経験も求められるようになるのだ。


「そう云えば、方条ほうじょう当主殿は出場しないのかい?

 本選の話題は弓削ゆげ殿の連覇で一色だったし、当然、御当主も出るとばかりに思っていたが」

「昨年に子供を産んだ後の肥立ちが悪くてね。

 残念ながら、今回ばかりは見送る仕儀となったさ」


 さんごのひだち? 理解できるが理解できない言葉の意味を求め、その場に居合わせた全員の視線が、衰えなど微塵もない誘の肉体に集中する。

 衣服で隠されて尚、窺える鍛え抜かれた気配。全員の視線に懐疑の色が滲み、分の悪さに膨れっ面で女傑の手が新たな目刺し鰯の丸干しへ伸びた。


「そう云えって、陪臣共に詰められた。

 旦那にも泣き落とされたしね。――流石に勝てんさ、あれは」

「それは良い事を訊いた。御当主に委託をする際は、是非とも伴侶殿にたのむとしよう」

「止めておくれよ、誉さま。

 そいつを赦しちゃ、あたしがケガレ討滅に行けなくなっちまう」


 女傑から上がる、終ぞ聴いた事も無いような情けない嘆願。お道化た会話に、その場の雰囲気が暫く和らぐ。


 和やかな高台での遣り取りを傍らに、一際上がる歓声。

 最後の旗が上げられ、天覧試合の幼年の部に決着がついた。


 悔しそうな表情を覗かせて、それでも少年が感情ごと圧し隠して残心から納刀する。

 一礼。伯道洲はくどうしゅうの歓声に迎えられるまま、幼年の部では奈切迅が優勝を決めた。




「……奈切迅が優勝しましたね」

「しまったね、賭けておくんだったよ。久我くがの御当主には、鉄道に関してお願いされていたのを忘れていた」


「――今で良ければ聞こう。内容次第ではあるが、こちらの一存で応じられるかもしれん」

一寸と厄介でね。聞いているかもしれないが、戦艦の艤装ぎそう予定が少々立て込んでいてね。

 鴨津おうつ租界に居る技術者たちを呼び寄せて、人海戦術で帳尻を合わせたい」


 割と深刻な相談に、法理ほうりは表情を改めた。


 戦艦の艤装ぎそう予定は、晶と咲の潘国バラトゥシュ遠征の日程と直結している。

 晶たちの今後とも深く関わるだろう予定は、法理ほうりにとっても無視できない案件であった。


「何とかはしたいが、人海戦術でも無理がある。

 鴨津おうつ租界を仕切っているのは論国の商会たちだ。潘国バラトゥシュにちょっかいを掛けるならば、あれらに悟られる訳にはいかん」


「――行きは無用ですが、晶さんたちの帰還には間に合わせたいのです。

 誉さま。海軍の進捗はどの程度ですか?」

「海軍の無かった高天原たかまがはらに、新たな軍部を立ち上げようって無茶だよ。

 正直、軍事教義ドクトリンだって、西巴大陸では時代遅れとなった放出品を何とか運用している状況なんだ。

 ……波国ヴァンスイールとの同盟は成立したんだろう? ベネデッタ・カザリーニとの密約で、その辺りは何とかならない?」


 誉から投げられた言葉を吟味し、嗣穂つぐほも残念そうに首を振って返した。

 術式や精霊の理解に関してなら、高天原たかまがはらは恐らく西巴大陸よりも先んじている。だが、事が技術運用に関してなら、間違いなく西巴大陸が一歩を先んじているのだ。


 この需要と供給の差が崩れれば、容易いほどに西巴大陸は此方を貪りにかかる。

 こちらと友好を結んだとは云え、ベネデッタ・カザリーニは西巴大陸の急先鋒であった波国ヴァンスイールの神子。

 弱みと知られれば、付け込んでくるだろう事は想像に容易かった。


「最終的な向こうの目的は、晶さんを陣営に取り込む事でしょう。

 あか・・さまが密約の裏をかいたので、向こうの行動に掣肘せいちゅうは打てましたが」

「時間稼ぎができると?」

「はい。――先だって、ベネデッタ・カザリーニが神域へ来訪した際、あか・・さまは晶さんを可能な限り潘国バラトゥシュへと向かわせると約定を」


 ――冬を越えれば、可能な限り早く潘国バラトゥシュへと向かえるよう手配する。

 それは、朱華はねずとベネデッタが交わした密約の内容。


 この誓約に従いベネデッタは現在、鴨津おうつ波国ヴァンスイールの軍艦に依る遠征の準備を進めていた。

 だが誓約には、朱華はねずの仕込んだ落とし穴が隠されている。


「晶さんを可能な限り早く潘国バラトゥシュへと向かわせる約定を交わしましたが、その手段については一切を言及していません。ですが彼女は、波国ヴァンスイールの戦艦で晶さんを向かわせる心算つもりでしか予定を立てていない」


 同盟の締結時や雑談であっても、ベネデッタは常に高天原たかまがはらの技術進度を気にしてきた。

 その会話内容を総合すれば、彼女の高天原たかまがはらに対する技術想定が大まかには想像がつくようになる。


 ――間違いなく彼女は、高天原たかまがはらが海軍以外に外洋へと遠征し得る高喫水船を所持していないと想定している。


 ベネデッタを待たずに潘国バラトゥシュへと到着が叶えば、その分だけ西巴大陸を気にせず行動する大義と時間が得られる。

 これは早ければ早いほど、状況が好転する見込みが高い。


 それが出来る相手がたった一人、この場に居合わせているのだ。


同行どうぎょう当主。御家が所有している高喫水船ですが、何処までの遠征が可能ですか」

「まぁ。会話からこちらにお鉢が回ってくるたぁ、予想していましたがね。

 ……可能でしょう。が、國天洲こくてんしゅう阿呆あほうが一匹。やらかしてくれた影響で侑国が調子づいている。長く北方を留守にはできませんな。真国ツォンマの沿岸までなら直ぐにでも」


 真国ツォンマ真瑪大連ツォンマダーレンと呼ばれるその国は、東巴大陸の大部分を占める複雑な国家である。

 広大な土地に点在する、六つの教義と奉じる神柱。そして、それらを統べる太源真女と呼ばれる大神柱。


 青道チンタオと呼ばれる港湾都市を論国に奪われて尚、依然として健在である東巴大陸の雄だ。


「永く交渉を断っていた相手ですが、背に腹は代えられないですね。

 どうにかして真国ツォンマに渡り、向こうを中継に潘国バラトゥシュへと向かって――」


 疾風が捲いた。

 音も無く静かに、只、静音に精霊が戸惑いを残す。


 精霊が警戒を囁かない異常に、だがその場に立つ全員が舞台を見下ろした。

 幼年の部の試合が終わり、次は本選を控えての準備のはず。


 準備を待つ玉砂利の舞台では、見た事も無い衣服の少年と少女が2人。

 晶や迅、そして諒太を前に、泰然と佇んでいた。

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