1話 武は競う、外海の囁く裏で1

 ――央洲おうしゅう央都、山巓陵外舞台。

 睦月1月朔日1日

 冬晴れに広がる青の下、設えられた外舞台に、若く少年たちの威勢が飛び交っていた


「勢ィッ」「ちぇりゃあっ!」


 攻防が刹那に立ち替わり、――瞬後、乾いた音を残して木刀がくるりと舞う。

 緊迫した駆け引きに静まり返り、審判の上げた旗に歓声がうねった。


 試合も一段落を迎え、水を吞む晶の傍らへ奈切迅が腰を下ろす。


「よう、後輩。久し振り。神無月10月以来か?」

「ああ。お互いにゴタついていたし、それ位。

 ――良いのか? 次戦相手と会話って、伯道洲はくどうしゅうの連中から睨まれるかもしれないけど」

「建前上、天覧試合は飽く迄も個人戦だ。

 それに、洲予選に出ていない奴がいきなり本選だぞ。偵察の一言で、その手合いは黙る」


 試合は順調に消化されたなら、晶の次の相手は奈切迅。

 会話するには場違いだと指摘する晶を一蹴し、迅は麦の握り飯に食らいつく。


 差し出された大根の塩漬けを摘まみつつ、晶もふと頤を上げた。

 そう云えば。そう他人事に呟く声が、風に混じって吹き消える。


「天覧試合は何かと話題に事欠かないが、今年は幼年の部前座の方が注目されているとは聞いたな」

師匠高天原最強の本試制覇って絶後の記録が、下火で終わろうとしているんだぜ。

 ――弓削ゆげ家陪臣の年寄連中重鎮は、広角に泡を吹いて檄を飛ばす飛ばす」

「それは南北でも同じだ。特に所属は、何方どちらになるかが大揉めでね」

「同情はしないぞ。武威で取り合うのは、防人冥利に尽きるからな」


 ぼやく晶に、肩を揺らして迅は応じた。


 晶の所属を正式に書くならば、奇鳳院くほういん家に所属する國天洲こくてんしゅうの八家と云う立場である。

 奇鳳院くほういん家と義王院ぎおういん家の強い意向があったとしても、所属には関して不安定極まりなかった。


 洲を越えて所属が赦された華族など、前例はない。

 ただ・・人は土地に縛られるが世の理である以上、晶の立ち位置は矛盾を生じさせるからだ。


「結局、防人の歴が長い珠門洲しゅもんしゅうが所属ってなった。

 正直に云えば、何方どちらにしても居心地が悪いのは変わりないが」

「ま、そりゃあそうなるわな」


 派閥やら立ち位置やらが固まるよりも早く、立場が激変した者などそう居ない。

 何方どちらであっても、晶が新参である事実には変わりなかった。


「――仕方ないだろうが。一時的な転校って聞いていた防人が、気付けば國天洲こくてんしゅうで八家になっているんだ。手前ェ以上に周囲の理解が追い付かない」


 何処か他人事な会話を交わす晶たちへと、不機嫌な声が割り込む。

 振り返る先に立つ久我くが諒太が、晶の側へと乱雑に腰を下ろした。


「それよりも、何で幼年の部に噛んできやがる。八家の当主なら、本試に出るのが筋ってもんだろうが」

「そっちは、國天洲こくてんしゅうの師範連盟から猛反対を受けた。

 八家の当主だろうが、年齢13の砌で本試出場など許されるものじゃないってな」

「……罷り間違って晶が一勝を獲れば、面目も丸潰れになるって焦ったんだろうが。

 せせこましい計算だけが達者になれば、そっちの方が器も知れる」


 出場そのものはごり推せたものの、それまでに入れた横槍は数知れない。

 晶の年齢を盾にした師範連盟の云い分に一縷の正統性がある以上、義王院ぎおういんも折れざるを得なかったのだ。


「まぁ。精霊力に制限が課せられる天覧試合は、手前ェ精霊力頼みの戦術と相性が悪い。

 今年の優勝は諦めて貰うぞ」

「精霊力頼みとは心外だ。

 ――こっちも、今年は様子見で終わる心算つもりはない」


 捨て台詞に腰を上げた諒太へと、晶は肯いを返した。

 久我くが諒太の云い分も間違いではない。防人以上が共に武を競い合う事こそ、天覧試合の本質だからだ。


 防人の武威が精霊の位階に依存する以上、制限の無い試合は精霊の位階を競う場に成り下がってしまう。

 事故を防ぐ意味合いもあり、天覧試合は規範として精霊力に制限が課せられていた。


 練習に用いられる木刀丁種精霊器に、重量のある防刃の道着。――そして、試合を通して使用が赦される呪符の枚数制限。


「畢竟。精霊力だけの衛士は、試合に篩い落とされる羽目になると。

 良くできている」

「……今年の出場者は百鬼夜行で思い知っただろうが、加護の無い試合ってのも初めてだろうしな」


 諒太を見送りつつ呟く晶に、迅が軽く応えた。


「加護か。……余り、実感がないな」

精霊技せいれいぎを学び始めて実感するものだし、無理はない。

 ――己の実力では無く、単純に勝利しやすくなるんだ」

「勝利しやすくなる?」

「土地神の支配圏であれば運が良くなる。――と云った方が近いか。

 恩寵の寡多は、何よりも対ケガレで結果がでるからな」


 氏子籤祇に依って与えられる土地神の加護は、精霊の位階に依って恩寵の寡多に差が生まれる。


 怪我の大小に、無条件の幸運。土地を離れて実感するそれは、

 ――世のただ・・人が土地に縛られる、最大の原因でもあった。


「天覧試合はそれで良いさ。

 ……それで後輩は、春になれば潘国バラトゥシュに出立か?」

「いや、それも少しきな臭い」

「延期できるものじゃないと、師匠から聞いたが」

「その逆だ。年明けが落ち着けば、直ぐの出立になるらしい」


 さらりと返された応えに、迅は少しだけ目を見張った。

 潮流に内外を隔絶された高天原たかまがはらは、物理的に海外との交流が制限されている。


 蒸気機関と高喫水船の開発があっても、潮を越えるには費用が掛かってしまう。

 潮の境目と近い鴨津おうつにのみ交易が赦されている、それが理由の一つでもあった。


伯道洲はくどうしゅうの調査結果だと、当てにしている海軍の艤装ぎそうが終わるのは春先のはずだが」

「それも含めて、三宮四院が話し合っている。どうやら、潘国バラトゥシュの事情が変わったらしい。

 ……正直、俺の本音としては賛成だが」


 潘国バラトゥシュへと向かう理由は、輪堂りんどう咲と救世の大神柱シータの契約からである。

 昨年、暗躍に暗躍を重ねたラーヴァナを、故郷であるランカーの地に戻す。ラーヴァナに思う処は残っているが、神柱との契約は急がなければならないのも、又、事実であった。


「そうか。後輩に関しては、師匠も何かと隠しごとが頻りだな。

 ――遠征はどれだけ掛かる予定だ?」

「ランカーって半島が、当面の目的地らしい。

 順調にいけば、往復込みで6月の上旬アタマに帰還の予定ってなっている」


 潘国バラトゥシュまで遠く離れている上、論国の属領地。

 あらゆる意味合いで高天原たかまがはらから切り離された遠地こそ、晶たちが急ぎ向かわなければならない土地であった。


 ♢


 人の出入りも引っ切り無しに、食事処の狭い店内は大いに賑わっていた。

 勘定を支払った人の足が入れ替わり、都度に木組みの椅子が軋むように音を立てる。


 央都の路地に入った一つの店内で、女給が右に左にと客を捌いていった。


『……真瑪大連ツォンマダーレン本場って触れ込みの割に、随分と味気ない料理だ』

『あら。薄いけれど、充分に美味しいわ。道中の食事も考えてみれば、高天原たかまがはら好みの味によせているのよ』

『正直に味が足りないって白状しなよ、師姐シージェ。これで本場を名乗られちゃ、恥ずかしくて見ていられない』

『多分、八角が無いのかな? あれは南方の産だから、高天原たかまがはらとは相性が悪いわ。

 ――鋒俊フォンジュン。不満はもうお止しなさい。交渉前に相手の気分を害するのは、上手じゃないわ』


 餡掛けのお焦げを齧る師弟フォンジュンを前に、玲瑛リンインと云う名の少女はにこやかに窘める。

 流れるような真国ツォンマの会話を、食に勤しむ者たちがどれだけ聞きとがめたかは疑問であったが。


 それでも目上からの注意に、少年は不承不承と肯いを返した。


『道中で何度か防人の戦闘は観たけれど、精霊の統御がまるでなっちゃいない。

 あれで能く、西巴大陸の侵攻を喰い止められていると思うよ』

『そうね。遠目だけど、行使していた五行もほぼ金行のみ。

 羽化登仙以前の問題で、走火入魔ゾゥフォルゥモに陥っていないのが奇跡だわ』


 少年の後を追ってお焦げを一欠片。

 心地良く噛み砕く音と共に、玲瑛リンインは頤を揺らした。


 茸と山菜を炒めてとろりとした餡に絡めたお焦げが、心地良く胃腑を灼き伝う。

 全く知らない料理であったが、東巴大陸は広い。少女が知らない料理も当然に多く、その1つだろうと何の気もなしに納得した。


 不味くなければそれで良い。故国の料理を味わえるなら、尚更に不満はなかった。


高天原たかまがはらを支配するのは五行ウーシンの神柱だと聞くけど、五気調和もしないのは何故だ?』

高天原たかまがはらの龍穴を繋げて国家単位で調和を図っている。そう考えれば、大体は説明がつくわ』


 忙しく立ち回る女給を呼び止めて、菜譜品書きから新しく注文を通す。

 去る女給を見送りながら、玲瑛リンインは声を潜めた。


『元々、この地の大神柱は、五行を象として調和を司る神柱であったはず。

 天帝の思し召しにより、五行を別けて土行の神柱として新たに再臨したと

 ……巧い手段だわ』

『何で? 安定した五行の地位を棄てて、不安定な一角だけに留まった事だろ』

『一撮みの香が尽きる時にこそ炎が立つように、不安定であればこそ真価は燃え立つと云うもの。一角を不安定にすることで真価を研ぎ澄まし、高天原たかまがはら全体で調和を保つ。

 ――この国は、そうやって成り立ってきたんだわ』


 5つもの龍穴が犇く高天原たかまがはらならではこその、それは粗くも確かな手法。

 一つ一つの行が研ぎ澄まされながら、共に高みを目指し得る最適解であった。


『だからと云って、武侠が踏を疎かにするのは愚昧の極みだろ。

 精霊遣いが多いって聞いていたけど、あんな連中が一端の武芸者気取りなら納得だよ』

『それでも、真国ツォンマと違って4千年もの安寧を護ってきたのは間違いない。

 あの精霊遣い達にも、何か合理的な理由があると思うわ』

『あれば良いけどね。

 ……でなけりゃ、そいつを持ってきた甲斐が無くなる』


 鋒俊フォンジュンが少女の胸元から覗く箱へと視線を巡らせ、女給の気配に言葉を切る。

 神妙に肯い、少女の掌が箱を胸元の奥へと戻した。


 卓の中央へと置かれる、湯気の立つ包子パオズ

 最後の一皿と目を輝かせて、鋒俊フォンジュンは熱いそれを掴んで齧り付く。


 途端に広がる予想外の甘味に、片眉を情けなく下げた。


『どうしたの?』

『甘い。肉だと思ったのに、なんで同じ括りに入れるんだよ』

菜譜品書きの隅に書いてあるわよ。食後だし、腹休めに丁度良いわ』


「――良ぉし、良し良しっ。先ずは、幼年の部。伯道洲はくどうしゅうが全制覇も見えて来たぞ」

「馬鹿野郎っ。珠門洲しゅもんしゅうが食い込んどるが、前座の決着も未だなのに大きな顔をするな」


 穏やかに会話を交わす傍ら、一際の歓声が周囲から起きた。

 2人の視線が巡る先、ラヂオから天覧試合の趨勢が軽妙に流れる。


『何だよ、騒々しいな』

『――天下御覧の武芸大会が、開催されているみたいね』

『ラヂオって云ったか、青道チンタオで広まっているヤツ。

 返す返す、貿易港を奪われたのが痛かったよな』

『外洋に出るのも幇を経由しなくちゃならなくなったし、痛い誤算だったわ。

 ……行きましょう。論国の増長を赦さないためにも、この交渉は成功させる必要がある』


 言葉少なく少女は切り上げて、席を立った。

 離れる卓の上に円札が何枚か。過剰な支払いに女給が慌てて表を捜すと同時、玲瑛リンインたちの背は雑踏に紛れた。


『……交渉は良いけれど、どうやって繋ぎを得るんだよ。

 国単位じゃ、没交渉になって長いんだろ? 序でに俺たちは、許可も取らない密航ときた』

青道チンタオを経由したら、論国の記録に残っちゃうんだから仕方ないでしょ。潘国バラトゥシュでの遣り口を考えたら、私たちの意図を悟られる訳にいかないもの。

 でも確かに、繋ぎが無いのは困ったわね』

『だろ。……いや、一寸待って』


 鋒俊フォンジュンの尤もな正論に、玲瑛リンインの溜息が漏れる。

 手荷物の重みも情けなく、交渉への手掛かりが無い侭に山巓陵へと2人の足が向いた。


 傍らに過ぎる軒先の公共ラヂオから、再びの歓声が沸き上がる。

 賑やかに祭り騒ぐそれは、何といったか。


『――そう、天下御覧の試合って云ったよな、師姐シージェ

『駄目よ、鋒俊フォンジュン。向こうの大会を乱したら、それこそ不興を買うわ』

『祭りは乱さないさ。

 ――ただ優勝した未熟を一寸ばかり撫でて、交渉の窓口になって貰うだけ』


 高天原たかまがはらに入国してから、ずっと姿を隠して移動してきたのだ。

 余程に、鬱屈としたものが胎に溜まっていたらしい。無骨に嗤いを浮かべる己の師弟シーディへと、玲瑛リンインは溜息を吐いて首肯した。


 密約を交わすために、徹底して隠れてきたのだ。

 伝手の無い相手と交渉を持つためには、多少の賭けも必要悪か。


 そう思考を切り替え、玲瑛リンインは山巓湖を前に足を止めた。

 ラヂオ越しであった歓声が、一際に鮮烈と響き渡る。


『怪我をさせるのは駄目。

 相手に戴天の武を見せつけて、私たちの価値を知らしめなさい』

『好々と頭を撫でるだけだよ。武仙・・の恥は晒さないさ』

『良いでしょう。取り敢えず、優勝者を見繕いましょう』


 隠形を張り巡らし、白く会場に掛けられた幕の間を抜ける。

 歓声の波がうねる最中、舞台が一望できる最後列に少女たちは立ったその瞬間。


 ――今まさに、天覧試合の幼年の部が決着しようとしていた。


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