1話 武は競う、外海の囁く裏で1
――
冬晴れに広がる青の下、設えられた外舞台に、若く少年たちの威勢が飛び交っていた
「勢ィッ」「ちぇりゃあっ!」
攻防が刹那に立ち替わり、――瞬後、乾いた音を残して木刀がくるりと舞う。
緊迫した駆け引きに静まり返り、審判の上げた旗に歓声がうねった。
試合も一段落を迎え、水を吞む晶の傍らへ奈切迅が腰を下ろす。
「よう、後輩。久し振り。
「ああ。お互いにゴタついていたし、それ位。
――良いのか? 次戦相手と会話って、
「建前上、天覧試合は飽く迄も個人戦だ。
それに、洲予選に出ていない奴がいきなり本選だぞ。偵察の一言で、その手合いは黙る」
試合は順調に消化されたなら、晶の次の相手は奈切迅。
会話するには場違いだと指摘する晶を一蹴し、迅は麦の握り飯に食らいつく。
差し出された大根の塩漬けを摘まみつつ、晶もふと頤を上げた。
そう云えば。そう他人事に呟く声が、風に混じって吹き消える。
「天覧試合は何かと話題に事欠かないが、今年は
「
――
「それは南北でも同じだ。特に所属は、
「同情はしないぞ。武威で取り合うのは、防人冥利に尽きるからな」
ぼやく晶に、肩を揺らして迅は応じた。
晶の所属を正式に書くならば、
洲を越えて所属が赦された華族など、前例はない。
「結局、防人の歴が長い
正直に云えば、
「ま、そりゃあそうなるわな」
派閥やら立ち位置やらが固まるよりも早く、立場が激変した者などそう居ない。
「――仕方ないだろうが。一時的な転校って聞いていた防人が、気付けば
何処か他人事な会話を交わす晶たちへと、不機嫌な声が割り込む。
振り返る先に立つ
「それよりも、何で幼年の部に噛んできやがる。八家の当主なら、本試に出るのが筋ってもんだろうが」
「そっちは、
八家の当主だろうが、年齢13の砌で本試出場など許されるものじゃないってな」
「……罷り間違って晶が一勝を獲れば、面目も丸潰れになるって焦ったんだろうが。
せせこましい計算だけが達者になれば、そっちの方が器も知れる」
出場そのものはごり推せたものの、それまでに入れた横槍は数知れない。
晶の年齢を盾にした師範連盟の云い分に一縷の正統性がある以上、
「まぁ。精霊力に制限が課せられる天覧試合は、
今年の優勝は諦めて貰うぞ」
「精霊力頼みとは心外だ。
――こっちも、今年は様子見で終わる
捨て台詞に腰を上げた諒太へと、晶は肯いを返した。
防人の武威が精霊の位階に依存する以上、制限の無い試合は精霊の位階を競う場に成り下がってしまう。
事故を防ぐ意味合いもあり、天覧試合は規範として精霊力に制限が課せられていた。
練習に用いられる
「畢竟。精霊力だけの衛士は、試合に篩い落とされる羽目になると。
良くできている」
「……今年の出場者は百鬼夜行で思い知っただろうが、加護の無い試合ってのも初めてだろうしな」
諒太を見送りつつ呟く晶に、迅が軽く応えた。
「加護か。……余り、実感がないな」
「
――己の実力では無く、単純に勝利しやすくなるんだ」
「勝利しやすくなる?」
「土地神の支配圏であれば運が良くなる。――と云った方が近いか。
恩寵の寡多は、何よりも対
氏子籤祇に依って与えられる土地神の加護は、精霊の位階に依って恩寵の寡多に差が生まれる。
怪我の大小に、無条件の幸運。土地を離れて実感するそれは、
――世の
「天覧試合はそれで良いさ。
……それで後輩は、春になれば
「いや、それも少しきな臭い」
「延期できるものじゃないと、師匠から聞いたが」
「その逆だ。年明けが落ち着けば、直ぐの出立になるらしい」
さらりと返された応えに、迅は少しだけ目を見張った。
潮流に内外を隔絶された
蒸気機関と高喫水船の開発があっても、潮を越えるには費用が掛かってしまう。
潮の境目と近い
「
「それも含めて、三宮四院が話し合っている。どうやら、
……正直、俺の本音としては賛成だが」
昨年、暗躍に暗躍を重ねたラーヴァナを、故郷であるランカーの地に戻す。ラーヴァナに思う処は残っているが、神柱との契約は急がなければならないのも、又、事実であった。
「そうか。後輩に関しては、師匠も何かと隠しごとが頻りだな。
――遠征はどれだけ掛かる予定だ?」
「ランカーって半島が、当面の目的地らしい。
順調にいけば、往復込みで6月の
あらゆる意味合いで
♢
人の出入りも引っ切り無しに、食事処の狭い店内は大いに賑わっていた。
勘定を支払った人の足が入れ替わり、都度に木組みの椅子が軋むように音を立てる。
央都の路地に入った一つの店内で、女給が右に左にと客を捌いていった。
『……
『あら。薄いけれど、充分に美味しいわ。道中の食事も考えてみれば、
『正直に味が足りないって白状しなよ、
『多分、八角が無いのかな? あれは南方の産だから、
――
餡掛けのお焦げを齧る
流れるような
それでも目上からの注意に、少年は不承不承と肯いを返した。
『道中で何度か防人の戦闘は観たけれど、精霊の統御がまるでなっちゃいない。
あれで能く、西巴大陸の侵攻を喰い止められていると思うよ』
『そうね。遠目だけど、行使していた五行もほぼ金行のみ。
羽化登仙以前の問題で、
少年の後を追ってお焦げを一欠片。
心地良く噛み砕く音と共に、
茸と山菜を炒めてとろりとした餡に絡めたお焦げが、心地良く胃腑を灼き伝う。
全く知らない料理であったが、東巴大陸は広い。少女が知らない料理も当然に多く、その1つだろうと何の気もなしに納得した。
不味くなければそれで良い。故国の料理を味わえるなら、尚更に不満はなかった。
『
『
忙しく立ち回る女給を呼び止めて、
去る女給を見送りながら、
『元々、この地の大神柱は、五行を象として調和を司る神柱であったはず。
天帝の思し召しにより、五行を別けて土行の神柱として新たに再臨したと
……巧い手段だわ』
『何で? 安定した五行の地位を棄てて、不安定な一角だけに留まった事だろ』
『一撮みの香が尽きる時にこそ炎が立つように、不安定であればこそ真価は燃え立つと云うもの。一角を不安定にすることで真価を研ぎ澄まし、
――この国は、そうやって成り立ってきたんだわ』
5つもの龍穴が犇く
一つ一つの行が研ぎ澄まされながら、共に高みを目指し得る最適解であった。
『だからと云って、武侠が踏を疎かにするのは愚昧の極みだろ。
精霊遣いが多いって聞いていたけど、あんな連中が一端の武芸者気取りなら納得だよ』
『それでも、
あの精霊遣い達にも、何か合理的な理由があると思うわ』
『あれば良いけどね。
……でなけりゃ、そいつを持ってきた甲斐が無くなる』
神妙に肯い、少女の掌が箱を胸元の奥へと戻した。
卓の中央へと置かれる、湯気の立つ
最後の一皿と目を輝かせて、
途端に広がる予想外の甘味に、片眉を情けなく下げた。
『どうしたの?』
『甘い。肉だと思ったのに、なんで同じ括りに入れるんだよ』
『
「――良ぉし、良し良しっ。先ずは、幼年の部。
「馬鹿野郎っ。
穏やかに会話を交わす傍ら、一際の歓声が周囲から起きた。
2人の視線が巡る先、ラヂオから天覧試合の趨勢が軽妙に流れる。
『何だよ、騒々しいな』
『――天下御覧の武芸大会が、開催されているみたいね』
『ラヂオって云ったか、
返す返す、貿易港を奪われたのが痛かったよな』
『外洋に出るのも幇を経由しなくちゃならなくなったし、痛い誤算だったわ。
……行きましょう。論国の増長を赦さないためにも、この交渉は成功させる必要がある』
言葉少なく少女は切り上げて、席を立った。
離れる卓の上に円札が何枚か。過剰な支払いに女給が慌てて表を捜すと同時、
『……交渉は良いけれど、どうやって繋ぎを得るんだよ。
国単位じゃ、没交渉になって長いんだろ? 序でに俺たちは、許可も取らない密航ときた』
『
でも確かに、繋ぎが無いのは困ったわね』
『だろ。……いや、一寸待って』
手荷物の重みも情けなく、交渉への手掛かりが無い侭に山巓陵へと2人の足が向いた。
傍らに過ぎる軒先の公共ラヂオから、再びの歓声が沸き上がる。
賑やかに祭り騒ぐそれは、何といったか。
『――そう、天下御覧の試合って云ったよな、
『駄目よ、
『祭りは乱さないさ。
――ただ優勝した未熟を一寸ばかり撫でて、交渉の窓口になって貰うだけ』
余程に、鬱屈としたものが胎に溜まっていたらしい。無骨に嗤いを浮かべる己の
密約を交わすために、徹底して隠れてきたのだ。
伝手の無い相手と交渉を持つためには、多少の賭けも必要悪か。
そう思考を切り替え、
ラヂオ越しであった歓声が、一際に鮮烈と響き渡る。
『怪我をさせるのは駄目。
相手に戴天の武を見せつけて、私たちの価値を知らしめなさい』
『好々と頭を撫でるだけだよ。
『良いでしょう。取り敢えず、優勝者を見繕いましょう』
隠形を張り巡らし、白く会場に掛けられた幕の間を抜ける。
歓声の波がうねる最中、舞台が一望できる最後列に少女たちは立ったその瞬間。
――今まさに、天覧試合の幼年の部が決着しようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます