9話 降る来たるに、決着を2


 ゥ。女郎花おみなえしの輝きに、風雪が昏く燃え立った。

 精霊力は際限なく凝り、やがて透徹と澄み渡る。


 それは精霊が昇華する涯。神柱の頂に手を掛けた、志尊たる証明だった。


「神気……」


 感嘆と漏れる輪堂りんどう咲の驚愕。

 慌てて薙刀を引き戻す少女へと、風雪を従えた御厨みくりや至心が奔る。


 刹那に溶ける間合い。老躯から放たれた刺突が、薙刀と噛み合い火花を散らした。


「くっ、うぅぅうっっ!」

「――微温いわ、小娘がぁっっ」


 少女の苦鳴と至心の嚇怒が交差。神気の鬩ぎ合いを弾き、彼我の間合いが再び開く。

 飛び退った少女を庇い、そのさきへと晶は踏み出した。


 至心の神気に煽られたか、少年の吐息を黒曜の精霊力が彩る。


「無事か、咲」

「大丈夫。――駄目よ、晶くん」


 透徹と黒曜の澄み渡る気配に、少女が鋭く釘を刺した。


 世の武芸が十八般あれど、究極、戦闘にける勝利とは一点に突き詰められる。

 ――即ち、如何にして相手の自由を奪うか。


 己の両腕と踏み込む一歩。一呼吸いきで到達し得る圏の削り合いこそ武芸の本質と、晶たちは阿僧祇あそうぎ厳次げんじから教わってきた。


 これは精霊技せいれいぎを伝える門閥流派であっても同様だ。

 先手、後手。踏み込む瞬間に決定する、己にとっての最適。


 畢竟、門閥流派にける戦術とは、互いの手段を捲りあう行為に他ならない。

 神霊みたま遣いと云う最大の札で場を決した至心に対し、感情のまま鬼札神柱の加護を捲るのは愚策であった。


「判っているけど、連翹山の麓で長居もできない」

「うん。――雨月の縁者に騒動が知られれば、面倒になるのは間違いないしね」


 連翹山。曳いては廿楽つづらと云う土地にいて、晶たちの味方は不破ふわ直利だけである。

 その事実は少なくとも、御厨みくりや至心と晶が争えば、相手に加勢する可能性の方が高い事を暗示していた。


 咲の同意に、夜天からし掛かる風雪の帳を見上げる。

 静かに降り頻る粉雪の緞帳重みは、大抵の音を静寂に呑み込む。


「音は気にしなくて良いと思うけど、

 ……此処ここで居合わせた辺り、陪臣の御注進があったんだろうな」


 夜闇に風雪が降りる中、晶たちの下山に時機を合わせたのだ。間違いなく、雨月の内部に内通者がいる。


 晶は慎重に言葉を選び、口を開いた。


「雨月の陪臣との内通。石蕗とか云う輩と性根が似ている辺り、謀略は旧家のお手の物か?」

「安心しろ。這い回らせた雑多なら、雨月共の足止めよ。

 ――我が志尊の輝きをケガす不遜、処分する輩が無駄に増えるよりは面倒が少ない」

「今代の神霊みたま遣いは雨月颯馬そうまだけと聞いていたが、真逆、隠している輩が居たとはな」


 精霊の位階が華族の、更には人の価値をも決定する社会。

 ただでさえ土行の精霊は数も少なく、神霊みたまともなればその稀少さは群を抜く。


「云うたはずよ。雑多が志尊を目にするなど、神気の輝きがケガれてしまうと。

 神霊みたまとは、旧家の栄えに秘する輝きであれば良いだけだ」

「御自慢の直孫颯馬は、至宝などと喧伝けんでんしていたが」

「八家如きが頂く他行の神霊みたまならば、精々が火取り虫の代わり程度に構いはしない」


「――秘すると云うか、……その年齢までだと死蔵では?」


 互いに間合いを測りながら、咲が思わず指摘した。


 秘するは良いとしても、神霊みたまだろうが宿るのは個人に過ぎないのだ。

 老境も相当な御厨みくりや至心であれば、どうしても札としても価値は下がる。


 果たして図星であったのか、至心の口元が不機嫌に歪んだ。


「……そう云えば、鴨津おうつでも小生意気に吠えてくれたな。

 儂が手ずからに教示してやった序列。無駄になったとは、嘆かわしいばかりよ」

「あら。たった・・・三ヶ月みつきも昔の事ですのに、能く憶えておいでで」


 返る咲の応酬に、浮かぶ余裕。

 どれだけ至心が理由を糊塗しようとも、現実は変わらない。


 より公的な部分に訴えられれば、謀殺に手を付けた御厨家みくりやけの不利は自覚していた。


神霊みたまも宿せぬ雑多如きに、理解は不要。

 ――穏便に神器を返還する機会、捨てた末路を教えてやる」


 ここを先途。至心は慎重に練り上げた神気を、精霊器に注ぎこんだ。

 渦を刻む女郎花おみなえしの輝きが、至心の間合いで衝撃と変わる。

 月宮流つきのみやりゅう精霊技せいれいぎ、中伝。


「――寒蝉集かんせんすだき」


 瞬後。耳朶を苛む衝撃が、雪を蹴立てて一帯を薙ぎ払った。

 立ち込める白。視界を奪われた晶たちは、回避すべく後方へと跳躍する。


「は。雨月なら未だしも御厨みくりやに神器を還せとは、何処までも貴様に都合の良い」

「雑多には知る由も無い、歴史の一端よ。

 布津之淡は元より、水行の属神が御厨家みくりやけに献じた神器。北面鎮護たる御厨家みくりやけが、征北の代理を義王院ぎおういん家へ与えるべく貸与したものだ」


 茫漠と立つ雪片を貫き、至心が一歩を踏み込んだ。

 鳴動するその刀身に宿る、灼熱の気配。

「つまりは、主たる御厨家みくりやけを差し置いた、義王院ぎおういん家が無思慮こそ雨月家の始まり。

 ――別段、雨月に留まらぬ。四院が有する神器は総て、元は旧家の所有に在ったものだ」

「……本気で信じているなら救いようがないな。どれだけ飛躍しても穴が見えるぞ」

「案ずるな。最早、信じろとも慈悲は云わぬ」


 月宮流つきのみやりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――り。


 薙ぎ払う斬閃に伴い、雪煙が儚く昇華する。

 莫大な熱量が音を立てて、晶へと激突した。


 女郎花おみなえしの軌跡に刃金が唸り、黒曜に凝る刀身を次第に蝕む。

 土克水。仮令たとえ、熱量に換わろうとも、御厨みくりや至心は本質的に土行。


 神気に任せた勢いに圧され、晶は全力で精霊力を練り上げた。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝、――長夜月。


「勢ィィィイイッッ」

「――微温いわ!」


 軒昂と水気が刃風と唸り、至心の斬撃と噛み合う。

 瞬転。莫大な水気が刃金から爆ぜ、剣戟と斬り結ぶほどに衝撃が散った。


精霊技せいれいぎの修練を始めて、精々が数ヶ月。

 これまでを怠けてきた惰弱が颯馬そうまに克つなど、履いた下駄の高さが透けて見えるわ」

「く、そっ!」


 仕切り直しに後方へと跳ねる晶へと、雪崩れる勢いで精霊光が奔る。

 晶の視線の先、神気の象る刃金が閃いた。

 月宮流つきのみやりゅう精霊技せいれいぎ、中伝――。


仲冬断ちゅうとうだち」


 回避する余裕は無い。防御と立てた晶の太刀へと、凍てつく至心の斬閃が重なる。

 轟音。響く衝撃に耐える晶の至近へと。老躯が深く踏み込んだ。


 刃風が唸り、互いに鎬を削り合う。

 やがて晶の防御を貫いて、至心の切っ先が少年の脇をかすめ始めた。

 左右から剣戟を重ね、強化した大上段火行の構えを晶の頭上へと墜とす。


 ――構うことは無い。

 防戦に耐えるだけ、少年の底を確信した至心は、小手先を捨て全力で神気を練り上げた。

 跳ね上がる神気の重圧に、晶の足元で地肌が砕ける。


「は。颯馬そうまを沈めたという手管を期待してやれば、底の浅さもこの程度か。

 もう善かろう。ケガレと堕ちる前に、ここまで息を赦された我が慈悲に感謝しろ」


 ――じり。

 放発と、女郎花おみなえしの輝きが晶へと僅かに迫る。


「……底の浅さははお互い様だろう? 先刻から鸚鵡返しの一本調子。

 そもそも、國天洲こくてんしゅうの神器を央洲おうしゅうに還せとは、横から上から忙しい目線だ」


 ――じり。

 晶からの応酬へと滲む、苦鳴の響き。


高天原たかまがはらの興りより、連綿と繋がれてきた旧家秘蔵の歴史。

 貴様如きが真偽を計るなど、専横も良い処であろうが」


 ――じ、


「そうか? 公開されていないって事は、好き勝手吠えようが誰も気にしないって事だぞ。

 ――貴様が今、殺そうとした相手に好い気分と浸っているのと同じくな」


 ――り。


「真偽など如何でも良い。確かなのは、現実として旧家の権威が燦然と在る事実のみ。

 そら。あと少しは気張らんと、貴様の頭蓋が割れ飛ぶぞ」

「それは怖い。

 ――で? 神気まで持ち出した挙句、何時になったら俺を斬れるんだ」


 晶から返る不敵な応えに嘲りを浮かべようとして、至心は漸く気が付いた。

 全力で神気を籠めているにも関わらず、震える刃金は一向に晶へと墜ちていかない。


 大上段火行の構えを耐える少年の体躯へと、加速した精霊力が収束。

 ――気の所為せいか、噴き上がる黒曜の輝きが透徹と煌めきを帯びた。


「莫、 、迦な」


 訝しむ至心は最早一顧だにせず、晶は全力で精霊力を練り上げる。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――居待月いまちづき


 硬く揺らがず。巍々と立つ防御の精霊技せいれいぎが、至心の斬撃を上へと弾いた。

 土克水の関係が正面から崩れ、至心の体勢が致命的に崩れる。


 硬質の響きを遺し、晶から黒曜の輝きが散った。


「咲! 此奴はただ、神気が遣えるってだけだ。底なんて無い」

「――みたいね」


 晶の声に応える、澄んだ少女の決意。

 薙刀が、すみれ色に燃え立つ軌跡を描く。晶と入れ違いに咲の踏み込む足が、時を刻む勢いで刺突を繰り出した。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝――、


 虚はつかれたが、体勢は取り戻している。

 呼気を吐いて神気を練り上げた至心は、全力で防御を固めた。


啄木鳥徹きつつきとおし」「――無礼なめ、るなぁっ!」


 幾重にも爆炎が踊る薙刀が激突する寸前、氷壁が咲と至心を隔てた。

 火生土にして水克火。土気を仲介としたその氷壁は、火行に対する優位を誇る。


「ふ、驚かせおって。嵩が火行の精霊遣い如き、儂の霜柱を打ち破ろうなど……」

「ええ。精霊力なら無理かもしれませんね」


 至心の余裕に、咲の確信が揺るがず返る。

 少女の響きに云いようもなく、老躯は本能のままに後退を選択した。


 確かにそれは正解だったのだろう。

 至心の寿命を、僅かには引きのばしたのだから。


 そびえ立つ氷塊の向こう。至心の視界で、すみれ色の精霊光が透徹と澄み渡った。

 際限なく精霊力は高みへと昇華し、遥か志尊の頂から降り落ちる。


 それは神気の輝き。

 やがてそれは爆熱を伴い、薙刀の切っ先へと一点に集束した。


 火生土の関係すら越えた熱量が、至心の眼前で氷塊を撃ち抜く。

 響き渡る轟音の向こうから、咲と共に顕現けんげんした神霊みたまが進み出た。


「莫迦な。

 旧家でもない八家の小娘だぞ。調べた限り、貴様が神霊みたま遣いであったはずはない」

「ええ。ですから其処が、御厨みくりや翁の限界です。

 ある程度、三宮に信を置かれていたならば、私の事は伝わっているはずですので」

「……知っていようが関係無かろう。霜柱一つを砕いただけ、儂に勝利できるなど」


 ――確かに、晶の云う通りね。

 至心が神気を全力で練り上げる中、咲は肩を竦めて神気を解いた。


 呆気に取られる至心に興味は最早なく、無防備に背を向ける。


「何だと? どう云う心算つもりだ」


「――晶。後はお願い」

「ああ」


 平坦な晶と咲の応酬。――この2人が御厨みくりや至心を見止める事は今後無いのだと、老いた直感が何処かで囁いた。


 入れ替わりに立つ少年が、風雪の向こうへ消える咲を見送る。

 戻した双眸もやはり、至心を映してはいなかった。


「頑是なく泣き喚いているかと思ったが、随分と静かだったじゃないか」

「……この御厨みくりや至心をそこまで嘲弄するか。神霊みたま遣いと云えど、嵩が小娘。

 貴様を斃せば、」

「ああ、もう良いんだそれは。慈悲だの旧家だの、貴様の言葉はどれも薄い。

 言葉を繰るだけの穢獣けものと思った方が、よっぽどに馴染む」

「け、穢獣けものと云ったか。この御厨みくりや至心を、穢獣けもの風情と同列だと」

「言葉が通じないなら、その程度で充分だろうが。ああ。そう云えば、貴様もいた鴨津おうつ猩々ショウジョウを狩ったな。あれは逃げる知恵を回している分、

 ――貴様程度よりは厄介だった」


 平然と晶が告げた声に、至心は今度こそ慈悲を忘れた。

 小娘が居ない今、眼前の穢レ擬きもどきだけが至心の標的である。


 最早、油断は欠片も無く。

 ――神気の猛るまま、至心は刹那に現神降あらがみおろしを行使した。


 刃風が大気さえも断ち割り、轟然と晶へ迫る。

 ひるがえる晶の太刀が火花を散らし、剣戟の軌道を夜闇に刻んだ。


 幾重にも飛び交う斬撃の中、晶の感情は奇妙に凪いでいた。

 3年前なら恐怖の対象だっただろう、雨月天山と御厨みくりや至心。

 ――だが、相手を知るに連れ、その浅さが侮蔑へ変わった。


 知識や立場より、己を理解しようとしない頑迷さ。


 理解しようとしなかったからこそ、天山も眼前の老人も惨めに他者を踏み躙った事実をねじじ曲げられるのだ。

 ――そしてそれは、晶も同じであったかもしれない。


 無知さにひねくれて、拗ねた挙句を無駄にした。


 彼らが向こう側に立って喚き、晶がこちら側で眺めていられるのは、単に紙一重の幸運でしかない。


 炎が晶を煽り、ひるがえる斬閃が衝撃と去る。

 必死な御厨みくりや至心の表情に、ふと嘲弄に近い感情が浮かんだ。


 巻き上がる炎を水気で圧し潰し、至心の小太刀を鍔で抑え込む。

 土行であろうが関係は無い。何よりも御厨みくりや至心は、神霊みたま遣いとして致命的に足りていなかった。


「ああ、それだけは感謝するよ。――御厨みくりや至心」

「 、 、貴様が、貴様はっ」

顕神降あらがみおろしを知らないんだろう? 神霊みたま遣いとしての基本的な知識が、貴様には足りていないんだ」


 何故かはもう、晶も理解していた。

 精霊と精霊遣いが同じ存在である事は良く知られているが、それでも感情や性格が同じだとは限らない。


 至心や旧家のものが精霊と神柱を軽んじるなら、知識という恩恵も相応に低くなる。

 御厨みくりや至心の不幸は、神気を振るうだけでも大抵は何とかなったという事実、

 ――そして、己が神霊みたまをひた隠しにここまで来れたという点か。


 お陰で、剣術の鍛錬から精霊技せいれいぎの行使から、中途半端な技量で満足してしまったのだ。

 月宮つきのみやが旧家の排除を決定したのは、この腐敗が取り返しもつかない際に至ったと判断したからだろう。


 晶ができる感謝の形はせめて、至心が屈辱と否定に塗れたまま、雪の降り頻るここで終わらせてやるだけであった。


 神気を練り上げる気にもなれなかった。水気の凝る太刀を振り上げ、佳月煌々かげつこうこうすら行使せずにただ全力で統御する。


 硬く、堅く。ある一点を越えた瞬間、黒曜の輝きが唐突に消えた。

 ――無音。僅かと水気が揺らいで散り、残ったのは静寂だけ。


「……儂は、旧家は、」


 下らない未練が、御厨みくりや至心の口の端を吐いた。

 その脇腹が大きく穿たれ、奔り貫けた何かに抉られた地肌へと崩れ落ちる。


 末期の息は静かに一つ。

 何か遠く。晶は掴んだ確信を脳裏に刻み、残心から納刀した。


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