8話 憐れみに説く、訣別も知らず3

 深々シンシンと、連翹山に降り頻る雪虫は、やがて視界を覆う白の闇と化した。

 さくり。輪堂りんどう咲の足元に遺る、淡雪が儚く踏み崩れる音。


「雪は珍しいかい?」

「初めてって訳ではありませんが。

 南部では降っても、積もりはしなかったので」

「だったら、北部の降雪は覚悟した方が良い。

 此方で世話になって初めて、立ち行かない積雪って奴を実感した」


 不破ふわ直利の窺う声が、蒸気自動車の向こうから届いた。

 釜に火種を投げ入れ、クランクで蒸気機関に初動を与える。


 ――やがて、蒸気を吐き出して、自動車が軽快に暖気音を響かせた。


「蒸気機関って奴は便利だが、冬場の手間は玉に瑕だな。

 そろそろ出ないと、この道も雪に埋もれてしまうが」

「……もう少し待ちます」


 蒸気の圧力を利用する蒸気機関は、常に燃料を消費する。

 早く出ようと直利の促しにも、咲は頑と頭を横に振った。


 晶が雨月の広間を後にして半刻1時間。更に四半刻30分を待ち惚けて尚、晶が屋敷の奥から戻ってくる気配は無かった。


「ここは晶くんにとって、居たい場所じゃないからね。

 ……既に麓へと下山したんじゃないか?」

「だったら良いのですが、この雪だと一本道でも迷いそうで」

「麓のものは、偶に無茶な峠越えで遭難しているね。

 ――ただこのままだと、私たちも下山できなくなってしまう」


 視界を一面に覆う白は、慣れた道筋でも容易く方向感覚を奪う。

 咲の危惧はその通り。しかし現状では、彼女の方が危険であった。


「何故ですか?」

「――蒸気機関は便利だけど、冬の寒さには弱いんだ」


 咲の疑問に、待ち続けた先から待ち人の声が返る。

 巡る視線の向こうで、肩から雪を払い落とす夜劔晶の姿。


「これ以上の降雪が続けば、自動車じゃ立ち往生してしまう。

 徒歩で下山となったら、土地勘のない咲の方が遭難しかねない」

「晶くん。――――良いの?」

「ああ。これが最後って訳じゃないだろうし」


 多くの意図を含んだ窺う囁きに、晶の頤が軽く同意に揺れた。

 これが今生という訳でもない。墓参りの機会だけなら、全てが決着すれば何時でもある。


「では行こうか。

 ――雪で道が覆われる前に、戻ってくれて良かった」


 屋敷を抜け出した晶が、時間稼ぎの間を費やして何をしていたのか。

 肩へ積もった雪に薄々と察したが、直利はそれ以上の追及もすることもなく。


 後部座席へと乗り込んだ2人を見届け、運転席へと乗り込んだ。




 粉雪に浮かぶ灯明ヘッドランプが二条、蒸気自動車は山間の道を下りていった。

 車内を満たすのは軽快な駆動音だけ、会話も無く晶たちは肩を並べるだけ。


「……そう云えば、宿はどうしようか」

「確かに。頼んでから、向かえば良かったな」


 遠く、赫い灯明を視界に留め、思わず咲から呟きが漏れた。

 咲の感覚だと、もう戌の刻20時は越えている。相宿でも客寄せを終えて、暖簾を卸している頃だ。


「高宿なら、金子次第で寝床は貸してくれるだろうけど」

「それしかないか」


「――心配しなくとも、私の名義で二部屋を取ってある。

 豪勢に夕餉とは無理だが、冷や麦に漬物なら残して貰っているさ」


 無駄な出費に頭を抱える2人へ向けられる、直利の慰め。

 途端に空腹を覚えた少年少女は、現金な腹に頬を赤らめた。


「直利先生は、俺たちが食事をしないと気付いていたのですか」

「そりゃあね。あれで食事に箸をつけられるなんて考え、無神経以外の何物でもない。

 ――咲嬢も漸く安心できたかな。未だ街も見えていないのに、宿の心配が出来るとは」


「別にお腹が空いた訳じゃありません。

 それこそ、街の明かりが見えたから気付いただけです」

「何だって!?」


 揶揄う直利の声に、咲は判り易く頬を膨らませた。

 穏やかな冗談交じり。少女の可愛らしい反駁はしかし、直利の返事へ硬いものを滲ませた。


 直利も此処ここに慣れて長い。連翹山の地理は充分に、直利の土地勘へと刻まれていた。

 蒸気自動車の速度は雪に阻まれ、確かであれば未だ山中も深い。

 ――間違いなく、此処ここから廿楽つづらの街の灯は届かないはずであった。


 急ぎ蒸気自動車を停め、灯明の方へと足を下ろす。

 昏く奥に灯る、――赫い闇。


「ここまで広がっているとは、予想外だった」

「何ですか、あれ?」


 煙る赫を見止めた直利の呟きへ、晶が怪訝に問いかけた。

 道すがらに見つけた咲と、双眸を眇めて奥を見透す。


「瘴気だよ。龍脈を通じて、瘴気溜まりが広がっている」

「荒神堕ちは収まったと窺っていますが」

「そちらは確かに。だが、瘴気溜まりは一朝一夕で消えるものじゃない。

 特に、廿楽つづらの風穴近くまで赦したのは痛かった」


 瘴気に汚染された龍脈は、そのものが瘴気を吐き出す源泉だ。

 単純な瘴気溜まりと違い、根も深く浄化に苦労する。

 廿楽つづらの風穴まで汚染されれば、一帯を呑み込む大規模な瘴気溜まりとなるのは予想に容易かった。


「陰陽師の派遣は」

「天山殿なら固辞をするだろう。

 ……現状を思えば、政治的にその判断は間違ってはいない」


「――廿楽つづらの風穴まで呑まれてしまえば、それこそ領地が終わりますけど」

「それは天山殿も、充分に理解しているさ。

 ああ。丁度、始めるようだね」


 晶と直利の会話を余所に、咲の視線が赫の奥へと向かう。

 瘴気の先で精霊光の障壁がそびえ、火花を散らして相食み合った。


 遠く揺れる大気が、雪の帳を越えて晶たちに届く。


「残っている陰陽師を全員、龍脈の浄化に投入したんだろう。

 雨月の保有する陰陽師は國天洲こくてんしゅうでも随一だ、簡単に決壊などさせないさ」

「なら良いのですが、 、 、」


 首肯するも、晶たちの表情に一抹の不安が浮かんだ。

 気持ちは理解できると苦笑を返し、蒸気自動車に戻ろうと2人を促した。


「雨月に籍を置く陰陽師が多いとは初耳です。

 3年前はそれほどでもなかったと、記憶していますが」

「晶くんが知らないだけ、天山殿が当主になられてからだね。

 天山殿は陰陽師の才覚がそれほど無くても、代わりに陰陽師を優遇する政策を良く打ち出していた。

 ――私が雨月と縁を繋げたのは雨月房江殿の推挙だけど、天山殿の繋ぎを辿った事が最初だ」


 意外にさえ思える直利の評に、晶の視線が困惑を返す。

 晶であれば特に認め難いだろう、直利は慮るだけ肩を揺らした。


 天山とて人の子だ。晶に対する悪意も確かだが、その治政まで否定できるものでは無い。

 両者の断裂は後戻りも出来ないが、それでも事実の否定までは間違っている。

 何れは理解して欲しいと願い、


 ――隠しようも無く膨れ上がる精霊力殺意に、大きく地面を蹴った。


 ♢


 ――時間は少し遡る。

 晶たちが雨月の屋敷を後にしたと同時刻、唸る怒号と困惑が広間を占めた。


「御当主。最早一刻も、猶予は御座いませんぞ!

 彼奴めが廿楽つづらを後にすれば、雨月の衰亡は決定のものとなります」

「あれをどうやってくだせと? 其方。勝ち目も無いのに討って出ようなど、簡単に申せたな」

「然らば、穢レ擬きもどきを放置しろと?

 ――流石は化生バケモノの成り損ないよ。薄気味悪く、御家族である御当主さまを無礼に。慈悲の御手打ちを甘んじぬなど、反吐さえ覚えたわ」


 喧々囂々。混乱に煮詰まる広間を、鹿納峰助は気配も薄く後にする。

 視線に浮かぶ決意は昏く、通路の壁に設けられた電話口へと近づいた。


 電話交換手を呼び出して、相手を告げる。

 傍らで周囲を窺う額に伝う、冷たい汗。

 ――やがて、


『――、――――、――』

「はは、お待たせいたしました。

 はい。心尽くしは恙なく、御老の危惧された通りとなりました。はい、」

『――――、―――』

「彼奴目が何の技を行使したか。……見る限りでは防御の精霊技せいれいぎでしょうが、視た事もありません。儂も義王院流ぎおういんりゅうを全て把握していると思い上がりませんが、御当主さまの精霊技せいれいぎを正面から耐えるなど寡聞にして」

『――。―――――、――――』

「今からですと、彼奴輩きゃつばらめが下山した辺りとなりましょう。

 ――あの。穢レ擬きもどきに同道している者たちも、全員が八家の縁となりますが」

『――――! ―――――――』

「無論に御座います! 道に外れたならば、八家であろうが人に非ず

 御老が誅罰を与えるに、些かの瑕疵も有りませぬ」

『―――――。……――――――――――』


 応える度、滂沱と汗が鹿納の襟を湿らせた。

 拭う手間さえ惜しみ、必死と言葉を紡ぐ。

 やがて会話も終わりに近づき、老躯を屈め囁くほどに一層声を低くした。


「こちらは間違いなく。

 ……あの、お約束の件。は、旧家の陪臣として取り立てて戴ける、その確約は」

『―――――。―――――――、――――――』

「全く、疑いなど! いえ、旧家の末席に連なるなど、儂の身に余る想いに」

『――。―――』


 短く、電話越しにも投げやりな応答の末、一方的に会話が切られる。

 沈黙しか返さなくなった受信機を、鹿納はのろく元に戻した。


「これで良い。――これで良いのだ」


 呪うかの如く肚から怨嗟を呟き、来た道を戻る。


 己自身がどれだけ考えても、鹿納に生き残る可能性は無かった。

 晶との交渉が決裂すれば勿論。仮令たとえ、締結しても、鹿納が日陰と追いやられるのは間違いない。


 晶が肯った際、夜劔家は雨月陪臣の第一席として座る事になるからだ。

 その場合、陪臣から外れる一席を巡り、陪臣たちも政争の渦に巻かれる。

 そうなれば、鹿納峰助が散々と自慢してきた、隠功が足枷と変わるのだ。


 雨月颯馬そうまに無礼を吐いた晶を、教育の為と心痛めつつ殴りつけた件。


 誰もが羨ましがり、己自身が立ててきた武功と並ぶ隠功。晶自身が当時の至らなさを笑って、鹿納に感謝するが当然の結果。


 ――しかし、陪臣たちにすればそうではない。

 以前の添橋そえばしが蠢動を見れば間違いなく。明らかな瑕疵と、晶の無知に付け込む腹積もりだ。


 そうなってしまえば鹿納の心尽くしも無下と変わり、郎党ごと放逐されるのは目に視えていた。


 どの道であっても結果が同じであれば、選ぶのは余所に陰功を捧げる事だけ。


「これで良い。これで……」


 誰よりも自身へと囁くその言葉は、

 ――ふらつく足取を、鈍く、呪く、虚ろに奥へと導いているようであった。

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