8話 憐れみに説く、訣別も知らず2
颪が轟き、屋敷に穿たれた孔へと迷い込んだ。
凍てつく一陣は蝋燭の灯明を過ぎ、畳に
白く渦巻く風は終わりも無く。
電球の灯りだけ、風に釣られた粉雪が広間の陰で吹き溜まった。
夜劔晶と雨月天山。
互いに無言。一触即発の緊張に、陪臣たちも腰を半ばまで浮かせた。
晶を護る黒曜の精霊光が、音も無く粉雪と踊り散る。
その場に残る、雫の滲む畳と静寂。
――ただ、それだけ。
何処までも無関心の侭、晶は広間の最下座で天山を見下した。
「何、だ」「?」
疑問が天山の動揺を誘うも、晶に応える意義すら遠く。
寄越す晶の視線だけ、天山は激昂に震えた。
「何だ、
天山にとっても、この交渉が難しいと承知している。
――
雨月家が失伝したその存在は、史上でも稀にしか顕れない無尽蔵の精霊力を行使する存在だという。
三宮四院に準じる個人は、
主家の悉くが阿るのも、
だが
戦力で八家を凌駕しようとも、一皮剥けば脆弱な愚図。
雨月分家という破格の譲歩に肯えば良いが、増上慢で交渉を蹴るならば誅滅も止む無し。
そう覚悟した天山は当然、決裂に備えて不意を討つ準備も充全に仕込んでいた。
饗宴を建前に油断を誘い、精霊器を離す。
残る脅威は神器だが、広間の間合いであれば初撃を封じる事は可能だ。
三宮四院の配慮を無下にするが、愚鈍が期待外れであれば考えも改めるだろう。
策動は目論見通り、天山の初撃も間違いなく。
奔り抜ける手応えに天山は歓喜し、晶を護る黒曜の神気に脆く終わりを理解した。
透徹と夜天の輝きが、音も無く虚空へと去る。
最後の情けと醜態を無視し、晶は傍らに座る
「――俺の用は済んだけど」
「判った。私は話が残っているから、先に戻っていて」
打ち合わせ通りに返る、少女からの了承。
首肯だけを一つ残し、晶は今度こそ広間を後にした。
成長途上の若い後背が、躊躇いも無く廊下の向こうへ去る。
完全に気配が失せるまで窺い、陪臣たちの憤慨が囁きと満ちた。
「――ま、全く。御当主の配慮を踏み躙り、若造が云いたいだけを」
「
喧々囂々。遣る瀬無い憤懣が、陪臣たちの口を吐く。
だが糊塗した虚勢も剥がれ、その姿勢は何処か弱さを含んでいた。
怖いのだろう。咲は声すら返さずに、その狂態を眺めた。
上座で天山と酒匂が密談を交わして暫し。
――吹き込む寒風に気付いたのか、天山は取り繕う笑みを咲へと向けた。
「……はは。これは醜態を晒してしまいましたな。
愚息は見ての通り、道理を知らぬものでして」
「……いえ」
頭を振る咲の落ち着いた声。我に返った陪臣たちも、思い思いに腰を下ろす。
冬の色濃い風に背筋が震え、見兼ねたのか
青白く励起の炎で四隅を結び、精霊光を捲いた結界が風を遮る。
「木行の結界です。暫くはこれで維持できるかと」
「済まぬな、直利。
――さて、
「特に苦労というほどでも」
「御謙遜を。取り急ぎ明日にでも、
……今日の醜態からして、南部では雑木共を侍らせて、慢心を尽くしていたのでしょう」
「真逆。そのような事はありませんよ」
「ふ。あれは初対面を繕う能だけ自慢でしてな。
神嘗祭程度では看破も難しいが、直ぐに化けの皮も剝がれましょう」
天山の釈明に咲は首を傾げた。――悪印象は知っているが、晶を知ろうとする意志が浅すぎる。
「いえ、晶くんとは
「……ほほ。数ヶ月は誤差でしょうが、態度を誤魔化す術だけ長けましてもねぇ。
我が子ながら、恥ずかしいばかりです」
首を振った咲へと、雨月
家族と否定された事実を認めたくないのか、言葉裏での主張が鼻につく。
それこそ誤魔化しを糊塗する行いに、咲は嘆息を吐いた。
咲に取って家族とは、それこそ近しい存在である。
当主の
咲から見た雨月の家族とは、冷たく無為なもの。
晶に対する態度から酷いものだったのだろうと、咲にも用意に想像がついた。
「言葉が足りず、申し訳ございません。
「……………………そうか。御年で教導とは、
何も知らないのか、と咲から暗に指摘。
咲の皮肉を正しく受け取り、天山は苦く応えの的を外した。
意地でも、晶の雄飛を認めたくないらしい。
頑迷な相手の態度に期待もせず、咲は懐から書状を差し出した。
――白く丁寧に、折られただけの無地の書状。
「互いに知らぬのでは、仕方もないかと。
――それより此方を」
「
差出人が判るよう、書状の隅には影彫りを示すのが通例だ。
八家でも当然。
受け取った書状を広げて一瞥。
書状の内容を理解するにつれ、天山は口調に荒ぶるものを抑えられなかった。
畳へと掌を衝いて、前のめりに咲を睨みつける。
「これが何を意味するのか、理解しているのか。
「見ての通り。洲太守であらせられます、
天山からの反問に、内容を把握している咲も首肯を返した。
静美から雨月へと渡された書状の内容は、
領主代理との引継ぎから資財の処分。簡素に纏められたそれは、決定を告げる数行であった。
「未だ、期限の春先も遠い。
零落すると決まった訳でもなく、先走りが過ぎるのではないか」
「決定しているでしょう。この時点で、挽回を図る見積もりもないですし」
云い募ろうとする天山を、咲は二句も無く切り捨てた。
醜聞ではあるが、華族の追放自体は良く聞く話題だ。
対象の意見を余所にすれば、陰で嗤われても基本的に罪とは問えない程度。
――だからこそ三宮四院は、雨月の処断を晶の裁定に委ねたのだ。
天山が晶を追放したように、今度は晶が雨月家門へと同じ処分を返した。
晶との縁を知らぬものとしたこれまでが、天山たちに返ってきただけの事。
冷えるだけの広間。天山たちは否応なく、晶に対する己の振る舞いと直面する羽目になった。
♢
さく、さく、さ、 。靴の裏で粉雪が哭き、細かく白い跡を残した。
吹雪く風に揉まれ、ともすれば迷う夜闇の先。昏く閉ざされた坂道を、晶は只管に登る。
雨月の屋敷が混乱する最中、裏の勝手門から抜け出すのは容易であった。
祖母と共に住んでいた奥の離れは、その抜け道までが晶の庭と断言しても良い。
たったの3年前。今では役に立たなくなった小道を迂回し、苦笑しながらその先を歩く。
昏く吹雪いていようとも、その道程は晶にとって慣れたものであった。
「……咲は首尾よく、時間を稼いでくれたかな」
誰の聞く耳も無い独白が、晶の唇を震わせる。
肚の底で燃える変若水の癒しに、昂揚した笑いが自然と浮かんだ。
実のところ、天山に向けた屋敷を掃き清める条件は、晶にとって大した問題では無い。
雨月天山の意向で晶を屋敷に招かせる事が、晶の出した条件の本質であった。
比較的緩い条件に破格の対応。加えて雨月の猶予と、晶に裁定権を委ねる旨。
目論見通り天山は知らずと油断し、自分の領分である屋敷へと晶を招いた。
交渉を決裂させるよう仕向けて、先に退室。
晶が屋敷を抜けるまでの、時間稼ぎを咲に頼む。
咄嗟の発想であったが、存外に上手く事は進んでくれた。
これら全てを進めた理由こそ、晶の進む道の先。
「……着いた」
晶の視界が開け、白く棚引く息が途切れる。
雲間に粉雪は止み、皓月がその場所を照らし出した。
薄く降り積もる雪の跡、石の列が白く鮮やかに。
――晶の目的としていた場所は、雨月係累が代々眠る墓地であった。
月明かりを頼りに、墓地を進んで暫く。
死に目に逢えたのが、晶にとっての祖母との最期。
葬式の間は離れに押し込まれ、4日も経たぬうちに追放されたのだ。
初めて目にする祖母の墓碑は、祖父の隣に建てられていた。
安堵に
冷たい表面を優しく、2度3度と。
雨月房江と天山は永く、晶を巡っての確執を抱いていた。
流石の天山も、だからと死者を追い打つ真似は控えたようであるが。
晶の見渡す限り墓碑に損傷はなく。代わりにしぶとい冬の雑草が、粉雪の狭間から葉を覗かせるだけ。
心配もそこそこに、晶は周囲の雑草へと手を伸ばした。
虎杖、寒葵、スイバ。棘に裂かれ、指先へ血が滲む。
構うことなく晶は、根から雑草を引き抜いていった。
深々と風花が舞う。暫くして掃除を終えた晶は、白く息を吐いて立ち上がった。
「……お久しぶりです、お祖母さま。
墓参りに時間を掛けてしまって、ごめんなさい」
雨月の墓地は、屋敷の奥にある。墓参りを申し出ても、天山が素直に通すとは、晶も楽観はできなかったのだ。
今までの言動を顧みても、最悪、墓を盾に帰順を迫る可能性もある。
そうなった際の策も考えてはいたが、天山の意識を墓から逸らす方が確実だ。
遠回りはしたが最善の結果。晶は腕を伸ばし、墓に積もった雪を払い落とした。
「――話したいことが有るんです。この3年間に起きた、色々な事とか」
墓碑は冷たいまま、静寂が返る。それでも晶は楽し気に、訥々と言葉を紡いだ。
守備隊に入隊した事、友人が出来た事。
「お祖母さまの云った通りになりました。
――俺が生きる意味が、何時か判るはずだと」
祖母の精霊だった芙蓉御前が、禁を冒して晶を引き留めた事。
――
神柱と対峙し、雨月
嗚
己を知ってたった数ヶ月。状況は激しく移り変わり、晶は遂にここまで辿り着いた。
漸く、手の掛かった雨月の
雨月房江が晶の祖母であるなら当然、雨月天山は房江の息子となるのだ。
晶が生まれる前に故人となった、先代当主との間に設けられた息子。
「……お祖母さま、申し訳ありません。
雨月と訣別した以上、お祖母さまの息子である天山を風穴から排除します」
雨月を排除し、夜劔が後任の八家を名乗る。それは夜劔晶が八家と立つ最低限の条件。
晶に雨月を赦す意思はない。そうである以上、雨月天山を始めとした家門の排除は決定であった。
「全てが終わったらもう一度、墓参りを許してくれますか」
死者が晶を引き留めることは無い。
己の覚悟を証明するために、晶は雨月房江の墓前に謝罪の言葉を遺したかったのだ。
誰に聴かせるでもない晶の決意は、僅かと踊る風花の渦にだけ散って消えた。
♢
ラーヴァナだった真崎之綱は、雨月を晶と戦わせるため、神無の御坐の情報を最低限しか教えていませんでした。
知らなければ、斃せると思い上がれるのも又道理かと。
かなり悩みの多い回でした。
修正も必要ですね。
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