閑話 和やかに謀りて、ただ語る

 木材を山積みに、威勢よく大八車が駆け抜けた。

 蒸気自動車が脇を追い抜く傍ら、雑踏が捲き上げる砂埃を踏み散らす。

 穏やかであった央都も、百鬼夜行に蹂躙された現在は、復興に俄かの活況を迎えていた。


 央都東西に横たわる、八のすじ。瓦礫と化した大路を歩く小峰豊彦こみねとよひこが、目当ての相手を見つけて片手を上げる。

 視線の先に立つ中年の男性が軽く頭を下げ、小走りに少年へと近づいた。


「お久しぶりです、坊ちゃん」

「坊ちゃんは止せ。下手に聞かれたら、軽く見られるだろうが」

「見られないようになったら、坊ちゃん呼びは止めさせて頂きやしょう。

 ――蒸気自動車クルマを用立てましたが、今日は何方どちらへと?」

小峰家ウチが世話になっている仕立ての商会があるだろう。

 隊服の修繕を予定していてな、この後に預ける予定だ」

「ああ。神嘗祭が目前でしたか、

 ――何処も彼処も話題はそれ一色です」


 小峰商会の央都支社長を任されている男はかんらと笑い、連れ立って待たせていた蒸気自動車へ。運転席へ繋がる小窓を叩くと、やがて駆動音が車内を満たした。


「央都での暖簾分けを許されたんだってなぁ。先日、鴨津おうつへ帰った際に、親父に聞かされて驚いたよ。

 ――今は何を手掛けている」

「やはり内陸への塩の流通は手堅く、久我くが家の鉄道事業に噛み込めたなぁ強かったですな。

 坊ちゃんこそどうして? 此方で連絡を寄越されるなど、思ってもみませんでしたが」


 男は紙煙草を口に咥え、燐寸で火を点す。

 やがて薫る紫煙を眺めつつ、幼い頃から知る豊彦へと視線を遣った。


 久我くが家の持つ長谷部領はせべりょう華蓮かれんを結ぶ鉄道路線の中継点に、小峰家の所領はある。

 それ故に小峰家は、小領ながらも早くから鉄道事業の恩恵を受けた領地の一つであった。


 細々と穀物を運ぶだけであった小峰家の問屋も、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長。

 その伝手は洲を越えて尚、広く。珠門洲しゅもんしゅうける事情通として、小峰家はその名を知られていた。


 漂う脂臭やにくささを掌で払い、豊彦は牛革の背凭れシートへ身を委ねる。


「学徒の身で渡りをつける羽目になるとは、俺も思っていなかったさ。

 だが二進にっち三進さっちも行かなくてな、止むを得ずだ」

「厄介事で?」

「さてね、それすら判らん。

 ――支社長は、國天洲こくてんしゅうに繋がりを持っていたか」

「全く無いとも云いませんが、流石に遠い。

 喫緊のものは又聞き程度になりますが、それで宜しければ」

「構わない」


 支社長の頼もしい返事に、豊彦は軽く首肯を返した。


 ――世間話程度を訊き出す。

 頼まれ事こそ日常の雑談だが、それで終わる訳がないと豊彦は確信していた。

 諒太の言葉の裏を返せば、何か起きている事実を示唆しているのだから。


 だが、どれほど粘っても、國天洲こくてんしゅうの知り合いから問題を訊き出せることは無かった。


 精々が雨月颯馬そうまとその郎党の不在が続いている辺り。とは云え、神嘗祭を目前に諒太を含め他の八家も不在がちな現状では、違和感とするにも些細すぎた。


國天洲こくてんしゅうで、瘴気溜まりが頻発していたのは御存じで」

「噂程度には。五月雨領さみだれりょうを中心にしていたから、直に水脈の繋がる壁樹洲へきじゅしゅうと揉めていたとか」


 なら、話は早い。そう締めて、支社長は揺れる天井へ視線を泳がせた。

 秋晴れは高くも、裏腹に通りを疾走する車内は薄暗い。


「そちらとの断絶は、ほぼ確定したようです。

 特産の五月雨杉が瘴気に汚染されたとかで、値段も足元を見られていると。

 ――どうやら難癖をつけて、距離を置こうとしている様子です」

「証拠は」

「煽りを喰らった杉の相場が急落しているので、それが証拠代わりになるかと。

 今回の百鬼夜行で央都との取引が増えましたから、五月雨領さみだれりょうとしては一息つけたと云った処でしょうな」

「――長引きそうか」


 天領てんりょう学院では揉めている程度に納まっていたから、外部では深刻さが増しているのは初耳であった。


 洲を越えた付き合いは拗れがちだが、國天洲こくてんしゅう壁樹洲へきじゅしゅうの仲は長い歴史にあって比較的良い。平民の揉め事は有ろうが、領地間の戦にまで発展した例は無かったからだ。


「さて。ただ、壁樹洲へきじゅしゅうには國天洲こくてんしゅうと険悪にする心算つもりはないかと。

 どうやら、五月雨領さみだれりょうとだけ距離を置きたい様子ですな。

 ――と、」


 石を跳ねたか座席が大きく揺れ、2人の身体が僅かに浮く。

 肩周りへ散った煙草の火の粉を叩き、豊彦は視線を強めた。


「――待て。雨月家は、義王院ぎおういん家とも疎遠になりかけていたよな。

 壁樹洲へきじゅしゅうは、雨月降ろしの風潮に乗っかっただけか?」

「さぁて。ただ雨月家は今年、随分と強気な取引を繰り返していたようで。

 何処も彼処もうんざりだと、陰口は絶えませんでした」

「学院でも噂にはなっていたな。今年はそれで良いとしても、熱の冷めた来年はどうする心算つもりなんだか」

「五月雨杉だけが杉って訳でも御座いませんので、その辺りは喃々なんなんとするのでしょう。」


 木造の家屋を始め、高天原たかまがはらでは木材の需要が非常に高い。成長が早く丈夫な杉は、安価であっても良質な木材として多く流通している。

 特に北部國天洲こくてんしゅうの厳冬を耐え抜いた五月雨領さみだれりょうの杉は、一回り大きく均質な杉材として人気の高い特産の一つであった。


「嵩が杉の銘柄一つ。拘って國天洲こくてんしゅうに睨まれるよりは、と考えるのは商人として当然か。

 突いてみるなら、その辺りが弱みだよな」

「……お言葉ですが、坊ちゃん。杉の相場は利権屋共の餌場です。

 あたし等も、南部以外じゃまだ無名の商会。間違いなく向こうの腹黒は、足元をみてきますよ」


 情報を急がせる余り杉の購入を決めたなら、焦って無駄金を募らせかねない。

 支社長がそう苦言を呈した時、自動車が大きく制動を掛けた。

 目的地に着いたらしい。豊彦は通りの脇へ足を降ろした。


「成立はしなくていいんだ、強気でいけ。

 どうせ瘴気に冒されたと、怪事ケチのついた杉だ。小銭欲しさに焦ってくれたら、俺たちの商材情報を勝手に唄ってくれる」

「これを機に、國天洲こくてんしゅうへと手を延ばす気は無いと?」

「その気が有ろうが無かろうが、落ち目の雨月と懇意にする理由にはならないだろ。

 依頼は久我くが諒太殿からの直々だしな。いい顔を売り込みたいなら、そっちに義理立てするのが筋だ」


 華蓮かれんでは珍しくなくなった総硝子張りの引き戸に手を掛け、軽い音と共に大きく引き開ける。

 ――途端、


「どういうことだ、店主。

 其方を買ってきた儂たっての頼み、受けかねるとは料簡が知れるぞ!」

「至心様であってこそ、依頼が難事であると理解できましょう。

 何を云われようと、難しいのです」


 出迎えた怒鳴り声に、豊彦は唖然と足を止めた。

 冷厳な老人の激昂する様を前に、店主が困り果てた様子で頭を下げる光景。


 向こうはさて置き、奇しくも豊彦の知らない相手ではなかった。


 水を差す覚悟で間に割って入るべきか、少しだけ迷う。

 終わりの見えない口論に痺れを切らし、豊彦は脇から口を挟んだ。


「失礼。御厨みくりや翁に御座いますか?」

「む。誰かな? 済まないが、記憶にないな」

「先月に短くですので、仕方ありません。葉月8月の上旬に、鴨津おうつの園遊会にて一度だけ挨拶を。

 ――して、御厨みくりや翁に措かれましては、何がありましたか?」

「別に心配されるようなことでは無い。

 神嘗祭を控えて羽織の修繕を頼んだところ、素気無くてな」



 この悶着が久我くが家の耳に届く可能性をおそれたか、鴨津おうつの響きに老人の口調が和らぐ。

 それ以上に言を連ねる事なく、じろりと店主を睥睨した。


「何度も申し上げておりますが、この身は小さい商会に御座います。

 一度にお受けできる依頼も限られておりますし、ここ数日の枠は全て事前の申し入れがあった方で埋まっておりますれば」

「ふん。この程度の繕い仕事、無理というほどでもないだろう。

 ――防人如きの羽織は預かれて、其方を買っていた儂の頼みを足蹴にするとはな」


 頑として譲らない店主へと、鼻を鳴らす。

 不満は募るものか、恐縮を返す店主を越えて、背後に掛けられた羽織へと視線が移った。


 丁寧な仕立ての、真新しい無地の羽織。家紋が染め抜かれていないところを見ると、確かにそれは防人のものと見える。

 それを具にして、豊彦も内心で得心をした。


 所領持ちが殆どを占める衛士と比べ、防人は華族であれど十把一絡げにされがちだ。

 仮令たとえ、正規の手順から依頼を通したとしても、優先すべきは衛士の事情である。

 ――それは豊彦も頷く、暗黙の諒解である筈だった。


「こちらに関しましては、止ん事なき御方からの直々に御座います。

 世話になりました御老公と云えど、方々を蔑ろにする訳にはいきません」

「旧家たる儂を差し置いてその言い草。

 相手の尊名、是非とも聞かせて欲しいものだが」


 譲らない店主に至心も苛立ちを露わにする。――その遣り取りを余所に、豊彦は改めてその羽織へと視線を向けた。


 ――無地の羽織は、一見するだけなら防人の羽織でしかない。

 だが、えりを彩るは綸子のそれか、見える限り相当に手が込んでいる。


 豊彦は後背に立つ支社長と視線を交わす。

 無言で返る首肯に、豊彦は内心で覚悟を決めた。


御厨みくりや翁もこのままでは埒が明かないでしょう。

 店主、自分の予定を取り下げる。同じ修繕ならば、空いた枠を充てるは可能と見たが、どうか?」

「それは勿論。

 ですが宜しいのですか? 小峰さまも神嘗祭を前にしたご依頼と思っていましたが」

「自分は急ぎじゃない。八家でもない一介の学生が、正式に参加できるはずもないしな。

 ――御厨みくりや翁も、それで宜しいでしょうか」

「無論。久我くが家の御縁者とあれば、後ほど正式に謝状を送らせていただく。

 小峰家と云ったか、その名を覚えておこう」


 向けられた豊彦の笑顔に、さも当然とばかりに至心は同意を返した。

 老躯の視線に混じる、辺土の華族を侮る気配。


「感謝します、御厨みくりや翁」


 明白あからさまな侮りに気付きはしたが、豊彦の笑顔が崩れることは無かった。

 この尊大に慣れた老人にとって、その対応は当たり前のものだと思うだけか。

 短く謝辞を返し、豊彦は一足早くに商会を後にした。


 ♢


 陣楼院じんろういんが央都に構える邸宅の一画では、俄かに緊張を帯びていた。

 緊張を露わにする神楽かぐらの隣で、弓削ゆげ孤城が笑顔で感情を隠す。


「どうぞ。茶菓子です」

「ああ、済まないね。――頂くとするよ」


 孤城たちと卓を挟んだ反対側。女性ながらに武張った指が、側役の差し出した羊羹を受け取った。

 作法も問われる事なく、羊羹が遠慮なしに齧られていく。


「美味いねぇ。甘みは勝つが、緑茶にはよく合う」

「西部の小豆は、大粒な上に豆皮が薄くてね。他洲への定番土産だね」

「あたしの領地じゃ甘味が少なくて、羨ましい限りさ」

「その代わりに鉱山があるだろう。

 何処の領地だろうが、一長一短には変わりはない」


 違いない。慎重に返す孤城と相対し、方条ほうじょう誘が磊落に笑った。


 ――遣り難い。

 意識して保つ笑顔の裏で、孤城はそう愚痴を漏らした。


 直情的に思われがちの誘だが、実際は意外なほど交渉事を得意とする。

 目的の殆どが欲望に直結している分、獣じみた嗅覚は侮れないからだ。


「……それで、何か用かな?」

「あたしは興味も無いんだけどね、晶って坊やの件さ」

「何のことか、解りかねるが」


 神嘗祭を控えた今、陣楼院じんろういんが神経を尖らせる理由は然程に多くは無い。

 誘が単身で陣楼院じんろういんの屋敷を訪れた時より、彼女の依頼は半ば確信がついていた。


 ごく自然に返る、孤城の返事。

 言葉の間まで演じ切ったその台詞に、誘の笑みが深まる。


「孤城殿は冗談が好きだね。

 暫く、その坊やと行動を共にしたんだ。知らないってことは無いはずだよ」

「そうだね。――確かに知らない仲じゃない。

 明け透けに方条ほうじょう殿と語らうも、筋は違うと思ってね」


 相手が晶の何に価値を見出しているのか、孤城は慎重に手札を切った。

 神無かんな御坐みくらに感づいていたとしても、誘が直球で斬り込むとは考え難い。


 交渉とは、値札のない商品に価値をつける行為だ。

 値札が無い以上、当然切れる札が多いほど相手に対して有利に働く。


 だが、孤城の予想を裏切るように、誘の笑みが迎え撃った。


「ただの坊やなら筋は違うが、神無かんな御坐みくらなら話も別になるだろう」

「……方条ほうじょう殿には敵わないね。

 それで用件は何だい? 直球が好みならそう聞くが」

「そう来なくちゃさ。

 玻璃院はりいんの姫さまより、手出しを控えるように伝言を頼まれてね」


 やはりそれか。面倒な事になったと、孤城は嘆息を吐いた。


 神無かんな御坐みくらである晶は、神柱にとって至上の蜜に等しい。

 神柱であればこそ、御坐みくらを求める本能の衝動は純粋なものだからだ。


「断る。――八家であればこそ、理由は理解しているはずだよ」

「確かにね。

 ――時に弓削ゆげ殿。400年前の顛末、詳細を知っているかい?」


 自分の領地の歴史、当然のことだ。

 愉しそうな誘の問いに、弓削ゆげ孤城は迷わず肯定を返した。


 功に焦った小領の華族たちが内乱を繰り広げたとしているが、実際はそれだけで済まなかった。


 生まれたばかり。赤子でしかない神無かんな御坐みくらが、神柱の加護すら無いままに戦禍の中央に放り出されたのだ。

 神無かんな御坐みくらを道具としてしか見ない有象無象が、敵方に奪われるくらいならと考えたのが事の発端。


 幼児ながらに混乱した神無かんな御坐みくらが、精霊ごとその地一帯を災禍に陥落したのだ。

 封じすら利かない、箍の外れた荒神堕ち。それが子供の純粋な癇癪の続くままに、奈切領やその周辺を荒らし尽くした最悪の結末。


 ただ・・人に神無かんな御坐みくらの知識は必要ないと、思い知らしめた400年前の真実。


「そいつが今度も起きかねない。――それも國天洲こくてんしゅう珠門洲しゅもんしゅうの間で、だ」

「真逆、晶くんの状況は」


 孤児だと口にしていた晶の真実。咲の立ち位置。

 愉し気に誘が告げた情報に、孤城の疑問が糸を結ぶ。


「これで理解できただろう?

 今度はあたし等が手を組まなきゃ、それこそ央都も巻き込んだ祭り騒ぎだ」

「……了承した。だが、情報が少な過ぎる。

 方条ほうじょう殿には、もう少し付き合って貰うが構わないな」


 鋭く、しかし迷いなく孤城も肯いを返す。

 その様子を愉し気に、方条ほうじょう誘は軽く緑茶の揺れる湯呑を掲げて見せた。

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