2話 日々は続く、埋火の如く4
――翌日。
秋晴れが深まりゆく、早朝の大路。
学院から少し離れた道場へと、晶と咲は仲良く肩を並べて歩いていた。
は、ふ。重なる息が白く棚引き、絡むように虚空へ散る。
秋寒に奔る一陣が、2人の手元で産毛を撫でた。
「この辺りに被害は無かったのかしら」
「
鐘楼山から侵入して、一直線に
――行きしに見ていますが、西の大路は瓦礫か更地に変わっていました」
「そう」
被害はやはり甚大だったか。
晶の応えに、咲は短く肯いを返した。
冬の装いを見せ始めた人混みの中、携えた太刀と薙刀が窮屈そうに触れ合う。
「そう云えば、咲お嬢さま――」
「お嬢さまは、そろそろ止めましょう。神嘗祭を過ぎたら、その必要も無くなるんだし」
「……申し訳ありません」
無自覚に下手に出ようとする晶の癖。
短く釘を刺す咲の声に、平民だった少年は思わず
気遣いは美徳だが、面子に拘る華族を前にすればその限りでは無い。
咲の下に晶が立つと誤解でもされれば、付け込む隙と勘違いした輩がどんな手管に出るか判らないからだ。
三宮四院八家が一堂に会する
何れ立つ晶は、今のうちから耳目に注意を払う必要があった。
咲の視線が、自然と晶の後背へと回る。
視線の先で緩やかに踊る、防人である事を示す無地の羽織。
「隊服は間に合ったけど、羽織は遅れているのよね」
「そちらは予備がありましたから、支障はありません」
「……なら良いんだけど」
他愛なくも気掛かりの残る会話を交わし、晶たちは道場へと足を踏み入れた。
集まり始めた練兵たちの喧騒を背に、稽古用の足袋を締め直す。
「それよりも気になる事が」
「神嘗祭の気掛かり?」
「いえ……」
不意に、晶が囁いた。
声音に浮かぶ、隠しきれない緊張。
咲の問い掛けに首を振り、晶は視線を巡らせる。
「そこ。床磨きが遅いぞ」
「「はい!」」
「
後で泣きを見ても、知らんからな」
「「押忍!!」」
視線の先で飛び交う怒号。
それを耳にした瞬間、咲は晶の懸念を理解した。
走り回る子供たちの向こうで、
「――今の俺が水行だと、隊長は御存じでしょうか」
「知らないと思う。
どうしよう。
独断専行のきらいはあるものの、
百鬼夜行の前線を維持した実力に、間違いはなく。
表立っての教導がその
どう説明をしたものか。
完全に失念していた問題が、晶と咲の前に難問として立ちはだかった。
♢
「成る程、判った。
――いや。判ったが、理解出来ん。精霊力が火行から水行へ変わっただと?」
「はい」
頭を抱える
隠しようもなくなってしまったが、それでも付き合って貰うしかない。
そう覚悟しての、
「簡単に云ってくれるがな。五行が変わったなど、噂ですら聞いた事が無いぞ」
「俺もですが、事実です」
「そうか、お前の事ではもう驚かんと思っていたが。
……極めつけだな、それは」
前代未聞の相談を受け、困惑するだけの
精霊は本来、現世に対して脆弱な存在である。
ただ刹那に散りゆくだけの、儚い生命。
だからこそ精霊は、現世に依って在るために神柱の象を間借りするのだ。
精霊の有する五行の別とはつまり、精霊にとっての象に斉しい。
己が己であるための確固とした基礎である以上、変わることなど不可能なはずであった。
現実逃避気味に、
師範の号声が放たれ、練兵たちが追うように唱和。
踏み出した攻め足に木刀が、遠く上座まで風を切る音を運ぶ。
牧歌的にすら見えるその光景に、
「何はともあれ、そうなった事実を前提に動くとするか。
――晶。幾つか、確認しておきたい」
大きく息を吐き出し、改めて晶と視線を合わせる。
「はい」
「五行が元に、お前が火行に戻る可能性はあるのか」
「……恐らく」
当然であろう問いに、躊躇いながらも晶は肯定した。
現在、晶の心奧は
複数の神柱を宿すことを可能とする、空の位だけに赦された埒外の特権。
――しかし
幾ら
「
――その表情だと、
「勝手が違い過ぎて、戸惑いしかありません」
だろうな。晶の困り果てた表情に、
他の五行を行使するなど、想定すらされていなかった。
「門閥流派を越えて
例外と云えば
「水気は非常に
「他行の精霊力なんざ、扱ったなど噂にも聞いた事が無いが。相克の関係から考えても、水克火では相性も最悪だろうよ。
……晶も、災難だな」
晶は
ほぼ縁のなかった
……つまりそれは、晶の実力が完全に白紙へと戻ったことを意味しているからだ。
「――叔父さまに、
「水気の門閥流派なら確かに
伝手を頼るとすれば、寧ろ
「
――基礎で良いから、叔父さまが
「流石に、無理ですな」
即座に断じる
流派の理念は、流派が積み上げた歴史そのもの。如何に源流たる
「俺が云えるとしたら、退き足から戦足を主軸に戦う辺りが精々だ。
――晶の精霊力が水行になったと、お嬢の他に誰が知っている?」
「……
「そうか」
僅かな
幸運か必然かはさて置き、状況を知悉している相手は洲の最高位に当たる。
「ならば
晶は、水気にどれだけ干渉できる?」
「
練度はお察しですが」
「
――水気を行使した感想は?」
目にした
改めて呆れた
短い戦闘の最中でも判る、同じ精霊力と一括りに纏められないその差。
「火気は軽く扱いやすい。対して水気は重厚く、動かし難かったです。
――恐らくは、五行中で最も重質な精霊力が水気なのかと」
「ああ。火気と水気の特性は、最も分かり易く対極に位置している。
極言、火行は撃てば終わるが、水行はそうも行かんだろう」
晶の感想に、
火行の熱量は在るだけで桁の違う威力を有するが、水行はそうも行かない。
一掬いの水ではなく自然の暴威として
それだけの違い。
「実際に
あの威力をどうやって
「それは、」
「――水気を加速させているのです」
晶の脳裏に、雨月
解けるように夜闇へ踊る、精霊光の帯。
――それらが
応えようと口を開いた晶を、その背中へ届いた声が引き継いだ。
振り返る視線の先に佇む、衛士の少女が独り。
「ご指摘の通り、水気は重厚く、基本的に外功としての
故に、体外で精霊力を加速させる段階を挟むことで、威力の補填をしているのです」
「
知り合いだろうか。咲の呻きに、静美と同年代の少女が微笑みを残す。
その光景に、先日の会議の際に進行を援けた相手を思い出した。
「
八家第七位、
以降の暫く、宜しくお願い致します」
楚々と会釈する少女を前に、晶たちは返事も忘れて肯いだけを辛うじて返した。
突然、現れた
間も置くことなく少女の提案により、日常の練武が開始された。
「……どういうお
「これまで
咲の詰め寄る気配には気付いていただろうが、
晶が木刀を振る光景を余所に、咲は剣呑と準備する
水気に染まった晶が、
現状に
――だけど選りによって、
「――この横槍、
「無論の事。
朝の時点で、電話越しに有りますが報告も入れています」
疑うなら確認しろ。そう言外に疑念を潰され、咲は悔し気に
感情を隠すことなく睨む咲を微笑まし気に、準備を終えた
威勢の舞う道場を一瞥し、物憂げに双眸が沈む。
「何か?」
「静美さまからの忠告です。利益が大きく言及もしませんでしたが、
――恐らくですがこの事態、絵を描いたのは
「誉さまが? ですが百鬼夜行終結の折り、尽力されたのは相手ですよ」
「事態は聞き及んでいます。
「
悩む素振りすら見せず、
現状を見る限り、
咲の疑問に、
「一つだけ明確な利点が。
――裏を返せばそれは、失態を一つに纏めると云う事でもあるの」
「残る2洲に対する傘代わり、ね。
でもそれだけじゃ、手を組ませる利益が薄いように感じるけど」
――そう。そこまでは利益が薄い。
だからこそ、判らないだろう。
顔触れが固まり歴史が続くほど、政治の基本的な評価方式は引き算に変わる。
無闇に功を積み重ねるより、篩にかけて頭数を減らす方が楽だからだ。
同じ家格が増えるほど、その傾向はより顕著に陰湿になる。
そこから己を護るべく、人は派閥を形成する。
数を
「恐らく誉さまは、
政治均衡を求めるのは難しいけれど、誉さまの才覚を見る限り不可能じゃない」
「右府舎と左府舎の生徒会を纏めたのは、聞き及んでいましたが」
無言のまま、
2年前。生徒会運営が男子と女子に分かれていた当時、二重政治を嫌った誉がそれを一つに纏めたのは有名な話である。
感性から違う両者の利益を
女傑と謳われる
目立つ功績を他者に譲り、顔を繋げる事で見えない利益を生み出す行為は、誉の独壇場とも云えた。
間違いなく、これとは別に何かを目的として動いている。
――何を企図しているのか。問題はその情報すら一切が見えて来ない事だけであった。
♢
基礎の素振りが馴染む頃、晶と
互いの手に
仕合の気配に、周囲の練兵たちも固唾を呑んだ。
「晶さまの事は、静美さまと
「はい」
「正直、基礎は訓練で積み重ねた時間でしかものを言いません。
であればこそ、晶さまが現状に及べるのは
曲がりなりにも、晶は
故に、
流派とは理念であり、畢竟、積み重ねてきた試行錯誤の歴史そのものだ。
晶が
結局のところ、それは上辺を取り繕っただけに過ぎないのだから。
だからこそ、晶に出来る事も同様に限られていた。
簡単に剥がれないよう、取り繕った上辺を厚く塗り固めるだけ。
「これより神嘗祭まで、私と仕合をして貰います。
実戦に近く、兎に角、回数を重ねましょう」
「――宜しく、お願い致します」
晶の肯いに口の端だけ微笑みを浮かべ、
「始め!」
「「!」」
互いの精霊力が解けて巡り、再び己へと収束。
――激突。
衝撃が吹き荒れ、離れた場所に立つ咲の衣服を乱す。
その様子に頬を膨らませ、咲はそれでも晶たちの試合を見守った。
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