3話 明暗を指す、大斎の烏鷺1
踏み込みは深く、沈むほどの姿勢から鋭く斬閃が迸る。
散り舞う精霊光を上下に分け断ち、遠慮のない一撃が晶へと伸びた。
「「疾ィッ」」
吐き出す呼気が重なり、晶の木刀が寸前で追いつく。
激突。
紫電と共に、精霊力が爆ぜる。
体を引き戻す刹那を逃さずに、晶は
死角から喉元へ。最小の所作からの伸びやかな斬撃は、相対するものからすれば不可視の斬撃と錯覚する斬撃。
晶の踏み込みに合わせ、
迫る晶の剣勢と踊らんばかりに、
解けて踊る互いの精霊力が、ほぼ同時に両者へ収束。
――
薄く朝日に染まる道場の静けさが、仕合う2人の熱気に揺れる。
「――それまで」
緊張が限界を迎える中、
視線を矛先代わりに軽く一当て。それを最後に、晶と
――強い。それも理不尽なまでに。
感情を
中伝の
絶大な防御を誇る反面で持続性に乏しく、実戦には相当の練達が求められる。
だが所詮、模倣は小手先の能力でしかなく、心身に修める技量とは別のものである。
術理への理解が異常なまでに高い。
道場を渡る秋寒が、剣を交わしていた2人の頬を伝う汗を優しく撫でる。
肌寒さが勝る中、粗く
――付かず離れない少女が、晶を気遣う光景。知らず
「晶くん。手応えはどう?」
「いえ。恥ずかしながら、実感がなく。
弱くなっているとも、思うばかりです」
口惜し気なその言葉に、誤魔化す響きは混じっていない。
晶は本気でそう思っているのだ。
「強くなっていますよ。
――ご心配なさらずとも、確実に」
掛ける口調は、できる限り感情を隠した平坦なそれ。
自制する少女と、素直な少年の視線が交差する
「前に進めていると、自覚はあります。
ですが御存じの通り、時間がもう無いので」
「現状、中伝までは
晶さまの焦りは、明日に神嘗祭を控えてのものでしょう」
「そうでしょうか」
水行の
だが、晶が
語り合うような
結局、晶はここに至るまで、
晶の焦りは、
それは晶の早過ぎる成長が故の、当の本人にさえ理解できない弊害だ。
だがその事実に対しての自覚は、不要な変節を齎す可能性を孕む。
故に
「守りに堅き。
実状をお伝えすれば、水行にとって
「――門閥流派を余技とは、随分と貶されますな」
晶との会話に、
何よりも先に衛士と立つ彼からすれば、5つある門閥流派はどれも難敵だ。
「別に貶した訳ではありません。
水行の防人であれば、同じ応えを返されるかと」
「……ふむ」
しかし、険を覗かせる
迷いのない
門閥流派は互いに仲が悪い。それは同じ
更に言及すれば、
経験豊富な
そんな晶たちを前に、
「以前にお伝えした通り、水気は精霊力の中で最大の重質を誇ります。不変にして不動。常に在らんとする特性は、
精霊力を封じる霊糸が、その
「反面、水気は陰陽術、取分け呪符との相性が抜群に良い。
「……それは知っていますが、疑問が一つ残ります」
焦げつくように、思考の片隅から剥がれない矛盾。
「――雨月家は武家華族の中で最強を誇っていると、嘗て聞き及んだ事があります。
ですがその説明では、最強を語るのも難しいはず」
「良い疑問です」
晶の浮かべた疑問に、
門閥流派とは極論、精霊遣いが重ねてきた試行錯誤と研鑽の集大成だ。
その発祥から4千年。連綿と繋げてきた思想と技術に差は無く、畢竟、後に問われるのは相性と個人の技量だけである。
その最たる例こそ、
それと同じく、雨月家にも他家を圧倒する最大の優位性がある。
「雨月家の興りより数えて4千年。
雨月家の歴史は、そのまま門閥流派の歴史と云っても良いほどに永い」
「歴史ですか」
その響きに嫌なものが蘇ったのか、晶の眦が歪んだ。
気持ちは理解できると首肯を返し、敢えて触れないままに言葉を続ける。
「歴史とは即ち、重ねた試行錯誤の差。
雨月家の強みは、その歴史を以て証明がされるはずです」
どうすれば成功して、何から失敗するのか。その知識は、門閥流派を支えてきた雨月家だけが独占をしていた。
――皮肉なものだ。
応えながら、
歴史こそが己の誇りと憚らなかった雨月家は、致命的な歴史を軽視したが故にその幕を自ら下すことになるとは。
それこそ誰も、夢にすら思わなかっただろう。
♢
――央都上洛。暮れ六つの頃。
夕刻に差す茜が終わりを迎える頃。
暮明へと誘われるかのように、踏み鳴る砂利の音がその背中を追う。
昔から付き合いのある商家との、日頃の商談を終えた帰りであった。
「――これは見栄を張らずに、提灯を頼んだ方が良かったかな」
随伴のいない寂しさを紛らわすように、苦笑が
一陣の
商談の内容は充分に納得のいく結果で終わったためか、その足取りは苦笑の割に軽い。
水脈に沿って走る水気の龍脈は、相克である央都にあって非常に数が少ない。
父、
それも後少し。明日の神嘗祭で
残る気掛かりはたった一つ。
「……
禁忌とまではいかないが、龍脈に孔を穿つ人工風穴は多くの問題を孕んでいる。
下流域での霊気の枯渇程度なら可愛いものだ。
意図しない瘴気溜まりの発生がある事も、過去の事例として
加えて雨月天山はあれで、密約にも誠実さを求める相手である。
水利権の裏でそのような行為に手を出していたと知られたら、
そうである以上、事が雨月の周知となるよりも先に、雨月家を切って保身に走る。
僥倖であったのが、雨月
文武に
特に顕著であったのが、政治に対する手腕だ。
その手管は強引だとも噂に聞くが、それでも魅力の方が克つことは否めない。
最悪でも都合のいい華族を傀儡とした
――問題は、学院へと面会依頼の書状を送っても、雨月
「全く。まあ期限が延びた分、余裕が生まれたが」
神嘗祭に焦る必要はなくなった。学院の卒業までに面会を重ねて、弱みを掴めば問題は無いだろう。
慣れた屋敷へと辿り着き、門に手を掛ける。
「――失礼。
「誰かな」
その背中へと、
口調に殺気は滲んでいない。
取り乱すことなく、
その視線の向こう。電柱の生む陰影から、一人の防人が進み出た。
未だ学徒だろう若い少年が、険しい表情のままに拝礼する。
「誰かと訊いても良いかな? 正直、君と面識を持った記憶は無いが」
「無理もありません。自分がお目に掛かるのは、これが初となりますので。
――雨月家陪臣筆頭。酒匂甚兵衛が孫の、酒匂
「ふん?」
丁度、接触にやきもきしていた
肩を竦め、
ぢき。戻す腰から、納刀する精霊器が僅かに鍔鳴りを残す。
「その名からすると、
――私の事を、彼から聞いたのかい」
「はい。
央都に
「成る程。判断としては間違っていない」
雨月
だが他洲の、それも央都旧家である
「申し訳ありません。状況が混乱している上、孤立無援の身。
「……苦労したようだね。良いだろう、何を望みたい?」
「雨月御当主様へ、内密の取次ぎは可能でしょうか」
神嘗祭を控えた現在、雨月天山は間違いなく央都入りを果たしている。
――だが、
「容易いと云ってやりたいが、内密となると難しい。
……と云うよりも、
「やはり、ですか」
想定はしていたのか、
央都に
「断言はできないが、私が事情を聞くとしよう。
状況を把握できれば、助力する余地があるかもしれない」
「……判りました。雨月本統と御家の危機かもしれません。
是非とも、助力をお願いいたします」
「承知した。――ついて来たまえ、
それを背に門を開ける
天山との連絡が難しいのは事実である。
だがそれは難しいのであって、不可能ではない。
雨月家の処分で悩むところに、天啓の如く
この一件の処理が巧く叶えば、
その昂揚を胸に、
♢
明けを迎えた
白々と明ける央都を眺め、晶は大きく
「うん。似合っているよ、晶」
背中から掛かる咲の声に、晶は首肯だけを返して向き直る。
新しく与えられた衛士の羽織が、晶の所作に従った。
柔い手触り。しかし、しなやかで強靭な布地が朝日の中で軽やかに踊る。
「漸く、神嘗祭だね。
……覚悟は良い?」
「はい」
短く返る声に、隠せない緊張が強く滲む。
だがそれ以上の言葉も無く、肯いを返して咲は道場を後にしようとした。
それでも、背中に晶の呟きが届く。
「ありがとう、咲。
ここまで付き合ってくれて」
感慨深いその声に、少女の頬へ朱が散った。
返す言葉は無い。
ただ、少しだけ肩を寄せ合う。
そのまま視線が交じり合い、晶の瞳に爛漫と微笑む少女の相貌が落ちた。
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