終 金色は憂い、瑠璃が義憤に奔る夜

 ――央都神域、山巓陵さんてんりょう


 さあ。静かに細鳴る風が、湖面を優しく騒めかせる。

 頬を慰撫して過ぎる自然な風。磐座へと座る高御座の媛君は、微かに唇を綻ばせた。


 自然に起てる微風は、山巓陵の神域に在ってあるはずの無いもの。

 現世から届く風が伝える事実は、金色の少女の支配する神域がかなりの表層まで暴かれた事を意味していた。

 ――そして、


「――九蓋瀑布くがいばくふが降りました」


 蒼く中天へ彩り移る空。視界に映る総てに掛かる黒曜の天蓋を、高御座の媛君が見上げる。

 現世に在って初めて降りる天蓋の神器。神域の少女たちは、思わず感嘆を漏らした。


「ふふ。千年に渡る託宣の成就。永く在っても、成し得る瞬間は味わい深い」


「未だ、決着に至りませんが」


「決まっておろう。周天たる亀甲の神器は、降りる事さえ叶えば結果は揺るがぬ。

 ラーヴァナめが如何に策を潜ませようと、終幕は決定したも同然よ」


「左様ですか」


 神域に立つ、高御座を除いた2人。

 その内の1人。傍らへと侍る少女が、高御座へとそう告げた。


 双眸を覆う白い眼帯、その中央に染め抜かれた陰陽に鈴の家紋。少女の瞳にどのような感情が浮かんでいるのか、布越しに有っては窺い知る事もできない。


 雅樂宮うたのみや亜矢の箴言を受け、高御座の真実を見抜く金睛が嗤いに揺れた。


 はあ。その光景に、正面へ立つ最後の女性が態とらしく慨嘆を吐く。

 嘆息というには当て擦りの感情が色濃く滲むそれ。

 顰める眉根も、この後の騒動に悩まされるだろう未来を暗示しているかのようであった。


「……此度の仕儀。如何に媛さまと云えど、一言二言程度は頂きたかったものですが」


「済まぬ。如何に手番を凝らしても、敵手の勝利は揺らがなんだ故。

 ――まぁ、末娘の神無かんな御坐みくらを隠して、無理矢理に空の位を与えただけの甲斐はあった」


「真実ですね? 四院たちに説明するのは、私なのですよ」


 憂慮に彩られた女性の両眼は、中庸を意味する黒と紅の色違え。

 央洲おうしゅう央都を支配する最後の三宮。その当主たる月宮つきのみやあまねが、高御座を睨みつけた。


 自身の奉じる神柱に非難を向けたく無いが、致し方も無いだろう。潘国バラトゥシュの神柱ラーヴァナの狙う詳細を知ったのは、数刻前であったからだ。


 仕方ないと理屈で納得はしても、月宮つきのみやの当主として蚊帳の外に置かれた事実は忸怩じくじたるものがある。


 しかも、宣託が降りたのは千年も以前。

 周から向けられる当然の憤懣も、しかし金色の少女は唇を尖らせて応じた。


「仕方なかろう。どれだけ神託を探っても、私の勝利は確定せなんだ。

 勝敗の天秤が揺らいだのも、月宮つきのみや藤森宮ふじのもりみやへの託宣を止める選択をしてからよ」


「姿を偽り、人間じんかんへ忍び込む権能。――九法宝典と云いましたか、あれほど強力な神器もそう無いでしょうね」


 央都内部にある社会の維持基盤に紛れ込まれたら、如何に月宮つきのみやと云えど対処は難しい。

 間違いなく三宮四院の統率は強固であるが、それを維持するのは人間である事実に変わり無いからだ。


 月宮つきのみや藤森宮ふじのもりみや。その何方どちらかが神託を知り得た瞬間、その動きはラーヴァナに露見していたのだろう。

 直接の威力は無くともその権能は絶大だと、今回の件で思い知らされた。


「……ただ・・人たれと祝福し、その為だけに独り闘争へと身を投じたのだ。当然と云えば当然よな」


 神柱の偉業は総じて難業だが、ラーヴァナのそれは桁から違っている。

 10の内9つの頸を自ら落とし、その神格を灼き尽くしたのだ。自死にも斉しいその荒行は、斉しく強大な権能を齎した。


月宮つきのみやは理解いたしましたが、藤森宮薫子には後で謝ってくださいね。

 事態に放っておかれて、それでも外を走り回らなければいけなかったのですから」


「判っておるさ」


 三宮の内、今回の件で最も割を食ったのは、間違いなく軍事権を任じられている藤森宮ふじのもりみやだろう。

 防衛を担う身でありながら後手に回り、央都へと百鬼夜行の侵入を赦したのだ。


 知らなかったでは済まされない。最近、宮中ですら憚らなくなってきた旧家たちが、藤森宮ふじのもりみやの責任問題を追及するのは目にも明らかであった。


「はい。ですので、近衛の実権を旧家とそれに息の掛かったものたちに与えてきました。

 どれだけ向こうが意気揚々と突こうとも、最終的な責任は旧家へ行くよう細工もしています」


「……ここ最近、旧家たちの専横に対応を鈍らせていた理由はそれですか。

 結構です。誰が央洲おうしゅうを知ろ示しているのか、そろそろ旧家共も思い出す時期でしょうしね」


 高御座の足元に控える亜矢が、咽喉のどを鳴らして忍び笑う。

 実年齢でも、漸く20に届こうかというだけの幼い少女へと視線を遣って、周は軽く頭を振った。


 気を取り直して、北北東へと視線を戻す。

 見ている内に、黒曜の輝きを満たした天蓋が音も無く消えた。

 ――丁度、決着か。


 高御座の媛君の口にした内容が違わずに事実であれば、千年前に降りた高天原たかまがはらを揺るがす百鬼夜行はこれで終わりのはずだ。


 青天が色を強めて元の茜へと戻る。黄昏たそがれだけが持つ幽玄の彩りはそう長く続かず、僅かに心残りだけ残して夜天がそこに広がった。


神無かんな御坐みくら、ですか。それも空の位。あれを恣意的に生み出す方法でもあったのですか」


「偶然よ。……それに関してはな。

 二度、同じ手段も使えん」


「そこまでして手中に収める必要があったとも思えませんが」


 神無かんな御坐みくらが生まれる事を知ったのは、高御座をして数十年ほどの昔。

 干渉にも難しく、此方の望む通りに動かせたのは、人別省に届け出された情報の操作程度が精々であった。


 ほぼ敗北の確定した神託、神無かんな御坐みくらの助力を欲したのはまだ判る。

 総てにいて自由を約された存在。それは確定した神託・・・・・・であっても変わる事無く、それごと書き換える事を可能とするからだ。


 だが、空の位まではやりすぎと断じても良い。

 相当な犠牲を支払ったと聞いた手口に、周は苦言を漏らした。


 それでも尚、高御座から返る声に揺るぐものは無い。


「必要であった。

 ――特に、神柱殺しの権能落陽柘榴が振るわれた場合には、成す術もなく行き詰ったはずであるしな」


「神柱殺し、ですか?」


「あれは神柱の担う象ごと斬り落とす。

 ラーヴァナを殺せば、それこそ現世に住まう正者たちが己を喪いかねんかった」


 晶たちから見れば、神柱の護りすら無視する神器程度の認識だろう。

 しかし、その本質はそこにない。


 神柱の象。つまりその神柱が担う概念を斬り落とすという事は、その概念が喪われるという事でもあるからだ。


 ――ラーヴァナの象。

ただ・・人足れと言祝ぐ。……人が人で無くなる可能性があると」


「確証は無いが、その可能性が高かった。

 そうなった場合の保険として、それこそ産霊むすびを為す必要が生まれる」


 それは、空の位最大の特権。神代と現代。神柱と人を別けて繋ぎ止める、杭の打ち手と呼ばれる側面。


「神代を降ろすのも、ただ・・人にとって危険ですが」


「だが神去かむさりを早める訳にも行くまい。

 その為に乳海を導く棘パーリジャータを、対の娘へ赦したのだ」


「……最悪を回避するためとはいえ、義王院ぎおういん奇鳳院くほういんにも相当なしこりを残しましたね」


「そちらは私たちでも口添えしようが、先ずは晶の意思次第よな」


 無視ともとられかねない決定の放棄に、それでも周は嘆息だけで言及を避けた。

 神無かんな御坐みくらに関しては、それしか出来ないのが実情だからだ。


 神無かんな御坐みくらが持つ自由の権利。晶が下す決定を、神柱は疎かただ・・人すらも容認する。

 その先を決定するのも切り拓くのも、結局のところ、晶にのみ開かれていた。


「大方は承知いたしました。とりあえずは神嘗祭を急がせましょう。

 ――どう転んでも、この後が揉めるでしょうし」


「ふむ。――ああ、最後の足掻きか」


 遠く、夜闇に染まるその方向へと視線を巡らせる。

 周の呟きに視線の先を追い、高御座は肩を揺らして愉し気に嗤った。


 常夜の燈火は弱くも確かに、

 ――されど残り火の尽きる刹那、今際の明るさを取り戻すものだろうから。


 ♢


 斜面を滑るように駆けて、高く地を跳ねる。

 迫る木立の狭間を縫い、大きく呼吸いきを繰り返した。


 心地よく疾駆する己の躍動に、心奧へと凝るものが煮え滾る活力を返した。


 尽きず焚べられる熱量が、黒く粘つき腹蔵へと溜まりゆく。

 その一方で、清かな歓喜が新たな気力を混ぜ返した。


 その感情が何処から来たのか、判らない。

 突き動かされる衝動に従って、思わず駆け出したのが本当の処である。


 身体を巡る精霊力を練り上げて、呼気に任せて加速させる。

 一陣の疾風と化して地面を踏み割り、視界に映る木立を後方へと置き去りにした。


 はっ。焦げついた感情を精霊光とい交ぜに吐き出し、棚引くままに任せる。

 粗くも、過剰な激情に急かされ、己の精霊器へと手を掛けた。


 鯉口こいくちを切る。慣れた所作からも粗く、

 ――僅かに覗いた刀身から、精霊力の輝きが横溢した。


 復讐心と称するには誠心に近く。

 一片の疑う余地も無く、それを正義と断言する未熟。


 自ら歪めた感情の果てを、知る由も無く。


 名前も知らないその感情を敢えて呼ぶならば、

 ――きっとそれを、義憤であると呼ぶのだろう。


 ♢


 振り下ろした黒曜の刀身が、夜天の輝きを散らして周囲に消えた。


「、 、っは」


 焦げるような感情ごと残心を解き、消えゆこうとする九蓋瀑布くがいばくふを見送る。

 場所を問わず玄麗げんれいの神域を作り出す。規格外の権能を誇る神器だが、その分、重さも相当に上る。


 何しろ心奧から引き摺り出すのではなく、天から引き摺り降ろすのだ。

 顕現けんげんさせる権能に比例して、その動きは鈍重の一言に尽きた。


 本来は顕神降あらがみおろしも望めない地に立つ玄麗げんれいが、神域の接続を断たれて存在感が薄れてゆく。


 それでもまだ、後少しだけ。

 黒曜の輝きを宿した少女が、躊躇う素振りを残したままに晶の袖を引いた。


「あ、晶。その、」


「お久しぶりです、くろ・・さま」


玄麗げんれいで善い。あ、あれの神名が嫌いかや?」


 眦に溢れる涙が、絶望で幾筋も滴り落ちる。

 その表情に浮かべる感情に、それでも困った表情で晶は頭を振った。


 好悪の情だけを問うならば、それは好きの部類に入るだろう。

 ――問題なのは、その感情を問うだけの段階が過ぎ去った事にある。


 恩義も、晶としての基盤も。生きてきたという濃密な実感でさえ、晶のそれは珠門洲しゅもんしゅうにあるからだ。


「い、嫌じゃ。帰ろう、あれの神域へ。

 ――一緒に帰ってたも? のう」


「直ぐには難しいです。ですが、何れ近い内に、黒曜殿こくようでんへと訪う事を赦してくれますか」


「う、うぅぅぅぅっっ」


 溢れる感情のままにしがみ付いた玄麗げんれいは、名残を留めようとかんばせを晶の懐へと埋めた。


 ――その瞬間。

 神器が消えたことで、神域の接続が断ち切れた。


「あ、晶。神嘗まつ、 、 、」


 世界の理を書き換えられるのは、九蓋瀑布くがいばくふの権能が有ってこその奇跡である。


 神器が消えた今、どれほどに神柱が願おうとも、玄麗げんれいが茅之輪山でも無いこの地に立つことを世界は赦さなかった。


 一際の瞬きを残し、玄麗げんれいが神域へと還る。

 それを最後まで見届けて、晶はその場に崩れ落ちた。


「大丈夫、晶? お疲れさま」


「咲、 ……はい」


 苦労はお互いにあったろう。

 だが晶にとっては、この直後こそが最大の問題だと云っても良かった。


 玄麗げんれいとの再会は喜ばしいが、奇鳳院くほういん紫苑の忠告通り旧交を温めるものにはなりはしなかった。

 朱華はねずがそれを望まないのも、また現実である。


 どうしたものか。尽きぬ悩みに視線を伏せる晶へ、咲が手を出した。


「さ、先ずは立ちなさい。こんな処で唸っていても、答えが降ってくる訳じゃない事は知っているでしょ」


「それは勿論」


「なら宜しい。

 私も、難しい問題を貰っちゃった」


 咲の手に触れ、晶が立ちあがる。

 指先に晶の体重を殆ど感じることは無く、咲は苦笑を浮かべた。


「そう云えば、薙刀は、」


「パーリジャータは心奧に戻したわ。

 ラーヴァナに消されて今は抜刀くこともできないけれど、繋がりは切れていないから大丈夫」


「え」


 神器であると、応える咲の口調もさらりと呆気なく。

 自然と返された言葉に、晶の反応が幾何か遅れる。


 咲の後背へと顕現けんげんした少女の神霊みたまに、晶の双眸が見開かれた。


 神無かんな御坐みくらほどでは無いにしろ、神霊みたま遣いは希少な存在だ。

 その先達として颯馬そうまが立つ以上、今後10年単位で生まれないだろうと確信できるほどに。


「さ、咲。その娘は」


「ああ、エズカ媛?

 シータと約束を交わしたら、エズカ媛が成長したのよ」


 否。それ以前に、エズカ媛が神霊みたまで無い事は晶も確認していた。

 上位精霊と神霊みたまは同じ上位精霊の範疇に括られているが、その差は歴然としている。


 それに何より、ただの上位精霊が神霊みたまへと昇格したなど、晶をして聴いたことは無い。

 どう云う事かと問い詰めようと、視線を交わして微笑み合う少女2人へ晶は一歩。


 笑う少女たちは、晶の歩みを躱して木立の入り組む斜面へと足を踏み出した。

 ふわりと爪先が踊り、石を蹴って滑るようにその下へ。


 その背中を追った晶が、斜面を蹴って咲へと肩を並べた。


 遠く、木立の向こうに央都の明かりが垣間見える。

 それだけを方向の援けに、咲と晶は麓へと足を向けた。


 街の灯りに途切れた様子は無く、派手な火事も見当たらない。

 その事実だけを救いに、咲と晶は安堵を吐いてお互いに視線を合わせる。


「大部分は無事、だったんじゃないかな」


「だと良いのですが、夜なので詳細が判らないです」


「――そうね。でも、ラーヴァナは斃したし。後、あの大鬼オニだけが気掛かりだけど」


 茅之輪山で襲ってきた観経童子を思い返し、晶も肯いを返す。

 しかし実のところ、そちらに関して晶は余り心配もしていなかった。


「奈切先輩の持つ神器。百鬼丸は、鬼種であれば絶対に敗北しない権能を有しているそうです。あの鬼に関してもその範疇から逃れる事が無い以上、九分九厘は圧勝しているかと」


「……そう」


 気掛かりはもう一つ。央都に侵攻した百鬼夜行の行く末だ。

 その内、観経童子が要山へと侵入するために囮とした大鬼オニの群れは、囮と云えど無視も出来ない戦力である。


 嘗て、沓名ヶ原くつながはらの怪異が起こした百鬼夜行。その際に生成りが1匹だけ、咲と諒太を相手取って悠然としていたのは記憶に新しい。


 央都の弛緩たるみ切った近衛や守備隊が、鬼種を主軸にした夜行を抑えられるとは、咲をして楽観すら難しかった。


 咲の憂慮を表情から読んだのか、晶が笑顔を返す。


「それも問題無いかと。

 しろ・・さまよりの指示で、茅之輪山へ阿僧祇あそうぎ隊長と久我くがが徒歩で向かいました。

 応急手当が終われば弓削ゆげさまも後詰で合流するので、今頃は終わっているはずですよ」


 晶の慰めに、咲は大きく息を吐いた。

 勝負は水物。最後まで気は抜けないが、気掛かりは総て対処できていると判断しても良いだろう。


阿僧祇あそうぎの叔父さまなら大丈夫ね。

 ――ほら、晶。嗣穂つぐほさまに報告したら、私たちは休ませて貰いましょ」


「休めますかね? それでも大変な状況には違いないと思いますが」


 ラーヴァナの口振りが事実であったら、少なくとも百鬼夜行が二つ央都を縦断したことになる。

 被害は相当なものだろうし、混乱も想像するに容易かった。


 それは咲も気になる処ではある。だがそれ以上に、晶の置かれた状況にこそ咲の心配はあった。


「私たちがここで気にしても仕方は無いわ。

 それよりも國天洲こくてんしゅうって云うか、義王院ぎおういん家が晶の事を知った以上、絶対にこっちへと話をつけてくると思うの」


「……はい」


 それは間違いないだろう。

 先刻に別れた玄麗げんれいの涙を思い返し、返す晶の口調に苦味が混じった。


 郷愁と僅かな痛みを覚える、その響き。

 今後、晶はどうするべきか。その答えを持っているのは、咲の隣で歩く少年の中にしかない。


 ――晶の横顔を、咲は横目で見た。


 何があったのか、何を思っているのか。

 僅か一日足らずの時間で急速に大人びたその横顔に、見惚れた自覚を紛らわそうと咲は平常を必死に装った。


「あ~あ。私たちが必死になって隠そうとしていたのにね。

 晶くんは勝手に動いて、勝手に目立ってくれちゃって。

 ――少しは苦労を知って欲しいなぁ」


「それは、その、 、済みません」


 調子を崩されて、晶の口調に焦りが混じる。

 その表情の中に以前と変わらない晶を見つけ、咲は無上の安堵を内心で覚えた。


 だからこそ、その表情を離したくなくて、忘れたくなくて、

 悪戯に微笑み、晶の瞳を覗き込んだ。


「えぇ~、謝るだけ?

 こんなに頑張ったのに、それで終わりだと思っているんだ」


「え、え。ですが、その他って」


 歩く足取りも軽く。

 戸惑いに躱そうとする少年の影に、踊るように少女の影が重なる。


「じゃあ、さ。

 喫茶店、連れて行ってよ」


「喫茶店、ですか?」


「奈切先輩が晶くんを付き合わせて、お気に入りに行ったって自慢してた。

 ああいう処って、行きたくても女の子が行ける場所じゃないでしょ。

 晶くんなら、連れて行ってくれるんじゃない」


「や、それは、その。……はい」


「やった。絶対よ、約束だからね」


 抗弁も煮え切らないままに、晶は咲の視線に押し切られた。

 どうしようかと悩むも、少女が向ける大輪の笑顔は、生まれた言葉を口の中だけで躍らせるだけ。


 喫茶店が登場したばかりのこの当時、喫茶とは珈琲を嗜む場所という以上に、大人の社交場という意識が非常に強い。

 当然のこと、女性が足を踏み入れることは無く、男女で訪れるのも刺激的な意味を含んでいた。


 ――つまりそれって、逢引なのでは。


 その事実に、咲は気付いているのだろうか。

 知らずに口へと出したなら、何とか回避しなければならないし、


 ――……いや待て。知っていて断るのは、失礼に当たるのか。


 悶々と悩むだけの青少年を余所に、咲は軽やかに遠く見える央都の明かりへと視線を戻し、




 突如としてその先を阻む、瑠璃の輝きに足を止めた。


 撓やかに、強靭く。瑠璃の輝きが、遥か高みで澄み渡った。

 細く幾条もの輝きが、夜天へと踊る。


「「な、」」


 何が。そう口にすることも出来なかった。

 思わず歩みを忘れた2人が見上げるうちに、瑠璃の輝きを放つ精霊力が地へと消える。


 ――瞬後。

 晶たちが向かおうとした先、木立の向こうで精霊光が爆発する。


 総てを斬り裂かん意志が一閃。虚空を渡り、音も残すことなく晶たちへと牙を剥いた。

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