14話 天を徹れ、微睡みの涙1
――央都郊外、
唐突に、麓の平野で火気が渦巻いた。
まだ若い衛士たちが精霊器を振るい、その度に精霊光が燦然と散る。
「左翼、崩れます!」
「訓練を思い出せ、突出するなよ」
怒号が飛び交い、押し寄せる
大気を灼く衝撃波がそこかしこで轟き、
「くそ、飛んだのは木っ端だけか」
「気を抜くな。化生も見ていないなら、相手は無傷同然だ。
――守備隊は?」
「後退させた。どうせ足手纏いにしかならない」
「確かにな。
総員、抜刀。何としても結界を堅守するぞ」
若いだけの指揮で、生命を無駄にするよりはマシな判断。
指揮に立つものたちが苛立ちに吐き捨て、精霊器を抜刀した。
火行とは、浄滅そのもの。周辺の被害を考えなくても良いのであるならば、
ただ、どれだけ火力に優れていようとも、隊列が崩れていれば対応は遅れてしまう。
「……くそ。
「黄泉路に穴が開いたと聴いても、納得できるよな」
愚痴る衛士見習いが視線を向ける先、犇く
侵入した
背後を衝かれて立て直す余裕も無いまま、衛士たちは戦闘へと雪崩れ込んでいた。
軽く交わされる応酬にも、明るい話題は見えない。
若い衛士たちで構成された分隊が一つ、
「救出を!」
「堪えろ。突出したら、その部分から喰われる。
――後退は足並みを揃えろよ」
学友を救出する余裕も無く、指揮を執る本陣は後退を決断した。
じりじりとした亀の歩み。百鬼夜行に呑まれた衛士の事は心配だが、自分たちも生命を拾っているだけで危うい事には変わりない。
拙い自身の力量に奥歯の痛みを堪え、次の防衛点までもう一歩――。
―――
「何だ?」
背骨の奥を蝕むような、軋む
周囲を見渡すが、衛士見習いの視界に
――背筋に走る直感を無視出来ないまま、衛士の少年は精霊器を構えた。
精霊力を練り上げようと気息を整えるが、初めて経験する混戦に落ち着いてくれない。
焦る思考。少年の足元に
「う、」ぐらり。揺れる地面が割れ、奥から足元を浚う。「――うあぁぁぁあっっ!??」
貪食が形を成して、乱裂くように牙の奥へと若い姿が消える。
―――
衛士見習いたちの視線の向こうで、巨大な蜈蚣が更に幾条も天を見上げる。
悍ましい嗤い声が響く。奮い立たせるように少年の一人が、上段に太刀を構えた。
「このぉっ!!」
激昂か死を間近に臨んだためか、生涯でも最高と誇れる威力が太刀筋に宿る。
――虚空を刻む十字の烈火。爆炎が視界を舐め、嗤う蜈蚣がその向こうへと沈んだ。
「やった!」
「――逃げろっ。鎧蜈蚣は水行だ!!」
会心の手応え。しかし喝采を上げた少年の背中へ、警告が飛んだ。
直後に爆炎を貫き、飛び出た蜈蚣の
悲鳴を残す余裕も無かった。涎が尾を曳く牙を見つめ、少年は末期の吐息を……。
「――
玲瓏と響く女性の宣言。その言葉通り銀に煌めく障壁が、牙を剥き出した鎧蜈蚣の襲撃を受け止めた。
侵攻をたった一言で防ぎ切り、
前線へと降り立ったベネデッタ・カザリーニが、その手に抱えた
零れるように舞う白銀の神気が、火行の神域が知ろ示す膝元で燦然と輝く。
「トルリアーニ卿。トロヴァート卿と協力して、護りの周辺を抑えてください。
――中距離は、私が抑えます」
「主命、
ベネデッタの言葉を享けて、サルヴァトーレ・トルリアーニが進み出た。
赤毛の偉丈夫の手に握られているのは、黒い剣の姿をした神器。
同じく楯の神器を掲げたアレッサンドロ・トロヴァートと共に、躊躇う事なく
血飛沫と共に
西方の祝福から、頁が幾枚か舞う。
「――
たった一息。零れる宣言が、世界をその色へと染め変えた。
ベネデッタの言葉が告げる通り
西方の祝福が有する権能。記述された創世の再現が、百鬼夜行の趨勢を塗り替えた。
「救援を感謝いたします、カザリーニどの。遠地での戦闘は、神子たる御身に辛い事でしょう。後退を提案いたしますが」
「お構いなく。この程度の局面であれば、珍しいものでもありません」
驚きも無くベネデッタは、
相手の真意を窺う視線が交差する。
八家当主である
恣意的に生み出された
――しかし、直前の攻撃はどうだ。
神器の権能に加えて、神気の行使。
「……聖アリアドネの象は人の容。異邦の地であれど、人の数が揃っていれば我が神柱の加護を引き出すことが出来ます
――別に隠している話題ではありません。それなりに有名な情報ですので、調べれば直ぐに分かります」
「成る程、素晴らしい。
――とは云え、ここから先は儂の顔を立てていただきたい」
肩を竦めて種明かしをしたベネデッタが、視線を先に向ける。
周囲の
「承知いたしました。援護は必要でしょうか」
「不要にて。そのお言葉から察するに、儂の神器も
進む
「……はい」
数拍
その内で最も記述情報が多かった神器こそ、
その権能は至極単純、攻撃の威力を八倍にするというもの。
「その様子からして、
結構、その真実を見せて差し上げよう」
口元だけに浮かべる、凄惨な笑み。
虚空に手を差し伸べて、
「砕け」
その掌中に握られる、刃渡り
「――
刀身に刃は無く、削り出しの板金がそこに渡るだけ。
それを
「
その先に衛士たちが居ない事は確認済み。――躊躇う事も無く、己に宿る
「――
神域解放。同時に振り下ろされた切っ先が、
――赤く、白く、碧く。原初の輝きを宿して、前方へと墜ちた。
踏み込み、腰で支える。伝わる威力を肩から
総数4節。その総てを八倍に強化する事こそ、
音を超えた衝撃が響き、大きく抉れた大地を赤く斑に染める。
その一撃は、生命は元より地形すら残さない。精霊光を散らした神器を見送って、
「――戦術など不要。圏内に踏み込むならば、小細工ごと踏み潰せばよい」
単純であるが故に、対処も難しく強力。
未だ大地に立ち昇る陽炎に、何という事なく
「お見事です。……聞くと見るでは、やはり天地の差が生まれますね」
「ご理解いただけたようで、安堵いたしました。
一段落したようですし、後方で守りを固めれば……」
何かあれば、
警告を正確に受け取ったベネデッタへ、穏やかな声で
踵を返そうとした
振り返るその眼前。未だ焦熱の渦巻く地獄の中央が揺れ、赤黒い蜈蚣の頭が姿を覗かせた。
―――
これまでより数倍は大きい蟲の頭蓋。胴体の長さも相当なものか、地中から這い出る姿に終わりは未だ見えない。
「もう一度、権能をお願いする事は?」
「撃てはしますがね、……近すぎる」見上げる高さから落ちる蟲の影に、孝三郎が苦く応えを返した。
「味方諸共に吹き飛ばすのは、流石に避けたいですな」
威力に優れ連射も容易い
何しろ、只の
強力過ぎるその権能は、それ故にどうしても行使の局面を限定させてしまう。
――上空に威力を逃してうまく調節できるか。
決断に神器の柄を握り締めた時、鎧蜈蚣の向こう側で
娘が宿していたはずのその輝きが、細く強靭く。遥かな高みで澄み渡る。
神気。
二つに割れて崩れ落ちる鎧蜈蚣を飛び越し、
「はあっ、は、 。お父さま、大丈夫ですか」
「大丈夫だ。いや、そうではない。
其方、その瞳は」
「ごめんなさい。お話は後で。神気の制御で余裕が無いの。
――晶くんは?」
咲の焦りを如実に移すかのように、周囲を揺蕩う
「こちらには来ていません。と云うより咲さま、何時、山を下りられたのですか」
「そうだ。先刻、
「何のこ……、そう云う事。じゃあ、もう抜かれたのね」
疑問を切って、咲は虚空に視線を向けた。
そこに浮かび上がる少女の幻影に、父親とベネデッタが慄然と後退る。
2人の驚愕を余所に、咲の返答がエズカ媛へと向かった。
「木行に向かっても、遅れるだけなのは判っている。
――
咲の決意に、エズカ媛も迷いなく追従を肯う。
しかし躊躇いはない。僅かに腰を落とし、少女は神気を練り上げた。
見据えるのは、中腹にある霊道の交わる場所。
登山ならば時間は掛かるが、直線距離を奔る程度ならそれほどの距離でもない。
「待たんか咲。現状を話してから、 、」
引き留めようと声を上げる
神器を開いて、咲へと護りの権能を行使する。
「咲さまに護りを。――短時間ですが、
「……感謝いたします」
返す感謝は短くそれだけ。地に残炎を刻み、少女の身体が大きく跳躍した。
その
咲をして、理論は知っていても行使する事はこれが初めてだ。
刹那だけ天空に導くその
咲が虚空に落とす足元で、爆炎が散った。
散り消える炎を足場に、少女が更に跳躍する。
残炎が足跡を刻み、咲の身体がさらに加速。
――エズカ媛の指差す相克の霊道が、視界に映る。
驚く
しかし、制止されるよりも早く、咲は開いた相克の霊道へと飛び込んだ。
♢
「ぐぅうっ」
茅之輪山の山中深く。霊道から表に出た広場で、背中を刺された激痛に晶は悶絶をした。
――刺される事はこれが初めてではない。
刺された衝撃に逆らう事なく、晶は前方へと身体を投げ出す。
転がりながら追撃を避け、回生符を励起させた。
青白く燃える癒しの炎。運よく
安堵を吐いて、晶は撃符を咲の面を被る
最早、晶に神気は殆ど感じられない。
晶に残された手段は、自身で作成した呪符が幾つかのみ。
「―――卑、非。驚かれましたら、身共としても嬉しく存じます」
「……何時からだ」
「最初からに御座います。変だとは思われませんでしたか? 態々、派手に三津鳥居山から侵入を開始し、貴殿の追跡を待って巡礼をする。
その理由こそ、身共の謀った策の総て」
その事実に今度こそ、晶は謀られた事実の総てを理解した。
それは、晶たちの想定していた最初の猶予であった。
だが実際には、水行の時点で神域が沈み始めている。
――1つ早い巡礼の成就が意味する事実、
「お前が実際に侵入したのは
咲の能面を被る
――晶もずっと引っ掛かっていたのだ。
高御座の媛君が百鬼夜行を忠告したのは、三津鳥居山の霊道に侵入されるよりも早い段階だった事。
どう見ても弱そうな面をしているのに、膂力から何まで異常であった事。
派手に見えた行動の全てが囮であるならば、その総てに説明がつく。
「―――
後は高御座を下せば良し。身共の目的へと王手が掛かりましょう」
「させるかぁっ」
挑発に嘲る滑瓢へと、晶は覚悟を吼えて地を蹴った。
撃符が数枚。宙を舞って、励起の炎を青白く燃え立たせる。
その一枚へと迷うことなく、晶は寂炎雅燿を叩き込んだ。
放った撃符は総て、晶が作成した火撃符である。
呪符の神気が火の粉を散らし、朱金に染まる刀身が滑瓢へと迫った。
滑瓢の右腕が霞み、銀閃がその一撃を弾く。
「!」「呆然とされるなど、余裕に御座いますな」
金属質の衝撃に弾かれ、晶が目を見張った。
滑瓢が掌中に持つ、薄く刃金の輝きを宿したそれ。
「鉄の、鞭!?」
歯噛みをして、晶は更に一歩踏み込む。
呪符に籠められている神気は、一枚に付き一太刀が精々。
励起された撃符の神気を解放し、
朱金に煌めく斬撃はしかし、その悉くが
渾身の。最後の一撃が迫るも、神気で強化された刃金が柔く受け止める。
刃鳴り散らす火花の向こう、咲の能面が醜悪に昏く歪んだ。
「神気を出し惜しみするとは、さてはもう手詰まりですかな?」
「さてね」
鉄鞭に動きを封じられ、それでも晶は強かに笑った。
連戦に次ぐ連戦。神気も尽きて手段も無い。
それでも晶は、勝利だけを確信できた。
白銀の神気が舞い散る中、小柄な少女の影が大きく跳び上がった。
その視線が見据える先は、
詠う呪歌のままに、華奢な腕が
虚を突かれた
晶の手が
「咲! 任せたぁっ」
「――
渦を捲く炎の切っ先が、
解放された菫の輝きに周囲が染まる中、真白の薙刀が滑瓢の肩口へと喰い込んだ。
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