13話 逆しま霊道、辿り目指すは神域行4

 相生の霊道へと続く三津鳥居山の鳥居が、滑瓢ぬらりひょんを前に大きく鳴動した。


 ――逃げられる。

 そう直感するよりも早く、晶の足は地を蹴っていた。


 晶の身体に、朱華はねずの神気は残滓しか残っていない。

 その総てを奮い立たせ、晶は今一度の火勢を得た。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――隼駆け。


 残炎が大地に軌跡を、時を刻む速度が数歩。

 ――刹那に朱華はねずの神気が尽き、瞬きの内に晶の足から火勢が喪われる。


 滑瓢ぬらりひょんまでの間合い、――残り凡そ2間。

 たったそれだけの絶望的な距離を前に、しかし晶の双眸は諦めを宿していなかった。


 その身体には未だ、現神降あらがみおろしの効力が燻っている。

 手段が総て尽きたなど、これまでの苦境と比しては甘えでしかない。


 巍々と揺らがぬ攻め足が地を踏み抜き、強引に2間を超える。

 地を縮めると錯覚するほどの速度。歩法の結晶、その昇華たる縮地。

 爆炎が晶の足元を彩り、最後の加速が少年の体躯を前へと押し出した。


 精霊器を振り被る。

 それは精霊技せいれいぎではない。剣技ですらない、不格好で足掻くだけの――それでも鋭い斬撃。


「勢ぃぃぃいっっ!!」


 呼気と共に放たれたその一撃は、しかし能面の表面に火花だけを刻んで終わった。

 次撃を放つ暇もなく、耳に障る哄笑が鳥居の奥へと消える。


 後に残ったのは、敗北感に満ちた不気味なほどの静寂であった。


「くそ!」


「落ち着き給え、晶くん。奴の行き先は判明している、

 ――追うのはそこまで難しい話ではない」


 相手の一手を赦した敗北感を吐き捨てる晶を前に、右の肩口を押さえた孤城が宥める。

 止血と云うより、神楽かぐらに創傷を直視させない配慮だろう。押さえた指の隙間から、鮮血が幾条か滴る様が視えた。


弓削ゆげさまはご無事ですか」


「傷はそこまでかな。しかし、瘴気で根深く斬り込まれた。

 そこを癒すなら、一度、傷を開く必要がある」


 その言葉を証明するかのように、傷口から瘴気が溢れる。

 現世の万物をケガす常世の毒が、滑瓢ぬらりひょんの消えた今でも孤城の奥を冒そうと蠢いた。


 体内を直に掻き乱される痛みを微塵も窺わせず、孤城が呟く。

 だが、覚える痛苦は想像を絶する。戦力からの脱落は不可避と晶も想像がついた。


精霊技せいれいぎならぬ、瘴技とでも名付けるか。

 随分と悪辣な技を行使してくれる」


「――だが、霊道へと侵入する最後、彼奴めは自身の神気を行使した。

 神気が瘴気と相容れぬ以上、ここで残らず捨てたのだろうさ。それを朗報に、追うが善い」


 孤城の台詞に、三津鳥居山の参道から響く声が続く。


 何時の間にか参道の入り口に立つ、年齢の頃18辺りかの女性。

 先刻の神楽かぐらを写したかのような真白の佳人が、鳥居の傍で微笑んでいた。


 西部伯道洲はくどうしゅうの大神柱、月白つきしろ。その姿に嬉し気な神楽かぐらの声が晶の耳へと届く。


しろ・・さま!」


「本殿より玉体を出されるとは、問題は御座いませんか?」


 その姿に、陣楼院じんろういん直系の少女とその父親の声が重なった。

 孤城の問い掛けに、純白の少女が首肯を見せる。


「金行の霊道から侵入した以上、巡礼行の最終地点は三津鳥居山で確定じゃ。本殿よりも、この霊道を護る方が優先であろう

 ――よく耐えた、神楽かぐら。胸を張って、母に報告するが善い」


 神楽かぐらを労う声に焦りはなく、穏やかな響きだけが少女へと返った。

 次いで、純白に落ちた金色の視線が晶へと移る。


神無かんな御坐みくらが、本当に今代で復活するとはな。400年前の清算を過ぎ、天の怒りも解けたことを慶ぼう」


「400年前、ですか?」


「然り。我と、姉気取りのあお・・めを切っ掛けにした、内乱騒ぎよりの、な。

 ――まぁ、詳細は関係ない。今は、彼奴めを追うに集中せよ」


滑瓢ぬらりひょん。――奴は何処に行ったのですか?」


高御座ははさまの神域へと至る巡礼行には、大きく分けて2つの道程が用意されている。要山を巡る相生、若しくは相克の霊道を巡ること。相克の霊道を陥落せしめた現状、滑瓢ぬらりひょんの巡る霊道みちは相生であろうな」


 三津鳥居金行から始まり、鐘楼土行玖珂太刀火行神籬木行茅之輪水行。五つの鼎を順に一巡し元の霊道へと還る、原初の祭祀である巡礼行。

 その輪が結ばれた瞬間、央洲おうしゅうの大神柱は堕ちた神柱との対峙を余儀なくされるのだ。


 相生であれば、次に滑瓢ぬらりひょんが姿を見せるのは鐘楼山だが。


「高御座さまは央都の神域に戻るゆえ、鐘楼山の防衛に期待は無理よ。

 神無かんな御坐みくらの加護の見込みも合わせて、其方たちが狙うのは玖珂太刀くがたち山であろうな」


「ご配慮、感謝いたします」


「善い。恩義とたのむならば、伯道洲はくどうしゅうの神域へと訪ってたもれ。

 ……神楽かぐらも、待っておる故な」


「時機と許可が合えば、是非とも。

 ――それで、玖珂太刀くがたち山へはどうやって向かえばいいのでしょうか」


 意表を突かれた晶の脇で、見上げる少女が懸命に肯いを返す。

 月白つきしろの言葉に返事を濁らせ、晶は孤城へと視線を巡らせた。


 そう。玖珂太刀くがたち山への近道、それこそ晶たちが三津鳥居山へと向かった理由。

 滑瓢ぬらりひょんよりも早く玖珂太刀くがたち山へと到達する手段に期待したその問いに、孤城は苦笑を返した。


「ああ、心配しないでくれ。滑瓢ぬらりひょんが霊道を行使して五行巡りに入るなら、此方も同じ一手で張り合えばいいだけだ。

 お願いできますか、しろ・・さま?」


「うむ。御坐みくらの願いならば、是非もなし。

 我が神器、輪廻永劫りんねえいごうの象は、嘗て在る地点と何れ至る地点を結んだ我が偉業。その神域特性を解放すれば、断たれた相克の霊道であっても通ることを可能とする

 ――良いな、神楽かぐら


「はい、しろ・・さま」


 月白つきしろの言葉に、輪廻永劫りんねえいごうを腕に抱えた神楽かぐらが首肯を返す。

 神域からの尽きぬ加護の元、鏡の神器が純白の輝きを帯びた。


 晶たちの後背で騒めきが一層に高くなる。

 その向こうに見えたのは、大鬼オニの討滅を終えた奈切迅と久我くが諒太が足を向ける光景。


「迅たちも終わったようだね。

 ――神楽かぐらが動けない以上、神域特性で送れるのは三津鳥居山を基点とした一方通行だ。

 防衛の人数が限られている以上、戦力の一点集中は戦術の基本だが……」


 孤城が視線を流す先で、月白つきしろが筮竹を揺らした。


 智謀、策謀。月白つきしろが何よりも好む易占は、読み間違えさえなければ現状を完璧に見通す。

 それを以てすれば、定石よりも効率的な戦力の配分を可能とするのだ。


「出たぞ。――ふむ、これは興味深い」


 地面に散らばる筮竹の先は意外な方向へ、純白の少女は金睛を眇めて呟いた。


 ♢


 朱金の神気が小さな神社の境内を撃ち抜く。その瞬間、悲鳴と共に央都を護る結界が大きく揺らぐさまを、咲は克明に感じ取ることが出来た。


 土地神の悲鳴が咲の耳朶をさいなむ。

 噴き上がる怒りと動揺を押し殺して、咲は視線の先に立つ山ン本五郎左エ門を睨んだ。


 央都に満ちる浄滅の効力は、五行結界が消えたとしても即座に消失する訳では無い。

 瘴気に依る強化は、行使する端から浄滅の対象になるのだ。


 だからこその、山ン本五郎左エ門なのだろう。

 生まれ持った身体能力のみで衛士とわたり合える、生粋とも云うべき剣の化け物。


 隙だらけとしか見えないその背中へ薙刀焼尽雛の切っ先を向け、咲は手の届く限りの精霊力を練り上げた。

 奇鳳院流くほういんりゅう精霊技せいれいぎ、止め技――、


石割鳶いしわりとんび!」


 切っ先から捲き上がる業火を纏い、すみれ色の精霊光が一気呵成に過去の剣豪へと向かう。

 ――必中は目的としていない。

 突き立つ大地を中心に地割れが逃げる脚さえ奪う。回避の赦さぬ一撃こそが、その精霊技せいれいぎの真骨頂だ。


 今度こそ確実に、咲の止め技が形を成して山ン本五郎左エ門を狙う。


「――微温ぬるいのう。

 女子おなごが下手に剣へと手を伸ばすから、中途半端に終わるのよ」


 わらう山ン本五郎左エ門が体勢を返し、的確に薙刀の腹へと新たに抜刀した小太刀を当てた。

 瞬転、刃に弾かれた衝撃で、石割鳶いしわりとんびの効力が霞と消える。


 それは衛士と互角にわたり合うため編み出した、山ン本五郎左エ門だけが行使できる衛士殺しの秘技。

 精霊技せいれいぎが無力化され無防備となった咲の胴体を、山ン本五郎左エ門の返す刃が狙う。

 少女の小柄な体躯が、一層強い精霊光を宿した。


 ――狙い通り。

 弾かれた勢いに逆らわず薙刀を引き寄せ、石割鳶いしわりとんびに注ぎ込んだ分の精霊力を励起させる。

 精霊技せいれいぎ以前の火気が膨れ上がり、茫漠と火焔を撒き散らした。


「吹ゥゥウッ」


「ほほぉぅ!?」


 ――轟音。

 咲の呼気と剣豪の感嘆が交差。


 収束も統御もしない、ただの火気が生み出す衝撃。威力自体はそこまでも無い。

 生まれた炎も、相手に火脹れの1つを与えたら精々程度。


 一見して派手であっても、それは精霊技せいれいぎではない精霊力の無駄遣いだ。

 ――だからこそ、咲の目的は別にある。


 生き物は本能的に、派手な炎を忌避しようとする。

 どれほど訓練をつけたとしても、刹那に生まれる怯む感情を抑える術は無い。


 膨れ上がる派手なだけの火焔を目眩しに、咲は山ン本五郎左エ門の腕の下を掻い潜った。


 小柄な体躯を活かして、肩から落ちるその勢いを殺すことなく。

 二転、三転。石畳の上を転がり、跳ね起きる。

 ――その手に掴む潘国の神器パーリジャータを、腰の帯に深く差し込んだ。


「儂を陥落すと見せかけて、神器を奪い返すことを優先したか。

 見事。小娘と侮った愚考、謝罪をしよう」


「結構よ。そのまま死ぬまで、侮っておいて」


 手中に取り戻した神器から、遠く神柱の混乱が伝わってくる。

 自身の精霊力を流して宥めながら、咲は焼尽雛しょうじんびなを構え直した。


「否、否。見た目は小娘と云えど、立派に女子よ。

 ――強かで、計算尽く。油断なく、男を仕留めに掛かる」


「若輩の娘に本気を出すなんて、剣豪の名が泣くんじゃない?」


 ――気付くな、此方を見ろ。

 剣豪の注意を引くよう、咲は挑発を口にする。


 わらいながら咲と対峙する山ン本五郎左エ門の頭上高く、同行どうぎょうそのみ・・・が精霊光を纏いながら太刀を振り下ろした。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、中伝、――清月鏡せいげつのかがみ


 幾重に生まれる波紋の衝撃波が、太刀の軌跡に沿って雪崩れ落ちる。

 清月鏡せいげつのかがみは、対処の難しい攻撃を広範囲に向ける精霊技せいれいぎだ。


 如何に相手が剣豪であっても、回避が不可能となるほどの飽和攻撃を落とされてただで済むとは思えない。

 ――だが、振り向いてそのみ・・・を見上げるその男の視線に、焦りは微塵も浮いてはいなかった。


「その精霊技せいれいぎは知っておるぞ。対処に難しいが、一つの威力は然程でも無い」

 迎え撃つ太刀筋にも、迷うものは一切無い。

 崩落する渦の中核へと小太刀を突き込み、山ン本五郎左エ門は精霊技せいれいぎを衝撃ごと捩じ伏せた。

 無為に炸裂する衝撃の只中、そのみ・・・と山ン本五郎左エ門の刃が火花を散らして噛み合う。

「――ほぉら。こうしてやれば、面倒なだけの精霊技せいれいぎよ」


「ええ。そうなるだろうとは思っていました」


 わらう山ン本五郎左エ門の視線が、薄くわらそのみ・・・の視線と交差した。

 少女の身体を包む精霊力が、明確に膨れ上がる。

 義王院流ぎおういんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝、――現神降あらがみおろし。


 元より、精霊技せいれいぎの通用しない事は大前提。

 そのみ・・・の狙いは、こうやって鍔迫り合いに持ち込むことであった。


 鍔迫り合いは、基本的に忌避される傾向にある。

 刀の寿命が目減りするからだが、理由はもう一つ。


 ――技量が問われないからだ。

 鍔迫り合いの勝敗は、純粋に身体能力の差で決定される。


 仮令たとえ、鍛えていようが剣の化け物であろうが、現神降あらがみおろしは体格の不利を覆して余りある。

 力比べに入れば、小娘が相手であっても山ン本五郎左エ門へ軍配が上がる出目は無かった。


「ぬぅ、これは」


「終わりよ、似非剣豪!」


 圧倒的な膂力の差からか、山ン本五郎左エ門の額に汗が浮かぶ。

 刃を退いて逃げることはできない。

 そこまでの隙を赦せるほど、咲もそのみ・・・も易い相手で無い事は知っているからだ。


 ――しかし、


「衛士相手に、仕込みは幾ら有っても足りぬを知らんなぁ!」「!!」


 嘲弄と共に剣豪は己のすそを払う。

 勢いと共に裾から飛ぶ砂利に、そのみ・・・の気勢が僅かに削がれた。


 一気呵成に力を籠めた剣豪が優勢を取り戻し、押し切ろうと、 、


「――征ィィィイイッッ!!」


 苛烈な声と共に、剣豪とそのみ・・・の間へと咲が割って入った。

 舞うような歩法が山ン本五郎左エ門へと迫り、斬撃が呼吸いきの暇すら赦さず重ねられる。


 咲の薙刀に対し、剣豪が持つのは小太刀1つ。

 圧倒的な手数の差に体勢を直す余裕も無く。やがて、咲が放つ無数の1つが一閃。

 ――山ン本五郎左エ門の頬に、一条の赤い線を浮き立たせた。


「!」


 蹴りが飛び、追撃に踏み込もうとした咲を突き離す。

 共に後退した山ン本五郎左エ門は、微かな痛みをなぞって薄くわらった。


 仕切り直しとばかりに口を開く。

 ――その瞬間、頬の傷から青白く炎が上がった。


 手ではたくも消える様子を見せないそれは、咲たちの良く知る浄化の炎。

 山ン本五郎左エ門の材料となった瘴気が、傷口から燃え広がる浄滅の予兆である。


「……成る程。主上より目的を果たすまでは、決して一筋の傷も赦すなと厳命されておったが、これがその理由か」


 油断なく間合いを詰める咲たちを前に、焦る様子もなく剣豪は静かに燃え広がる傷跡を見下ろした。

 央都に残っている浄化の力に当てられて、薄皮一枚で護られていた山ン本五郎左エ門の身体が浄滅されているのだろう。


「否、否。痛快痛快。儂が暴れられるのは、残り僅かの時間という訳か。

 ――さて、小娘共と云えど、一端の衛士が2人。冥途の付き合いなら華が有るもまた良し!」


そのみ・・・さん!」「――そのまま大人しく燃え尽きていれば良いものをっ」


 青白い炎をそのままに、山ン本五郎左エ門の足が地を蹴った。


 緩から急へ。突如とした加速に追いつくことは難しく、2人の初動は剣豪に出遅れる。

 小太刀が水平に斬り抜かれ、辛うじて固めた防御ごとそのみ・・・が弾かれた。


 逸れた狙いに辛うじて初動が追い付き、咲の平薙ぎが剣豪の頸へと迫る。

 常人が相手であれば必殺であろう一撃。――だが、天から地へと斬り昇る剣豪の斬撃が、薙刀の真芯を断って過ぎた。


 精霊力を通す芯鉄ごと断ち切られ、精霊力が霧散する。

 山ン本五郎左エ門の哄笑が緩やかに響き、その刃が咲の頸へと向かう様が克明に視界へと刻まれた。


 ――敗ける。

 何よりも怒りから、咲は歯噛みだけをした

 防人に精霊器は必須の武器である。生命とも云うべきそれが喪われた以上、咲に挽回の目は存在しない。


 死を齎す凶刃を見据え、それでも咲は抗うべく精霊力をただ高めた。


 ――咲。


 その声が響く。気の所為せいか、走馬灯か。そう勘違いしたくなるほど鮮明に。

 何処か遠く。未だ至らぬ遥か高みから、明瞭な意思が降ってきた。


 これは誓い。死して尚、必ず果たせと。

 記憶の狭間で、涙に濡れた紅い瞳が咲を見据えた。


 ――必ず果たしなさい。ランカーの娘を本島に戻し、在るべきものを在るべき場所へ。


「――――誓うわ」


 咲の唇が、決意に震えた。

 それは、何れ果たす彼女の願い。


 その応えを携えて、少女は救世の神柱へと祈りに換えた。

 帯に差し込んでいたパーリジャータを引き抜き、剣豪の一閃を凌ぐ。


 ――散ィン。

 虚空へと火花が軌跡を刻み、儚く散って消えた。


「ほう?」


 右半身を青白く炎へと変えた剣豪が、感嘆を漏らした。

 興が乗ったのか幾度か放ち、その総てが火花と消える。


 ――その神柱は未だ顕れず。ただ、那由多の果てに願うだけ。


 柔らかく少女が踊る。ただ咲のためにのみと、救世の祈りが降り注いだ。


『貴女の精霊は、もう少しなのね。

 善いわ、象を授けましょう。持ち堪えるかは賭けだけど』


「――く」


 慈愛の瞳が、咲の奥底に宿るエズカヒメへと届く。

 分不相応な重圧が咲の心奥へと。逃れ得ぬ部分に注がれて、声なき悲鳴をエズカヒメが上げた。


「余裕だの。どれ、何処まで保つか、我慢比べといこうか」


 更なる斬撃が放たれ、咲の急所をことごとく狙う。


 ――幾重に連なる斬撃。常軌を逸しているが、所詮は人の技である。

 放つ人の腕は一つ、放つ技も一つ。ならば、この神器に相対して敵う術もない。


 息を吐いて、咲は斬撃の軌道を見据えた。

 既に、その掌中にそれは在る。


 ――それは、混沌をもたらす棘。乳海に突き立つ、創世のしるべ


「導け――乳海を導く棘パーリジャータ!!」


 その杭の権能は、流れの操作。

 武器としての側面は今一つ怖ろしさも見えないが、それでも威力は群を抜いている。


 咲の頸に到達する斬撃が、その寸前で方向を変えた。

 衝撃も無く抵抗も赦さず、明後日の方向へと向く切っ先。山ン本五郎左エ門の瞳孔が、驚愕に開かれた。


 飽きず、連なる斬撃が畳み掛けられ、

 ――必中の軌道を取るその総てが、咲へと至る事無く終わりを迎える。


「ほう。

 ……察するにそれが、神器の権能か」


「ええ。誇って良いわよ、山ン本五郎左エ門。

 ――ただの人間が、衛士を相手に神器を抜かせたのだから」


 少女の二の腕ほども無い白くねじれた杭を視界に、問いを放った剣豪へと咲はそう返した。

 その双眸が薄く色を変え始めている事実に、剣豪が息を呑む。




 何処までも深く、何処までも清かに。

 エズカヒメが苦鳴を上げる度に、すみれ色の精霊光は遥かなる高みへと。


 薄く、咲を抱きつくようにして、少女がその姿を顕した。

 咲と同じ年齢の頃。何処か異国の流れを見せる着物サリ鉄輪グングル

 ――苦鳴を過ぎた少女と咲の瞳が、同じ茜の輝きに染まる。


『咲、もう大丈夫』


「うん。私も大丈夫」


 甘く。未だ舌足らずの囁きが、咲の耳朶を震わせた。


 ――武器が欲しい。

 杭の神器を見下ろす。パーリジャータは守勢に万能だが、武器としての側面は弱い。

 咲の掌中にある白い杭に、焼尽雛しょうじんびなの残影を重ねる。


 脈動を一つ。杭の神器が姿を変えて、薙刀の形を削り出した。


 山ン本五郎左エ門は止まることが無く、青白く浄化に燃えながら飽きず斬撃を繰り出す。

 無数の致死を無防備のまま無為に帰し、咲は薙刀の姿となったパーリジャータを軽く振るった。


 パーリジャータの切っ先が、すみれ色の輝きを帯びる。

 斬。莫大な火行の神気が薙刀の軌道に沿って吹き荒れ、剣豪の躯を正中線から断ち切った。

 高みで猛る神気に焙られ、中心から割れた能面が最後の哄笑を放つ。


呵々カカ! 素晴らしい! 何と、善い戦いであったぁ、 、」


 消えゆくも残る剣豪の残滓へと、咲は杭であった白い神器を一度だけ振るった。


 生まれた風圧が残滓すらも千々に祓い、

 ――新たな神霊みたま遣いの少女は、その精霊と共に深紅の瞳を天に向けた。


「……誓うわ、シータ。

 貴女の願いを、貴女の故郷に届けると」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る