13話 逆しま霊道、辿り目指すは神域行2
日輪を泳ぐ鳳の玉体を象に鍛えた、浄滅の象徴。
大陸の造形に由来を持つであろう柄と鍔。
――そして天空の如く透徹と澄み
歴史の表舞台に顕れる事の多い神器の1つで、神器と問われて誰しもが思い浮かべるほどに分かり易い権能を持っている。
其の真なる剣身。
寂しくも
百鬼夜行のほぼ半分が炭と変わり、蠢く有象無象が混乱に陥る。
その無様を歯牙にもかけず、晶は
莫大な神意を
ただそれだけ。地に渦巻いていた火気は、
僅かに埋める炎の気配が燻るだけの中、晶は慎重に自身の身体に残る神気の残量を確かめた。
央都に到って初めての、本格的な権能の行使。
覚悟はしていた。しかし、自身の裡に宿る神気の軽さに驚きが隠せない。
権能の行使に要した精霊力は、体感で三割ほど。
使いどころを間違うと即座に底が尽きる危機感を、晶は背筋を舐める悪寒と共に実感した。
――考えなしに振るえない現実、
回気符の青白い炎に慰撫されながら、これまで以上に制限のかかる戦闘を晶は覚悟した。
「後輩、あいつ……」
――あの莫迦が、誤魔化す方の身にもなれってんだ。
出番を奪われ呆然と呟く奈切迅の背中越しに、諒太は内心だけで愚痴を吐いた。
晶の意図は理解できる。
央都にいる現在、
それは精霊を宿している常人以上に、晶の能力に制限が掛かっている事実を指し示していた。
晶として見れば、今のうちならば目撃するものも少ないだろうと踏んだ末の決断。
だが、
どう誤魔化そうかと、内心でぼやきながら口を開く。その背後から灰青の精霊力を纏う火閃が鋭く徹った。
♢
炎の螺旋が、焦熱に高鳴る突きと共に槍の如く数間を
爆散する炎が眼前の
「
鋭く重い呼気が精霊力を交えて散り、鍛えた攻め足が大地を踏み抜く。
背中から支える強靭な筋肉が跳ね上がり、紅蓮の炎を纏った強大な刃が残る百鬼夜行を只中までへと切裂いた。
晶の威力を目にするのは、
驚きは無かったが、改めて見るとその威力の異常性は群を抜いていた。
何しろ、百鬼夜行の半分を消滅させたのだ。
しかし、言及は後だ。
今は未だ、鉄火場の熱が
「孤城どの、後は
「――ああ、頼まれよう」
投げた声が、背中から返る。
今まさに
――神器の権能、
朱金の炎。ちらりと垣間見えた剣の造形からして、
だがそれを加味しても、威力は充分に予想の範疇であった。
「……これは、負けていられないかな」
苦笑のうちに、独り呟く。
己が奉じる神柱の領域であれば無尽蔵を約束された加護、龍脈に対する絶対的な親和性。
――そして、沈黙していても与えられる、精霊に依る無条件の合力。
だが、その一端なりしも己の掌中で揮いたい。そう願うのもまた、人間の業と云うものだろう。
視界の向こうで、一際に大きく地面が隆起した。
支えるように爪が引き起こすのは、牛頭に蜘蛛の躯。
海淵に住まう、蝕毒の主。
「
―――
仲間の肉壁、加えて地面に潜ることで晶の権能を遣り過ごしたのか。然したる損傷も見受けられないまま、牛の頭が長い舌を見せつけて陰湿に
仲間であった炭を蹴崩しながら、のそりと鈍重に藍黒の巨躯が孤城を向いた。
ちっぽけな。――だが、莫大な精霊力を宿した
滅多に見る事も無い馳走を目の当たりに、
ぐずりと音を立てて、液状に変わる岩と炭。この酸毒を前にしては、化生であれ人間であれ、変わりなく
涎混じりに腐蝕の毒を吐きながら、それまでの鈍間な所作と裏腹に鋭く
剛ゥ。瘴気すら割いて、如何なるものも貫く強度を誇る爪が孤城を襲う。
狙いは過たず。胴体から上下を腑分けする直前、孤城の身体はするりと爪を掻い潜った。
―――愚!?
回避には届かない間合いでの、緩急すらも完璧な一撃だったはずだ。
鈍重な見た目で相手を釣り出し、
この技術を拙い知性で理解したからこそ、この年降た化生はこれまでの討滅を免れてきたのだ。
――莫迦な。否、偶然だ。次は無い。
一撃が避けられたとしても、
躯を支える4本を除いても、攻めに続ける爪が3本は残っているのだ。
禍風を捲いて、残る3本が孤城へと牙を剥く。
懐に潜り込まれようが、可動域の広い蜘蛛の躯は隙が薄い。
眼前にまで潜り込んだ孤城に向けて、3本の爪がその
爪で構成された檻が閉じる、
後は腐蝕毒を注ぎ込んで、肉の汁へと調理すればいい。
勝利の確信に、
――その頭上。死角の更に外側で跳躍する
「賢いとはいえ、所詮は
それはただ、身体の周囲に風を纏うだけの
攻防に僅かな勢いを加えるだけの、難易度とは裏腹に
だが孤城にしてみれば、この
纏う風は戦ぐだけであっても、至る攻撃から行使者の身体を自在に回避へと導くのだ。
攻防に
虚空に高く一時の飛翔を得た孤城は、懐から火撃符を4枚引き抜いた。
四方へと、等間隔に投げる。
青白く励起の炎へと呪符が消え、首魁である
次いで土界符が空間を分け断ち、
更に上空へと水撃符が青白く励起の炎を上げて消えていった。
孤城によって書き換えられた水撃符の術式は、天空に近い高高度を急激に冷やすだろう。
木撃符が術式の芯に徹り、春の雷渦が天と地を繋げる。
目に見える変化はない。
――だが大気は明確に、その重みを臨界まで増進させた。
総計16枚もの呪符総てを統御しながら、
―――愚ッ、 、
孤城の切っ先は狙い違わず、物の序でに
苦悶が一つ。速やかに死ねた
質量を増した大気が、戦風に釣れて熱波が生む
高高度から急速に勢いを増した大気は、孤城の落とした切っ先を追って視界総てを渦と変える。
衛士であり、陰陽師。その両方に精通する孤城だけが為し得る、権能にも勝ると称された。
――それは
「――
地を這う
木撃符の雷渦を呼び水に、荒れ狂う衝撃波がその総てを粉微塵に砕き尽くした。
――地に犇いていた
「――ふむ。
まあまあかな?」
穏やかな声がその中央に降りる。
暴虐の限りも想像に就かない静かな微風が
――その総てを、晶は目の当たりにしていた。
事前に説明を聞いていても、まだ理解が難しい。
間違いなく断言できるのは、神器の権能であっても
個々の術式はそれほど難解でも無い。
晶の技術をしても、火撃符の術式だけなら再現は可能だ。
木、土、水行も又、誰かに問うても同じ答えが返るだろう。
だが、総ての術式を連結し統御する技量が、その精緻を極めていた。
練達した陰陽師であっても、同時制御できる術式は3つが精々。
精霊の位階に依らない、――制御された術式の暴力。
「晶くんも無事かな?
――と訊くのは野暮か。
「いいえ。自分は未だ至らぬ身です。
これまで、勘づかれている可能性は晶も察していた。
だが
明け透けに告げられたその単語を、晶は努めて反応しないように応じた。
「神器の権能がどれだけの神気を
――先刻の百鬼夜行が、その最後の機会である事は理解しているよ。
……
「感謝します。
「
金行は攻めに強いが、護りに拙い。動員した学生だけでは、残党でも心許ないだろうしね」
「近衛も動員されていたはずですが」
「結界に護られ呆けた
それに娘の安堵を護ってやらないと、男親の立つ瀬も無い」
「親、ですか」
晶にしてみれば遠いだけの将来。微笑んで語る孤城を、同意も出来ないまま形だけの肯いを返す。
その気持ちは孤城も覚えた幼い頃の感情。心構えの芽すらない少年の表情をからりと笑い、孤城は眼前の三津鳥居山を見上げた。
「
精進潔斎で接触を極力に断っている最中だ、娘も少しは退屈紛れをしたいだろうしね」
「応諾したいですが、現状は難しいかと。
特に先刻の一撃。百鬼夜行を潰せても、
「まあ、一帯を更地にしたからね。
お互いに、手応えもあったものじゃないな」
晶の権能と孤城の
晶と孤城の一撃は、確かに一帯の殲滅に届いただろう。
――だが、ここまで周到に用意を重ねてきた
「特に
どんな姿恰好をしているのか、それが判らないと――」
「既に守備隊の中へと紛れ込まれた可能性があるか。
三津鳥居山の結界は健在だが、相手の思惑が見えない以上、可惜、近づけるのも愚策だな」
苦く衛士見習いたちを一瞥する。
生き残った
たったの一柱と云えど、堕ちた神柱だ。三津鳥居山の結界を突破できるとは思えないが、結界への接近を赦せるほどに楽観視できる相手では無い。
孤城の心配に同意はできるが、それよりも晶には根強く疑問が残っていた。
「
……それでしたら要山を陥落させることは意味が無いと思いますが」
要山を除いた五行結界の守護は、ほぼ失われている。
この時点で、
要山が龍穴の最本地でない以上、
――極言、百鬼夜行は要山を無視して、央都への侵攻を優先した方が効率も良いはずである。
晶が追従する気配に、言葉を続ける。
「そうでもないよ。
重要なのは、要山が何のために
「決められた霊地を経る巡礼行は、単純だが強固な祭祀だ。
五行運行を基礎に据えた要山巡りを経る事で、龍穴の主である高御座へ至ることを可能とする」
央都は世界でも有数の規模を誇る神域だが、人が住んでいる部分は神域の最表層を覆っているだけに過ぎない。
龍穴を基点にして存在する本当の神域へは、要山を結ぶ霊道を巡るしか方法は無いのだ。
「
結界の内部に侵入する方法が不明だが……」
「俺なら、
衛士見習いが刀を振るう喧騒の狭間を摺り抜け、結界の外縁へと二人の脚は辿り着いた。
高く山道が続く入り口で、衛士の喧騒を睨む。
――見える範囲に、
「魅力的な提案だが、
晶くんは
「――其方ならその判断を下すと、期待はしていたぞ、孤城。
期待が外れた事に僅かな落胆を覚えた晶の背中に、玲瓏な艶を含んだ女性の声が響いた。
驚きに振り替える晶の視界で、純白が山道に振り落ちた。
先日に遇った
純白を写す幼い肢体を包むのは、巫女衣装によく似た
肩口で切りそろえられた白銀の髪が、清かなる耳元でさらりと踊る。
その前髪から垣間に覗く金睛が、幼い見た目に反する悪戯な輝きを宿して晶を睥睨した。
「
「我の本体が詰めておる。
――それに其方の背にある、霊道の入り口。
「ご賢察、感服いたします」
「ここまで初手に色気を出されたら、我でなくても敵方の策に想像はつく。
神域への入り口代わりにされるのは業腹だが、護りに拙い
先日の
金色の輝きが、さらりと晶の向こうへと視線を向けた。
「逆に言及すると、残りの要山に向けているのは囮であろう。
百鬼夜行に到るほどの規模を5つ、囮と盛大に使い捨て。仕込みの手間は数百年で効かんだろうが、
――のう?」
「全く、苦労いたしましたなぁ。
ここで看破されるとは、口惜しいばかりに御座いますが」
晶たちの会話に、第三者の声が
背筋を逆撫でる自然な返答に、晶と孤城は柄へと手を掛け振り向いた。
気配もなく。何時の間にか其処に佇む、小兵が一人。
口元へ蓄えたちょび髭が小者然とした印象に残るだけの、冴えない中年の風貌。
――その特徴を精巧に写す木彫りの面で、相貌を覆い隠した男性の姿。
見覚えもない面だが、その自然なほどに思考を侵す囁きは晶の記憶に新しい。
「
「―――卑、非、然り然り。如何に身共と云えど、瘴気を纏ったまま要山の結界を越える事は叶わぬものでしてな。……しかし後は、霊道に侵入して神域までを巡るだけ」
肩を揺らして、特徴の窺えない面が笑いに揺れた。
その手に握られた、太刀とも見えない幅広の鉈に似た刀がゆらりとその切っ先を泳がせる。
――一見するだけには、遊びの多い構え。
だが眼前の相手は、守勢を侵すようなその剣技を遣う。それを知る晶は、油断する事無く相手の隙を探り続けた。
「神柱の護りが揃っている今、貴様に結界を越える事が可能だとでも思っているのか?」
「だからこそ今が好機なのですよ、
五行結界が大きく揺らいだ今、要山への一撃を阻むものは存在しない。
――身共の瘴気を以てすれば、結界を破ることも叶うと見立てていますが如何?」
嘲る問い掛けに、応える口を持つ者はいない。
沈黙が何よりも真実を雄弁に証言していると、木彫りの能面が
三津鳥居山に
――転じて、
圧倒的な不利を打破すべく、晶は大きく一足を踏み込んだ。
慣れた攻め足。晶が最も錬磨した、
唸る刃金が大気を断ち割り、能面の翳した刀と噛み合った。
「ここで決着だ、
霊道を臨む前にここで死ね」
「無駄ですよ、
決意と嘲笑が交差し、舞い散る精霊力が炎と変わる。
剣閃が幾重と飛び交う中、三津鳥居山に
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