13話 逆しま霊道、辿り目指すは神域行1
五行結界の外縁が大きく揺らぎ、音も無く幻と消え去った。
その刹那、堰き止められていた瘴気が、赤黒い奔流と化して
――瘴々と哭き上がる、抗う術無き地の精霊たちの悲鳴。
「山ン本殿が、成就されたようですなぁ。
――だが仕方のない事と慰めても、やはり早かった」
霊道を間近に望む山間より瘴気が溢れ、渦巻く暗闇の狭間から
漏れる呟きに滲むのは、色の濃い韜晦の響きであった。
瘴気の輝きに翳る秋天は未だ高く、誰そ彼を問うにも時刻は早い。
天の運行は陽気の優位を保ち続け、地に満ちる瘴気も浄化の炎に浸食の速度を鈍らせていた。
五行結界とは、央都に等間隔で
茅
相生の霊道を巡る事で神気を増幅し、相克の霊道を巡る事で制御する。
完成する事で央都は、外部からの悪意を一切受け付けない堅牢な護りを手にするのだ。
苦く
つまり五行の神柱に返るはずの反動も、その大方が最低限度に収まっていることを意味していた。
――五行結界の要を崩す
「崩れ方からして、五行結界に降りた神柱は三柱。結界の強化に入ったのは、
火行を交えない庚神社は、火気を弱点とする唯一の要だ。
結界の制御を担う相克の霊道。この一点が崩れた場合、相生の霊道で無制限に増幅された神気に五行結界自身が圧し潰される結末を迎える。
庚神社が五行結界の内部に存在する点が問題だが、山ン本五郎左エ門が手勢に加わった事で解決の目を見た。
――しかしこの策動は、五行の神柱が総て揃ってこそ真価を発揮する。
揃った神柱は三柱。しかも直撃を受けたのは、先行した
百鬼夜行の警告を早くに上げていたため、火行の先行に関しては、驚きも無い。
しかし、既に到着していたはずの
西部
特に今回は、百鬼夜行の時期がほぼ確定されている。そうである以上、先手を打つことに躊躇うことは無いと
しかし
お陰で
相克の要を陥落せしめる為に用意したものが、パーリジャータと呼ばれる
「――パーリジャータの権能を流れの操作と偽った甲斐があったわ」
勢力の拡大に、
半神半人ではない重鎮に、神器の詳細など知らされるはずも無い。
故に、侵攻を画策したものたちに紛れた
だが実際の権能は違う。
実際、表向きの権能としては間違いでも無いが、その仕様では武器としての側面が強く見えてこない。
武器としての危険性が低いと判断すれば、違法に
加えて幸いにも、シータは火神としての側面も併せ持っていた。
つまり相性の良い火行の精霊遣いであれば、
情報の少ない
後は終点の杭を奪い、
先行した
結論として
「―――
相克の霊道が機能を止めた現在、高御座の神域まで相生の霊道を抜ければ一足で辿り着く。――待っておれ高御座。身共は既に、その首へと手を届けているぞ!!」
高らかに勝利を歓び、
その先に
――
「けほっ」「……無事かの、
「はい、
立ち込める神気の残滓を振り払い、
見えるだけの周囲には護摩壇に注連縄、祭壇であったその残骸が散らばっている。
台風一過とも見紛うほどに荒れ狂ったその様相は、火行の神気が
「お片付けを」
「休んでおけ、
要山に入る予定であった三宮四院の内、
心身が成熟に入る直前の年齢10。できる限りの負担を減らすべく、様子見に徹っした姿勢が吉と出た格好だ。
お陰で、
火克金。火気の直撃を受ければ、
それよりも、と思考を切り替える。
その掌中に納まる、一掴みの筮竹。
「相手の仕掛けが霊道ならば、星詠みが一番であろうがの。……致し方あるまいさ」
「
「五行結界が揺らされた以上、確度は下がろうが。無いよりはマシであろう」
口惜しく漏らす金行の大神柱は、声に暇を置くことなく筮竹を床に散りばめた。
ざらり。幾本もの細い竹が、大小様々に床を跳ねる。
散じたものを見据えて、
「――陽気は生き、陰気が死ぬ。
見ず、聞かず、云わずを如しとする。
金行、 、我か。いや相生の要に手出しをすれば陽気が生きることは無い。
陰気が死んだならば、手出しをしたのは相克の霊道か」
筮竹から返る情報の断片を捉え、
覚悟はしていたが、やはり読み難い。
「
どうやったかまでは知れんが、
「
「央都が抱える近衛に任せよ。常日頃の怠慢分、扱き使われても笑い話の一つになろう。
それよりも結界が消えたのじゃ。我が敵なら、」
「
懸念を舌に乗せようと
俄かに騒々しさを増す本殿の手前で、伝令が膝をつく。
「
「……で、あろうな。
相克の霊道を陥落せしめた以上、相生の霊道を抜けて要山を巡るが本統よな」
焦躁を隠せていない伝令の声音。本殿を固めていた周囲に、尋常ではない緊張が走った。
金行は遠距離を得手とする反面、接近や護りは他行に到底及ばない。
要山の結界は未だ健在と云えど、最も守備に薄い金行を霊道入りに狙うのは理に適っている。
苦く、相手の策を読む
「事前の手筈に従い、迎撃を許可します。
……近衛のものたちは?」
「下位の衛士たちが少数だけは。
隊上位の衛士たちは、先刻に揃って、その、」
伝令の語尾に、濁るものが混ざる。
あぁ。思わず、
ここで戦力が減ったと考えるか、切り捨てるだけの
所詮は当てにもしていない戦力と見切りをつけて、こっそりと懐に忍ばせておいた
「ええと。戦時、黄の一。だよね? 獣除けの松明を燃やして、麓の平地へと誘導させなさい。結界の接点に相手を引き込んで、遠距離からの爆撃を以て百鬼夜行の頭数を減らします」
対応帳頼りであったが、迷いのない指示は伝令の浮足を地につける効果はあったようだ。
即座に応諾が返り、伝令は本殿の前から退く。
「――はぁっ」
余人の気配が薄れ、
「疲れたかの?」
「はい、 、 、あ、いえ。その、……すみません」
未だ幼い少女が、取り繕うように両手を振る。
だが、無駄に気勢を張るよりはと、肩を落として
「空元気で疲れるよりは、素直に現状を認める方が上策よ。
それにこの事態は、我らも充分に予想をしていた。対応策も打ってある、気負わずとも良い」
「お父さまは現在、鐘楼山と聞いています。
――間に合うでしょうか?」
「
――見ておれ。瘴気に煽られただけの雑多は勿論、
問題はただ一つ、強力過ぎる攻撃は反面に範囲の制御が叶わないという事実。
故に、
遊軍として戦場を動き、敵中から殲滅を行う。それこそが
――それに。
口にこそ出さなかったが、帰途についているだろう孤城に
あわよくば、相手との間に無視のできない誼を通わせるのも一興か。
未だ顔も合わせた事の無い少年を想い、金行の大神柱は薄く微笑みを浮かべるだけに留めた。
♢
「で? お前って結局、
「え?」
焦躁のまま駆ける晶の脳裏に、数日前の会話が蘇った
――短くも無い沈黙の後の一声を理解できず、晶の表情が呆けたものに変わる。
雨月
「惚けんなよ。……雨月か
予想もしない唐突なその指摘に、晶の双眸が見開かれた。
「おい。呆けてんじゃ無ぇぞ、晶!」
記憶で遊んでいた思考が、諒太の叱咤で否応なく現実へと引き戻った。
「――済まん」
短く決意を返し、晶の手元から火気が立ち昇った。
膨大な精霊力が水平に薙ぎ払われ、朱金の軌跡が飛び掛かる
――末期の悲鳴も残すことなく
討ち漏らした
代り映えのしない
「大丈夫なんだろうな、奈切先輩よぉ。
これで
「安心しろよ、――多分。
師匠
周囲に漂う
二人と違い精霊力に余裕のある晶は、青白い炎が齎す恢復を待ちすがら周囲の警戒へと移る。
「多分、とか。だと、とか。
信用に難しいのは自覚あるよな。どんな方法かも判らないのかよ」
「俺だって初耳だぞ、仕方ないだろうが。
――それに俺たちは少数だぞ、これ以上の分断は避けた方が良い」
百鬼夜行は、周囲の山野から
しかし現実には、相当規模の百鬼夜行が5つも生まれてしまっている。
この矛盾に、晶たちの脳裏に数日前の山狩りが蘇った。
口減らしを目的に、練兵たちを
一人一人は少なくとも、
それが長年に
央都の悪習が原因だが、今更に問うても仕方は無い。
問題の提議は後日に回し、晶たちは解決に乗り出した。
鐘楼山を襲った化生は、この時点で晶が討滅している。
こちらは守勢を堅持すれば護ることに容易く、結論として晶たちの取るべき行動は二択となった。
つまり孤城の属する北西の三津鳥居山へ向かうか、晶の属する南東の
長引くかとも思われた選択の天秤が傾いたのは、僅かに悩んだ後。
三津鳥居山から
疾走する視線の先で、瘴気がその濃さを増す。
晶たちへと吹き付ける荒涼とした風に、青く枯れ落ちる木の葉が混じった。
――目指す戦場は既に、目と鼻の先。
「――俺が先に征く」
否定する理由も無い。晶の決意に肯いを返し、残りの2人が進路を譲る。
短い間だが、3人の役割はその順番をほぼ決定していた。
火生土、そして土生金。五行運行に
そうである以上、晶の役割が初手で固定されるのは必然でもある。
――だが。
目線を交わすことなく、晶は隼駆けを行使。
朱金の輝きが残炎の軌跡を足元に刻み、地を翔ける飛鳥の速度が晶に宿る。
精霊力が一条、後方へと細く棚引き、晶は2人を置き去りに駆けだした。
時間が無いのはその通り。晶もそれは、充全に理解している。
高
――
高
だが
この時点で、
策が決定的な破綻を迎えるよりも早く、強引に策を成就させる。
つまり現時点、
――時間が無い。
焦る感情のままに、視界へと迫る
駆ける速度はそのままに、仮初に与えられた甲種精霊器を鞘に納刀める。
代わりに右の掌を虚空へと差し伸べ、心奧に浮かぶその柄を握り締めた。
――それは、
――寂しくも
「
轟ゥ。丹田に生まれる熱塊を統御し、捲き上がる火の粉を振り払う。
その掌に納まるは、刃すら見えない一振りの柄だけ。
「――
刹那。抜刀き放たれた一振りは、
「……雨月、
内心の動揺を圧し潰し、努めて冷静に晶は口を開いた。
言葉の端も震えていない。取り繕う口調は完璧であったが、そんな晶の小細工を諒太は鼻で
「は。誤魔化しにもなって無ぇぞ。
……雨月かよ。あの野郎、随分な爆弾を隠し持っていたな」
「何故」
飛躍した結論。だが正答を当てた諒太の断言に、晶の動揺は隠せない。
小気味良さそうに晶を一瞥し、諒太は腕を組み直して種を明かした。
「俺が莫迦か木偶とでも? 2ヶ月前だ。初めて会った際にお前、何て云ったか覚えているか?」
「え」
諒太の台詞に、大急ぎで記憶を遡る。
最初に会った。となると、屯所の事務室だろうか。
「父上はお前の事を
お前は最初、出身を――」
――出身は何処?
――
「あ」
諒太の指摘に、咲と交わした言葉が蘇る。
忘れかけていたその一言が記憶に浮かび、苦笑が堪えきれなくなった。
晶の表情に諒太も堪えきれなくなったか、肩を揺らして一時の笑いに興じる。
「咲の癖は良く知っている。お前と咲は、あの時点で間違いなく初対面だった。
なら、
――あの時点で嘘を吐く必要が無いなら、お前の出身は
「感服です。
――雨月の断定は?」
「……先刻、
お高く止まった第一位殿は、
陪臣共々に、高みから見物気分が精々だ」
だからこそ雨月へと殺意を抱くのは、身内の可能性が高いと踏んだのだろう。
事も無げに告げられた推理に、晶は頭を下げた。
「余所へはどうか、内密にお願いしたく存じます」
「……判っているよ。
――だが、覚えておけ」
晶が言葉の続きを待つと、諒太はその胸に指を差す。
誠実な。だが下らない矜持の清算。
清々と、諒太はその宣言を告げた。
「咲と出会ったのは、俺の方が最初だ」
「? はあ、 、」
「いいか、肝に命じろよ。
――手前ェが
鳳の玉体を象と与えられた断罪折伏の権能が、灼熱と化して地を舐めた。
浄滅の波濤が、地に在る
末期の悲鳴さえも赦さぬ渦巻く熱波が空間を席捲し、瞬後に吹き散った。
その光景を造り出した少年はただ独り、朱金の混じる吐息を漏らして天を仰ぐ。
高く晴れた秋天の下、百鬼夜行はその半分近くが一撃で熔けて煤と散った。
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