12話 思惑は結ばれ、策謀が火花と散る4

 蒸気自動車が一台。快音を響かせながら、央都を縦横に走る大路の一つを爆走していた。


 小型の蒸気機関が熱を帯び、内圧を示す目盛りが常に危険域アカを示すようになる。

 運転手が悲鳴を上げ始めた機関の安全弁を開放すると、一塊の蒸気が蹴散らされて後方へと流れていった。


 一陣の帯と消える蒸気を視界の端に捉え、何となく玻璃院はりいん誉は後方へと視線を流す。

 映る視界の中に、追ってくる許可を与えた雨月颯馬そうまの一党は影も見当たらなかった。


 疾走って追い付くには容易いだろうが、現状と今後を考慮すると精霊力の温存を優先したのは間違いが無い。


 抜け目のない颯馬そうまの事だ。移動には蒸気自動車か馬車を用意していた筈ではあるが、総勢十人近くが一群となって行動するのだ。

 2人しかいない誉たちと違い、行動に遅滞が生まれるのは必然の事であった。


 雨月颯馬そうま。そこまで思考を及ばせて、誉は眦に引き攣れるものを覚えた。


 玻璃院はりいん誉が率いる壁樹洲へきじゅしゅうの遣い手は、その殆どが玻璃院流はりいんりゅうを修めている。

 だが雨月颯馬そうまの一党は、当然にして義王院流ぎおういんりゅうだ。


 誉自身はそこまで思うことは無いが、基本的に門閥流派同士は非常に仲が悪い。

 何方どちらが強いかの背競べから派閥の争いまで、仲の悪さからくる逸話は求めるにも苦労はないほどである。


 その象徴とも云える八家の御曹司を、しかも陪臣たちごと抱え込む。

 許可は下したものの……、というのが誉の本音であった。


 判断の後押しをした方条ほうじょういざなへ視線を戻す。

 今一つ、何を考えているのか不明な相手が、野趣に溢れた笑みを返した。


「何だい? 随分と悩まし気じゃあないか。

 姫さまの意表を突けたなら、あたしの嗅覚も捨てたもんじゃ無いねぇ」


「……方条ほうじょう当主に乗っかったとは云え、判断は僕の責任だ。とかく今更に、問い質す心算つもりも無いけど、一応は訊いておきたいね。

 ――何を考えている?」


「おやおや、随分と信頼の無い事だ。

 無論、主家さまを第一に進言させて貰ったよ」


 表情から落胆らしいものは窺えないまま、誘は軽く残念がる。

 その様子に誉は、内心でどうだかと吐き捨てた。


 武に傾倒する誘は脳筋と考えられがちだが、実際は政治的な評価もまた高い。

 特に、複数の類似した選択肢を選ぶ際に、最適解を即断で取捨選択する手腕で他者に追随を許したことは無かった。


 ――胡散臭いものは良く臭うとは本人の言だが、真逆、本能で政治をやってきた訳でもあるまい。

 疑念が表情に浮かんでいたのだろう。誉の視線に軽く肩を竦めて、誘は車の天井を仰いだ。


「姫さまは温情で雨月颯馬そうまに肩入れしそうだし、翠さまも下手な情報を寄越していないはずさ。

 ――まぁ、あたしが断言出来るのは、雨月はこれでお終いってことくらいかね」


「雨月が?」


 一瞬、呆けた感情でその言葉を耳にし、直後に誉の顔面から血の気が引いた。

 何を仕出かしたかは知らないが、雨月家は完全に義王院ぎおういん家、延いては國天洲こくてんしゅうから締め出しを食らったのか。


 温厚で知られる義王院ぎおういん家がその判断を下したと云う事は、内容も相当と云う事だ。

 知らずとはいえ壁樹洲へきじゅしゅう陣中じんちゅうに入れたのは、愚断と誹られても文句は云えない。


 何よりも、颯馬そうまに赦した功次第の約束が非常に不味かった。

 颯馬そうまが引き連れた戦力が雑多であったとしても、颯馬そうま自体は別格であるからだ。


 年齢12の砌で既に奧伝を認められ、今年に入ってからは雨月の神器すらその手にわたっていると噂に届いている。

 単独で怪異を下すその実力に疑う余地は無く、下手に戦線へと加勢されたら好き放題に戦功を乱獲される惧れがあった。


 ――百鬼夜行の規模次第では有れど、ケガレの総量が有限であるという現実こそが最大の問題点であろう。


 焦る他洲の加勢に戦功を独占されたら、動員された衛士や防人たちの評価が相対的に下がってしまうのだ。

 そうなれば間違いなく、玻璃院はりいん個人・・へ責任追及の矛先が向く。


 自身を生贄にするような誘の行動に、誉の視線が敵意に染まった。

 一層に低い詰問呟きが誉の咽喉のどから漏れるのも、責められないだろう。


「面倒ごとと引き換えに、戦功の乱獲を安請け合いさせてしまったぞ。

 方条ほうじょう当主。僕を贄に主家へ叛意でも抱く心算つもりかい?」


「おお、恐い怖い。少しはあたしの忠義も信頼してほしいよ。

 ――生き足掻いた雨月が貸し借りを喚くよりも、現時点で徒労の安売りをしてくれたんだ。乗っかるのが得策さね」


「徒労? 百鬼夜行と云えど、穢レ資源が有限なのは間違いないだろう。

 颯馬そうまくんが神器を持ち出せ……真逆」


 そこまで問い質して、獰猛な歓喜を浮かべる誘に気が付いた。

 ――女傑の視線は誉を見ていない。


「……心配せずともあたしたち・・を含め、論功は一律参加賞から用意ドンだ。

 何しろ、あたしが大方を平らげちまうからねぇ」


方条ほうじょう当主。これを知っていたのかい。

 ――運転手。蒸気機関が焼けても良い、速度を振り切れ!」


 誘が向ける視線の先を辿り、血相を変えた。自身が向かう神籬山から、緊急を報せる煙が上っている。

 ――北北東アカ化生多数アカ


「雨月の御曹司が戦場へ着く頃にゃ、大方は終わっているよ。

 押っ取り刀で到着した向こう方に残っているのは、のんびり督戦での参加賞だ。それなら、姫さまの口八丁で断りを入れるのも容易い」


 颯馬そうまは、無料タダ同然で鬼札を売った格好だ。万が一、策に失敗しても、颯馬そうまの加勢で安全を買ったと主張は出来る。

 極言、玻璃院はりいんに損は生まれない。

 にい。わらった誘が、迷うことなく疾走する車中から扉を開けた。

 流れる視界の中、鍛えられた体躯が大きく身体を乗り出す。


方条ほうじょう当主!」


「……この距離なら、自前で疾走ったほうが速かろうさ。

 あお・・さまを降ろして下山するなら、姫さまにも掃除程度は残しておくよ」


「戦功を総取りする心算つもりかい!」


 百鬼夜行の戦場を独占する言い訳作りが、誘の本音だったのだろう。

 雨月が到着する前に大方を終えていたと云い切れば、周囲の不満も表沙汰になり難いと踏んでの裏工作だ。


「あたしは不要らないよ、独断と戦功で相殺するさ。

 さぁて。弓削ゆげ孤城の最大戦果が確か、 、百鬼夜行を一撃で下したって話だったね。

 ――流石に難しいが、短期決戦なら此方方条誘にも可能性がある」


 遠くに聴く虎の如き笑みが、女傑の口元を彩る。

 躊躇いを欠片も見せることなくその脚は車の縁を蹴り、誘は大通りへとその身体を躍らせた。

 玻璃院流はりいんりゅう精霊技せいれいぎ、初伝、――唸り猫柳ねこやなぎ


 他流派に追随を赦さない身体能力の重ね掛けを下地に、その身体が一息の加速を得る。

 焼熱を吐く蒸気自動車の時速70にも届く速度を軽々と越えて、見る間に方条ほうじょう誘の姿が通りの向こうへと小さく消えた。


「――、 、 ……全く!!」


 八つ当たりと理解しながらも、運転席に続く小窓を急かすように叩く。

 収まらない憤懣を吐気に交えて、誉は座席に深く座り直した。


 ――これだから、嫌なのだ。


 本能としか思えない脳筋で政治をしているのにも関わらず、常に理解できない一手を最善の機微で打ってくる。


 最も理解に及ばず、玻璃院はりいん誉が得意とする領分で常に一歩先を刻む存在。

 それが誉から見た、方条ほうじょう誘という女傑の評価であった。


 ♢


 ――早い。速くは無い・・・・・けれど、間違いなく早い。


 呵々カカと耳触りを残す古兵の姿を視線の先に収め、咲は山ン本五郎左エ門の評価を内心で見定めた。


 現神降あらがみおろしを行使する衛士2人を相手にしているのだ、多少の優勢程度は、誤差にもならない。

 剣豪を追って屋根を疾走はしる咲とそのみ・・・であったが、元より精霊技せいれいぎは行使できないと史実にある相手、追いつくこと自体は然して難しい問題で無かった。


 ――問題はその先。

 捕縛は疎か、一撃を届かせることも叶わない現状。


 奥歯を噛み締めて、咲は現神降あらがみおろしに精霊力を回した。

 瞬時に加速する身体は五郎左エ門の脇へと即座に回り込み、突き出した薙刀は必中の軌道を刻む。


 だが、五郎左エ門の脚が同時に屋根を蹴り、僅かに落ちた速度が衣服すらかすらせずに薙刀の一撃を無為に返した。


 ――その胴体目掛けてそのみ・・・の太刀が水平に斬り薙ぎ、

 しかし、大きく屈んだその躯に斬撃は空を斬るだけで過ぎる。


 斬撃の初動が終わるよりも早く剣豪の躯は疾走を再開、瞬く間に彼我の間合いが微妙に開いた。

 身体強化のない相手、咲たちの方が速いのは間違いない。

 だが、眼前の剣豪は何よりも、


「――歩法が化け物じみている!!」「そうねっ」


 認めざるを得ない。山ン本五郎左エ門を名乗るこの人外は、少なくとも精霊の質に問われない分野にいて咲たちの及びもつかない高みで錬磨しているのだ。


 直線で追いつくだけなら、咲たちにも容易い。だが一撃を加える刹那の間に、咲たちの攻撃を読み切って回避を熟している。

 攻撃から移動に掛かる一拍の間で、相手が駆ける数間の間合いを赦しているのだ。


 精霊技せいれいぎならと思考の隅に思い浮かべるが、避けられてしまえば逆効果なのは間違いない。

 阿僧祇あそうぎ厳次げんじが口酸っぱく注意した、その至言。


 ――精霊技せいれいぎよりも、ただの一撃の方が速い。


 その極致とも云うべき化け物が、山ン本五郎左エ門を名乗るその男の正体であった。


 有利なはずの2人掛かりが、2人のお荷物と化してしまっている。

 だがそれでも、勝機は咲たちの眼前にこそ存在していた。


 何故ならば、現神降あらがみおろしの行使できない相手の身体能力は、常人のそれを超えることは無いからだ。

 そうである限り、2人が眼前の剣豪紛いを見失う事はあり得ない。


 加えて、視界の端に舞い始めた朱金の輝きが、咲たちの判断を後押しした。

 朱華はねずの神気が結界を満たし始めているのだ。


 眼前の剣豪の材料が何であれ、この中にいて瘴気は勿論、ケガれた存在は永く赦されない。

 ならば目指す先は間違いなく、


「五行結界の外でしょう! 郊外に辿り着いた瞬間に、水気で圧し潰してやる」


「火気で完全に灼き祓うのが先でしょうが。

 後顧の憂いも無く、灰にしてあげるわ!」


「――男子おのこが見ていないと思えば、女子おなごは即妙にこわいのう。戦場いくさばじゃあ、衆道に走る輩も納得よな」


「「黙れ、似非剣豪!」」


 瓦を蹴る音も軽い身の熟しで、山ン本五郎左エ門が屋根を伝って走った。直後に、その後を追う2人の影が宙へと踊る。


 逃すまいと剣豪の背中をにらみつけながら、咲は内心で疑問を浮かべた。

 咲たちと山ン本五郎左エ門が接敵した場所は、央都の中央でも北寄りに位置している。そのため、結界の外に最も近い北へと、逃げる脚を向けるのは理解できる。


 ――しかしそれでも、中央である事には間違いが無い。

 央都の郊外までを考えてもそれなりの距離は有る筈なのに、迷いなく全力を振り切って体力の維持が可能なのだろうか。


 どう考えても、帳尻が合わない。逃げ切ることを考えていない逃走の速度。

 否。そこまで考えるなら、仕掛けてきた場所も理解不能である。


 この後、珠門洲しゅもんしゅうの八家である咲は、南東に位置する玖珂太刀くがたち山へと向かう予定であった。

 つまり黙っていても、央都の郊外へ・・・・・・向かうことになる。


 畢竟、山ン本五郎左エ門には、ここで仕掛ける意義が薄いのだ。


 ――悩むのは後!

 疑問で鈍りそうになる思考を鼓舞し、咲は焼尽雛己の精霊器を握り締めた。


 認めよう。剣にいて、相手との技量は隔絶している。

 だが咲は剣技に生きるものに非ず、――精霊技せいれいぎに生きるものだ。


 特に火行。詰み手知らずと称賛される奇鳳院流くほういんりゅうは、攻め手の多彩さで他流派に追随を赦さない。

 家屋の連なる央都の中央。延焼を恐れて精霊技せいれいぎを極力控えてきたが、郊外の平地であればその制限に遠慮も無くなるはずだ。


 その瞬間に、咲の持ち得る最大火力を以て周辺ごと剣豪を灼き祓えば、敵が如何ほどのものであっても勝利への障碍と足り得ない。

 現状で咲に出来る事は、精霊技せいれいぎを振るう瞬間に備えて精霊力を高める事しかなかった。


 認め難いが、精霊力を温存するそのみ・・・も同様の考えだろう。

 剣豪をたおし、事の序でに・・・・・咲の実力を知らしめる。


 一層の覚悟を以て咲が精霊力をたかぶらせた時、視界の向こうで山ン本五郎左エ門が大きく屋根を蹴って中空へとその身を躍らせた。


 咲の視界、その向こうが僅かに開ける。

 木立が並ぶ眼下に建つ、小さくも古びた神社。


 山ン本五郎左エ門を中心に、朱金の輝き・・・・・が際と大きく渦を捲く。

 咲の双眸が、驚愕に開かれた。




 ――山ン本殿に期待する事は、逃げ足であって・・・・・・・逃げる事に御座ございません。

 三日月に裂ける口蓋が、昏い記憶の底でぬうるりとわらった。


 現世の秩序を象徴とする、木火土金水。その精髄たる神柱を揃えた五行結界は、恐らく世界でも最大強度の結界だ。

 難易度に斉しくその効力も多彩を誇り、秩序を歪める瘴気は浄滅の結末おわりしか赦されていないほど。


 ――身共の神器で偽装しても、内部では瘴気の強化すら不可能でしょうな。


 しかし裏を返せば、神器九法宝典偽装権能であれば、ただ・・人の身体能力までを充全に扱えるという事でもある。


 そう。精霊に頼らず剣を異能の域にまで錬磨した山ン本五郎左エ門にとって、五行結界の内部に在っても一切の障碍はないという事実を示していた。


 滑瓢ぬらりひょんの求めるものは、目的地への到達。

 それさえ叶えば――、


 呵々カカと心底からのわらいを吐いて、山ン本五郎左エ門は懐から呪符を引き抜いた。

 神器の杭パーリジャータを騙す、真言反転の呪法。


 神器とは神柱の象を鍛造したものであるが、神柱そのものではない。


 特にパーリジャータは、28本14対からなる世界最多の神器だ。

 複数の同時運用を前提とするこの神器は、個人との行使に契約を結ぶ意味が薄い。


 畢竟。パーリジャータの弱点は、正者であれば神柱の意向を無視して権能の励起までは可能であるという事だ。


 潘国バラトゥシュから運ばれた杭を引き抜き、咲と繋がりかけていた神器を奪取したのはこの為。

 始点と終点が結ばれ、策謀は巨大な槍と化して火花を散らした。


 遠く異境の神柱が、己の杭に干渉する不届きもの山ン本五郎左エ門に気付いて戸惑いを叫ぶ。

 ――だが、もう遅い。


 山ン本五郎左エ門は正者でなくとも、正規の手続きは踏んでいるのだ。

 所持を赦してしまった時点で、滑瓢ぬらりひょん要請策動に神柱は誠実な結果を返す義務がある。


 山ン本五郎左エ門の掌中に、朱金あけこがねの輝きが渦と捲いた。

 ――朱華はねずの神気。

 五行を構成する一柱が神気は、当然にして結界の阻害を受けることも無い。


 正者であった頃は夢に見る事しか赦されなかった膨大な権能を、老獪な剣豪は躊躇う事なく眼下の神社へと突き立てた。


 ――その神社の名前は、かのえと云った。

 小さくとも五行結界にける相克の霊道、金行ごんぎょうに属する要の神社。

 火行と関わりを持たない純然にして唯一の要に向けて、朱華はねずの神気が神社の表層から神域までを一息に撃ち抜いた。


 哀切に満ちた土地神の悲鳴が、耳依らぬ心の奥底に響きわたる。

 神社と共に五行相克の霊道が陥落おとされたその瞬間、央都の守護は要山の結界を残して4千年の役目を終えた。

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