12話 思惑は結ばれ、策謀が火花と散る3
――
渦と捲く朱金の波濤が、
その具現である朱金の波濤は、残り香程度の瘴気すら見逃すことは赦さず。
足元から浚うそれが過ぎるほどに、山の其処彼処で火花が散っていった。
吹き溜まりに薄く凝っていた瘴気が余さず浄化されていく。それはその証明。
「くふ。抜け駆けで功名を狙ってみたが、
――まあ、この程度が際であろうな」
「
その総てが消え飛べば、央都に罠を仕掛けても在るだけの塵芥と変わりません」
呟きに
幸いにして、現在の日天は正中へと至っている。
この時間帯は火気が最も威力を放つ、その只中だ。
火気だけが突出しても、現在だけならば瘴気の維持すら困難になる。
それは
現時点の央都に
「良い。これで少なくとも、時間稼ぎは叶う。
夕刻までに残りの五行が揃えば、如何に堕ちた神柱と云えど外部からの干渉は不可能となろうさ」
「百鬼夜行は、何時までも維持できるものではありませんしね。
遺る首魁の
百鬼夜行は怪異が率いる強勢な群の暴走だが、当然にして維持するためには莫大な瘴気を必要とする。
瘴気の発生元である怪異の討滅のみに集中しつつ、残りの群れは瘴気切れによる自然消滅を狙うのが百鬼夜行に
くふ。
「――
「最後に咲さんと会った際、繋がりの痕跡が見られました。
受け容れてはいても、理解には及んでいないといった辺りですね」
「もう
何をそこまで渋らせておる」
「遠く異国の神柱と繋がるのです。
言葉だけを聴けば却って理解の妨げにもなりかねませんし、足踏みをしていたとしても現状は静観するべしと判断しました」
神柱との交信。それが、パーリジャータを咲に預けた真の狙いであった。
遠く
本人にすら伝えていないその狙いが的中すれば、この一戦に
流石にこの役目は、既に
故に残る候補は、
「残る少し、ならば今は未だ弱いだけか。
――
「はい、恐らくは。意図せずとも、女性の咲さんは個別の行動を強いられる局面が多々ありますし。……ですので、咲さんには保険を掛けておきました」
「ふむ?」
薄く微笑んで、
意表を突かれ、童女の神柱が双眸を瞬かせる。
神柱は感情に素直だ。――であればこそ、
何しろこの策は、人間の情動を真反対の方向に煽って成立させているからだ。
憎悪、激怒、そして……。感情の抑制が可能であるからこそ、人の行動は読み難く。
――そして制御し易い。
「私たちが咲さんを側室に選ぶと同様に、
――ですので
ならば、咲の周囲が突けるほどに薄い事は、向こうも直ぐに気付いたはずだ。
当然、
「咲さんが単独の行動をすれば、
――多少は
「露見すれば、咲にも恨まれよう。
――晶に怒られるような策、どうして実行した?」
保険程度であるが、
ただ、
良好な関係性を崩しかねない、それは紙一重の危惧を孕んだ策だ。
その点は、
――だが、それでも。
「……だって、狡いじゃありませんか」
ぽつり。
それは多分に嫉妬も含んだ、やや稚気た感情の果てにある言葉。
「咲さんは教導で晶さんと四六時中一緒なのに、私は機会が無いと逢えないのですよ。
一寸くらい、意地悪だってしてみたくなります」
尖らせた唇から零れる、それは傍迷惑なだけの
結局のところ
♢
――同時刻。央都、裏手通り。
――
その名前を耳にした瞬間、咲の胸中には呆けた感情のみが残った。
聴き慣れない響きという訳でもない。
剣を手にするものであればこそ、親しみを覚えるほどに馴染んだその名前。
平民出身であるにも関わらず
伝わる逸話も数多く、その多くが芝居で人気のお題目となっている。
――だが咲の眼前にその当人が現れるなど、咲をして想像を逸脱した現象であった。
何しろ、その剣豪が生きていた時代と現代では、優に数百は年月を隔てているからだ。
同名の人物という線も考え難いだろう。
一文字を
「随分と、恥知らずな名前を名乗るのね。
――叩きのめされた時の顔が見ものだわ」
咲との戦いに水を差され、
その所作に、古の剣豪と相対した気後れは窺えない。
何しろ精霊力は疎か、霊気すら感じられないのだ。
剣術の技量は別としても、山ン本五郎左エ門と名乗ったその男が宿している精霊の等級は下位であろう事は間違いない。
だが、取るに足らない小粒でしかないはずのその男性は、鷹揚に刀を
隙が多い。しかし付け入る狭間の見えない姿勢に、咲たちの攻め入る足が鈍る。
にぃ。揃った歯を剥き出しに、
「恥と罵られてもなぁ……。
儂の
「――別人よね?」
じり。悟られないように歩をにじり寄せ、場を誤魔化すために咲は口を開いた。
姿を晒した以上、隠形を維持する意味は無い。畢竟、
油断なく薙刀を構えて、咲は更に一歩。
「さぁて? 元の
――主上
「それは!!」
――その真実。疑似的であっても死者を蘇らせるとなれば、権能としては破格なものと変わる。
「
「!?」
咲から飛んだ警告に、しかし
低い姿勢から
辛うじて振り下ろす斬撃に合わせる形で、剣豪の太刀が居合に抜かれた。
撃音。鍛え抜かれた体躯が
「くぅっ」
「逃さんよ」「――させるか!」
体勢を戻す暇など与えぬと、苦悶を残す
無防備にしか見えないその背中へ、咲が放つ
必中を確信できるほどに肉薄を果たした火焔の飛斬は、
――
「嘘」
「
精霊力すら宿らぬ
それにも関わらず、猛る業火を正面から斬り裂き、何ほどでも無いかのように、その太刀は鈍い輝きを残した。
埒外にある結果を、だが咲は吃驚に止まる事無く間合いを詰める。
逸話に
特に人を惹きつけた話題は戦場でなく、衛士との決闘を語るそれが多い。
歴戦の衛士と対峙して尚、敗北を知らず。という
相手が古の剣豪であるとするならば、未熟な咲の
咲も、届かぬと承知で放った一撃。
――相手の一歩を、刹那でも止めるための捨てる札だ。
指弾の狭間さえ稼げれば、
迷いなく
「ふむ」
水気の渦動が刺突を捕らえ、捩じ切らんと負荷を掛ける。
剣豪を名乗る男の体躯へと牙を剥く精霊力の渦。そして、後背から迫るのは咲の斬撃。
必殺の布陣の只中で五郎左エ門は一
――迷うことなく太刀を手放した。
「な!?」
抵抗を失い、太刀が空高くへと撥ね飛ぶ。
――衛士にとって武器とは即ち精霊器であり、自身の
当然に手放すという発想こそ埒外のもので、無意識にも得物に固執をしてしまう。
防人であればこそ陥る思考の陥穽。咲たちをしても、それは当然の帰結であった。
動揺に揺れる
「――
強靭な体幹と柔軟な筋肉に支えられた手刀が弾き抜かれ、咲の薙刀と噛み合った。
――ギ、ィン。
凡そ生身とも思えない音だけを残し、咲の体躯が後方へと弾かれる。
ほぼ同時に突き出された掌底に弾かれ、
「か、はぁっ」
「立てぃ、小娘ども。
その程度、精霊に
苦悶から膝をつく咲たちを前に、山ン本五郎左エ門が悠然と刀を拾う。
肩に峰を掛けて見下ろしてくるその威圧は、古の剣豪が眼前に立つ事実を余すところなく示した。
「
「
猛る精霊力を呼気と共に練り上げ、
僅かに落ちる腰から踏み込み、滑るように剣豪へと間合いを詰める。
迸る水気を駆ける軌跡へと刻み、刹那の内に
「
錬磨された歩法から
八家が宿す膨大な精霊力に裏打ちされた水気の刃が、間を置くことなく山ン本五郎左エ門を攻撃の圏内へと捉えた。
「ぬぅん!っ」
視界一杯に迫る激流の刃に向かい、剣豪は大きく呼気を吐き出す。
その手から刃金が閃き、鈍く鋭い斬撃音が重なる度に水気の刃が砕かれた。
「本当に出鱈目ね!!」
「衛士と太刀を交わして儂が悟った真理は一つ」
咲と
「精霊力は万能であろうが、
――つまりだ。
にぃ。剣豪の口元が
遅い。
「
山ン本五郎左エ門の手元から斬撃が水平に放たれる。
全力で跳ねる
「
撃音。火花を散らす衝撃の結果、互いに後退を強いられた。
「ほぉう」「――乱繰り、」
感嘆を吐く山ン本五郎左エ門へと、咲の追撃が牙を剥く。
「糸車ァッ」
くねる斬撃が舞うように連なり、互いに重なる撃音が火花と変わって虚空を灼いた。
如何な剣豪と云えど、この
――だが。
「憶えておるぞ、その軌道。確かぁに、少々面倒な小細工よな」
怒涛の攻めを防ぎ切って尚、剣豪の口元を刻む
「――しかし、止めの一撃は必ず大降りになる。読めんと云うほどでは無いなぁ!」
「くぅっ」
小さく突き込んだ薙刀に放たれた斬撃が中てられ、そのまま踏み込む一撃が咲へと迫った。
正確な一撃。しかし、咲の薙刀に釣られ、軌道が衝撃に跳ね上がる。
舞い散る火花が軌道を描き、咲の肩口を
呻く声だけを残し咲は転がるように相手の圏外へと逃げ、
――自身の肩が軽くなっている事に気が付いた。
「しまった!」「うん?」
彷徨う視線が、山ン本五郎左エ門の突きに引き摺られて宙を踊る咲の鞄を捉える。
そこに結わえられた
「返せっ」
奪還に駆け寄ろうとした咲を白刃で牽制しつつ、剣豪の武骨な指がその小さな杭を掴み取る。
「させんよ。……察するに、これが
その正体に思い至り、剣豪は大きく破顔した。
「やれやれ、
特攻を仕掛けようと足を撓めた咲と
戦うための距離ではない。それは、
「済まんなぁ。もう少し遊んでいたかったが、こうなっては主上の命を果たすが先よ」
――逃げるための距離。
「「待て!!」」
重なる少女2人の声を捨て置いて、迷うことなく古の剣豪は壁を蹴って平屋の屋根へと移った。
「儂とても、刀を置くは少々心苦しい。
――とは云え、主上が特にと
終始圧倒されながらも、目的を入手した途端のあっさりとした退場。
「「ふ、ふ……」」
虚仮にされたような相手の態度に、咲と
「「巫山戯るな、あの似非剣豪!!」」
絶対に逃すものか。
決意を気炎と吐いて、何処か似たものの2人は勢いよく立ち上がった。
百鬼夜行が本格的に動いた事すら、彼女たちはまだ知らない。
だがこれこそが、百鬼夜行の本当の緒戦。
戦いは未だ、始まりの途上であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます