12話 思惑は結ばれ、策謀が火花と散る2
ガタリ。路上の石を跳ね上げたか、央都の大通りを疾駆する蒸気自動車が大きく揺れた。
その車内を支配しているのは、軽快な速度と裏腹の停滞感。
車中の主が窓の外を逃避気味の感情で眺めると、常日頃と変わらないように見える央都の営みが流れていた。
百鬼夜行など我関せずの光景に、思わず苦笑が口の端に浮かぶ。
「――どうしたんだい、
「
最後尾の座席に座る
誉の真正面に座るその相手は、軽く肩を竦めて皮肉に
「仕方ないさ。難攻不落の五行結界は、央都4千年の伝統を誇る
「そりゃあまた、随分と豪気な話もあったものだね。
――
「何代前の話題を持ち出してくるかと思えば。
――ご先祖に思う処は有ったかもしれないが、あたしゃ特には残っていないよ。
今回の件だって、
――だったら、良いんだけどね。
愚痴にも似た誉の呟きは、唇を震わせる事無く口腔の中で消えた。
彼女の自身に対する苦手意識は、自覚しているのか興味も無いのか。ただ、殊更に追及する雰囲気も無いままに、誉の正面に座る女性は苦笑を浮かべるだけに止めた。
誉の記憶が確かであるならば、年齢の頃は30の半ば。
だが、鍛え上げられたその体躯から溢れる生気ゆえか、見た目の年齢よりも若々しい。
日に焼けた肌は野趣の生命力に溢れ、豊かに波打つ髪の間から覗く笑顔は荒々しくも女性らしさに満ちていた。
その一点。女性の左眼に当てられた刀の鍔を見て、誉は僅かに視線を眇める。
「左眼、眼帯を取ったんだ?」
「傷は癒えたしね。
指で差す眼帯には、朱と青で染められた鮮やかな家紋が浮き出て見える。
――的矢紋に
三宮四院を除き、華族の歴史上に在って数えるほどしかいない女性の当主。
その例外も、已むに已まれぬ理由による選択でしかない。
しかし、彼女は違う。
文字通り自身の武のみを以て、当主候補の男子たちを押し退け当主の座に就いたのだ。
その身体に溢れる覇気は、自信の顕れか。
――八家第四位、方条家。その当主である
「歌舞く
子供も出来たんだし、隠居も含めて考えたら?」
「おやおや。先見の明を持つ姫さまが、随分と大人しい事だ。
――まぁ、折角の御助言だ。百鬼夜行が終われば、考えてみるさ」
肩を揺らして
男性とも見えてしまうその所作を引き出せただけでも、落としどころとしては最上か。
「
「あたしゃ、特には。
――ああ、
誘の何気ない口調に本題はそこだろうと内心で返し、誉の口の端に苦笑が浮かぶ。
その総てで敗北を味わっていた。
「さあ? 向こうも忙しい身だよ、僕も動向は掴んでいない。
――とは云え、それでは
「主家からの約束とは、随分と期待をさせてくれる。
なら、充分に励ませて貰うとしようかね」
沈黙だけが流れる時間が、暫くの間流れる。
やがて、学院が見えてきた頃、視線を外に向けていた誘の眦が歓喜に歪んだ。
誉の視線から外れた通りの向こうで、確かに煌めいたのは精霊力の放つ刹那。
女傑の唇を、感情を見透せない獰猛な笑みが彩った。
「随分と
「いやぁ、何でもないさ。
――ただ何処も彼処も、血気盛んで宜しい事と思っただけでね」
曖昧な
だが、彼女の視界に見止める事が出来たのは、常と変わらない秋天だけ。
何が視えたのか。問おうとした瞬間に、蒸気自動車が高い音を立てて
自動車の先に在るのは、学院の正門。
「僕は学院で暫く話を聞くけど、
「
学院は我が青春の地でもあるしね、僅かばかり懐古に浸っても問題は無かろう」
「ご随意に。
――運転手殿、暫く待っていてくれ給え」
懐古に浸る性格でも無いだろうと茶化し返したくなったが、無駄なだけの会話に興じる趣味も無い。
運転席に声を掛けて、誉と誘は続くようにして学院へと降り立った。
学院での用件は、
理由は単純。緊急の連絡係を除いて、学院には全体動員に近い勅旨が下っていたからである。
「衛士候補は全員、要山に出立した後か。
側役は随分と思い切ったらしい」
「
どうやら、百鬼夜行の警告を上げた
懐古に浸る余裕も無い誘の愚痴に、誉の現状認識が応じた。
平日の昼間なのに休日のような静けさが支配する廊下を、急ぐ足音が二つ重なって響く。
中央棟を抜けて靴の置かれた玄関口に到着した時、誉は前に立つ人影を認めた。
「――誉さま」
「
困惑と焦躁に満ちた雨月
「
お傍を守護する事を食い下がりましたが、取り付く島もなく……」
「莫迦な」
感情に任せて、目に見える失策を侵すような相手とも思えなかったが。
「……
「うん。
声を潜めた誘の口調に警戒の響きを覚え、誉は首を傾げた。
雨月後継として、
誘の性格も考えれば、現状で殊更に警戒するとも思えないが。
「何。出立前に戴いた、翠さまの忠告を思い出しただけだよ。
面倒の最中に在る雨月には関わるなと」
「確かに。だが、現状で無視もできない。
――
口を濁らせる誘の様子に、誉は内心で首を傾げた。
果断を旨とする女傑が悩む姿は、初めての事である。
だが、追及するよりも話を切り上げて、
「では、単刀直入に。
――
緊急の現在、如何に静美さまが現当主の座に就いていても、誉さまの仲裁を無下には出来ないはずです」
他洲とは云え四院に対する図図しい願い出に、
しかし、その歩みを無言で抑え、誉が口を開く。
「確かにそうだろう。
けど僕も、これから風穴の守りに入らないといけない身だ。
無い暇を削って、雨月家の為に労苦を支払う対価は?」
「……嘗ての動乱に
その借りを、今回の一件で返していただきたい」
400年前の動乱時、
爾来、雨月に強く出ることはできない弱みを、
――破格の提案であるが、その判断は
「……良いじゃないか、姫さま。
やや難しいが、支払う価値はある」
口約束で買い叩かれる可能性に誉が足踏みをする中、誘が判断の背中を押した。
「
「何。
時間も無い、決めるのは姫さまだよ」
「はぁ。――仕方ないね。
ここが、
この辺りに悩むなら即座に交渉を切り上げるが、流石に一線の引き際は弁えていたのだろう。
提案を買い叩かれた自覚を
事前に話はつけていたのだろう。
纏まった戦力を目の当たりに、誉は僅かに眦を緩めた。
「僕たちは先行する。
――異論は?」
「ありません。
「結構。――征くとしようか」
♢
斬閃が落ちる。
その軌道を充全に見極め、
左脚を軸に、半身が軽やかに
袋に納まったままの薙刀が反転、追撃に迫る
刃鳴る剣戟が幾重にも連なり、鞘に納まった太刀と薙刀が彼我の間合いで火花を散らす。
――硬い!
攻め
猛る呼気を繰り返し、収まらない熱量を肺腑から吐き尽くす。
一撃ごとに加わる衝撃を守り足で耐え抜き、精霊力を
目まぐるしく攻守が入れ替わり、その度に少女2人の精霊光が弾け飛んだ。
誰かに見咎められる惧れが無くなった現状、咲と
僅かに残る両者の理性は、刃を納めたままの鞘が保証するだけであった。
――
彼女との年齢差は3年。年齢差は、そのまま経験の差に直結しているからだ。
「
「気にされずとも結構。
――咲さんこそ、駄々を捏ねる余裕など無いのでは?」
「
駄々などと、御家の耳が痛いだけでしょうに」
挑発に挑発で返す。その
咲との間合いが瞬時に溶け、迫りくる気迫に怖じる事なく薙刀の穂先が迎え撃つ。
水気に圧し潰されながらも、咲の精霊力が火花を散らして刺突の軌道を後方へと流した。
必中を確信した軌道。しかし手元に返る感覚は無く、石突は虚空を貫いただけ。
流れるような歩法で距離を取る
徹頭徹尾、守勢を重視し後の先を狙う、
――守りに堅き。そう呼ばれる真骨頂が、咲の手数をおさえて苦しめた。
圧倒的な不利。
だが、ここは負ける訳にはいかない。譲る訳にもいかない。
ここで後退を赦せば、晶に対する発言権を赦したのと同意になる。
何よりも、晶と
――咲に息衝く女の矜持が、今後を赦す訳など無い!
だがそれは、
譲る訳にはいかないのだ。
遅きに失したと云えど、晶との関係性を取り戻すためには咲の存在が邪魔になる。
裏手通りで繰り広げられるこの一戦は、互いの趨勢を決する決戦だ。
呼気を吐きながら慎重に間合いを測り、
――示し合わせるでもなく2人は同時に一歩を踏み込む。
互いに真っ向からの一撃が、交差を果たすべく虚空を刻んだ。
その刹那、自身に宿るエズカ
その源は、視界の端から割り込む刃金の輝き。精霊の警告に従って、半ば無意識に咲と
撃音。火花と共に刃金の軌道がくねり舞い、2人が放つ一撃を迎え撃つ。
一撃、二撃。連なる衝撃に両者が弾かれ、後退で開いた間合いの狭間に何者かが降り立った。
「――やあれ、やれ。
衛士相手に、小細工はするものでも無いのう」
蹴立てられた砂埃の奥からぼやく声と共に、ぎょろりとした眼光が2人を射抜く。
立ち上がるその佇まいは、襤褸の着流しを纏うだけの壮年の男性。
だが油断はできない。エズカ
「……何者か?」
「すまんのう。問われても、返すほどの名は無くてな。とは云え、返さぬも無粋か」
そう
「
――主上の命にて、衛士殿の
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