12話 思惑は結ばれ、策謀が火花と散る1
肌寒さを孕んだ山間の秋風に瘴気が混じり、昼間を漸く超えたばかりの秋枯れの峠が薄暗く腐り落ちていく。
鐘楼山から峠を一つ越えただけの先は、晶たちが到着する頃には遅く地獄絵図と化していた。
―――
腐臭の支配するその奥から、飢えた
「麓から回り込まれたぞ!」
「平地には衛士も詰めている、それよりも隊列を崩すなっ」
悲鳴混じりの号声が飛び交う中、晶は
雑木の狭間を掻き分ける度、木の葉が視界を散って去る。
「
「急ぐぞ、
肩を並べる
視界に迫っては消える秋枯れの木立、未だにその向こうを見通すことは叶わない。
だが、渦巻く
「――五月蠅ぇよ、指図すんな。
先手は譲るぞ、火力馬鹿!」
「任せろよ。
諒太も瘴気の濃度に気付いたのか、呟きと共に晶の勢いから半歩を譲った。
その気配を背に、晶は
只でさえ不安定な、斜面上での抜刀。
刹那に晶の姿勢が致命的に崩れ、
――構う事なく晶は地面を踏み抜いた。
雑木と斜面を眼下に収めて、視線は更にその先へ。
峠に
「疾!!」
火撃符が三枚、指から離れて明るい日差しの中を舞う。
その総てを俯瞰で認識し、記述された術式を書き換える。
――確かな手応えに成功を確信し、剣指を振り抜いて一息に霊糸を斬った。
青白い励起の焔すら呑み込み、呪符だけでは賄えない火力が轟音と共に瘴気の渦へと落ちる。
直後に膨れ上がる爆炎が、峠の中程を舐めるように灼き祓った。
学院に滞在した短いだけの日々。しかしそこでの知識は、晶にとって珠玉の宝そのもの。
特に緑角館に所蔵されていた陰陽術の基礎理論は、晶に多大な飛躍を与えてくれていた。
火撃符の作成と術式の書き換えは、晶が得た成果の一つ。
未だ拙く粗さが目立つが、神気に制限が掛かっている晶にとって最上の武器となっていた。
だが、それで終わる訳では無い。
舞い踊るような咲の所作が、鮮烈と記憶に蘇った。
それは晶が修めた、最初期の
火焔の斬閃が形状を成す前に、巨大な瀑布と化して地表を舐める。
制御や諸々を
その中央に着地して、晶は右から巻き込むように平に薙ぐ。
轟。収まる処を見せなかった精霊器の劫火が、晶の剣舞に煽られて猛り上がった。
刹那だけ
制御をせずに放たれた
だが、それこそが晶の目的。
「いいぞっ」
「ま、かせろおぉぉっ!!」
晶の後背に続く空高くを、音も無く舞う
それは螺旋の突きを下方に向けて落とす、諒太が届き得る最大火力。
「――
火生土。散じかけていた
―――
音と評するには、余りにも乱雑な衝撃が一帯を掻き乱し、空間ごと捩じ切られた
餓欲しかない
判断としては正解。しかし、下す時機が既に遅い。
雲一つない青天に、突如として紫電が混じる。
じりじりと虚空が逆立つ一拍の後、
――閃光と衝撃波が、
「――討ち漏らしは?」
「大半は消し飛ばした。残りの
残心から納刀。大きく
範囲を浄滅する
「これが百鬼夜行か? 聞いた噂にしては、随分と軽いな」
晶たちが飛び降りた木立の向こうから、疾雷を
肩に掛かった枯葉を叩きながら、晶たちへと合流する。
「これなら、鎧蜈蚣と
考えにくいが、
「確かに、奈切先輩の言い分にも一理ある。
――そもそもだ。化生も怪異もいないんじゃ、百鬼夜行とは呼べねぇぞ」
迅の言葉尻を継いだ諒太は、神託を持ってきた晶へと視線を向けた。
とは云え、伝言を持ってきただけの晶に、それ以上の知識は無い。
「……
この規模程度で収まるって事は、陽動か」
気付く。
犇いていた
出所を求めて晶の視線は彷徨い、やがて轟く足元へと留まった。
「――本命が隠れているって事だ!」
警告を口にしながら、晶は全力で峠から跳び退く。
突然の警告に一拍遅れて2人が跳躍、――瞬後、視界全てが砂埃で埋め尽くされた。
「「んなっ」」
息を呑む諒太へと、砂埃を突き破って土色の槍が迫る。
迎撃に
―――
――槍では無い。
「初めて見たぞ、こんな奴!!」
物悲しく響き
肢なのか蠢く繊毛が砂利を蹴立てる中、蚯蚓の化生は逃げ遅れた
卑しいだけのその光景。晶の脳裏に、文献で見た一節が蘇った。
――
――
「――
気を付けろ、何でもお構いなしに喰うぞ!」
「狙われている最中に云うな!」
好みなのか、近くに居るからだけなのか、不満を叫ぶ諒太へと巨大な蟲の口腔が迫る。
苛立ちに舌打ちを残し、
―――皀、 、 。
空間が
その胴体を斬り裂くべく、水平に薙ぐ斬撃が虚空を飛んだ。
身の丈
狙いは過たず起き上がりかけていた
――牙の見えない口蓋が精霊力の飛刃を容易く噛み砕いた。
初歩の
「何でもって、そういう意味かよ!!」
「止まるな、
繊毛で出来た多肢が蠢き、地響きを蹴立てて化生の巨躯が諒太へ集中した。
涎か粘液か。大きく開かれた口蓋から糸が尾を曳き、
「汚ねぇものを晒すな、化生風情!」
「
吐き捨てる諒太の背中に、晶の声が投げられた。
考える余裕は無い。
諒太の生み出す精霊力の波濤が、
知性は外見通りなのか、その矛先は容易く晶の方へと変わる。
底さえ覗けない
轟く音を残し、火焔の槍が無防備な
だが、
終焉さえ見せることなく吸い込まれるその一撃に、結末は同じかと諒太の頬が歪んだ。
だが、晶の表情に焦りは窺えない。
短く呼気を吐き出し、劫火の溢れるまま深く一歩と踏み込んだ。
「
精霊力の槍が水平に広がり、斬撃が
その勢いは、
――所詮、化生だ。神柱ですらないその身の限界は何処かに存在する。
餓欲の塊と云えど一度で喰える量の限界、それこそが
晶の目算は果たして正答を得ていたのか、
やがて限界を超えた
見た目ほどの重量は無いのか、一丈もの長い躯の半身が内部からの爆圧で上空に舞う。
逃さず放たれた晶の火撃符が、筒蟲の化生を業火の底へ叩き込んだ。
「お見事」
「――ち」
一帯の掃討が完了したのか、瘴気が速やかに拡散を始める。
納刀をしながら大きく
「……峠越えの群れは、粗方を潰せたと思うけど」
「
――だが、未だ昼も越えた辺りだぞ。百鬼夜行の体裁はついただろうが、これで後続の勢いは維持できるのか?」
陰陽に照らし合わせると、瘴気は陰気と相性が良い。
当然に、半極である陽気の高まる日中では、化生の活動が制限されるはずであった。
こんな時機に百鬼夜行を起こしたら、減衰する勢いに尻すぼみで終了する危険が有る筈だが。
「それに関しては、
詳細は教えてくれなかったけど」
「……余り突っ込みたくはないが、後輩はずっと俺たちと一緒だったはずだぞ。
何時、そんな
「先刻。休息に寄った屋敷の手前で、案内の女性から。
先方も、取り敢えず世間話くらいの勢いだったけど」
事情に通じている晶の呟きを聞きとがめ、迅の眼差しに疑念が混じった。
応えるに難しいその疑念を敢えて無視し、晶は峠の奥で渦巻く瘴気から視線を外す。
この先へと向かっても、央都から離れるだけで手間しか残らない。
ならば晶たちが採択し得る選択肢は一つだけ。
「一旦、
百鬼夜行が侵攻を始めた以上、斥候任務は危険が増えるだけで意味は無い」
「確かにな……」
晶の正論を受けて、迅の表情に思案が混じった。
即断を下せない理由は、斥候任務の放棄が央都守備隊の意見に与える影響を考えているからだろう。
しかし、迅たちに告げることが難しくとも、晶には失敗の判断に対する勝算が十二分にあった。
晶たちの斥候任務は、三宮の強引な横槍で決定したものである。
加えて、
今回の一件、本当に顔合わせの意味しか無かったのだろう。
――ならば、目的は既に果たされている。
この時点で晶たちが撤退を決定しても三宮からの追求は無いと、晶は確信をしていた。
「――先輩。俺は、晶の意見に賛成を一票だ。
俺たちが守護するべきは、それぞれの要山だろうが。
三宮の勅旨を後生大事にして主家を危険に曝したら、それこそ末代までの
「判った。
師匠の詰めている本丸まで後退して、要山に戻る意見を具申しよう。
――
晶にとっては思わぬ追い風か、諒太の賛成が迅の背中を押す。
三人の意見が一致を見て、晶は峠の麓へと向けて踵を返した。
口惜しそうに戦慄く瘴気の轟きが、その背を追い撃つように峠の奥から響く。
「晶」
「応。
先刻は助かった」
先導に発つ迅の背中を追い、一歩を踏み出した晶の背中に諒太の呟きが投げられた。
晶の謝辞に軽く首を振り、諒太は一層に声を潜める。
「気にするな。どうせ、
……それよりも、後何回、連戦は可能だ?」
諒太の懸念に、晶の返答は一瞬だけ遅れた。
百鬼夜行を経験するのは、晶も諒太も
あの時と勝手は違うものの、今回の規模が前回より劣っているなど、晶たちに楽観は筒底できなかった。
今回の群れは抑えられたが、首魁の
――その危険性がある以上、神気の回復が望めない晶は何よりも先ず、
咲が不在の現在、事情を把握している諒太の後押しは非常に心強いものであった。
「神気は練らなかったから、先刻の戦闘でも体感するほどの消耗は無いな。
現状が続く程度なら、指の数だけ重ねても息切れすることは無いと思う。
……
「成る程な、俺の父上と見立ては同じか」
「?」
吐き捨てるような諒太の呟き。其処に含まれている不穏当な響きに、晶は疑念を向けた。 その視線の意味を気付いたのか、諒太は苦く肩を竦めて返す。
「
咲を抱き込むアテが外れた現在、手前ぇの歓心を買うのに必死なんだろうさ」
「……ああ」
先月に顔を合わせた
本音を晒せば、露見した際に何か強引な手管に出られるのかと身構えていたが……。
「まぁ、百鬼夜行にちょっかいを掛けるほど、向こうも暇じゃ無い。現在は有り難く恩恵に与っとけ。
俺たちは、できるだけ早く
「そうだな」
諒太の慰めは、それでも晶を案じる響きに満ちている。
その事実を理解して、晶たちは瘴気の忍び寄り始めた峠を後にした。
♢
「落ち着け、未だ一報が届いただけだ」
「周辺の確認に斥候を出す。
担当班は、昨日に決めた通りの位置に向かわせろ!」
側役2人を含め、
「
――百鬼夜行の神託に備え、神域を繋げるように、と」
「
時間稼ぎはできないかしら」
「
ここで渋ると、後で何を云われるか判ったものではありません」
「……そうね」
余りにも順調に事が動きすぎている。
だが側役の箴言も、正論である。
悩みながらも
「総員、これより神域を降ろします。
周囲から人の気配が遠ざかった事を確認して、意識を要山の更に深くへと結びつける。
四院の内、最も早い段階から
準備自体も、既に終了している。
「何じゃ。
――刹那の間も無い後、
「そのようです。
現在、南西の方角に兆しが現れたと」
「追い詰められて自棄になった、
……手合い程度ならば苦労はせんか。
――晶は?」
「その南西に、三宮の依頼で斥候に向かわれました。
ここまで時機が重なれば、晶さんが
華族階級に
他洲の勘繰りを避けるために、晶との交流を
歯噛みをする少女を目の当たりに、
「どの時点では不明であるが、確実に露見はしたの。
じゃが、
「どう云う意味ですか?」
「言葉通りよ。空の位は
空の位たる晶に興味は持とうが、宣言通り母さまが手出しする心配は不要ぞ」
くふ。喉奥で笑い、
時代に取り残されつつあるその街並みは、
世界でも最大級の神域の表層を護る意図に基づいて都市構造が配置されている央都は、裏を返せばそこに人間の意図を介在させる余裕が少ないという事でもあるからだ。
神域を護る央都の浄化防壁に、その外殻を守護する五行結界。
その視界に映る彼方の要山に、神柱が降りる様が明瞭に映った。
「
――これで三柱。
「静美さまと誉さまの到着は夕刻。
「ならば後、晶が妾の元へ戻れば、少なくとも
――気掛かりは、
五行結界の強化を赦してしまえば、
見えない相手の策略に対応の手を躊躇うが、既に神柱が降りている以上、今更に結界の強化を停める事は出来ない。
まぁ、善い。鼻を鳴らして、
朱金の神気が空間を満たし、陽気の極致たる火行の化身が凄絶に笑う。
「先ずは
薄汚い瘴気を欠片残さず、央都から掃き清めて見せようさ」
己の奉じる神柱の宣言を享け、
滔々と溢れる神気の波濤が風穴を基点に要山を結び、
――やがて、火行の神気は央都内部へと浄滅の意思を広げ始めた。
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