7話 巡るは央都、万華の如く2

 似たような大路を越えたと思えば、又、向こうから見えてくる。

 整然と云えば聴こえは良いが、単調な街並みの中心を北に向かって晶たちは歩いていた。


「随分と、お行儀の良い街だろう? 央都の大路みちは碁盤の目でな、慣れていないと逆に迷うぞ」


「気を付けます。高天原たかまがはらの中心と謳う以上、央都はさぞかし繁華を極めていると思っていましたが、随分とその……」


「歴史を感じるだろう」


 言葉を濁す晶の前を歩きながら、阿僧祇あそうぎ厳次げんじ呵々カカと笑い返す。

 だが、歴史という表現も良く云えば。の類であり、何方どちらかと表現するならば、


「――ひなびているんだよなぁ」


「云い過ぎだよ、迅。

 周囲に人も居る。誰が聞いているかも判らないんだ」


 晶と源次が誤魔化した語尾を継いで、奈切迅なきりじんが後頭部で両手を組んだ。

 身も蓋も無いその評価に苦笑を一つ、弓削ゆげ孤城こじょうが窘めた。


 向こうから歩いてきた着物の老婦人が耳に咎めたか、まなじりひそめて晶たちの脇を過ぎて行く。

 聴かれただろうか? 眉間を掻いて気まずさを誤魔化し、厳次げんじは先導する歩みを再開させた。


 鄙びていると評した迅だが、実際はそこまでも無い。

 大路に行き交う人の流れは多く、蒸気自動車も馬車に混じってそれなりに見止める事ができたからだ。


 しかし周囲の建物には歴史を感じる長屋造りが多く、どうにも時代に置いて行かれた街と云うのが晶の印象であった。

 周囲に見える山稜の並びから、央都にそれほどの広さが無いと窺えたのも理由の一つだろう。


「央都人は変化を嫌う気質が強い。文明開化の波なんて、その最たるものだろうな。

 実際、この央都みやこほど歴史にしがみつく街も無い。

 ――これでも、西巴大陸の文化が浸透した方なんだ」


 そう厳次げんじが呟く視線の先で、真新しい路面電車トラムが過ぎて行った。

 華蓮かれんで見るよりも整然と、人の流れが再開される。


 それに従って、自然に晶たちの歩みも人々のそれと交わった。


「そうそう。特に喫茶店は旨い店がかなり多い。

 ――後輩。金子に余裕があるなら、後で俺のお勧めを、 、……痛でっ」


「君の喫茶通いは、女給目当てだろう。

 ――その資金を何処で調達したのか、じっくり聴く必要はあるかな?」


「せ、師匠せんせい。それは、その……」


 青筋を浮かべながら微笑む孤城こじょうの姿に、藪蛇を突いた迅は誤魔化しながら後退する。

 その姿に大方の事情を察した孤城こじょうは、大きく息を吐いた。


「……呪符の内職で小遣い稼ぎか。

 学院の成績に不安はないから言及はしないが、散財はしないように」


「お、押忍」


 孤城こじょうたちの遣り取りに興味を惹かれたのか、厳次げんじが笑いを堪えながら振り返る。


「ほう。奈切なきりも符術師か。何処まで書けるんだ?」


「金撃符だ。……伯道洲はくどうしゅう精霊技せいれいぎよりも此方が本領でね」


孤城こじょう殿が口にすると、嫌味にしか聞こえんが。

 ――呪符の足りない珠門洲しゅもんしゅうでは、羨ましい限りだな」


「相性は如何ともし難いさ。

 ……それより、迅とは?」


 厳次げんじの台詞に含みを覚えたか、孤城こじょうは疑問を口にした。

 特に隠している話題でもない。笑いながら、厳次げんじは晶へと視線を遣った。


「晶だよ。此奴はこれでも器用でな、何処で習い覚えたのか回気符を作成できる。

 お陰で第8守備隊は、呪符に少し余裕がある」


「それは凄い。なら、紹介する学院も学ぶものが多いかもしれないね。

 ――晶くん。転校の手続きは出来ているかい?」


 厳次げんじとの会話を切り上げて、孤城こじょうの視線が晶を向く。

 伯道洲は、陰陽術との相性が國天洲に次いで高い。流石に接する機会も多いからか、その瞳に驚いた感情いろは窺えなかった。


「はい。中学校の教諭には、かなり渋られましたが」


「成績は優秀だと聞いていたけど、それが理由かな? 気にすることは無いさ。短期ならば、教諭にとってもいい話だ」


 一年遅れとはいえど、晶の成績は首位を独走するほどにある。

 才覚は元より、努力も欠かしたことは無い。

 担任教諭の実績を主張するためにも、他校で単位を取られることは避けたいのだろう。


 ……だがそれは、教諭大人の都合であって、晶の都合ではない。

 晶の利益を見るだけならば、孤城こじょうの提案の方が魅力的なのは確かなのだから。


 軽く談笑を続けながら、晶たちはやがて央都の中心を臨む区画に足を踏み込んだ。

 立ち並ぶ周囲の建物も商店や住居と云うよりは、公共施設の色合いを強く窺える。


「もう直ぐ央都の守備隊総本部だ。――が、入る前にお前たちには厳命しておくことがある」

 人の流れも疎らになった頃、神妙な顔つきで厳次げんじは振り返った。

 その手が持ち上がり、三本の指が立てられる。

「先ずは、喋るな。次に、視線を動かすな。

 ――そして絶対に、怒るな」


 至って真面目な表情で下される奇妙な指示に、晶たちは呆気に取られた。

 気持ちは分かるのか、苦笑を浮かべながら厳次げんじの後を孤城こじょうが継ぐ。


「事実だよ。迅は、央都人と友誼を結んだ事はあるかい?」


「いえ。学院では、同じ出身くに同士で固まるのが基本でしたから。

 ――まぁ、お高く止まった連中だって印象が強いですが」


「その印象で、大方は間違っていない。

 詳しい理由わけは後にしよう。良いね、くれぐれも怒らないように」


「「判りました」」


 訳が分からないまでも、取り敢えず二人は声を揃えて肯いを返す。

 一抹の不安は残ったものの、厳次げんじは特に言及することなく総本部の方向へと足を向けた。




 ――成る程、確かに。


 四半刻30分の後、厳次げんじが口にした言葉の意味を、晶は内心で噛み締めていた。

 横目で迅を流し見る。表面だけ取り繕っているものの、不満な本音は透けて見えた。


阿僧祇あそうぎ殿の申された由、確かに受け取りはしましたがなぁ。

 百鬼夜行程度の報に央都私らが難儀すると勘違いされはっても、正直、有り難いだけ云うんが本音に御座ございます」


「……総隊長殿としては、奇鳳院くほういんさまよりの御心配が無用のものだと」


「真逆、真逆。それこそ、畏れ多い事で」


 何処か緊張感の張り切れない、婉曲な遣り取り。

 通された応接室の中。長椅子ソファに座った阿僧祇あそうぎは、卓を挟んで央都守備隊の総隊長である二曲輪にのくるわ昭清あききよと向かい合っていた。


 年齢の頃、40程であろうか。華蓮かれん守備隊の総隊長であった万朶ばんだと違い柔らかいその物腰は、厳次げんじの言葉も表面だけを滑り落ちていくような違和感を残すだけに終わる。


「事の重大さを、ご理解いただけていないようですな。

 ――滑瓢ぬらりひょんとやらは、人間に化けることができるのですよ」


「珍しくも無いでしょう。猩々ショウジョウとて人語繰りは芸達者に御座ございましょうが」


「芸程度とは、桁が違うと云う話だろう。

 ――華蓮かれんの総隊長だった万朶ばんだ殿も、何時の間にかすり替わって好き放題されたのだぞ」


 厳次げんじの警告に、飄々ひょうひょうとした二曲輪にのくるわの口元が僅かに引き攣れた。

 上っ面だけの微笑み。嗤うと表現するに適当なそれが、厳次げんじの視線とぶつかり合う。


「つまり私が、化生如きにしてやられていると? 噂は届いておりますよ。

 ――何でも、万朶ばんだどのが長蟲に成り果てよったとか」


「此方の事情はどうでも良いでしょう。

 問題は奴の本命が華蓮かれんではなく、央都の可能性があるという事です」


「永く生きても所詮はケガレ、随分と拙い思考のようで」

 くくっ。喉奥だけで漏れるように嗤い、二曲輪にのくるわの口調は揺らぎもしなかった。

万朶ばんだどのは金勘定に夢中な御仁でしたな。南方の片隅で満足していれば、足も掬われなかったでしょうに」


「飽く迄も、此度の騒動では央都の問題ともならないと?」


「当然に。央都周辺をご覧じれば、奇鳳院くほういんさまのご配慮も過分であると知れましょうに。

 ――高天原たかまがはら勃興より4千年。央都の護りが破られたことは、一度とてありますか?

 4洲では怪異が洲都を襲う事も多いとか? それで人心を安堵させるのは困難かと」


 明白あからさまくに自慢と他洲を下げるような発言に、その部屋に立つ二曲輪にのくるわ以外の全員が眉間を引き攣らせた。


「ふむ。二曲輪にのくるわ殿は、私の手も必要ないと?」


「央都は万全に御座ございますれば、同様に。

 ……ですが、奇鳳院くほういんさまに加えて陣楼院じんろういんさまのご高配までも無下むげにするのは、央都守護を与る者の名が廃りましょう。

 手勢をつけるほどの余裕はありませんが、周辺の山を狩って満足していただければと。

 ――何、私共もここ最近は狩り過ぎたのか、ケガレの影まで少なく感じます。手応えに物足りなくとも、ご不満は聞きませんよ」


 ――きっとそれは、二曲輪にのくるわが見せた、僅かな本音の発露であったのだろう。


 平坦な口調に嘲るような感情が滲む。その後も暫くは続いた会談で、それだけが晶たちの印象に残った。




 その後に交わした幾許かの取り決めは、然して時間を取られる事なく。

 辞去の言葉もそこそこに、晶たちは総本部を後にした。


「終わったぁぁ」


「くそ。無駄に疲れた」


 総本部の見えない通りを曲がり、晶と迅は肩を並べて大きく息を吐く。

 気疲れだけが残る会話に、晶たちの解放感も相当に味わい深かった。


「2人とも、能く我慢した。

 知らん奴が直面すると、大体あれで揉めるからな」


「……あれ・・が特殊なだけでは?」


「残念だが、あれでも素直に此方の要請を聞いてくれた方だ。

 流石に二曲輪にのくるわ殿であっても、奇鳳院くほういんの書状を無視する訳にはいかなかったようだな」


 あれで素直。余計な面倒を直視して、晶たちの表情が渋った。

 気持ちは充分に理解できるのか、孤城こじょうの苦笑が深まる。


二曲輪にのくるわと云えば、旧家華族の一角だよ。

 ……確か、嘗ての西道守護を一手に担っていたとか。

 矜持も歴史も、下手な八家よりは高い。内心では此方を見下げていただろうね」


奇鳳院くほういんさまを軽く扱う響きがありましたが、此方は良いんですか?」


 孤城こじょうの言葉に、晶が疑問の声を上げた。

 旧家華族の詳細は知らないが、高天原たかまがはらの序列上位は三宮四院八家である。

 だが、二曲輪にのくるわの言動をそのまま受け取るなら、事に因れば奇鳳院くほういんすら軽んじるに躊躇いを覚えない響きを含んでいたようにも思えたからだ。


 当然に厳次げんじたちも気付いてはいたが、言及はしなかった。

 無駄だという事は身に染みていたからだ。


 旧態依然とした旧家華族の権力機構は、高天原たかまがはらの最高位たる三宮と完全に癒着している。

 奇鳳院くほういんに例えるならば、個々の側役が血統ごと固められているようなものだ。


 役割も共通したものが多く、三宮の代行として発言権を有している家系もある。

 極言、限定的に彼らは、三宮の代行者として振舞うことが赦されているのだ。


 ――それは長い年月を経て、自身が三宮と同格であると誤認する要因でもあった。


「……仕方がない面もあるね。そもそも央洲おうしゅうの華族である旧家華族は、本来、他洲に膝を折る謂れは無いんだ。

 明確に序列として上位に立っていたから渋々に付き合ってやった。

 彼らの本音は、大方そんなところだろう」


「だからと云って……」


「三宮は大きな裁可を下すが、自身の膝元には意外と無頓着なのも理由かな。

 その所為せいで、彼らの増長を赦してしまったから」


「――もういいだろう。晶、この辺りは奈切なきりを見倣っておけ」

 厳次げんじは晶の憤懣ふんまんを宥めて歩き出した。歩むその拍子に、背中に担いだ荷物が重そうに揺れる。

「天覧試合の際を除けば央都に縁がなかったしな、俺は央都人との付き合い方なぞ今一つ判らん」


「ある程度の自由は確保できたんだ、結果としたら上々さ。

 2人とも。私と厳次は守備隊に詰めるが、君たちは学業を優先しなさい。

 ――迅、晶くんを案内するように。今から行けば、君も昼からは授業に出れるだろう」


 我関せずの顔で殿に立っていた迅は、その言葉に嫌そうな表情を浮かべた。

 だが反論は出来ない。何しろ半月は授業を受けていないのだ、これ以上を逃したら進学どころか退学も有り得てしまう。


「押忍。判りました」


 迅は一礼を残し、晶と共に踵を返した。

 孤城こじょうたちとの合流は夕刻から。

 ――晶たちも、己のやるべき事を済ませる必要があった。


 ♢


 央都の中心を南北に走る大路の途上、迅と二人、肩を並べて北へと向かう。

 古びてはいないが、特徴的な長屋の並びが何処か時代に取り残されたような印象を晶に残した。


「――そういえば、弓削ゆげさまが紹介してくれる中学校って何処だよ?

 俺、行き先を聞いていないんだけど」


「云ってなかったか? 幾ら師匠でも尋常中学校への伝手は無くてな、俺の学校ならって事で頼まれている」


「先輩の学校って、確か……」


天領てんりょう学院。高等部の教諭に師匠の知己がいるから、その人宛ての紹介状を預かっている。

 練武の師範でもあるから、気が重いんだよなぁ」


 立派な理由があるとはいえ、半月以上の欠席は痛い。

 規範に厳しい相手、当事者である迅に向けてくる視線も厳しいものになることは想像に容易かった。

 渋い表情の迅に、晶が苦笑を返してやる。


「自業自得。

 でも、天領てんりょう学院か……」


「何だよ?」


「いや、学校名を聞いたことがあると思ってな。

 ――何処で聞いたっけ」


「そりゃそうだろ。確か、輪堂りんどうのお嬢さんが今年に入学していたはずだ。輪堂りんどう家は後輩の後見なんだろ? 挨拶くらいはしとけよ。

 輪堂りんどうだけじゃないぞ。今年は上位華族の子弟が揃い踏みって、何かと話題でな。四院に至っちゃ、陣楼院家以外は全員が顔合わせしている。八家は久我に同行、

 ……ああ、雨月もか」


「ああ、咲さまの。……何?」


 何気ない迅の呟きに晶の歩みが呆然と止まった。

 ……咲の事はまだいいとして、晶の記憶に故郷のそれが蘇る。


 ――邪魔なんだよ。


 初めての顔合わせより、見下され、蔑まれ続けたその視線。

 日陰で蠢くように呼吸いきするだけの己と、日向で笑顔を赦されていた相手。


 3年の月日を隔てた現在。年子の弟であった・・・雨月颯馬そうまと邂逅する可能性と、突如として晶は直面する事となった。

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