閑話 答えは遠く、確証は結論に臨む2
――東部
神域、
透渡殿の床板が、荒々しく踏み鳴らされる。
足音の主である青蘭は、当主である
「その
「雨月に
偽る理由もありませんし、
「……っ! 愚図が。――うにゃあっ!?」
「…………………………ご無事ですか、
「ううぅぅぅっっ、 、 、……問題ないっ!」
引き戸を開けて、自身の席へと大きく一歩。
――ついた勢いに足元が滑って、頭から畳に倒れ込む。
藍に艶めく黒髪が畳に広がり、恥ずかしさからか引き攣れたように華奢な手足が震えた。
何時もの光景に僅かばかりの安堵を覚えつつ、
誤魔化すように涙目を振り払い、青蘭は乱雑に自身の座席に胡坐を掻いた。
「
……これ自体は、歓迎すべき慶事でしかない。
400年前の内乱から生まれなかった
「はい。――問題は、雨月の独断で
……
「なりかけた、は間違い無かろうさ。小康状態を保たせている現状が嵐の前の静けさであるならば、何時、決壊しても驚きはせんが。
……
「人別省の役人が、雨月本邸へと魂石を直に持ってきたそうです。
雨月はただの能無しとしか見ていなかったそうですので、人別省へ小細工を仕掛ける手間は考えないでしょう」
「魂石の輝きが失せていたならば、9割、間違いは無いか。
神柱の加護は基本的に支配する土地までである以上、洲の境を一歩でも跨げばただの人と変わらんからな」
より正確には身体に満ちる神気が尽きるまで、であるが、
「……良く、3年も露見しなかったものです。
ここまでの手抜かり、
「悲願であった
しかも忠義に篤く歴史に永い雨月の内部、干渉するのも躊躇っていた可能性は高い」
口にしながら、青蘭は
神域は神柱そのものである。本質的に余人が立ち入ることは赦されない神柱の内面であり、
青蘭の神域もその名の通り、元来は岩肌に囲まれた洞窟である。初めて
神域の組み替えは、神柱にとっても繊細で負担のかかる作業となる。
一朝一夕で為せる技でもない上、己の伴侶を迎えるためと何処までも拘り抜くのは当然だ。
「――直利めから詳細は訊いたか?」
「
何かご不審がありましたか?」
「
……事実であるか?」
青蘭の問い掛けに、
罪と問われた場合、雨月の主張は間違いなくその辺りに焦点が当てられる。
「
回生符が書けるという事は、陰陽師として最低限の知識は備わっているという事にはなります」
「年齢10の時点で回生符が書けたのならば、少なくとも無能では無かろう。
雨月は揃って、間抜けか節穴か?」
「回生符を作成するだけの知識が足りているならば、少なくとも小学校の知識で支えられる範囲から逸脱していることは確実です。
――雨月が無能と断じたのは、精霊無しから来る先入観ゆえかと」
努めて冷静に現状を分析しようとする
「とどの詰まり、雨月天山が度し難い無能という事であろう。
……雨月も墜ちたものよ。このような
「
『北辺の至宝』。その呼び名に相応しい才気の持ち主だとか」
「――
問うように流し目を向ける青蘭に、
その評価の裏を返せば、余人で測れる程度の優秀さである事を意味している。
神柱にとってその事実は、どれほどの魅力ですら無かった。
「雨月の処分は
幸いなことに彼は
「
――
「追放時、
あの辺りの地理は知識に有りませんが、旧街道は
抜けたとしても、その辺りで生計を立てていた可能性が高いかと」
「儂の支配地か
深刻な表情で翠の首肯が返る。
人間一人だけの怒りも制御できないのだ。神柱の怒りともなれば、制御を外れて暴走する
「なら、周辺の街を虱潰しに探し回れ。回生符を収入の当てにしていたのであるならば、特に
――遺骨は高望みでも、運が良ければ遺品の一つは回収もできよう」
遺品を土産に
「……火に油を注ぎかねませんが」
「
周囲の被害は尋常でなくなるが、
100でも1000でも結果が土地の根絶やしならば、100で10年続くよりか1000で1年の方が被害の収まりが良いじゃろう」
上限を越えて土地を痛めつけても、与えられる結果が上限以上になりはしない。ならば、時間が短い方がマシだと判断するのは道理だろう。周辺の民とすれば堪ったものでは無いだろうが、これも運命と受け入れてもらうか。
冷淡な青蘭の判断に、それでも
彼女たちが支配するのは
「念には念を入れて、誉を
同様に
「あれは小知恵を回し過ぎる。余計な手出しを控えさせるためにも、詳細は教えない方が良かろう。
「それならば、
良し。一通りを聴き終えて、青蘭は大きく一つ首肯した。
現状が荒神堕ちの前兆ならば、時間を掛ければ周囲の被害も圧倒的に広がっていく。
少しでも早く晶が亡くなった場所を突き止めるのが、彼女たちの優先すべき事項となった。
「雅号持ちの子供などという珍しい存在、否応なく衆目を集めただろうさ。
総当たりで探せば、苦労なく見つかると期待しよう。
――雅号は何と?」
青蘭に問われて、
それを聞けば、
……だが、その逡巡も僅か。意を決して、
「玄生。そう
「…………………………そうか」
――
無為に消えたであろうその願いに応える言葉を持てず、ただ
♢
――西部
神域、
聖廟に広がる格子組の天井間近に、鈴入りのお手玉が軽やかに舞った。
「
楽し気に数え唄う
「――
「はい!」
飽きることなくもう一度。宙を巡る彩りが再開され、
穏やかに過ぎる時間に、手元にある白の盃が甘い芳香と共に
常と変わらぬその光景も、やがて割り込んできた声に破られた。
「
「
二枚の紙片を片手に
その笑顔に自身の策が結実したことを確信して、劣らずの微笑みを
「ご賢察にて。
――
夫は
「だけ、ではあるまい?」
重要ではあろうが、それで吉報とは思えない。
含む笑みを滸に返して、
――だが、
本文そのものにはあまり意味がない。重要なのは日付と後文。
組み合わせれば、何とどうしているかが浮かび上がる。
「
「400年振りか。前回の内乱から続く天の怒りも、漸くに溶けたと見える。
――行動を共にしているという事は、
「その可能性が高いでしょう。
常識ならば考えにくいですが、情報二つを組み合わせると、
それは、有り得ない事態でもあった。
その現実を黙認したという事実から、下手に干渉して神無の御坐という正体が露見することを恐れた可能性を推察できる。
「――
「手出しをされますか?」
滸の念押しに、嬉し気なまま
400年前の例外を除き、
……正式な伴侶でなくとも構いはしない。
久方振りに供された好機、
状況と
その前に
お手玉を目で追う
「……
「? はい」
扇を閉じて、
素直に立ち上がる少女の立ち振る舞いを、上から順に巡らせる。
発育が始まったばかりの肢体を包むのは、白の絹衣に朱染の長襦袢。
整った顔立ちは将来の期待も高いが、濡れ羽色の髪は肩の辺りで切り揃えられており、あどけない
……欲目を入れたとしても、そこに子供相応の可愛らしさしか認めることは出来なかった。
「うむ。……どう頑張っても、色気は期待できんの」
「年齢10を数えたばかりの
滸の口調に、呆れの感情が思わず混じる。
云わんとすることは理解できるが、色仕掛けを期待する相手が間違っているだろう。
「莫迦もの。色仕掛けに必要なのは、女の度胸よ。
目で流し言葉で翻弄して、相手の本音を絡め取るが技量の本質。
年齢なぞ関係あるか」
「あるでしょう。見た目に拘らなくても良いのは、同年代かそれ以下です」
「……うむぅ。相手の年齢は書いてあるか?」
「残念ながら。……ですが予想は出来ます。
――ならば下限は12、上限は15かと」
「最悪、
どの家が出身かの?」
殊の外、策謀を好む
つまり、最も
「
であるならば、生まれたのは
既に20を越えていたはずだから、こちらは選択肢から外れる。
「……
前提となる条件を耳に、
恋愛にも策は必須だが、往々にして計算より感情が先に立つ場合が多い。
ならば、感情に訴えかける策が最も効果的に立つはずだ。
「
――
「はいっ、
「善い返事よ。
――其方も、2年後には
「えぇ、い、良いのですか!?」
何か難事を
「うむ。とは云え、滸は
おお、そうじゃの。
――代わりに、
「あ、兄、ですか?」
「うむ。思いの丈、甘えるが良いさ」
三宮四院の直系となるものは、決して男子を産むことはない。
確実に縁の遠いその言葉に、
云い含める
「は、はい!
「善い善い。
――さ、出立の準備をしてくるがよい」
期待に浮かれた感情が抑えられないのか、燥ぐ足で
にこやかに見送る
「……どういうお
「仕方あるまい。
色気が期待できぬ以上、妹として相手の懐に滑り込むのが最善の策ぞ。
何。其方の娘は、間違いなく器量で最上じゃ。自然体であれば、間違いなく情に絆されるであろうさ。
――
「………………………はあ」
得意気な
「そろそろ市中にも慣れさせたくありましたから、いい機会ではあります。
……気掛かりなのは悪神の方でしょう。
「占っておるが、……どの
まぁ、傍に
見える範囲を更地にしても良いのであれば、あの者一人で何とでもする」
何時の間に手にしていたのか、大神柱の掌から筮竹が零れ落ちる。
武力はもとより、
上手く
♢
TIPS:相性について
作中何度か出てきた、精霊器や陰陽術の相性について。
端的に説明するならば、得意が霊気を動かす事か固定かの違いである。
自身の霊脈を基盤として、半ば本能的に組み上げるのが精霊技。
指先に霊気を固定して、空間に術式を記述するのが陰陽術となる。
方向性を得た精霊力は宿る精霊とは別のものと見做されるため、精霊技を行使するためには媒介となる精霊器が必要となる。
対して、陰陽術は空間に直接記述するため、基本的には媒介を必要としない。
作中で晶が呪符を媒介に精霊技を行使したが、これは晶だから可能であって他者ではその限りでは無い。この勘違いをそのままに、他人が真似をしない事を切に願おう。
だって責任なんて取れないもの。
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