6話 決着を疑い、思惑に辿れ2
眩しいほどの朝日が満ちる中、宿の中庭で
からりと乾いた雨が過ぎて、身体に
――もう、後一振り。
奥歯を噛み締め、攻め足から踏み込み上段の一撃。
斬。朝の澄んだ空気を唐竹に断ち、
見据えるのは、年明けの天覧試合に備えた切り札の修得。
思考に去来するのは、
火行の猛りを削り出したかのようなお手本通りの一撃は、迅が持ち合わせていない威力の権化そのものであった。
相手の圏の外から、必中の一撃を叩き込む。一方的な攻撃展開を可能とする反面、どうしても威力が及ばない局面に出会う。
その事実に不満を覚えたことは無いが、それでも届き得ない高火力には憧れのようなものがあった。
……だからこそ、
記憶にある晶の動きを、出来得る限り自身と合わせてなぞる。
火行にとってのお手本、攻め足からの上段。そこに金行の精霊力を併せ、
――その途端、精霊力が掌中から零れて霧散する。
「……くそっ」
予想通りの結果に、誰に届かせるでもない悪罵が口の端から思わず漏れた。
金行は、水行に次いで精霊器との相性が悪い。
更に言及するならば、
……
――それが
幼児のような失敗を苦く記憶に刻み付けて、迅は鍛錬から思考を離した。
脇に木刀を立てかけて、置いていた
冷たさの増した滴が
誰もいない宿の中庭に、鳥の囀りが影と共に過ぎって去る。
その内に身体の熱も治まりを見せて、迅は伸びを一つ、再び立ち上がった。
「……考えを変えてみようか。
誰もいない事実も手伝ってか、気恥ずかしさを余所に迅は独り言を舌に乗せた。
思考を整理し、自身の磨きうる最適解を予測する。
「つまり、呪符との相性もそれに準じているのは明白」
一昨日、晶の騒動に一枚噛んだ際の光景を、出来る限り正確に呼び起こす。
晶は気付いていなかったが、迅は晶の戦いぶりを少し前から眺めていたのだ。
呪符に
何よりも驚嘆したのは、五行相関を無視して
まあ何というか、割りと気恥ずかしさしか残らない派手な立ち回りを、かなり堂々とやらかしていたような……。
だが、目の付け所は悪くないのかもしれない。
陰陽術を経由して、
左右を確認。誰もいないことを確認して、懐から金撃符を引き抜く。
念押しで更に左右を確認してから、
「円れ――」「何をしているんだい、迅?」
びくり。意識の外から掛けられた声に、非常に分かり易く迅の肩が踊った。
迅の背後。そこには、宿の中庭に続く廊下から怪訝そうに視線を向ける、
「せ、師匠、何時からそこに!?」
「今だが? 守備隊本部の検分も終わったからね、漸く食事にありつける」
迅の動揺を見て見ない仕草で、中庭に足を降ろす。
昨夜の雨の残り香か、僅かに残る
「――晶くんの影響かな? 相性の悪さは自覚しているけど、剛の踏み込みは確かに魅力だ。
微笑ましそうな
「はい。天覧試合に備えて、威力の底上げをしておきたくて」
「……成る程ね。
試行錯誤は良い事だ、基礎鍛錬が終わっているなら止めはしないよ」
「いいんですか?」
「思考無くして成長なし。迅は僕の弟子だが、師と同じ
足跡から見るものは見た。迅にとっては不満しか無かろうが、その成長に苦笑を浮かべて背を向ける。
「とは云え、朝餉にしようか。昨夜は食いそびれたしね、朝に豪華さを求めても罰は当たらないだろう。
……それで、」
「はい」
「先刻は何をしようとしていたんだい? 大仰に呪符を構えるなど、随分と子供らしい真似事だったが」
「うぐ。……試行錯誤の一環です」
完全に意表を突かれたその指摘に、やはり見ていたのかと迅の頬に朱が差した。
大衆芝居の演目さながらに、呪符を構えて大見栄を切る。実際、子供しかやらない稚気た所業である。
只の見栄張りかと思っていたが、その行為に意味があると聞けば話も別だ。
興味もそこそこに、
「ふむ。何をしようとしていたのか、訊いておこうか」
「特に目新しいとも思いませんが。
撃符に封じられた術式と精霊力を転用、自身の
「……危険な真似を。制止して良かったよ」
眉間に皺を寄せた
陰陽術に親和性を持つ
迅がやろうとしていた事は、陰陽師たちが教わる失敗談の一つであった。
「それは必ず失敗すると、陰陽師たちによって証明されているんだ。
先ず、
「何処って、
……思考して、自身の霊脈を通して精霊器で発現ってことですか」
「その通り。では、陰陽術は?」
「指で印を組んで、呪と儀式を介在させて。……あ」
そこまで説明されて、漸く迅にも理解が出来た。
防人たちは体内で術式を構築して
呪符を利用して
間違いなく、自身に宿る精霊は拒絶を示す。
中庸に調整された精霊力で治癒を目的とする
「そう云う事だ。……陰陽師たちが呪符を開発した際に、迅と同じ思考に至って当然のように失敗している。
試行錯誤の結論が不可能だと落ち着くのに、それほどの時間は掛からなかったそうだよ」
「成る程。……あれ?」
得心から首肯を返して、
――前提が違う事に、漸く迅の思考が追い付いた。
そもそも、成功している場面を目にしたから、迅も試してみようと考えたのだ。
不可能という結論は兎も角、成功例を目の当たりにしている時点で話は違ってくる。
「師匠。成功させている奴がいる場合、どうなるんでしょう」
「成功例を見たと? 誰だ」
「後輩です。一昨日、
「――確かに、かい?」
迅の口から語られる詳細を聞くにつれ、
よく内功と間違われるが、あの
それに金行と木行が仕合をした場合、初手で
金行の使い手があの
当然に、迅の見間違えとも考え難いだろう。
ならば、何かを疑うのは晶の方か。
……
数日前に手合わせをした限り、中伝としてはやや足りない程度の力量と思ったが。
「――待て」
その事実に漸く理解が思い至り、
どうして今まで、疑問にすら思わなかったのか。
平民だったという事は、それまでは精々が剣技を習い覚える段階だけであったはずだ。
つまり、
間違いなく初伝であるはずの少年が、中伝の領域に片足を突っ込み始めて中伝の
尋常ではない力量。しかも、大っぴらに行使しているという事は、中伝の
更に上位。門閥流派筆頭である
だが、一平民に対して
「迅、何でもいい。晶くんについて、何か気になる事は有ったかい?」
「後輩ですか? ……いや、特には」
「そうか」
「――ああ、そう云えば」
付き合いは短いから仕方は無いが、収穫は無いか。
そう思考を切り替えようとし、迅の言葉に足を止めた。
「昨日の戦闘ですが、後輩が奇妙な精霊器を行使していたように見えました」
迅の記憶にある限り、晶の精霊器は常識の範疇から逸脱をしないものであった。
――だが、
否。それ以前に、
「つまり、神域で晶くんは平然と行動が出来ていたと――!?」
「……
「神威に満ちた神柱そのものの領域だ、そんな事が出来る訳無いだろう」
それでも、危うい傘程度。火行の
そもそも、出来たとしても一介の平民にそこまで肩入れする理由は――。
「……
争いの多い
神柱の威光を刀身に編み上げる
――その
この想像が現実ならば、晶は火行の神柱に心を赦されているという事になる。
だが、五行を越えた
ここまでくれば、浮かぶ答えも一つしかなかった。
――
おしどり夫婦で有名な
「……さて、晶くんは知っているのかな?」
「何をですか?」
思わず零れた呟きを耳聡く聞きつけた迅が、自室に戻る
明言は難しい。八家分家であっても、知っていい知識ではないからだ。
何でもないと誤魔化しを返しつつ、素早く思考を巡らせる。
――ならば、
「迅。第8守備隊に向かう前に、
「! ――はい、問題ありません」
本来、領都を対象にする窓口は存在しない。
そう向かうならば、先ずは領主たる
敢えて領都を対象にしたならば、
♢
荒く吹き上がる山の風が、南葉根の山稜をなぞり過ぎる。
下手をすれば天空高くに吹き飛ばされるほどの風圧も、人外の存在であるならばその限りでは無い。
「……無事に
嘗て、シータめの視界を眩ました神器ぞ、その霊験は折り紙付きじゃ」
危険な賭けでもあったが、見返りは充分に支払われた事も確認できている。
「あれだけ匂わせたのじゃ、儂が生きている事は気付いているじゃろうな。
……
―――卑、非。
面には何も彫られていない。無表情に刳り貫かれた目と口の孔が
「
……此度を生き延びるのに、3枚。数千年掛けて、
ここまで苦労した。嘆息を吐きつつ、面を懐に仕舞い直す。
「
……気掛かりは、奇妙な程、素直に予定が進んでいる事か。
想定する以上に、日程の消化が順調だ。
現状のままでは、百鬼夜行を早めなければならなくなってしまう。
それは困る。折角、
相手も充全の備えで立ち向かえると思い込めなければ、空手形を振るだけに終わる可能性もある。
「――まぁ、良い。瑕疵もなく予定を過ごせるとは、当初より思っておらぬわ。
遅れるよりかは、吉でもあろうさ」
気掛かりも僅かに、
それに、残された片方は、想定通り
――為らば全て、事も無し。
「百鬼夜行は予定通りに執り行える。
――御覧じろ、高御座。
儂の勝利は揺るがぬと、此度こそ貴様の胸に刻むが良い!!」
―――卑、卑、非イィィィッッ!!
吹き荒ぶ颪の中、瘴気に塗れた神柱の哄笑が、誰に届くでも無く
♢
TIPS:
一度だけ登場した、咲の父親。
……にも拘らず、風評被害だけで二度も浮気を笑われるのは、きっとこの御仁だけであろう。
厄籤を引くのは、娘の専売特許では無いのだ。
こんな所で咲と瓜二つなのは、間違いなくこの娘にしてこの父親ありと断じれる一コマである。
因みに、この風評被害は奥さんにもバレて(きっと
間接的な、晶の被害者ナンバー1であったりする。
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